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2014年6月27日 (金)

新・私の本棚 渡邉義浩 魏志倭人伝の謎を解く 2/4

 私の見立て★★☆☆☆        2014/05/27  2019/04/21

*文字の価値
 そもそも、記事の充実度は、文字数で数えて評価するものではないはずです。文字数で勝負するのであれば、誤字も、誤記も、それぞれ、充実度に貢献することになり、まことに不合理な事態となってしまいます。

 また、数字の大小の評価も、決して一意的に定まるものではなく、倭人伝の記事は、魏志の一部を成すものなので、中国全体の記事が「約三十七万字に及ぶ」三国志の中で、「約二千字」にわたって、不釣り合いに詳述されているという見方も成立します。

 こうしてみていくと、神のごとき公正や中立があり得ない以上、論者の見方は、いずれかの「偏った」見方であるのは避けられないのであり、その「偏った」見方が、論説の言い回しに、堂々と反映されるのはしかたないことですが、それを、何気なく提示して、こっそりもたれかけさせる言い回しは、品がないという感じがします。ちなみに、「及ぶ」と言うのも、何気なく著者の価値観を押しつけています。

*周知、自明
 直後に、「三国志」は、邪馬台国を記録するために著された史書ではない、とまたもや、当たり前の意見を壮語していますが、これもまた、周知、自明の話であって、何も新たな知見を知らせてくれているわけではないのです。
 余言の羅列という感じがします。一方、倭人伝は、倭人を記録するために書かれたのであり、その中では、倭人の国について記録しているわけですから、著者の発言は、意味/意義不明の妄言とも撮れます。

*「はじめに」のまとめ
 ここに、本著を上梓するに至った著者の抱負が示されています。
 倭人伝の歪みを取り除き、邪馬台国の真実を示して行こう、との趣旨/抱負を述べていますが、物の道理として、「真実」は、無限とも思える情報量を有し、ひとたび、何者かの記述によって伝えられたとき、伝えられなかった部分は知ることはできないのです。それは、「歪み」以外の何かです。

 記述の「歪み」を取り除けば、残されるのは無面目の混沌であって、元なる真実ではないのは避けられない道理です。
 
*空虚な壮語
 著者の壮語癖は、本文の冒頭にも示されていて、「三国志は、書かれた当初から正史であったわけではない」と一発ぶち上げていますが、この発言はすぐさま、「正史」は唐時代から始まった呼称である、従って、西晋の時代に「正史」と言う呼称はなかった、と揉み消されていて、この壮語は実弾ではなく、儀礼的な空砲であったことが示されています。

 三国志上申当時に、先行する「史記」、「漢書」の二史書は知られていて、概念としての「正史」は、すでに存在していたと思われるのです。しかるが故に、それに続く正史として「後漢書」と「魏書」が、強く期待されていたのであり、三国志は、それに応える編纂事業だったと考えるのです。
                                未完

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