21. 大作冢 - つつましい墓制
「卑彌呼以死,大作冢」
ここで見る限り、卑彌呼の死を受けて「冢」を起こしたのであり、生前に墓を作る「寿墓」の想定される余地はないように思います。
まして、小論では、卑彌呼は、まだ20代のうら若い女性と想定しているので、そうとなれば、その死は、あらかじめ想定されていなかったと見るべきでしょう。
また、王の、突然の死による動揺の中で、それまでにない山のような墳墓を構築したとしたら、構造設計、必要な人員、食料、資材の徴発、確保が難事業となったはずですが、そのような困難さに言及されてない以上、粛々として、それまでの倭國墓制に沿ったつつましい墓所が造成されたと思われます。
以下、本小論の考察により、卑彌呼年譜(私見)を描いています。
西暦 皇帝 年 年齢 事歴
220年 後漢献帝 建安25年 3月魏公曹操死。延康改元。
220年 後漢献帝 延康元年 10月魏に禅譲。曹丕即位。
220年 曹魏文帝 黄初元年 1歳 卑彌呼誕生。男王外孫。
226年 曹魏文帝 黄初七年 7歳 文帝曹丕崩。曹叡即位
230年 曹魏明帝 太和四年 11歳 倭國乱れる。(~234年)
235年 曹魏明帝 青龍三年 16歳 倭國王卑彌呼共立。
238年 曹魏明帝 景初二年 19歳 6月魏 倭使来魏。
239年 曹魏明帝 景初三年 20歳 1月明帝曹叡崩。曹芳即位。
240年 曹魏曹芳 正始元年 21歳 魏使来倭。
247年 曹魏曹芳 正始八年 28歳 卑彌呼死。
以上
« 20. 獻生口 - 推定無罪 | トップページ | 22. 復立..年十三爲王 - 少女王立つ »
「倭人伝新考察」カテゴリの記事
- 新・私の本棚 岡田 英弘 著作集3「日本とは何か」 倭人伝道里 新考補筆(2023.04.07)
- 04. 始度一海 - 読み過ごされた初めての海越え 追記補追 5/5(2023.01.28)
- 04. 始度一海 - 読み過ごされた初めての海越え 追記補追 4/5(2023.01.28)
コメント