06. 濵山海居 - 読み過ごされた良港と豊穣の海
2014/04/26
「末盧國,有四千餘戶,濵山海居,草木茂盛」
末盧國では、山が海に迫っているため、航海に通じた少数精鋭の国だったのでしょう。
また、言うまでも無く、その国土は、年間通じて降雨に恵まれていたのです。もう一つの辺境である。西域とは大違いです。
後ほど、気候の話題が出てきますが、北方のように寒冷でなく、南方のように瘴癘ではないのです。
また、玄界灘は、豊穣の海であり、長く、沿岸諸国の国力を支えたでしょう。
つまり、末羅国は、倭國の覇者ではないにしても、国土は狭くとも、戸数は少なくとも、「大国」であったはずです。
さて、以下の道里記録の評価で余り触れられていないように思うのですが、これら道里の出典は、魏使(帯方郡使)の測量した数値であるということです。
魏使は、正使、副使程度しか知られていないものと思いますが、少なくとも、魏朝を代表して派遣され、外交以外に、軍事的な目的も担っていた以上、以下に述べる程度の構成は整っていたはずです。たとえば、副使は、正使に不測の事態が生じたときの代行者でもあり、時には分遣隊として滞在地を離れて、出動したことでしょう。
人員は、大半が帯方郡からの派遣でしょうが、基本的に魏朝の配下とみるものです。
正使 副使 通事 書記 記者 保安 財物 食料 救護 荷役
ここで上げた書記は、公文書を取り扱う高官ですが、記者は、実務担当者であり、日々の任務の記録以外に、移動中の歩測測量を記録していたはずです。
歩測は、訓練を受けていれば、日々の移動方向と移動距離を結構高い精度で測量できたものと想像されます。全道里と所要日数の積算は、この記者の残した測量結果無くしては不可能だったはずです。
記録係の手元には、全行程の略図が描かれていたはずですが、正史に残されていないのです。史官にとっては、文章だけが「業」であり、「絵」や「図」は職人層の手すさびとして捨て去られたのでしょう。
歩測測量などの探偵技術は、外交軍事使節が未踏地に派遣される時の重要任務であり、それこそ、首をかけて達成したものと想像します。
以上
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