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2014年6月27日 (金)

新・私の本棚 渡邉義浩 魏志倭人伝の謎を解く 3/4

          私の見立て★★☆☆☆        2014/05/27
承前

・本文について - 冒頭論評
 4ページ末尾で、「これは、歴史事実とは異なる。劉備も孫権も皇帝に即位しているからである」と壮語して、それを認めない正史は偏向していると、論断しています。

 皇帝は、まずは自称です。同時代で袁術が皇帝と自称していますが、これも、歴史事実と言うべきものです。確かに、袁術は皇帝に即位したのですが、著者は、自身の価値観から、ほぼ無視しています。自称「皇帝」を皇帝と認めるのは、論者の価値観であり、劉備も孫権も、「皇帝」を自称したが、皇帝に即位してはいないとするのが、三国志の価値観です。

・何気ない見過ごし
 因みに、少し手前で、何気なく、曹魏について、中国の北半分を支配、と書いていますが、これは、何気なく著者の価値観を押しつけているのです。

 北半分と書くと、なんだ、天下は半分子、残りの南半分を蜀漢と東呉が半分子、曹魏は、ただの50パーセント政権、残りは、25パーセント政権が二個あって、それぞれ五十歩百歩の状態だったと思わせたいようです。しかし、それは著者の価値観であって、著者の言う歴史事実とは異なるのです。
 曹魏の持ち分は、天下の半分子などではないのです。

 冷静に観察すると、曹魏は、曹操の時代に、形としては後漢朝の復興というものの、その過程で、東西の二大古都である「長安」「洛陽」を包含し伝統的に中国の中核とされる「中原」を支配し、伝統文物の作成を担当した官営工房である「尚方」を運用して典礼と暦法を復活し、史官を整えたのであり、とにかく、正統王朝に要求される面目と体裁を、絶大な努力で整備し、さらに、曹丕の代になって、天下の大勢から見て天命を失ったと見える後漢朝から中国の政権を正統を引き継いだのが、曹魏の功績だったと見えるのです。

 この視点から評価すると、蜀漢、東呉のいずれも、曹魏の足下にも及ばず、従って、地方政権と位置づけるのが、史官としての順当な評価です。

 三国鼎立というのは、蜀漢、東呉の価値観に影響され、「皇帝」の名目に影響されて、こうして視点から確認できる歴史事実を見失っていると思います。

 ちなみに、以上の視点は、異民族政権に中原を奪われて江南に逼塞した東晋以降の南朝各国や南宋にとっては、自己の正当性を否定する視点であることから、「史官としての順当な評価」も変質し、異なった後世視点が形成されますが、三国志編纂時には、あくまで、曹魏の同時代視点が正統だったのです。

・小総括
 以上の論を総括すると、著者の考える「歴史事実」は、著者が先入見としている歴史観であり、このような後世人の歴史観と同時代人の歴史観と、どちらを尊重するかと言うことでしかないのです。

 そうした考察の提示のつかみの部分で、市井の一私人に、歴史観の浅いところを指摘されていては、肝腎の論考の展開が軽く見られようというものです。

未完

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