22. 復立..年十三爲王 - 少女王立つ
2014/05/12 2022/10/17
「復立卑彌呼宗女壹與、年十三爲王、國中遂定。」
ここで、「また」と書いているのは、卑彌呼が少女時代に王に共立された事態を再現したと示唆しているのではないでしょうか。ただし、13歳は年齢不足で「女子」と呼べないし、独身の女王には娘がないので「外孫」でもなかったということから、構文を変えているのでしょう。
思うに、各国の仲裁には、世間の利害に縛られない、13ー15歳の少女を王に立てるのが最善という考えだったのでしょう。
*「春秋加齢」のこと
余談ですが、倭人傳の裴松之注で、「魏略曰:其俗不知正歲四節、但計春耕秋收爲年紀。」と書かれているために、倭國では、現在の一年を二年に数えて年齢表記する習慣があったように述べる先賢がありますが、同感しきれないものがあります。
因みに、「倭人伝」論では、これを「二倍年歴」と唱えていますが、旧暦元旦に、一気に二歳年齢を増やす習慣のように世間に誤解されているような気がするので、「春秋加齢」と言ってみました。 つまり、春、秋二回、一歳年齢を増やす「数え」年列のことであり、稲作の表と裏をそれぞれ一年と考えるのは、例えば、近年まで、会社の決算を年二回にして、上期、下期とするものの、それぞれの決算ごとに「第..期」と決算期を数えていたのに通じるものと見えます。
因みに、「倭人伝」論では、これを「二倍年歴」と唱えていますが、旧暦元旦に、一気に二歳年齢を増やす習慣のように世間に誤解されているような気がするので、「春秋加齢」と言ってみました。 つまり、春、秋二回、一歳年齢を増やす「数え」年列のことであり、稲作の表と裏をそれぞれ一年と考えるのは、例えば、近年まで、会社の決算を年二回にして、上期、下期とするものの、それぞれの決算ごとに「第..期」と決算期を数えていたのに通じるものと見えます。
「春秋加齢」の数え方に合わないのは、「壹與、年十三」と言うことで、さすがに実年齢が満六歳では、女王が務まらなかったと思われます。
一つには、裴松之注記があるということは、陳壽が倭人傳にそのような記事を採用しなかったと言うことです。「魏略」は、倭人傳に先行して書かれたようですが、それぞれの編纂に際して、後漢、曹魏の共通公文書史料を利用したと思われます・従って、陳壽は、「其俗不知正歲四節、但計春耕秋收爲年紀。」と書かれた史料を、採用しないとの判断を行ったものと思われます。
一つには、裴松之注記があるということは、陳壽が倭人傳にそのような記事を採用しなかったと言うことです。「魏略」は、倭人傳に先行して書かれたようですが、それぞれの編纂に際して、後漢、曹魏の共通公文書史料を利用したと思われます・従って、陳壽は、「其俗不知正歲四節、但計春耕秋收爲年紀。」と書かれた史料を、採用しないとの判断を行ったものと思われます。
また、曹魏に遣使し曹魏皇帝を天子と仰ぐと言うことは、曹魏の年号、暦法を奉じると言うことであり、してみると、少なくとも、倭国の公式資料では、一年が365日強である暦法に従って年齢を数えるように変わったものと思われます。いや、むつかしいことを抜きにすると、元旦の年賀の祝儀で、全員が一年加齢するので、現代風に言うと、全国、全員一斉に誕生日を祝うようなものなのです。
長寿命を示唆する前代の風俗記事は別として、「壹與、年十三」とした記事は、そのまま、数えで13歳と読むべきでしょう。
*「宗女」ということ
なお、「宗女」とは、恐らく、氏族の長の娘であって、鬼神、つまり、祖先の霊に仕えていたものであり、従って、「卑弥呼」と同様の務めを担っていた生涯不婚のものと思われます。卑弥呼の場合は、男王の外孫という出自があったのですが、壹與の場合は、先立つ「男王」が無く、又、卑弥呼の娘でもないので、このように形容したものと見えます。
世間には、「卑弥呼」は個人名で無く、そのような務めに携わる「女子」の世襲職名だとしている例がありますが、史料にないこと、示唆すらされていないことを賑々しく打ち出すのは、単なる「目立ちたがり」の悪趣味としか見えないのです。例えば、無名のものが、共立の際に「卑弥呼」と名付けられたという誤解を背負っていて、古代に於いて、実名は、実父にしか命名できないものであり、その実名で、祖先の霊と結ばれているので、改名などできないと言う、重大な取り決めを知らずに言い立てているのです。
一般に、当時は、漢字の知識が不足していたので、「卑弥呼」なる漢字を押しつけられたと思い込んでいる方が多いようですが、支配層は、必要もあって、中国語を学んでいたものと思われるので、十分な教養のもとに、これらの文字を選んだ可能性も無視できないように思えます。
不勉強からくる手前味噌な思い込みを、勝手に怒鳴り立てるので無く、十分調べた上で、確たる証拠を丁寧に示して頂きたいものです。
以上、一部、重複御免で書き連ねたものです。
以上
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