魏志天問 4 真珠と真硃
2013/12/25
以下の記事は、魏志倭人傳に関する素人考えの疑問を並べていくものです。
天問4は、
「又特賜汝(中略)銅鏡百枚、真珠、鉛丹各五十斤」の真珠は、真硃ではないか
「又特賜汝(中略)銅鏡百枚、真珠、鉛丹各五十斤」の真珠は、真硃ではないか
と言うものです。
「硃」は、外では余り見かけませんが、朱の本字です。
理由の一つは、真珠、鉛丹各五十斤と並記されていることによります。
「それぞれ五十斤」と書いている以上、いずれも、重量で量る粉状か、微粒状のものであり、似た属性、用途のものと見るのが自然ではないかと思います。
もう一つの理由は、先行する風俗記事で、「以硃丹塗其身體、如中國用粉也。」と書いていることによります。ここでは、硃と丹を体に塗って化粧すると併記されています。
硃と丹と、倭人は、紅い色の化粧をしていたと言うことでしよう。
体と言っても、見えるところのことでしょうから、顔、襟足、そして、腕と言ったところのことなのでしようか。
成人男性は、顔に墨を入れるはずですが、かさねて硃丹の化粧をしたのでしょうか。それとも、成人女性だけ化粧なのでしょうか。
魏帝は、倭人が紅い色の化粧をすることを知っていたのか、あるいは、倭人から上表文で所望されたのか、とにかく、この部分は、化粧品として朱と丹を下賜したもののと見るのが自然な解釈ではないかと思います。
真硃は、天然赤色顔料辰砂であり、主成分は、硫化水銀です。
鉛丹は、天然赤色顔料であり、主成分は、四酸化鉛です。
余談ですが、素人考えながら、化粧品として常用すると健康被害が懸念され、女王卑弥呼が年若くして亡くなったのは、こうした高貴な化粧品を潤沢に使ったせいではないかと心配になります。いや、今さら心配してもしょうがないのですが。
閑話休題
真珠と真硃の違いは、実物と無縁な史官や写本工には区別のつきにくい話であり、前後して真珠が出てくるので、倭人傳編纂段階か、後世の写本段階か、いずれかの時に、訂正したように思います。
もし、倭人傳に最初からそう誤記されていて、さすがの博覧強記の裴松之も、この取り違えは見過ごした可能性もあるように思います。
ちなみに、倭人は潜水して貝を採ると言うことから、当時から素潜りの海女が真珠取りに従事していた可能性があり、むしろ、真珠は、海に臨んだ倭国からの献上品となるのが自然ではないかと思います。(海女説は、後に撤回。水人とあれば、まずは、男性、そして、河川漁です。)
とはいうものの、後年壹与の献上記事のある「白珠五千」は海産真珠とみると信憑性は高いと見られるものの、採取の手間を考えると、天然真珠五千個はべらぼうであり、これはあるいは「誇張」かと思うのです。何しろ、採れた貝の全てが真珠を宿しているわけでははなく、相当貴重なはずですから。
また、計量方法についても、百個程度なら、数を数えるのも難しくないのですが、五千個となると、目方で量るものではないかと考える次第です。「白珠五千」個と書かれていることへの疑問は募るのです。
本論の参考資料
博士(文学)学位請求論文審査報告要旨 - 早稲田大学
市毛 勲 「日本古代朱の研究」
上記要旨によれば、魏帝から下賜された品目にある「真珠、鉛丹各五十斤」の真珠は、真硃(大陸産辰砂)の誤記であり、福岡や佐賀の遺跡で大陸産辰砂が出土しているとのことです。
ただし、本論は、石毛氏の発表に気付く前に、独立して到達したものです。
後日、佐原 真「魏志倭人伝の考古学」(岩波現代文庫 学術 106)を何度目かに通読した際に、引用文献として見知ったものです。今回、幸いにも、論文要旨の形で要点を確認できたので、ここに掲示します。
市毛氏の考察は、後に集大成されて、「朱の考古学 (増補版)」(雄山閣考古学選書 12)として刊行されています。
入手したての走り読みですが、正始の倭答礼使が献上した「丹」は、鉛丹ではなく辰砂であろうと言うことです。倭でも、辰砂が潤澤に産出して不自由していませんという意味なのでしょうか。折角貰ったものは、その分儲けておけば良いのに、というのは現代人の世知辛さでしょうね。
なお、古墳出土の様子から見て、倭で産する真硃(辰砂)は、おそらく、大和・阿波鉱床群の産物であろうという考察がされています。
以上
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