10. 日本國志 - さらなる余談の枕として
10. 日本國志 - さらなる余談として
日本國志(全四十巻)は、清朝末期の外交官黃遵憲の編纂した重要著作です。
日本史と日本外交史を系統的に書き下ろした労作であり、清光緒十三年(1887年)に正式出版されています。文中に示されているように、外交官として日本に駐在した期間に、豊富な日本史資料を入手し、日本の古代史家との意見交換もできたようで、総じて資料を踏まえた堅実な考察に満ちています。
全四十巻中、当ブログに関係するのは、巻一「國統志一」(日本史)と卷四「鄰交志上一」(日本外交史-中国篇)の二巻であり、古代史に親しんでいたらなじみのある記事が多いので、何とか、休み休み目を通せる程度の分量になっています。
取りあえず、無償で読むことができるのは、下記サイトで公開されている維基文庫のテキスト収録ですが、ちょっと原本の読み取りに難があるのです。
http://zh.wikisource.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9C%8B%E5%BF%97/%E5%8D%B7%E4%B8%80
巻一「國統志一」の成務-仲哀-(神功皇后)-応神天皇と来たと思ったら、すぐさま、(武烈天皇の)御乱行に繋がっているのは、中国語のよくわからない本論筆者にも、脱落があることが目についたのです。
子應神嗣位,年七十矣。應神在位四十三年。百濟秀士王仁獻《論語》、《千文》,始傳儒教;遣使於吳,始得織縫工女。愛少子稚郎子,立為太子,木親射墜為笑樂。施刑至刳孕婦,解指爪斂,國人苦之。在位八年,無嗣。自崇神至武烈凡十七世,六有六年。
「立為太子」と「木親射墜」の間に、どかんと脱落があります。
卷四「鄰交志上一」では、倭王武の上表文の途中で脱落が発生しています。日本人にはおなじみの下りなので、素人目にもそれとわかるのですが、中国のボランティアには、余り関心が無かったのでしょうか。
倭國王,遣使上表于宋順皇帝曰:封國偏遠,作藩於外,自昔祖禰,躬擐甲胄,跋涉山川,不遑寧處。東征毛人五十五國,西服眾夷六十六國,渡平海北湖乖午,此之不同,亦無足怪。要之列史紀述,溢於簡冊、苟非偽造,不容安今節錄其事,仍稱倭王,不系之帝,以志疑也。至彼國一偏之辭,未敢尚。
「渡平海北」と「湖乖午」の間に、どかんと脱落があります。
別紙の自家製Pdfでは、脱落部を影印版(中國哲學書電子化計劃
公開)から読み取って埋めています。
影印本は、数カ所に公開されていますが、文字、特に文中の細かい文字読み取りにくい箇所が同一箇所と言うこともあり、おそらく、同一の刊本の写真データを利用しているのでしょう。
なお、今回目を通した二巻では、大規模な脱落以外に、字体について暢気で、俗字が使われている箇所が少なくないのですが、これは、文意を変えるものでないので、指摘しておくだけとします。
他に、「曰」を「日」と作るような文字取り違いと思われる例が若干あり、これも、目についた限りは訂正しています。
原本作成者は、素養として「曰」と「日」の取り違えが起こりやすいのは十分承知しているので、違いがはっきり目につくように、「日」を細くしているのです。
手慣れた工程であれば、文字起こし担当者は、「曰」と「日」の取り違えが起こりやすいのは十分承知しているし、校正責任者も、「曰」と「日」の取り違えが起こりやすいのは十分承知しているので、両者相俟って、このような取り違えは、まず出現しないはずなのです。
文字起こし担当者は、原本を嘗めることをせず、漢字OCRの読み取りデータを処理しているだけなのでしょうか。疑問が残ります。
維基文庫は、善意のボランティアの多大な労力で構築されています。その点については、大いに感謝するのですが、一読者の「誠意」(sincerity)として、粗雑な文字起こしは粗雑であると指摘することにより、維基文庫の信頼度向上の一助になればと思うのです。
気になるのが、清朝末期に「正式出版」された書籍だから、良質な刊本が結構な部数現存していると思われるのですが、素人目にも、19世紀末の出版物にしては文字に欠陥があるのが目立ち、紙面に汚れが目立つ、余り良好とは思えない刊本ばかり起用されていると言うことです。
書籍として出版されている「日本國志」には、当然、そんな不備はないのでしょうが。
「NipponKokushiVol1N4.pdf」をダウンロード
当文献は、現著者の死後百年以上を経過しているため、著作権が存在しないものです。
維基文庫テキスト追記修正部は、当論筆者が確認したものですが、正確さについて保証するものではないことを、念のためお断りしておきます。
以上