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2014年2月 1日 (土)

資料紹介 蓬莱軒 外夷傳地理攷證 其の2 後漢書東夷列傳

考証対象の地理記事
 倭在韓東南。大海中、依山島爲居、凡百餘國。自武帝滅朝鮮、使驛通漢者三十許國。國皆稱王、世世傳統。
 大倭王居邪馬台國。其地大較在會稽東冶之東、與朱崖儋耳相近。土宜五穀。氣温煗。冬夏生菜茹。無牛馬虎豹羊鵲。
 男皆黥面文身。人性嗜酒。多壽考、至百餘歳者甚衆。大人皆有四五妻、女人不淫不妒、風俗不盜竊、少爭訟。
 建武二年、倭奴國奉貢朝賀、使人自稱大夫、倭之極南界也。
 桓靈閒倭國大亂、歴年無主。有女子、名卑彌呼、事鬼神道、㠯妖惑衆、於是共立爲王。侍婢千人、少有見者、唯有男子一人、給衣食、傳辭語、居處宮室樓觀城柵、皆持兵守衞、法俗嚴峻。
 國東度海千餘里、至拘奴國。南四千餘里、至朱儒國、人長三四尺。又東南船行一年、至裸國・黒齒國。
 會稽海外有東鯷人、分二十餘國。
 又有夷洲及澶洲、傳言、秦始皇遣方士徐福、將童男女數千入海、求蓬莱神仙不得。畏誅不敢還、遂止此洲、世世相承、有數萬家、時至會稽市。
 
丁謙考証 私訳
 倭卽日本國地、實在三韓東北。在東南者薩摩島一隅。
  倭は、日本国であり、実際は、三韓の東北に位置している。東南に位置しているのは薩摩島一隅である。
 而已其云、在會稽東冶東、與朱崖儋耳相近、殊屬臆測。
  又、會稽東冶の東に在る、朱崖儋耳と相近し、と言うが、憶測である。
 會稽今江浙地、東冶今福建地、朱崖儋耳今廣東瓊州地。諸處與日本方位均不相應。
  會稽は、今の浙江省であり、東冶は今の福建省である。朱崖儋耳は、今の廣東省瓊州府である。それぞれから見た日本の方位はなべて不相応である。
 攷日本國志、神武天皇始定都大和之橿原。大和國屬南海道、橿原今葛上郡之柏原邨。
  日本國志によれば、神武天皇は大和の橿原に始めて都を定めた。大和國は南海道に属し、橿原は今の葛上郡柏原村である。
 邪馬台国卽倭音之大和也。倭奴係其西南屬國。
  邪馬台国は、倭の発音で大和であり、倭奴はその西南屬國である。
 據日本志、卽筑前國怡土郡地今尚存有委奴國王金印。
  日本志によると、今も筑前國怡土郡に、委奴國王金印が存するという。
 卑彌呼攷神功皇后氣長足姫。其夫仲哀天皇薨后遂摂政時、漢獻帝建安五年。凡六十九年卒。其子應神始得嗣位、傳中国。
  卑弥呼は、神功皇后氣長足姫と証される。其の夫仲哀天皇が薨じた後、摂政となったのは、後漢献帝建安五年である。六十九歳で卒した。其の子應神が始めて嗣位を得、中国に伝えた。
 大亂歴年無主及㠯妖惑衆等語、皆傳聞之誤。
  大乱歴年主無し、よく妖しく衆を惑わす、等は、皆傳聞の誤りである。
 狗奴国卽北海道鰕夷島。
  狗奴国は、北海道鰕夷島である。
 裸與黒齒今南洋島夷形狀皆然。以地在熱帶故以裸。日食檳榔故歯黑。
  裸と黒齒は、今の南洋島夷と形状が皆同じで、現地は熱帯であるため裸であり、いつも、檳榔を囓っているので歯が黒い。
 朱儒國據西書、印度東南有安達曼島。其土番、身度不滿四尺爲世界人種中最短小者。
  朱儒國は、西洋書籍によれば印度東南アンダマン島である。原住民は、身長四尺に満たず、世界で最も背の低い人種である。
 東鯷似卽琉球至。
  東鯷は、琉球に似ている。
 日本史載孝美天皇時、秦人徐福攜童男女三千人來居熊野浦。熊野浦在太和南紀伊國境。則夷州澶州卽此地矣。
  日本史は、孝美天皇の時、秦人徐福が男女三千人の子供を連れて熊野浦に来住したと載せている。熊野浦は、太和の南、紀伊との國境にある。夷州澶州とは、此の地のことであろう。

考証短評
 後漢書倭国記事は、笵曄畢生の名文ですが、地理考証にかかると、さんざんです。
 冒頭の記述で、「倭在韓東南、「倭國は三韓起点で東南方にある」としているが、それは、薩摩島、つまり九州島のことである、と言い切っています。
 後漢書は、後漢朝の視点で書いているので、笵曄は、史官ないしは正史の編纂者として、何らかの後漢朝公式資料でこのような地理観を得ていたということになりますが、どうでしょうか。いえ、丁謙は、何もそのような不審を示しているわけではなく、短評者の私見なのですが。
 また、無造作に會稽東冶と書いていることに対し、これは、會稽と東冶の二地点を列記している書き方だが、會稽と東冶は、南北に遠く離れていると見ています。
 さらに引き合いに出している朱崖儋耳は、さらに遙かに南であると指摘しています。
 突き合わせた上で、三地点が南北に大きく離れているので、日本の方角を参照するには、不適当である、と断じています。
 會稽は、丁謙の地元であり、有名な国際港である寧波は、日本へ往来に常用される港であったので、土地勘のある丁謙にすれば、なぜ、すぐ東方にある日本の位置を示すのに、遙か南方の東冶や朱崖儋耳を引き合いに出すのか、奇異に感じているのです。
 また、日本の史書は神功皇后が卑弥呼だと云うが、神功皇后の(壮年で夫を亡くした子持ちの未亡人であり、最後は嫡子に譲位した)事歴と当てはまらないのは自明であり、これでは其の言い分を信じがたいと嘆いています。
 狗奴国、裸國、黒齒國、朱儒國は、当否は別として、明快に比定されています。
 又、徐福渡来記事は、史実として扱っています。
 ここでは、熊野を夷州澶州に比定しているので、呉の徴兵船は、数世紀を経て数万家の国邑に発展し、時に會稽に寄港している徐福集団を求めて、はるか熊野に航海したことになります。呉書によれば、徴兵船は、現地に到着したものの、徴兵の成果を得られぬまま帰国したことになっているので、史実としては、熊野の徐福集団は、実在していたように書かれています。
 なお、ここで見落としてはならないのは、地理考証といいながら、道里(樂浪郡徼去其國萬二千里)について論評も校訂もしていないことです。
 つまり、現代の精緻な地図を参照しうる清朝末期の地理考証家が、後漢書外夷傳記事では、韓地を含めて短里で書かれていることに納得していると言うことです。
Chirigokanjo1
Chirigokanjo2
以上

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