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2014年6月30日 (月)

私の本棚 17 安本美典 邪馬台国と高天の原伝承

   勉誠出版 平成16年3月

          私の見立て★★★★☆        2014/05/30

 引き続き、同じ著者の論説を鑑賞しています。

 そして、著者は、引き続き持論の補強を進めています。

 本論筆者として注目したのは、邪馬台国の時代の遙か後世である延喜式(927年完成と伝えられる)の記事に従うと、北九州には、古くから官道が整備されていて、それに付け加える形で、新たな官道を定めたとされていることです。(187ページ)

 官道は、各地の要地を、極力労力を節約しつつ、最短距離で道路造成して連結するところから、時代を経て、さほど経路が変動するものではなく、元々、何らかの道路網が形成されていたとみるのが妥当な推定と思われます。

 また、官道と言うからには、所定の間隔で、駅家が設置されていたものであり、食料水分の補給、宿舎の提供と併せて、替え馬の用意もされていたものと思われます。

 替え馬は、いつでも旅行者の要請に応えられるよう待機状態であり、従って、農耕、荷役などに転用はできず、かつ、十分な飼い葉を与え、足慣らしを欠かさないよう散歩させるなど、多大な手間を食うものであり、地元社会に対して多大な負担となるものですから、余程国力が充実しないと整備できないものです。

 このような官道と駅家の整備により、各地の拠点間で迅速な文書通信が可能とし、有事の際は、遠征軍の行軍を可能とし、まずは、北九州を包括する古代国家の運営が可能となったものでしょう。

 それが、いつ頃かは、明示されていないのですが、「周旋五千余里」と形容される倭国の道路網はすでにその概容が形成されていたが、乗馬による往来は、不十分であったように思われます。

 乗馬による人員の往来も、駄馬荷車による荷物の往来も近距離に限られるなら、道路面を整然とする必要もなく、早い段階から、北九州には、そのような道路網ができていたようにも思えます。

 余談ですが、当時の馬は、蹄鉄で蹄を保護されていたのでしょうか。保護されていたら、蹄鉄が出土するでしょうが。馬に靴を履かせるために鉄を消費していたのかとも思いますし、保護していなかったら、とても、乗馬や荷駄に耐えられなかったでしょう。

 私論では、広域にわたって整然とした道路網ができるのは、邪馬台国時代を大きく通り過ぎ、鉄製の農具で道路を造成し整地する工法が普及した遙か後世のことではないかと考えています。

 また、そのような道路工事の労役に大量の人数を投入しても、農業生産に障害をもたらさないためには、合理的な租税賦課と徴兵策に近い人材管理が必要となります。

 もっとも、それ以前に、大規模な墳墓を造成しているので、農民を長期にわたって大量動員しても、国防に支障を来さず、また、食料生産が破綻しない管理方法は、確立していたものと思われますから、その時代になっていれば、道路造成は、さほどの難行ではなかったのでしょう。

 いずれにしろ、総合的な社会構造の発展が、古代国家をもたらし、さらなる発展が、遠距離の移動と通信を可能とし、ついには、北九州から近畿にいたる遠大な古代国家を達成したものではないでしようか。

 ちなみに、73ページでは、著者が、藤井滋氏の「『魏志倭人伝』の科学」(「東アジアの古代文化」1983年春号所載)から引用しているのですが、
 「昔、日本の陸軍は、平時において、重い背嚢をせおいながら、一日20キロの行軍を行った
 として、これを基準に一か月で600キロとの計算を提示しているとしています。

 しかし、これは、徴兵されて以来、日々、行軍訓練を行い、強化された筋力と心肺機能、充実した食事で、一人前の軍人が養成されたのであり、そのような職業軍人の体力で一般人の旅程を想定するのは、無理というものです。

 

 訓練を受けた軍人なら、悪路も野営もものともせず、重い背嚢の食糧自給で、長期間一定速度で行軍できるでしょうが、普通は、悪路に挫け、野営に閉口し、食糧不足に難渋するものです。

 いや、軍人といえども、体調不良などによる落伍を防ぎ、目的地到着時には、待ち受ける敵と対等に戦闘できるだけの体力を温存するため、適宜減速するはずであり、連日強行軍するものではないはずです。

 この部分は、著者の議論の本筋を補強する必須の資料ではないので、多少チェックが甘くなったのでしょう。

 

 著者が要所要所で示す合理的な着眼点に始まる切り込みは、机上の空論が散見される古代史学界諸賢の中で、光輝と異彩を放つものと思われます。

 さて、ここまで三回の個人的書評は、本論筆者の私見を引き立たせるダシとして、著者の著作を勝手にいじくり回した感もあり、虎の尾を踏みつけたのではないかと懸念しています。

 筆者頓首。恐懼恐懼。 死罪死罪。

以上 

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