19. 景初二年 - 虚心に読み解く
「景初二年六月、倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝獻、」
最近、宮城谷昌光氏の「三國志」第十巻を新潮文庫で読みました。
「三國志」と銘打った諸氏の著作が、実は、吉川英治「三國志」を初めとして、「三國志演義」に基づく著作であることが多いのですが、宮城谷氏の場合は、正史の三国志を基本として、小説世界を構築しています。
と言っても、ご存じの通り、陳壽の編纂した三國志は、歴史の骨格だけを書き出している部分が多いので、当然、物語の叙述の流れは氏の創作部分が多いのですが、それでも、あくまで、正史の記事とその流れを踏まえた筆致となっています。
さて、本小論に関して云えば、第10巻では、正史の記事通り、景初二年六月の倭国来使であり、司馬懿が率いた公孫氏討伐派兵の時点での来使背景が補筆されています。
作家として、筋の通った説明を試みて、それでよしとの見方と思います。
景初二年遣使は、筋の通った記事になっているとの判断は参考にすべきだと思います。
世上、講談調の解釈で「景初二年」を「景初三年」に読み替える例が多いのですが、堅実な、学術的な文献解釈は、まず、書かれているとおりに読み取る、との基本に立ち返った方がよいでしょう。
そのような、誠に合理的と思われる主張に反応して、激高したような筆致で、「景初二年」を否定する例がありますが、別に、大した事項ではないのに、どうして、大声を立てるような筆致になるのか、不思議です。
例えば「光秀密使」論などは、講釈師の「見てきたような嘘」の代表的な例であり、斯界の泰斗が麗々しく唱えるような議論ではないのですが、他に何も反論の論拠がないと言うことは、たぶん、筆致は冷静でも、内心では、回答に窮して、感情的になり、罵倒したのでしょうか。
以上
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