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2014年5月10日 (土)

20. 獻生口 - 推定無罪

 倭人傳には、「生口」と言う言葉が、4カ所で計5回書かれています。

 その最初の箇所は、「持衰」の話題で書かれていて、これは、「生口財物」と並べられているので、何か価値のある「もの」だろうなと思えますが、それ以上はわかりません。

 それ以外の3カ所、4回は、倭王が曹魏皇帝に献上した「もの」で、ほぼ同文脈で書かれ、内、正始4年の記事以外は、単位が人となっているので、人間のことであろうと推定できます。

 これらの「人間」の正体について、色々議論があり、奴隷を献上したとの見方が、比較的有力となっているようです。それだけなら、特異な事例として受け流すのですが、これらの記事を拡大複写して、当時の倭王は、他国を侵略して、奴隷を取り立てていたとか、半島に奴隷を輸出していたとか、云々している例が見られるのは、嘆かわしいことです。

 今回、関連書籍を眺めていて感じたのですが、世上には、古代国家とか古代の国際関係とか、かなり、近代的/現代的な図式を古代に貼り付けて、派遣とか征伐とか、後代の言葉を当てはめている向きがあるようです。

 また、どんな成り行きでそうなっているのか判然としないのですが、二世紀末から三世紀初頭にかけて、すでに西日本が統一国家となっていた、と言う、壮大な仮説を推進している向きもあり、そうであれば、織田信長の天下布武もそこのけの武力統一活動が、千年も先駆けて展開されたとか、その際に、大量虐殺や捕虜獲得があったといわれても、そんなものかと思ってしまおうというものです。

 しかし、冷静に考えると、これらの意見は、「時間錯誤」と考えるものです。

 古代国家は古代国家に必須のインフラ無しには成立せず、武力統一もまたそれに必須のインフラ無しには実行できない、従って、三世紀に古代国家はなかった、というものです。

 もっとも、古代史で何かが全くなかったことを立証するのは不可能です。

 せめて、告発即断罪でなく、推定無罪として頂きたいものです。

 さて、生口については、これに先立つ小論で、各国の国主/国王が、魏朝への臣従の証として、自国の戸籍や地図を献上したのではないかと当て推量しましたが、以後の見聞も含め、単位に人とある以上は、人間が移動したものと見ざるを得ないと納得しました。

 と言うことで、現在は、「人質」として国主/国王の親族を派遣したものとみています。

 例によって、この意見は、史上の根拠が明らかでない、所感であって、素人考えであることは、ご理解いただきたいと思う次第です。

以上

 

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