12. 牛馬無し - 読み過ごされた道なき國
「其地無牛馬虎豹羊鵲」
倭國の道路は、各国中心の都邑は別として、余り整備されていなかったようです。
そのために、牛馬を荷役に利用することがなかったようです。
先進地である中国の場合、春秋時代には、戦闘に戦車を使用していたことや交通・運送手段として車両を使用していたことが、資料から読み取れます。
中国と雖も、市街地以外は、いわゆる地道だったのですが、道路面には車輪が突き固めた轍が刻まれていて、そこに車輪を当てはめている限り、軽舗装の道路を走るような快適な走行ができたようです。
これに、東西に走る大小河川の水運を加味すると、大量輸送、大量移動のインフラ(インフラストラクチャー)が整っていたのであり、文書行政の早期の確立などと相まって、古代国家の要件が揃っていたので、国を挙げての大規模な戦争が可能となっていたのです。
これに対して、遙か後世とは言え、牛馬が輸送に利用できない万事未開の島夷では、大規模な軍事行動を起こそうにも、遠征軍への兵站が維持できないので、遠征期間と範囲は兵士の耐久力と手弁当程度の範囲に限られるたものと考えます。
船舶輸送したとしても、上陸後の輸送手段が乏しいので、兵站は途切れ勝ちであり、大規模な遠征はできなかったと思われます。
また、文書と言う交信手段がないので、本国と遠征軍の間は、もっぱら伝令の口頭連絡に頼ることから、細かい指示や報告のやりとりができず、遠征軍の統御は至難であるものと思われます。
と言うことで、遠征の対象は、実は、近郊の同盟国が大半であり、遠国の討伐は、途中の諸国の協力があって、始めて成立するので、いくつかの伝説はあるものの、古代道路網が形成される数世紀先まで、九州北部を飛び出す大規模な長征は、滅多に行われなかったように思います。
当時の倭國の「乱」は、稲作につきものの水利争いや水産業での漁場争いの拗(こじ)れたものであり、それ故、自身の権勢欲を持たない少女王が「時の氏神」として仲裁することで矛を収めたのです。稲作の成果を左右する灌漑水利の構築と水分(みずわけ)は、早くから水分神社に委ねられていたので、卑弥呼は水神様の巫女として育ったのかも知れません。
以上
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