22. 復立..年十三爲王 - 少女王立つ
「復立卑彌呼宗女壹與、年十三爲王、國中遂定。」
ここで、「また」と書いているのは、卑彌呼が少女時代に王に共立された事態を再現したと示唆しているのではないでしょうか。
ただし、13歳は年齢不足で女子と呼べないし、独身の女王には娘がないので外孫でもなかったということから、構文を変えているのでしょう。
思うに、各国の仲裁には、世間の利害に縛られない、13ー15歳の少女を王に仕立てるのが最善という考えだったのでしょう。
余談ですが、倭人傳の裴松之注で、「魏略曰:其俗不知正歲四節、但計春耕秋收爲年紀。」と書かれているために、倭國では、現在の一年を二年に数えて年齢表記する習慣があったように述べる先賢がありますが、同感しきれないものがあります。
特に顕著なのは、「壹與、年十三」と言うことで、さすがに実年齢が6歳では、女王が務まらなかったように思われます。
一つには、裴松之注記があるということは、陳壽が倭人傳にそのような記事を採用しなかったと言うことです。「魏略」は、倭人傳に先行して書かれたようですが、それぞれの編纂に際して、、後漢、曹魏の共通史料を利用したと思われます・従って、陳壽は、「其俗不知正歲四節、但計春耕秋收爲年紀。」と書かれた史料を、採用しないとの判断を行ったものと思われます。
また、曹魏に遣使し曹魏皇帝を天子と仰ぐと言うことは、曹魏の年号、暦法を奉じると言うことであり、してみると、少なくとも、倭国の公式資料では、一年が365日強である暦法に従って、年齢を数えるように変わっていたものと思われます。
従って、長寿命を示唆する前代の風俗記事は別として、「壹與、年十三」とした記事は、そのまま、数えで13歳と読むべきでしょう。
以上
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