新・私の本棚 渡邉義浩 魏志倭人伝の謎を解く 4/4
私の見立て★★☆☆☆ 2014/05/27 2019/04/21
*魏志私論
魏志は、紀元三世紀の曹魏で展開された事件の無限の積層である「歴史」を、限られた言葉で書きまとめているのです。なお、「歴史」という単語は、現代では、拡張、誤用が著しいので、慎重に読んでいただく必要があります。
ここで言う「限られた言葉」とは、無限ではないとの意味です。いくら字数を費やしても、歴史(歴史事実)を書き尽くすことはできないと言いたいのです。百文字でも、一億文字でも、歴史の一部、一視点から見た、一局面を捉えようとした試みであって、歴史そのものではないのです。
歴史の「客観的な事実」を「歴史事実」として、神のごとき視点と言葉遣いで著述する事は、誰にも出来ないのです。
そうした冷静な認識のもと「壮語」や何気ないもたれかけ、という役に立たない隠れ家を遠ざければ、行間から歴史事実の片鱗が垣間見えるはずです。
史記の書かれた漢武帝時代、漢書の書かれた後漢の時代、いずれも、漢王朝の威光が維持された時代です。これに対して、曹魏は、統一国家の面目を辛うじて維持したもの、と言えるでしょう。
後漢後継と言うことは、中国全土を支配して、天下を正すという大命を与えられたのですが、先に挙げたように、絶大な努力で正統王朝に要求される面目と体裁を整備したにもかかわらず、蜀漢、東呉と言う(曹魏の正当性から見て)不法に自立した勢力との抗争に明け暮れて、統一国家の復興を成し遂げず、曹丕、曹叡と天寿を全うできない皇帝が相次いで、王朝から天命の去ったものと見なされ、西晋に国を譲ったのです。而して、曹魏は、正統王朝の証として、「後漢書」を編纂することができなかったのです。
陳寿は、「史官」であり、その本分に即して、そのように面目を整えられなかった曹魏の正史を、史記及び漢書に匹敵する堂々たる史書の体裁で編纂すべきでない、と考えたのでしょうか。そうであれば、これは「春秋の筆法」と呼ぶべきものです。
これもまた、陳寿の史眼で捉えた歴史事実なのです。
*総括
本書での著者の論考自体は、魏志、特に、倭人伝の書きぶりを高く評価しているように見受けます。
しかし、著者の論考の基礎は、倭人伝原文から倭人伝を読み解くのではなく、編纂者のもたらす回避できない「誤差」に、ことさらに読解者の「誤差」を積み上げ、歴史事実から大きく遠のいていると見るべき「読み下し文」に論考の基礎を置くのでは、歴史事実の開拓者たろうとする著者の抱負に、早々と背いているように見えます。
*おことわり
以上の論じ方は、それぞれ先賢の著作から教示を受けたものですが、随分我流にこね回しているので、あえて、出典を上げていない物です。
以上
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