2020年10月 1日 (木)

今日の躓き石 NHKGの暴言 再起図るアスリートに「リベンジ」の汚名 訂正あり

                         2020/10/01

 今回の題材は、NHKG、昔風に言うと総合、の夜7時のニュースだから、世の模範となるべきニュース報道のはずである。まさか、ここで、ド汚い言葉をふちまけられるとは思わなかった。世も末である。

 被害者は、長い闘病から再起を図っていて、本人は「ベスト」を目指すとしか言っていない。ところが、NHKにかかると、「リベンジ」を目指したと言うのである。こんな汚い言葉で、やられたからやり返してやると言った野蛮人のように報道されたら、当人に気の毒ではないか。誰にやり返すのかと非難されるのである。

 どうか、もっと、もっと言葉に気をつけて欲しいのである。一流のアスリートは、テロリストではないから、きたない復讐言葉など考えてはいないのである。それを、勝手に決め付けて、事もあろうに全国ニュースで触れ回るのは、公共放送のすることでは無いと思うのである。一度、こんな汚い言葉が出回って、視聴者の意識に残ると、消し難いのである。まして、世間の信用の高いNHKである。受信料を取り立てて、きたない言葉をまき散らすとは、情けない。職業倫理はないのだろうか。「リベンジ」暴言は、放送事故なみに謝罪なり、訂正告知すべきではないか。

 言い方がきついのは、まさかの場でまさかの暴言にであったからである。「制作・著作 NHK」とあるから、暴言で金を盗ったとなじられるのは、NHKである。

追記:8時50分からのBSニュースでは、池江選手自身が、「リベンジ」してやると暴言を吐いたという切り出しになっている。と言う事は、先に書いたのは、勘違いで、当人が不届きなのだろう。ここに訂正する。

 それにしても、かけがえのない公共放送が、当人の世間知らずの暴言を天下に曝して思い知らせるとは、どういうことなのだろう。別の意味で、公共放送の真価を問われると思うのである。舞台裏で、事情を説明してたしなめてやるのが、良心と言うものではないのだろうか。

 こんな陰湿ないじめは、とんでもないと思うのである。

以上

2020年9月30日 (水)

今日の躓き石 毎日新聞に残る暴言 「リベンジの機会」の迷言

                              2020/09/30

 本日の題材は、毎日新聞大阪朝刊14版スポーツ面のプロ野球戦評である。

 「倍返し」で始まる不吉な記事であるが、後半に問題発言が飛び出した。まことに、全国紙の紙面規準に外れたと思われる無様なものであるが、現実に、配達された朝刊に堂々とのさばっているので、ここに、苦言を呈さざるを得ない。

 そもそも、某テレビドラマからパクったらしい「倍返し」は、安直であり、しかも、野球の試合に「倍返し」とは、何とも恥曝しである。自分で考えた言葉で書けないのは、一流紙の署名記者として貧相である。

 さて、登場する「リベンジの機会をものに」したというのは、どういう意味なのだろうか。現在主流の若者言葉では、「リベンジ」は、再挑戦、も一丁の意味に過ぎない。記者は、不勉強で知らないのだろうか。つまり、読者によって、「汚い罵倒」、「立派な仕返し」、あるいは「お茶目な今度こそ」のいずれの意味ともわからないと言うことである。報道として、読者が理解できない言葉を使うのは、恥ではないだろうか。ここは、歴史も権威もある全国紙の紙面なのである。現在の毎日新聞社には、以前、公刊されていたような社内の用語規準はないのだろうか。校閲は無いのだろうか。

 因みに、さらに理解しがたいのは、「機会」を「ものにした」と言う希代な言葉遣いである。リベンジが仕返しだったら、先発登板しただけで、機会を得ているのである。
 それとも、機会をものにするというのは、機会を生かして「結果」をものにするという事なのだろうか。記者は、自身の幻想をママ書き出すのではなく、一般読者に理解できるように工夫するのではないだろうか。それが、職業人、プロフェッショナルのみちではないのだろうか。

 毎回書いているように、生煮えカタカナ言葉「リベンジ」の出所と思われる英語の「リベンジ」は、絶対避けるべき反社会的な言葉なのである。記者が、テロリズムの隠れた支持者であったとしても、署名入り記事で使うものではないのである。

 どうか、将来ある投手に、そのような汚名を着せて良いものか、考えて欲しいものである。そして、天下の毎日新聞の紙面で帰せられた汚名は、拭い取りようがないのである。投手は、前回登板で、力が及ばなかったから、今回こそは、努力して力を出し切りたいと思ったはずである。ローテーション入りすれば、年に20試合以上登板し、10試合程度はまれるはずである。勝敗を争った果てに、負ける度に、その相手への報復を期していては、投手としての成長の妨げになるとしか思えない。失敗したことの反省はすべきだが、一々、根に持っていては、ということである。いや、人間性の問題、スポーツマンシップの問題であるから、人それぞれ個人的な意見はあるだろうから、ここは、当記事筆者の私見としていただきたい。

 以上、ただの素人の意見であるから、何から何までまともに受け止める必要はない。
 絶対大事なのは、「リベンジ」排除の提言である。後は、他人の身からすると、どうでも良いのである。

以上

 

2020年9月29日 (火)

今日の躓き石 繰り返されるNHKBSの暴言 海を越える「リベンジ」の蔓延

                             2020/09/29

 今回の題材は、毎度になってしまったNHKBSの「ワースポ」である。ずっこける暴言は聞きたくないのだが、メジャーリーグの報道では、他にこれだけ情報豊富な番組はないので、視聴しているのである。

 今回サカナにされたのは、カブスのダルビッシュであるが、暴言を浴びせたのは解説者でもなければ、時折、語尾を呑み込んでぼそっと「リベンジ」と口走るコメンテーターでもなかった。番組情報に名前は出てこないが、レギュラー登場の「ナレーター」なので、ダルビッシュが「リベンジ」したというのは誰の言葉かわからない。
 メジャーリーグで、報復行為というと「ぶつける」事なので、この番組が直訳でMLBに届いたら、ダルビッシュは罰金を食らうだろうし、次の対戦では、報復行為を受けかねないのである。

 どうか、この世界では言ってはいけない言葉があるという事を思い知って欲しいのである。そうでないと、日本のプロ野球は、報復行為が当然、むしろ賞賛される世界だと解されてしまうのである。
 既に、この番組は、田中投手のリベンジの烙印を押している。
 これは、公共放送のすることでは無いと思うのである。
 折角、大変な努力でナイターやセットアッパーを、公共放送の発するの電波から排除しているのに、段違いで悪質なリベンジを排除しないのはなぜなのか、全く、理解できない。

以上

2020年9月28日 (月)

新・私の本棚 季刊邪馬台国 136号 笛木良三 「魏志倭人伝は本当に短里..」三次稿 1/1

 「魏志倭人伝は本当に短里で書かれているのか?」 2019/07刊行

私の見立て ★★★☆☆ 不毛の論争の朴訥な回顧 2019/07/11 2020/04/06, 09/28改訂

〇愚問愚答
 本誌一九八八年春号「里程の謎」は「古典」であり、掲題は愚直です。
 三国志に、はなから「短里」なる用語と概念は存在しないから、『三国志に「短里」はなかった』のです。史学論文は、用語錯誤に注意すべきです。
 このような批判は、掲載に際し論文審査されていると信じるからです。論者も十分な見識を有し、率直な指摘に耐えるとみました。

*無駄なおさらい
 古田武彦氏創唱「魏晋朝短里説」論議は先行論文参照で事足ります。紙数の無駄は悪しき先例となります。本誌131号掲載の受賞論文、塩田泰弘氏の「魏志が辿った邪馬台国への径と国々」の広範で確実な論考を参照しないのは不用意です。学術論文は先行論文を克服すべきです。重ね重ね不用意です。

*見過ごされた「宣言」
 ここで、肝心なのは、倭人伝記事を読み違えているのです。
 「韓人、倭人は中国本土と異なる里数を使用し」の要約は、多重錯誤です。「里数」でなく「里」の論議なのです。また、「中国本土の里」、つまり、普通里の里数と六倍程度異なる里数を提示したのは、諸韓国や倭人の者でなく帯方郡の者です。夷蕃は官制を知らないのです。不用意な用語選択です。
 氏は、「地域里」の但し書きが無いと速断しますが、現に「帯方郡から狗邪韓国まで七千里」と「宣言」が明記/示唆されていて、軽率です。
 陳寿は、倭人伝編纂時、普通里でない里数を採用せざるを得ず、後世検証できるように「宣言」したと解するのが、後世読者の務めと感じます。明白な宣言を見過ごして三国志本文の雑記事をもとに泥仕合したから、掲題設問に三十年を経て解答が出せていないと思量します。

*図の錯解
 以下、意義不明の「図」の概念で論じますが、「図」は非論理的で、読者の感性に向けて、自身の幻想を押しつけるものなので、論拠になりません。
 ただし、機械製図のように、一定の規則に沿って作図解釈される「図」は、規則を学べば一意的解釈が成立し、論拠たりえますが、それは例外です。
 論者は、根拠無く、三世紀の陳寿が見た「世界図」を論じますが、全て論者の脳内図式であり、第三者に何の意味も無い夢物語は、紙数の無駄です。

*迷走の果て
 最後に、論者は、我に返って、史料を直視しますが、史料が読み解けないと、長々と夢想にふけったことの反省があるのかどうか。

 結局、論者は史料を直視せず、他人の意見を丸呑みしています。陳寿が明示した「帯方郡から狗邪韓国まで七千里」の「原器」を渡海一千里で曲げています。渡海は本来日数勘定で実距離と連動しないと見定めたのを忽然と抛棄します。そのような右顧左眄の論証は信用できません。

 また、実測でない、不確かな「里数」に高精度計算を施すのは、時代錯誤です。不確かな数値は不確かなまま扱うのが「合理的」、「科学的」です。

*まとめ
 すべて読み通して、合理的な推論手順を外れた、何十年の堂々巡りが実績として浮かびます。正解を得られないと証された不毛な論議は捨てるべきです。「本当に」などと、空疎な常套句に貴重なタイトルの三文字を空費している余裕などないはずです。

                               以上

2020年9月26日 (土)

新・私の本棚 河村哲夫 講座【西日本古代通史】「邪馬台国論争のいま」3/3

 アイ&カルチャ天神   資料 平成26年8月5日

私の見立て ★★★★☆ 沈着な道里論評         2020/09/24

○「魏志倭人伝」における一里
・漢代の一里はだいたい400㍍。これを帯方郡から邪馬台国までの一万二千里にあてはめると4800㌔㍍。これでは日本列島をはるかに飛び越してしまう。
・「誇張説」・・旅費の過大請求のため。
・「短里説」・・・・中国本土確認できない。
・「地域的短里説」・・『魏志倭人伝』における一里は、おおむね90㍍であり、理由は分からないが、それなりの一貫性を保っている。
結論::『魏志倭人伝』には、正確な部分もそうでない箇所もある。従って、、是々非々で検討するしか道はない。逆に言えば『魏倭人伝』のみで結論は出せない。日本文献や考古学成果など、総合的・多角的なアプローチが必要。
コメント 誇張説は(正確な)実測値が存在したとの妄想(推定、憶測、願望)に基づいています。
 短里説は、魏晋朝で国家制度として実施されていた証拠が、全く存在しないので、無法な強弁です。
 地域短里説も、文献上、何の証拠もありません。
 倭人伝道里行程記事の解釈で確実なのは、「倭人伝道里行程記事が首尾一貫して短里らしき里長で書かれている事を否定できない」だけであり、文献としては、倭人伝が孤証です。

 なお、倭人伝が同時代の同地域の道里の「唯一の文献記録」ですから、他に信頼できる史料が提示できるはずがありません。現実逃避、先送りは、徒労の繰り返しであり、後世に申し送りするのは「非科学的」で賛同できません。

 倭人伝のことは倭人伝に聞くしかないのです。

5、邪馬台国は何カ国の連合か
コメント 当ブログの圏外。別に30国でも31国でも、道里行程論議には、何の問題もありません。

6、邪馬台国の周辺諸国について
⑴『魏志倭人伝』には、「女王国より以北はその戸数と道里を略載できるが、その余の傍国は遠絶していて詳らかにはできない」として、二十一か国の国名だけを挙げている。
コメント 余傍の国の代表は、投馬国です。五万戸を擁しながら、道里行程も正確な戸数も報告していません。女王、つまり、魏朝に対して無礼です。
⑵これらの国々については、名前以外の情報が一切ないので、この記事だけで最終の結論を得ることは不可能に近いが、筑後川右岸の佐賀県地方にかなり近い郡名が見受けられる。
コメント 「不可能」と言い切りつつ、余人の憶測を認めるのは、あるいは、氏の保身なのでしょうか。感心しませんが、当ブログの圏外です。

7、狗奴国はどこにあったか
コメント 当ブログの圏外
 以下の講演内容は、総じて秀逸ですが、当ブログの守備範囲を外れるので、論評しません。

〇まとめ
 世上言われているように、倭人伝の道里解釈は、百人百様の誤解、迷走であるから、コメントに値しない「ジャンク」、「フェイク」の山です。
 河村氏に求められるのは、こうした屑情報を早々に論破して、検討に値する「説」だけを称揚することだと思うのです。それにしても、氏の「放射状行程仮説」嫌いはどういう由来なのでしょうか。まことに残念です。

                                以上

新・私の本棚 河村哲夫 講座【西日本古代通史】「邪馬台国論争のいま」2/3

 アイ&カルチャ天神   資料 平成26年8月5日

私の見立て ★★★★☆ 沈着な道里論評         2020/09/24

㈢〈六百里=水行二十日+水行十日+陸行一月とする説〉
・不弥国までの七百里に対馬と壱岐の一辺四百里と三百里の七百里を加え、残る不弥、投馬、邪馬台の六百里を、水行と陸行2ヵ月かけることになる。
問題点・・さらに日数がかかりすぎる。

㈣〈投馬国水行二十日と邪馬台国水行十日陸行一月は別々とする説〉

問題点・・苦肉の策問
コメント ㈢,㈣共に、趣旨不明、意味不明です。

㈤〈放射状説〉
・伊都国から先は伊都国を起点にして、奴国、不弥国、投馬国、邪馬台国へ別々の道をたどる「放射式読み方」説。
問題点・・恣意的解釈
コメント 当説は、ほぼ榎一雄氏創唱のようです。なお、蛮夷伝の道里行程記事で、王治などの地域中心を扇の要とする「放射状」記述とするのは、西域伝等で前例の多い書法です。知識、見識に富む識者の意義深い提言を、考証することなく等閑に付しているのは不審です。

㈥〈選択的道程説〉
・水行なら二十日で、陸行なら一月、所要日数は二十日あるいは一月との説。
問題点・・文法的に問題あり。
コメント 意味不明の文法論議でなく、厳密な時代考証で否定されるべきです。

㈦〈一日誤記説〉
・九州説では、陸行一月はかかりすぎだから、一日の間違いだとする。

㈧〈方角修正説〉
・畿内説では、日数はあっているが、方角の南は東の間違いだとする。
㈦、㈧ 問題点・・恣意的読み替え
コメント ㈦、㈧ 共に、単なる勝手な言い逃れであり、棄却すべきであるという点は、同感

㈨〈公休説〉
問題点・・公務員的発想
コメント 論外の児戯。「公休日」、「お役所仕事」、「接待漬け」など、論者の妄想、願望、公務員への私怨、偏見が拡大投影されています。論議は論理的に行うべきであり、現代人の見当違いの感情論を持ち出すべきではありません。いうまでもなく、使節は監査役付きです。曹操規準を見くびってはなりません。

㈩〈虚数説〉
・一万二千里というのは、まったくでたらめな虚数である。
・松本清張は『古代史疑』において、一万二千里は、漠然と遠い地域を指す場合にしばしば用いられた数字で実測ではないとする。その例として、『漢書西域伝』の大宛、烏弋、安息、月氏、康居道里が、「揃って長安から万二千里前後とは、明らかにいいかげんである」と断じている。
問題点・・陳寿は歴史を書こうとしている。
コメント 「虚数」は原義を見損なった粗忽な罵倒です。清張氏は、学者ではないので、論議の段取りが無理になっているようです。
 西域諸国道里は万二千里の「規準」に纏わり、例示されている諸国は、千里と離れてない塩梅の隣国であり、書かれている道里は、都護が得た百里単位の里数に即しているのであり、決して、デタラメではありません。(前漢紀安息道里万二千六百里)
 氏の正鵠を得た発想には、ここでも脱帽しますが、以下の詰めが甘いのは、人気作家として多忙を極めたからでしょうか。補佐役に恵まれず独走したと見られます。

 河村氏の意見を復唱すると、陳寿は「規準」を熟知の上で、筋の通る数字を書いたのです。現代人の(欲ボケ)感性で批判してはなりません。皇帝以下の読者が納得しないと、解雇でなく家族ともども馘首なので、全ての記事が真剣勝負です。
 因みに、当ブログ筆者の意見としては、陳寿は漢書西域伝に心服していて、魏代、これに付け加えるべき業績がなかったという理由から、魏志西域伝を割愛したと見るのです。
 この意見は、陳寿が同時代の各家の後漢書を参照していたとの見解を否定するものではありません。むしろ、後漢代後半の桓帝、霊帝以降の事績がほとんど無かったことを前提に、東夷傳を書いたと見るものです。

                               未完

新・私の本棚 河村哲夫 講座【西日本古代通史】「邪馬台国論争のいま」1/3

 アイ&カルチャ天神   資料 平成26年8月5日

私の見立て ★★★★☆ 沈着な道里論評         2020/09/24

〇はじめに
 今般、若干の事情があって、河村氏の講演資料を(有償にて)提供戴きましたので、学恩に報いるために、以下、部分批判を試みたものです。

 要するに、最近、倭人伝道里議論で、帯方郡から投馬国への道里が水行二十日と書かれているという迷解釈が浮上して、提唱者不明、提唱媒体不明の、いわば典型的な「フェイクニュース」が、某古代史ブログで論評され、趣旨理解に苦しんで、事の発端を確かめようとしたもので、未解明です。

 因みに、講演資料は、河村氏が、道里行程論諸説にメスを入れ、短評を賦したもので、全て論議に価する一説と評価してはいないと見られます。

 氏の論評は概して妥当であり、世に知られることなく埋もれている論考を当ブログで紹介する目的で(適法な)抜粋引用にコメントを付したものです。

 当部分は、氏の講演全二十四回のごく一部に過ぎず、倭人伝に基づく行程道里談義に限定です。引用の抜粋、要約文責は、当ブログ筆者に帰します。

〇第9回『魏志倭人伝』を読む  倭の国々
2、倭人
⑴倭人がはじめて登場する中国の正史『漢書』地理志、⑵この文章が書かれた文脈、⑶『漢書』の注目すべき個所、⑷『山海経』海内北経、⑸その他
3.狗邪韓国と倭との関係
4.狗邪韓国から倭国へ
⑴対馬 ⑵壱岐 ⑶末慮国 ⑷伊都国 ⑸奴国
結論:以上の国々については、ほとんどの学者、研究者が一致している。
⑹不弥国
⑺投馬国
①(続いて)南、水行二十日で投馬国に至る。
・水行起点に不弥国と伊都国の両論がある。帯方郡起点説もあるようである。
結論:『魏志倭人伝』だけではその位置を特定することはできない。
コメント この点で、韓地陸上移動説に言及していないのは、残念です。
 出所不明で追試できない帯方郡起点説に、この点で言及したのは、余りに不用意に思います。感心しません。
 後記するように、論外の思い付きは、氏の見識で決然と棄却すべきです。

⑻邪馬台国

①(続いて)南、邪馬台国に至る。女王の都するところである。水行十日、陸行一月。
②不弥国までは何里、何里と距離できたものが、投馬国と邪馬台国では突然日数表示になる。これが一つの謎である。

㈠〈伝聞説〉 諸説㈠~㈩は当ブログの追加。「問題点」は、河村氏の表現、短評。
問題点・・『魏志倭人伝』によれば、魏使は長期滞在し邪馬台国の政変に関与した形跡もあり、邪馬台国に行ってないとするのは否定的に解する。
コメント 「否定的」との意見が、出所不明の誤解に巻き込まれていて、感心しません。

㈡〈千三百里=水行二十日+水行十日+陸行一月とする説〉
・のちに帯方郡から邪馬台国まで一万二千(里)との記述がある。郡から不弥国まで七千、千、千、千、五百、百、百と里数を足すと一万七百(里)であり、残りは千三百(里)となる。これが、投馬国水行二十日と邪馬台国水行十日、陸行一月を足した日数に相当する距離になる。
問題点・・日数がかかりすぎる。
コメント 移動速度は不確定なので、否定の根拠にならないと思われます。感心しません。

                                未完

2020年9月23日 (水)

新・私の本棚 河村哲夫 講座【西日本古代通史】「邪馬台国論争のいま」2/2

 アイ&カルチャ天神 講座【西日本古代通史】資料平成26年8月5日

⑴邪馬台国か邪馬壱国か  承前
④「邪馬壱国」と記しているのは、いずれも十二世紀以降の文献ばかり
コメント 刊本、つまり、木版出版は南宋期以降であり、それ以前は写本継承であるから、「十二世紀以降の文献」と決め付けるのは誤解である。

⑤「臺(台)」は神聖至高の文字ではない
陳寿の『三国志』にも、牢獄とか、死体置き場といった意味で「臺」の字が使われている。魏から見て敵国に当たる呉の国の君主孫権の父親である孫堅のあざなは「文臺」である。神聖な文字を、死体置き場や敵国の人間の表記に使ってもよいが、未開の友好国に使ってはいけないというルールは見当たらない。
コメント 当時の「ルール」は、史書などに一切書き残されていないから、見当たらなくても不思議はない。
 三国志と大雑把に指摘しているが、東呉創業者孫堅を記録しているのは、東呉の史官が書き、陳寿が用語に干渉しなかった「呉書」による「呉志」で「魏志」ではない。また、地方首長が字を名乗るとき、古典書典籍も含めて、その時点での自身の見識で選んだのであり、存在しない魏朝が後世定めたと思われる貴字を回避する理由はない。何かの勘違いであろう。論拠にならない。
 それ以外の指摘は、文献考証の鉄則に従い、個々の当該文字用例の出現場所と文脈(前後関係)で判断すべきである。(時間と労力を要する作業である)
 魏は、天下唯一の正統政権であって、呉は、叛賊に過ぎず、「国」ではなく、まして、魏と対等の「敵」ではない。「敵国」と称するのは、古代史学に相応しくないし、「友好国」と称するのも、時代錯誤の世界観と見える。氏の本領ではないので、素人めいた言葉遣いに陥っていると見える。(講演を行うなら、聴衆への責任があるので、誰かにダメ出しして貰うべきではないだろうかと愚考する)
 本項で言うと、確かに、「神聖至高」は、誰が言い出した知らないが、素人目にも言いすぎであり、また、三国志全体で通用とは言えないものだし、古田氏も、そのような主張はしていないはずである。お互いに、枝葉末節を力んで論議するのは、学問の本筋を外れているように見える。

⑤結論:以上より「邪馬臺国」が正しい。
コメント 主張を列記したが、論証になっていないので、ここで飛躍して「以上より」で結論に結びつけるのは、余りに性急である。

それを現在は簡略文字で「邪馬台国」と表記している。

コメント 「現在」とは、古代史界の大勢を言うのだろうが、論証がなくてもそのように表記していること自体は自明である。氏は、それが、妥当かどうか検証したかったと思われるが、以下述べるように、それは不要と思う。

〇まとめ
 と言う事で、当ブログ筆者は、素人なりの見識と知識を駆使して、河村氏の論証を追尾し、反論して時間と労力を費やしたのです。

〇論争停戦の勧め
 古代史分野は、倭人伝二千文字の中の壱文字の話題で随分盛り上がるのですが、ここにあげられているような、無意味な根拠で力説するのは、氏の古代史に関する見識に疑念を投げかけるものであり、随分勿体ないと思います。(俗な言い方をすると、余計なことを言うと信用をなくすよ、と言う事です。下手すると、論争相手の失笑を買うことになりかねないものです)
 氏ほどの学識であれば、この話題は飛ばして【本講演は、「邪馬台国」(略字)で進める】と「宣言」するのが好ましいように思います。「ここだけ宣言」すれば、国名論議がなくなるので、聴衆も随分気が楽になります。

                                以上

新・私の本棚 河村哲夫 講座【西日本古代通史】「邪馬台国論争のいま」1/2

 アイ&カルチャ天神 講座 【西日本古代通史】資料平成26年8月5日

〇はじめに
 今般、若干の事情があって、河村氏の講演資料を(有償にて)提供戴いたので、学恩に報いるために、以下、冒頭部分の批判を試みたものです。
 案ずるに、氏の本領は国内古代史分野にあり、以下引用する中国史料文献考証は、第三者著作から採り入れたものと思われますが、素人目にも、検証不十分な原資料を、十分批判せずに採り入れていると見えるので、氏の令名を穢すことがないよう、敢えて、苦言を呈するものです。
 なお、当部分は、氏の講演全二十四回のごく一部に過ぎない瑕瑾なので、軽く見ていただいて結構です。また、「邪馬臺国」が、実は、「邪馬壹国」を護岸書が誤解したものが引き継がれたものであったとしても、氏の講演、著作の全貌を毀傷するものではないことは、ご理解いただけるものと考えます。あくまで、学術的な論証手法の瑕瑾を指摘しているだけです。

〇「邪馬台国か邪馬壱国か」
第9回『魏志倭人伝』を読む①倭の国々 1、『魏志倭人伝』
⑴邪馬台国か邪馬壱国か

①「邪馬台国」ではなく「邪馬壱国」が正しいとする説がある(古田武彦氏)
コメント これは古田氏の説でなく、三国志現存史料は、全て「邪馬壹国」(壱)との客観的事実を述べている。この客観的事実を否定して、「邪馬台国」とする強固な論証は、皆無である。原点の取り違えと見える。

・現存する最古の南宋(一一二七~一二七九)時代の『三国志』のテキストには、「邪馬壱国」と記されている。
※陳寿が3世紀末頃に著した『魏志倭人伝』の原本そのものは失われている。
コメント 古代史書の残存原本は皆無である。取り立てて言う事ではない。

②その他の文献
『魏略』の逸文、『梁書』『北史』『翰苑』『太平御覧』などには、「邪馬台国」と記されている。
コメント 魏略佚文は、原本でも正統な写本でもない。翰苑は誤記山積の断簡である。どちらも考慮に値しないごみである。梁書、北史等は、不確かな後世多重孫引きで信ずるに足りない。考慮に足るのは後漢書である。

※これらはいずれも現存する南宋時代の『三国志』よりも成立が古い。
コメント 三国志は、南宋時でなく三世紀の成立でどの参考資料よりも古い。各資料の現存史料は南宋以降のものである。何か勘違いしているようである。

③したがって南宋時代の『三国志』が、台を壱と誤植してしまった可能性が高い
コメント 南宋刊本は、ページごとに木版を彫っていて、活字植字ではないので、誤植、つまり、工人の活字拾い間違いはあり得ない。
 南宋刊本の際は、大勢の専門家が、先行する北宋の木版刊本の内容を参照して再三に亘り、逐一確認して、木版を削ったのであり、誤写が起こったとしたら、それ以前の事態と見るしかないのである。
 巷説は、【三世紀に三国志の上程後、誤写が発生した、つまり、150年後の范曄後漢書で見る「邪馬臺国」が、後に改竄された】というようである。

※そもそも「臺」と「壹」は字形が似ている。『魯魚の誤り』という言葉があるが、両者は誤植の起きやすい字といえる。
コメント あくまで、タラレバの憶測でしかない。因みに、可能性が二千分の一であっても、高いとの見解で見れば、それは高いのであろうか。

                                未完

2020年9月 3日 (木)

今日の躓き石 海を渡る「リベンジ」の暴言 NHKBS「放送事故」疑惑

                         2020/09/03  補充 2020/09/17

 本日の題材は、NHKBSの「ワース+MLB」であるが、今回の成り行きで行くと、「ワースト」かなと思うのである。

 要は、ヤンキース田中投手が、前回負けた相手に「リベンジ」をたくらんだという「暴言」である。今回、被害者の実名を挙げたのは、最終登板試合で相手主力打者にぶつけたのを故意と見なされて、相手チームがぶつけ返すとか、紛糾しかけているという報道があるからである。今回の放送で、「たくらんだ」と見た解説者は、恐らく「やったね」と快哉を叫んだのだろう。いや、冗談半分で失礼した。

 「田中投手ほどの絶妙のコントロールの持ち主が、何の理由もなしに死球を与えるとは信じがたい。故意に決まっている」というのも困った決め込みの非難だが、そう疑われる遠因は、今回の報道を代表とした、日本側の「リベンジ」汚染によると見るのである。

 米国スポーツメディアでは、日本のスポーツ界では「やられたらやり返す、ぶちのめしてやる、血祭りに上げてやる」と言う「リベンジ」風土、文化が定着しているとの通念があるのではないかと懸念するのである。

 いや、絶対そうだと言うつもりはないが、これまで国内報道で何千回と言われた「リベンジ」暴言の一部でも、英語メディアで報道されていたら、一種ぬぐいがたい悪評が定評ができているはずである。

 悪いことに、日本人の大半は、キリスト教徒でないから (当然)キリスト教の倫理観はなく、野蛮な仇討ちが出回っているとされているのである。「日本人の大半は毎週日曜に教会に行かない異教徒で道徳心がない」と疑われているのではないか。「リベンジ」禁忌を知らないのは、そのせいと思われているのではないか。メディアの面々は、その辺りをちゃんと考えているとは思えないのである。

 以上は極端な言い方だが、これを機に、「誤解」されると困る表現は、早急に、絶対に撲滅することである。

 「リベンジ」は、誤訳されているカタカナ語であるから、日本語にとっては悪質な外来種であり、全スポーツ界から撲滅すべきものである。 (言葉の勢いでこう書いたが、スポーツ界以外で同様の暴言がないわけではないし、許容されるわけでもない。高校教師に始まる拡散現象が、スポーツ界では、特に土着化していると言うだけである)

 天下の公共放送が、悪質で、海外に伝われば「国益」を損なうような野蛮極まる言い回しを、いつまで温存するのかと思うのである。蔓延を止めるには、隔離しかないのである。少なくとも、批判力のない「子供」たちに伝えないことである。いや、毎回、同じ言い分の繰り返しで、あごがくたびれてしまった。

 と言う事で、今回は、ヤンキースの何れかの打者が、田中投手の代わりに、「神」の裁きを受けてぶっ倒されそうなのである。NHKだけの責任ではないが、国内メディアを代表して、無実、無辜の被害者に代わって痛打を受けるべきではないかとまで思うのである。いや、100マイルの剛速球を、自分の身体で止めろなどと言っているのではない。

以上

 

 

2020年8月30日 (日)

新・私の本棚 御覧所収 謝承「後漢書」佚文 史料批判の試み  2/2

                       2020/07/25 2020/08/30
〇書かれなかった後漢東夷伝
 後漢書原史料として、後漢東夷管理記録(公文書)が存在していたとは思えません。(個人の感想です。念のため)

 半島南部の荒地を領分とする帯方郡創設時期は、曹操が君臨していた献帝建安九年(204)頃とされますが、当時、遼東公孫氏は、後漢に臣従しつつ自立して、帯方郡の東夷管理を報告していなかったので、東夷に関する後漢公文書は整備されていなかったと見られます。

 いろいろ考えあわせましたが、謝承後漢書は「東夷列伝」を持たず、従って、各書は、東夷伝を語る場合、別史料を引用したとみる解釈が、一番据わりが良いようです。

 魏志によれば、景初二年の司馬懿の遼東討滅で、郡公文書は焼却され、郡官人は全滅しましたが、それ以前に、先だって無血開放されたと見える帯方郡に、公孫氏東夷管理記録が存在し、新任太守によって、以後の東夷管理に活用されたようです。

〇范曄後漢書東夷伝の由来
 一々考証内容は書きませんが、范曄後漢書は、東夷伝を語るに際して、魚豢「魏略」西戎・東夷伝と陳寿魏書東夷伝の使えそうな記事を、後漢代に時点をずらして採用していると見られます。
 つまり、史料の欠落を、時代ずらし、記事補填などの曲芸で埋めたのです。別稿で、西域伝に対して行った曲芸を考証しています。
 後漢書東夷伝は、ここまでに書いたように、ほぼ欠落していた史料を「美文」で造作したと見えるので、よほど丁寧に考証を加えない限り、史料として採用できないと考えられます。何しろ、欠落していたわけですから、本来の後漢書東夷伝、中でも倭伝は存在せず、范曄後漢書と対照して校正することはできないのです。

 思うに、論議している「東夷列傳」は、謝承後漢書編纂時に、後漢公文書から編纂された「東夷列傳」なる列伝、つまり、銘々伝として存在したようであり、魚豢魏略も、陳寿魏書も、そのような「東夷列傳」を承知していたかも知れませんが、史書として公認されなかったため継承されず、早期に散佚したようです。

〇佚文の扱い
 佚文をもって、謝承後漢書に東夷列傳があったとするのは、余りに軽率です。
 正史解釈にあたって、外部資料を参照する際には、まずは、厳密な史料批判の上で、考慮に値する資料かどうか判断すべきです。当然至極の原則ですが、国内視点の古代史学では大抵無視されているので、素人考えで指摘するものです。

 具体的に云うと、謝承後漢書自体の写本断簡が提示されたのならともかく、一片の佚文で史料解釈を撓めるべきではありません。

〇『七家後漢書』の解釈
 汪文台『七家後漢書』は、当時残存していた諸所から各後漢書佚文を広く収集した労作であり、下記佚文が収録されていますが、依然として「東夷列傳」を謝承「後漢書」の一伝とする根拠とはならないと見えます。あるいは、太平御覧から用例を収集したものかと見えます。

 《東夷列傳》一(曰):一 (三)韓俗以臘曰(日)家家祭祀。俗云:臘鼓鳴、春草生也

〇結論
 結論として、氏の意見は、史料批判も史料考証が不十分であり、当方の意見を変えるには及びません。
 『七家後漢書』は、悪く言えば、低質の残滓をかき集めたものであり、その努力に感謝するものの、史料として採用するには、まずは厳重な史料批判が必要という事に変わりはありません。

〇念押し
 そもそも、類書である太平御覧の記事には、正史の記事を覆すに足るだけの信頼は置けないと見るものです。信頼を置けない資料に引用された佚文は、悪材料が重責、山積しているので、一切参照すべきではありません。

                                以上

新・私の本棚 御覧所収 謝承「後漢書」佚文 史料批判の試み  1/2

                       2020/07/25 2020/08/30
〇概要
 謝承「後漢書」史料批判である小論に於いて、同書には、東夷伝がないと評したところ、以下の史料を根拠に、「東夷伝を備えていた」とみるとのコメントがあり、ポツポツ書きためて反論を試みたものです。

 端的に言うと、同資料は、そのような主張の論拠とならないとの結論であり、以下、考証内容を述べています。

〇史料解釈の原則確認
 史料には、確たる根拠を持って編纂され、適確に継承され、厳密に審査された「一級史料」と、それ以外の雑史料があり、雑史料は厳重な史料批判を要するのです。史料批判されていない雑史料は「ごみ」であり、一級史料批判に参加させてはならないのです。

〇御覧所収記事(御覧記事)
太平御覧 時序部十八に次の記事があります。(中国哲学書電子化計劃)
臘:
謝承《後漢書》曰:第五倫,母老不能之官,至臘日,常悲戀垂涕。
又曰:      沛國陳咸為廷尉監,王莽篡位,還家杜門不出。莽改易漢法令。及臘日咸常言,我先祖何知王氏之臘乎?
又《東夷列傳》曰:三韓俗以臘日家家祭祀。
 俗云:臘鼓鳴,春草生也。

 当記事は、百科全書「御覧」が発掘した佚文を掲示し、「時序」、年間の季節風物などを記した「時序部」の「臘」なる項目の用例、故事を書き出したものと見えます。

〇臘(ろう)の意義~参考まで
 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 部分引用御免
 [略]臘とは本来、中国において冬至の後の第三の戌の日(臘日)に行なう、猟の獲物を先祖百神に供える祭り(臘祭)の意味である「略」

〇御覧記事解釈
 論者は、謝承『「後漢書」「東夷列傳」』と解しますが、その見方は根拠の無い憶測と見えます。御覧で、「又」は、同原典内の小区分か、外部資料か、一定してないので、『「後漢書」「東夷列傳」』との根拠となりません。

 文脈から、謝承「後漢書」は『外部資料「東夷列傳」』を引用したと思われます。一旦「三韓俗」とし、「又云」でなく「俗云」と書く文脈は不確かです。むしろ、記事全体が、謝承「後漢書」記事であり、東夷用例として『外部資料「東夷列傳」』を挿入したと見えます。つまり、「曰云々」、「又曰云々」、「又東夷列傳曰云々」の三段構成、あるいは、「俗云云々」を加味した四段構成かと見えます。

〇孤証、それとも不在証明
 「東夷列傳」なる夷蕃[伝]が、謝承「後漢書」に備わっていたら、後出史書、類書に多数引用されるはずですが、このように、類例のない孤証となっています。蛮夷伝には、寡黙な東夷傳とは比較にならないほど豊富な西域伝を収録していたはずですが、裴松之が、魏志付注の際に引用したのは、専ら、全文引用した魚豢「西戎伝」だけであり、(存在していれば)先行史料として尊重されたはずの謝承「後漢書」西域伝の引用が皆無なのは、まことに不審です。

 結局、謝承「後漢書」に、夷蕃伝は、全方位で存在していなかったのではないかと見えるのです。と言っても、魏晋代の後漢書稿に蛮夷伝が欠けていても、それは、謝承「後漢書」だけの欠落ではないので、元々、全体として、論議の種になるような蛮夷伝はなかったのでしょう。
 因みに、謝承は、東呉孫権政権の著作家なので、西域も東夷も「圏外」だったのです。
                                未完

2020年8月29日 (土)

新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ「邪馬台国と日本書紀の界隈」 壹 2/2

「魏志倭人伝」行程解釈の「放射説」を考える 2019-06-22

 私の見立て ★★☆☆☆ 誤解と認識不足の露呈 未熟か 2020/08/29

〇根拠不明の直線行程説~余談
 氏の俗耳を染めている根拠不明の直線行程説によれば、文書等は、一旦伊都国で止められた後、期間を置いて王の居処に送られたことになっています。ただし、郡と文書通信していても、国内通信は存在しないのです。つまり、三世紀時点、公的文書がないから広域国家は無意味な推定になっています。以上の考証の否定には、当時の文書通信遺物が不可欠です。

〇「古代国家」と言う画餅~余談
 俗に伝えられる三世紀広域「古代国家」説は、文書通信、輸送、交通という基盤を欠き、「画餅」の誹りを免れません。つまり、直線行程説は、三世紀「古代国家」説の付属品、巨大な画餅で、誰も食べられないのです。

 以上は、漢書以来の西域諸国列傳を参考にした意見であり、単なる個人的感想ではありません。また、氏のように三世紀史官の「作文」技法について講釈する趣味もありません。何しろ、氏の語彙は「違和感」などと、現代の流行語を無造作に採り入れているように史学の常道を外れているのです。

〇「個人的感想」の怪
 氏は、ここまでは「個人的な感想」であったと仕切りますが、どこからここまで個人的感想なのか、始点が不明です。というものの、何も書かなければ、口調に関係無く持論なのは、ほぼ自明です。

 と言っておいて、続く論議は同様に古代史学に通じていない現代人の「個人的感想」です。ついでながら、そちこちで、出所不明、検証不明の世評を無批判で受け入れる意義が不明です。まあ、当人が、拾い食いして平気なら、それまでですが。

 因みに、氏の関知しない古田氏は、女王居処は伊都国から至近で道里略との見方で、ただし、魏使は女王と会見したとみています。伊藤氏の個人的意見「当然」は同時代の当然かどうか疑問です。

 氏は、冒頭に書いた「オーソドックス」に示される時代、環境錯誤に耽っていて、当記事を通じて、何も学んでないのです。

〇総論
 当ブログでは、書評の際に、著者の持論を批判することは、極力避けています。直線行程説を持論としていることは、批判対象ではないのです。(時に筆が滑るのは、素人の限界としてご容赦いただきたい)

 大事なのは、著者が、持論の「根拠」として、個人的感想や根拠不明な風聞を翳していることです。諸説に、適切な紹介と批判が加えられていないのも「問題」です。いや、別に解答を工夫せよと言っているのではありません。

 氏は、第三者の要約らしい風評を早のみこみで採用しますが、根拠を示していただけない確認しようがないのです。

〇「失われた放射行程説」
 当記事では、対抗する「放射行程」説について、提唱者榎一雄氏の説を提示して否定しているのですが、榎氏の説がどう書かれていたか、その主張の根拠が何であったか、不得要領で論議になっていないのです。また、榎氏の主張に批判を加えた古田武彦氏の主張は、はなから失われているのです。いくら、個人的な趣味、嗜好であっても、何か根拠がほしいものです。

 榎、古田両氏に限らず、凡そ古代史論者たるものが何らかの「説」を主張するからには、先行所説を論理的に咀嚼、批判、克服しているのですが、どうも、氏は、そのような素養のない野次馬論者のようです。

 慌てて、普通の言い方で総括すると、氏の持論に適確な裏付けはなく、異論を適確に克服してないので、氏の持論は大いに疑わしい(普通に云うと、全く信じられない)ことになりますが、それは、当記事の圏外です。氏が、放射説だろうが、螺旋説だろうと、当人が納得している分には、傍からとやかく言えないのです。

〇「ほっちっち」
 もちろん、ここに掲示したブログ記事は、氏の見解に賛成するのでもなければ、反対するのでもありません。個人には、それぞれの意見があるから、意見が合わないのは言っても仕方ないことであり、ここでは、氏の主張の組み立てで、筋が通らない言い方を指摘して、それでは、世間の人に見くびられて損しますよと言うだけです。言われた方がそう思わなければ、それまでです。

 京大阪のわらべ唄で云う「ほっちっち」です。別に、縁も所縁もない通りすがりの他人の言うことを聞く必要はないのです。

                               以上

新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ「邪馬台国と日本書紀の界隈」 壹 1/2

「魏志倭人伝」行程解釈の「放射説」を考える 2019-06-22

 私の見立て ★★☆☆☆ 誤解と認識不足の露呈 未熟か 2020/08/29

〇コメント~三部作の口切り
 タイトルで予定されるのは「放射説」考察ですが、実は、主として名を挙げられている榎氏提言に対する伊藤氏のグチです。「放射説」と無造作に括っていますが「伊都放射説」でしょう。因みに、「なかった」古田武彦氏は、第一書で「不弥放射説」でした。「考える」際に榎説の「引用」、ないしは、文献参照はなく、個人的解釈を掲げる「独り相撲」が、氏のほぼ一貫した芸風なのです。

〇倭人伝基準論
 文献史料「倭人伝」は、三世紀、権威ある史官が公文書を基に編纂し、当時の権威の承認のもとに魏志に収録されたから、史書として何の問題もなかったと見るものではないでしょうか。以下、その視点で述べますが、私見は私見なりの根拠があると理解の上でご批判いただきたいものです。

〇放射説の由来
 「伊都放射説」の道里は、後に補充された榎氏の論述によれば、伊都国が、現代風に言うと、政治、経済(商業、貿易)交通の要であったことに由来していて、倭人伝にも、倭にあてた文書は、一旦伊都国に止め精査されるとあり妥当と思われます。つまり、国王居処と別に、国の中心地があったのです。ここで、口に出たがる「首都」は、時代錯誤なので自粛しました。

 因みに、過去先賢が議論したように、例えば、漢書西域伝は、夷蛮の国への道里として、帝都(長安)、ないしは、最寄りの「幕府」(西域都護)から王居処への官道道里を示します。これは、漢からの文書通達と回答が届く日数を知るものであり、次いで、兵の動員時の所要日数を知るものですが、後者は、道中の食料、水の補給も関係し、あくまで参考ですが、西域都護の幕府を道里の拠点とする意義は大きいのです。

 大きい国では、王の居処から、主要国への方位、道里を示して、王の権威の及ぶ範囲を示しています。国によって、領域概要が述べられますが、国力は戸数で明示されるので、「方里」はあくまで子供だましの「イメージ」に過ぎません。何しろ、収穫高や兵数把握は極めて重要ですが、夷蛮の国の荒れ地の広がりは、知ってもしょうがないので、測量も表示もしないのです。

〇王の居処と伊都国~スープの冷めない近しさか
 伊都放射説で大事なのは、扇の要である伊都国と王処の間が里程を書くほどもない短距離と事実上明示している点にあります。

〇概数道里の道理~夷蕃伝の要件
 古田氏は、概数計算を見過ごして零里としましたが、端(はした)の道里を省いたと思われます。概数計算では端を入れると帳尻が合わないのです。末羅国以降は、百里単位の切りの良い明細道里ですが、史官は、現地地理に関心はなく、所詮「余」付千里概数の大局道里と整合しないのです。

 倭人伝の「郡から到る」里数は、特に精緻に書こうとしたわけでなく、肝心なのは郡から到る所要日数と想定すると、伊都国からの道里も方角も、現地事情に過ぎず「倭人伝」では、細瑾として省いたのでしょう。

 つまり、倭人は、「帯方郡の東南方、一万二千里、所要日数、水行十日陸行三十日の計四十日」に在り、戸数七万戸、三十国あるので城数は三十城が要目で、後は、倭人の国名が邪馬壹国でも邪馬台国でも良く、所在が筑紫でも纏向でも、帯方郡と四十日で連絡できれば良かったのです。

 と言う事で、倭人伝は「伝」の体裁を完備していたのです。

                                未完

新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ「邪馬台国と日本書紀の界隈」 弐 2/2

邪馬台国までの「水行陸行帯方郡起点説(仮)」を考える 2020/06/29

 私の見立て ★★☆☆☆ 誤解と認識不足の露呈 未熟か 2020/08/29

〇引用再開
[中略]帯方郡から邪馬台国までの全行程に要した日数が、水行で合計10日、陸行で1か月だとします。すると、なぜその行程上にある投馬国に陸行の期間がないのでしょうか。明らかに末盧国から不彌国までは陸行しています。合計700里です。それが入っていないということは、やはり「水行陸行帯方郡起点説(仮)」の読み方は成立しないということだと思います。帯方郡から邪馬台国までの全行程の水行「10日」より、帯方郡から投馬国への水行「20日」の方が長いというのも明らかに説の破綻を物語っています。

〇「も明らかに破綻を物語」るという怪
 先人諸賢の論考を無視した独り相撲で児戯です。僅かな行数、字数で、文意が動揺していて、本来支離滅裂な「説」の論破は一言で足りるのに、無駄に深入りしてうろ覚えの論理に囚われるのは自業自得でも勿体ないことです。

 同時代論者が、倭人伝をてんでに、つまり、百人百様に解釈した俗説が通用していて、百人全員が、正史として二千年近く読み解いている「倭人伝解釈」は、百人百様なのか、同様なのか、とにかく間違っているという事ですが、自分一人は凡百の一人ではないという事なのでしょうか。古人曰く、倭人伝読みの倭人伝知らず、ということで、一般人の任に余ると思います。

 独り相撲(ワンマンショー)を仕舞、具体的に証明願いたいものです。

〇まとまりの付かない総評
 異説を強引に自身の絵解き、基本的に「直線経路読み」にはめ込んで、その図式上で批判するのは「恣意」(「的」抜き)そのものです。

 ここでやり玉に挙げている批判対象文献が明示されていないのも、困ったものです。主張者が、氏の図式と同一の「イメージ」(偶像、ポンチ絵)で主張したのなら論理的思考のできない人との欠席裁判になっています。

 そうでないなら、氏は、別の人が言葉で描いた主張を自己流に図示、つまり、書き崩した上で、それは間違っていると主張していることになります。

 ひょっとして、氏は、原文が明解に解釈できないので、逃げているのでしょうか。不可解な「説」の批判とはどういうことなのでしょうか。

 と言う事で、氏は、論者の主張を明確に理解できず、意図的な曲解(撓め)に持ち込んでいる嫌疑が濃厚です。いくら個人的に好意を持っていても、それはそれ、これはこれでしょう。

 思うに、氏は、前方の不可解な「イメージ」を自分の認識で不合理だと称して攻撃しているので、いわば自業自得で見苦しいのです。

 それにしても、同時代の日本人が普通の言葉で書いた論考を読解できないのに、三世紀の中国人の漢文の解読などできるはずがないのです。

〇本論 単なる形式不備
 最後に、当記事タイトルに示された論説を批判することにします。

 「説」批判で示された氏の「持論」に同意できない点を上げるとすれば、最終道里を、伊都国から「投馬国を歴て」邪馬壹国に至ると決め付けた点です。ただし、各人各様の持論は、極力論じないので、ここでは深入りしません。

 結局、氏は、論文作法(作成手法)の基本にあたると思われる、自説提示の際の根拠提示方法も、論評時の論点提示方法も理解できないまま、字数を費やしていると思えます。論文審査の初歩であり、修行が足りないのです。

〇「ほっちっち」
 もちろん、ここに掲示したブログ記事は、氏の見解に賛成するのでもなければ、反対するのでもありません。個人には、それぞれの意見があるから、意見が合わないのは言っても仕方ないことであり、ここでは、氏の主張の組み立てで、筋が通らない言い方を指摘して、それでは、世間の人に見くびられて損しますよと言うだけです。言われた方がそう思わなければ、それまでです。

 京大阪のわらべ唄で云う「ほっちっち」です。別に、縁も所縁もない通りすがりの他人の言うことを聞く必要はないのです。

                                以上

新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ「邪馬台国と日本書紀の界隈」 弐 1/2

邪馬台国までの「水行陸行帯方郡起点説(仮)」を考える 2020/06/29

 私の見立て ★★☆☆☆ 誤解と認識不足の露呈 未熟か 2020/08/29

〇はじめに~批判しようのない落輪調
 先だって、氏の最近のブログ記事二件について批判しましたが、合わせて、これら記事の先行記事の批判が必要と見て遡行し記事をまとめました。と言っても、当時批判記事を書いたものの、「記事」の批判としてまとまりの付けようがないので放置していたのですが、結局、月遅れ記事にしました。

 端的に言うと氏の記事は、正体不明の「説」を、文字引用して批判するのでなく、いわば、氏の見立てた「説」の「ポンチ絵」を「斬られ役」にして斬りまくっているので、読者に見えるのは氏独自の「ポンチ絵」であって、誰のどの論文に何を異議申し立てしているのか、わからないのです。いわば、路面を走らずに、いきなり落輪して、しきりにエンジンを吹かすもののごうごうと空転させているので、批判論議になっていないのです。

 ただし、氏は短絡的でないので、謹んで理路の瑕瑾を批判しているのです。

〇斬られ役の弁
 「斬られ役」と称したのは、本来の論拠が戯画化されているからです。舞台劇の「斬られ役」は、振り付けに従い、易々と主役に切られます。
 氏が個人的な愛憎からか「好意」を再度表しているので躊躇しますが、仕方ないので余言を連ねます。「イメージ」なるポンチ絵の原文不明に加えて、伊都基点放射説を無視した不出来な展開に批判を加えます。

◆図表3「水行陸行帯方郡起点説(仮)」の行程図(別解釈案) 引用省略
 一見、これなら整合性がとれているのではと思ってしまいそうです。
 しかし、よく見ると齟齬が生じているのがわかります。不彌国から投馬国、投馬国から邪馬台国への距離が書かれていないのです。そうすると、肝心の位置関係がわからないということになります。100里なのか1000里なのかで邪馬台国の位置は大きく変わります。これでは邪馬台国までの行程を報告したことにはなりません。

〇不都合な表現 世にあふれる時代錯誤
 余談の前振りを入れると、読者に0の数で百里と千里を判別させるような不合理で時代錯誤の算用数字多桁表示は悪習と理解いただいて、文献解釈の大原則に従い、時代相応に「百」「千」と書く事をお勧めします。

 また、倭人伝が記載不備で拙劣と罵倒されていますが、必須事項に欠けた報告書が正史に収録されたのはどういうことか、不審です。

〇絵のない絵解き 無理な読み解き
 倭人伝には、読者次第で解釈が分かれる「概念図」(ビクチャー)は無いので、氏のお手盛りの子供じみたポンチ絵を、正史はかくあるべしと見立てた論理的な文章に戻し明快にします。(当ブログは、この読みを支持していません)

 不彌国から南に行くと投馬国に着く。
 郡から投馬国まで)水行二十日である。
 投馬国から南に行くと女王の居処に着く。
 (郡に従し倭に至るに)水行十日及び陸行三十日である。

 寡聞にして、倭人伝道里の前例を見ないのです。日本語は明快でも、意味は支離滅裂です。路上の「落とし物」を盛り付けて供するなど、関わり合いになるのは時間の無駄です。もっとも、倭人伝現代語訳は、みんな似たようなものです。

                                未完

2020年8月26日 (水)

新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ「邪馬台国と日本書紀の界隈」 参 2/2

新説!? 暴論!? 狗邪韓国に行ったのは誰?  2020/08/08
新説!?の続き! 「度」と「渡」の違いが示すものとは?  2020/08/23

 私の見立て ★★☆☆☆ 誤解と認識不足の積層 2020/08/26       参 付記 2020/08/29

〇格式に従う「定義」
 端的に原文を見れば、「循海岸水行」は、「歴韓國」から「七千余里」に至る道里でなく、「始度一海」などと書かれた「渡海」の意義を説いた前置きと思えます。街道道里に前例のない格式外れの「水行」概念を導入するにあたって、読者を不意打ちして混乱させるのを予防した定義文と見ます。

〇無知による誤解、誤記
 氏は、自認するように、沿岸航行を考証する知識に欠け、資料調査もしてないので、はなから欠格ですが、なぜか沿岸航行を選択します。陸路が危険で時間がかかるとは、風評とも云えない稚拙な憶測で、非科学的な見解です。

 氏は、先例引用で「半島内の水路・陸路を行った」などと、時代錯誤の乱れた用語を駆使しますが、これは、原意攪乱だけで紹介になっていません。そもそも、「南進・東行」しながら「韓国を経ていく」などと、訳文が堅持した用語、記法を棄てて迷走しますが、そのような無理難題は、倭人伝には書かれていません。
 一方、どこに寄港し、どこで転じるか、航行上の必須事項が、倭人伝に書かれていないのは、実際に航行してないと見えます。何を見て思いついたのでしょうか。(よく理解できない方は、隋書俀国伝を一読戴きたいものです)

〇癒やしがたい非常識
 案ずるに、氏は、帯方郡から狗邪韓国までの行程が、官道として整備されていたとの基本常識、教養を持たず、逆に、当時の船舶を知らないのに、記録にない海上行程を想像だけでイメージし、考察でなく古代史譚を創造した上で、勝手な推測を積み重ねていますから、他愛のないホラ話に過ぎません。

〇先行諸説の理解欠如と現場逃避
 正史解釈と云っても、正史の文字を一切離れないでは理解できないのは明らかですが、正史が確たる文献史料である以上、これを離れるには、同様に確たる史料なり自然科学的考察が必要です。かえりみれば、先行諸説紹介が粗雑であり、基調訳文を離れて勝手に憶測、暴走していると見えます。
 新説提示には先行諸説克服が必須であり、「韓国内陸行説」、「内陸水行説」は、堂々と提唱された仮説なので、論評、棄却するには提唱者と引用元を明示すべきです。また、棄却の根拠となる「沿岸航行説」の検証を行うべきです。調べようとしないで、紛争の現場から逃げてはいけません。そのように努めれば、何が根拠とされているか、目にとまるはずです。

〇歴韓国考察
 長年、弁辰の鉄が楽浪帯方両郡に貢納された以上、帯方郡から狗邪韓国まで、各国関所を歴る官道が輸送路として諸駅が確立、運用されていたのです。漢、魏が、中原の国家制度を、世界の果てである半島南端までの東夷に徹底させたのが遼東郡による東夷支配です。

 古代韓国の諸国は、相互の間で大量貨物の海上輸送がほぼ不可能であったため、基本的に内陸国であり、漢城(ソウル)、平壌(ピョンヤン)、慶州(キョンジュ)などのような王都は別として、概して山城を置いていたようです。後世、統一新羅時代、黄海沿岸の唐津(タンジン)に山城が設けられた記録があります。「津」であるので、山東半島、つまり、唐本土に渡海する船着き場が主目的であり、沿岸海港ではなかったのです。総じて、三世紀当時、韓地各国の山城は、沿岸移動では歴訪できないのです。

〇総評
 いや、古代史分野では、当ブログ筆者が勝手に言う浪漫派の牙城である史譚分野があり、論拠不十分に書き上げる例がありますが、業界相場として、いくら作業仮説であっても、単なる夢物語でないのなら、何らかの実証的考察をこめるものであり、今回はひどいというのが、当記事の動機です。非常識を「自曝」するつもりはないでしょうから、推敲した上で、カテゴリー/タイトルに「根拠のない空想」(ファンタジー)と明記すべきでしょう。

 いや、二回で、何度か、(古代史論では)当然、自明、初歩的と書きましたが、どうも、浪漫派諸兄には、三世紀に唯一存在した古代史史料の意義を軽視、ないしは、無視して、数世紀後の「日本」成立後の国内史書を至上とする向きが多いので、念入りに明示したものです。「古代史」上級者には、見くびられたような不快感があるでしょうが、よろしくご了解戴きたいものです。

〇「ほっちっち」
 もちろん、ここに掲示したブログ記事は、氏の見解に賛成するのでもなければ、反対するのでもありません。個人には、それぞれの意見があるから、意見が合わないのは言っても仕方ないことであり、ここでは、氏の主張の組み立てで、筋が通らない言い方を指摘して、それでは、世間の人に見くびられて損しますよと言うだけです。言われた方がそう思わなければ、それまでです。

 京大阪のわらべ唄で云う「ほっちっち」です。別に、縁も所縁もない通りすがりの他人の言うことを聞く必要はないのです。

                                以上

新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ「邪馬台国と日本書紀の界隈」 参 1/2

新説!? 暴論!? 狗邪韓国に行ったのは誰?  2020/08/08
新説!?の続き! 「度」と「渡」の違いが示すものとは?  2020/08/23

 私の見立て ★★☆☆☆ 誤解と認識不足の積層 2020/08/26       参 付記 2020/08/29

〇前置き
 伊藤雅文氏の二回に亘る記事は、素人の「日誌」(ログ)でなく商用書著者の論考と思うので、誠意をもって辛口批判します。先行する「現代訳」なる連載記事で頻出する難点に消耗したので、一点に絞ります。氏の考察の基本的な欠点が見えると思うので、以下同様と理解いただきたいものです。

 批判の前提は、考察と見て取れるにもかかわらず、正史解釈が粗雑(杜撰)であり、また、三世紀に即した、あるいは、適した考証がされていなくて、現代に流布する風聞、俗説による思いつきの憶測で、考察と言えないのです。

 氏のいきかたは、ぱっと見、現代風の合理性を備えて俗耳に訴えることから、新書で刊行されていて、目下、大勢を占める俗説に随時追従しているようですが、それが的確かどうか疑問であり、以下、批判するのです。

〇踏み台とされた労作
 なお、氏が基調とした訳文は、原文に密着した最善の好訳であり、書き下し文に等しいものです。用字、用語の置き換えは最低限であるから、巻き込まれて脱線する危険は少ないのです。文献解釈は、かくあるべきです。倭人伝を論ずるなら、後は、自力で説きほぐすものであり、責任の分水嶺です。

〇一文解釈集中批判
[原文]從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里。
[訳]郡より倭に至るには、海岸に循(したが)って水行し、韓国を歴(へ)て、乍(あるい)は南し乍(あるい)は東し、その北岸狗邪韓国に到る七千余里。(石原道博編訳『新訂 魏志倭人伝ほか三冊』岩波文庫)

 ここで、氏は、突如、基調を踏み台に浮揚して架空の創作に耽ります。

 帯方郡から倭に至るには、海岸にそって水行し、南進・東行しながら韓国を経ていく(*)。すると、7000余里で倭の北岸にある狗邪韓国(くやかんこく)に到達する。
(*)帯方郡から狗邪韓国への行程については、朝鮮半島の西岸・南岸を海岸にそって航行したとする説と、半島内の水路・陸路を行ったとする説があります。私にはどちらが正しいか断言できませんが、この行程についてはあくまでも「倭人条」の中の韓国記事であり、副次的なものです。[以下略]

 『狗邪韓国までの韓地内行程は「観念的」』とする発想は、慧眼というか、妥当ですが、「従郡至倭」で書き出された道里が魏使の往還記に基づくとの誤謬が邪魔して後が続きません。

〇道里記事の始点
 この間の道里は、「倭人伝」の冒頭に必要な道里、所要日数開示であって、倭使参上以前に皇帝に上申され、公文書に書かれていたので、後日の改竄、改訂は不可能だったのです。
 原文で、「到」は、明確に「其の北岸」つまり、陸上の境地であり船着き場の桟橋などではなく、その場は、狗邪韓「国」とされています。つまり、少なくとも「歴韓国」の一国の国名は明記されているのですから、空文、冗語ではないのです。
 念押しすると、同区間は三世紀読者にとって既知、自明の「街道」道里です。それに反して、海岸に沿い船で行く異説は、無視も何も古典に存在しない無法な用語概念ですから、よほど念入りに事前解説を加えない限り、編者は非常識な用語の咎で、更迭され職を失いかねないのです。史官は、読者によって、随時試されていたのです。
 従って、古典書に典拠のない、読者の教養に輻輳する用語は、読者の誤解を誘い、恥をかかせるものとして厳重に忌避されるので、勝手な造語やにわか作りの新語の導入は、固く、固く戒められたのです。こうした理屈が理解されてないのは、何ともお粗末です。

〇解釈でなく改竄
 「従郡」を「帯方郡から」と単純に読むとか、「七千」里を「7000」里に化けさせる定番誤釈は別に置くとして、海岸に「循(そ)って」の原文漢字を「そって」とかな表記に「改竄」したのは、なんとも杜撰で、不穏です。これでは、石原氏の労作は「バイブル」どころか踏みつけです。
 石原氏は、訳者の誇りにかけても、「循(そ)って」を「沿(そ)って」と意訳しないのです。海岸基準の移動は、字面を無視して「沿(そ)って」なのか、字面に忠実に「循(そ)って」(盾して行き沖に出る)なのか、いずれかですが、「そって」のかな書きは意味不明で、二重に無責任です。さらに念押しすると、「沿岸航行」は、古典書読者に不可解です。

 このような初歩的考証が理解できないなら、新説など唱えないことです。
                                未完

2020年8月11日 (火)

今日の躓き石 揺れ動くNHKの見識と失調 『進化し続ける女王、石川佳純 1000日の記録』 

                             2020/08/11

 題材は、タイトル通りのドキュメンタリーである。放送は、8/10の夜であるが、祝日特別枠の拡大版なので再放送予定はよくわからない。なお、当記事の主たる批判の的は、後で出てくるので、ここでは、まずは、番組タイトルの下品さとサイトでの紹介の品格を語る。

「進化し続ける女王」批判
 崖っぷちに立たされ、もがきながらも東京オリンピックの切符をつかみ取った
石川佳純さん。変化を続けながら挑んだ勝負の軌跡をどうぞお楽しみに!

 ここに引用した番組サイトの紹介文は、何と言うことのない番組紹介のようだが、まずは「女王」などと、ケバケバしい冗語が見えないのはありがたい。心あるなら、まずは「女王」と囲んで、毒消しを図るものではないか。当人にとって、大変迷惑な言いがかりだと思うのである。

 また、世上、本来の意味を遠く、遠く離れて悪用、誤用されている「進化」が見えないのもありがたい。
 科学の世界、つまり、中学などで学ぶダーウィンの進化論では、「進化」とは遺伝継承の失敗で生まれた変種が、生存競争で母体種を滅ぼして取って代わることを言うのであり、母体種が変種に生まれ変わるのではない。冷酷なものなのである。つまり、個人が進化することなど、「絶対にない」のである。

 また、当然ながら、ドキュメンタリーが描くのは「過去」の1000日であり、それは、現在でもなければ、未来でもないから、「進化し続ける女王」とは、かくのごとく罪深い失言なのである。

 いや、先に挙げた下線の紹介は、取材され表現された一連の出来事の要約として、簡潔にして抑制が効いていて、一言で言えば絶妙のプロの技であり、品格ある文章はかくあるべきと思うのである。これこそ、公共放送たるNHKの神髄と見えるので、まずは、口切りである。素人にもわかる愚言には、毒消し程度の配慮は必要ではないかと思う。

 メディアの愚劣さは、別に昨日今日始まったことではないし、ここで一私人が厳しく言っても、到底聞き届けられるとも思えず、まして、世間全体の悪習が癒えることはないことは、十分承知しているのだが、当ブログの芸風なので、「進化」も「変化」もしないのである。

○忍び寄る「リベンジ」感染
 以下が、本題である。
 この番組の取材対象者は、石川佳純選手で(全農)である。実名を出すと、そのたびに余計な感情を巻き起こして、議論がそれる恐れがあるので、実名は控える。

 要は、番組全体に表現された、密着取材を通じて感じ取れたであろう当人の発言、行動が、そろって、敵愾心依存のスポーツ根性と一線を画すものであり、すがすがしい好感を抱かせるものなのだが、中盤を過ぎたところで、突如、陰の声として、番組主題に反する「リベンジ」が乱入してぶち壊しなのである。

 制作担当者の脳が在来のスポ根ものに毒されていて、この番組では無理矢理自制していたから、突然禁断症状が出たのだろうか。一人で台本を書いたわけではないだろうから、どこかでチェックの赤鉛筆が入るべきである。

 もちろん、取材対象者が、オフレコの場で、「やられたからにはやり返す」と発言したのかもしれないが、そのように「記録されていない」会話をここに取り上げるとしたら、それは、密着取材に応じた対象者の信頼を裏切るものである。
 オリンピック出場をかけた決戦を勝ち取った後、ひょっこり、ポルトガルのトーナメントに出場した点を、当人は、わずかなポイントでも確実に取り込みたいとする意思に加えて、リオ・オリンピックで苦杯をなめた、下位ランキングの選手と再戦した意図する気持ちもあったかのように描かれているが、どこまで、どんな思い入れがあったかは、当人の内面の問題であり、当人でもなければ「同業者」でもない、単なる野次馬が、当人の思いを踏みつけにして賢そうに解釈すべきではないと思うものである。

 まして、「リベンジ」などと、キリスト教世界では背徳の禁句を言い立てるべきではないのである。ずいぶん、遙かな高みに立って、選手の内面を見くびったものである。まるで、野次馬コメントである。

 加えて言うなら、この暴言は、視聴者に対しても不誠実である。普通の言葉で言えば、「最低」、「ぶち壊し」である。NHKは、次代を担う子供たちのためにも、罰当たりな暴言の感染拡大を阻止すべきなのである。NHKの番組制作の方針を信じるから、ここに批判を書き残す。

 繰り返しになるが、この番組は、現代に生きる一人の選手が大人として生きる姿を克明に描いていて、大勢のスポーツ選手のお手本になるものである。だからこそ、暴言が刻む傷は、単なる瑕瑾でなく、番組の趣旨を切り崩す、深刻な亀裂となるのである。

 世間では、敵愾心を糧にがむしゃらに戦い続ける選手が高く評価されるが、「屈辱」や「汚名」に根ざした不屈の闘争心ばかり目については、興ざめなのである。そのような悪しき伝統が育てた指導方針のせいで、高校野球の選手まで、自分の個人的な、低次元の屈辱を晴らすために戦い続けているなどと、絶対言ってはいけない「リベンジ」を口に出して全国紙に報道される醜態を招いていて、残念な事態になっている。

 このような言葉は、なんとかして、撲滅したい、せめて、忘却の淵に沈めたいと思っているのだが、全国紙や公共放送が堂々と言い立てていては、感染は拡大するだけである。

 当番組を手がけるほどの有力な制作者は、ご自分の影響力を、もっと大事にしてほしいものである。多分、誰も、当番組プロデューサーの台本にダメ出ししていないのではないかと危惧するのである。
 校閲部門があるはずの全国紙でも、紙面に出てくるのだから、重度の蔓延と思う次第である。

以上 

 

2020年8月 9日 (日)

今日の躓き石 NHKBSでのさばる「同級生」アナ

                    2020/08/09
 本日の題材は、日曜朝のNHK BS1「エンジェルス vs. レンジャーズ」の実況放送である。

 いや、中継放送などで、解説の元選手が、ぼんやりしていて呟くのなら時にあることである。解説者は、元々、野球以外眼中にない職業だったから、引退してから、多少訓練を受けても、普段の無頓着な物言いが飛びだして、無造作に出来の悪いコメントを口に出すことはある。

 現に、最近の「ワースぽMLB」でも、NHK側が、折角「同学年」とお手本を示しているのに、解説者が無神経に「同級生」と口に出して、ぶち壊していたのに気づいたことがある。いくら、局側が丁寧に悪いガキ言葉に蓋をしても、解説者が一言言えば、何の効果も無いので、大変嘆かわしいのだが、素人にお説教しても、次回の出番では忘れているだろうし、局からきつい注意があったろうという事で、記事にせず、飛ばしたのだった。
 今回は、アナウンサーが切り出して、その後も、蒸し返しているのが重症と思うのである。ほとんど放送事故ではないだろうか。

 つまり、最初は、両チームの先発投手が、加州のオレンジカウンティの同学年で、地域のハイスクールチームで対決していたとしている。つまり、同じハイスクールでなかったのだから、同じクラスで共に学んだことは無いのである。と言うところまで、事実確認した上で、次に口にするときは「同級生」と言ってのけるのだから、これは、病的な誤用癖である。至急、治療すべきだろう。

 NHKのアナウンサーは、最高の訓練を受けていて、今回のような「同級生」については、念入りに言い換え、訂正を用意しているはずである。それが、自分から誤用の泥沼に乗り入れて、子供達を含む多くの視聴者に誤用を蔓延させるというのは、どういうことなのだろうか。
 善良な納税者、ならぬ受信料支払者は、高額なBS受信料を、このようなたわごとを聞くために支払っているのではない。「金返せ」と言いたいところである。
 今回は、高名なNHKアナが相手であるので、遠慮しないのである。

 余談であるが、引き合いに出すとき、変な書き方をした「ワースぽ MLB」であるが、毎回聞いていて、「ワースポ」の語尾を呑み込んでいるために、何を言っているのか聞き取れないのである。

 耳慣れない新造語であるから、全文字きっちり発音して欲しいものである。

 端折られた4文字目であるが、母音がOであることは辛うじて聞き取れるが、子音がうまく聞き取れないので、ひょっとして時に会話に出て来る「ワースト」かと聞いてしまうのである。ちなみに、本職の局アナの番組紹介では、「ポ」の発音、特に、子音の破裂音に微かに力が入っていて、母音も時間的に微かに引き延ばされて、「ワールドスポーツ」の略称かな、と連想させるから、何を言っているのか聞き取れるのである。
 素人は、勝手にそう思うのである。

 いや、事は、NHKだから、ことさら言い立てているだけであって、しかも、プロのアナウンサーを念頭に置いているので、点がからいのである。NHK内部では、誰もこうした事項を指導しないのだろうか。

以上

«新・私の本棚 松尾 光 「現代語訳 魏志倭人伝」 参 通詞論 2/2

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