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2014年6月

2014年6月30日 (月)

私の本棚 17 安本美典 邪馬台国と高天の原伝承

   勉誠出版 平成16年3月

          私の見立て★★★★☆        2014/05/30

 引き続き、同じ著者の論説を鑑賞しています。

 そして、著者は、引き続き持論の補強を進めています。

 本論筆者として注目したのは、邪馬台国の時代の遙か後世である延喜式(927年完成と伝えられる)の記事に従うと、北九州には、古くから官道が整備されていて、それに付け加える形で、新たな官道を定めたとされていることです。(187ページ)

 官道は、各地の要地を、極力労力を節約しつつ、最短距離で道路造成して連結するところから、時代を経て、さほど経路が変動するものではなく、元々、何らかの道路網が形成されていたとみるのが妥当な推定と思われます。

 また、官道と言うからには、所定の間隔で、駅家が設置されていたものであり、食料水分の補給、宿舎の提供と併せて、替え馬の用意もされていたものと思われます。

 替え馬は、いつでも旅行者の要請に応えられるよう待機状態であり、従って、農耕、荷役などに転用はできず、かつ、十分な飼い葉を与え、足慣らしを欠かさないよう散歩させるなど、多大な手間を食うものであり、地元社会に対して多大な負担となるものですから、余程国力が充実しないと整備できないものです。

 このような官道と駅家の整備により、各地の拠点間で迅速な文書通信が可能とし、有事の際は、遠征軍の行軍を可能とし、まずは、北九州を包括する古代国家の運営が可能となったものでしょう。

 それが、いつ頃かは、明示されていないのですが、「周旋五千余里」と形容される倭国の道路網はすでにその概容が形成されていたが、乗馬による往来は、不十分であったように思われます。

 乗馬による人員の往来も、駄馬荷車による荷物の往来も近距離に限られるなら、道路面を整然とする必要もなく、早い段階から、北九州には、そのような道路網ができていたようにも思えます。

 余談ですが、当時の馬は、蹄鉄で蹄を保護されていたのでしょうか。保護されていたら、蹄鉄が出土するでしょうが。馬に靴を履かせるために鉄を消費していたのかとも思いますし、保護していなかったら、とても、乗馬や荷駄に耐えられなかったでしょう。

 私論では、広域にわたって整然とした道路網ができるのは、邪馬台国時代を大きく通り過ぎ、鉄製の農具で道路を造成し整地する工法が普及した遙か後世のことではないかと考えています。

 また、そのような道路工事の労役に大量の人数を投入しても、農業生産に障害をもたらさないためには、合理的な租税賦課と徴兵策に近い人材管理が必要となります。

 もっとも、それ以前に、大規模な墳墓を造成しているので、農民を長期にわたって大量動員しても、国防に支障を来さず、また、食料生産が破綻しない管理方法は、確立していたものと思われますから、その時代になっていれば、道路造成は、さほどの難行ではなかったのでしょう。

 いずれにしろ、総合的な社会構造の発展が、古代国家をもたらし、さらなる発展が、遠距離の移動と通信を可能とし、ついには、北九州から近畿にいたる遠大な古代国家を達成したものではないでしようか。

 ちなみに、73ページでは、著者が、藤井滋氏の「『魏志倭人伝』の科学」(「東アジアの古代文化」1983年春号所載)から引用しているのですが、
 「昔、日本の陸軍は、平時において、重い背嚢をせおいながら、一日20キロの行軍を行った
 として、これを基準に一か月で600キロとの計算を提示しているとしています。

 しかし、これは、徴兵されて以来、日々、行軍訓練を行い、強化された筋力と心肺機能、充実した食事で、一人前の軍人が養成されたのであり、そのような職業軍人の体力で一般人の旅程を想定するのは、無理というものです。

 

 訓練を受けた軍人なら、悪路も野営もものともせず、重い背嚢の食糧自給で、長期間一定速度で行軍できるでしょうが、普通は、悪路に挫け、野営に閉口し、食糧不足に難渋するものです。

 いや、軍人といえども、体調不良などによる落伍を防ぎ、目的地到着時には、待ち受ける敵と対等に戦闘できるだけの体力を温存するため、適宜減速するはずであり、連日強行軍するものではないはずです。

 この部分は、著者の議論の本筋を補強する必須の資料ではないので、多少チェックが甘くなったのでしょう。

 

 著者が要所要所で示す合理的な着眼点に始まる切り込みは、机上の空論が散見される古代史学界諸賢の中で、光輝と異彩を放つものと思われます。

 さて、ここまで三回の個人的書評は、本論筆者の私見を引き立たせるダシとして、著者の著作を勝手にいじくり回した感もあり、虎の尾を踏みつけたのではないかと懸念しています。

 筆者頓首。恐懼恐懼。 死罪死罪。

以上 

2014年6月29日 (日)

私の本棚 16 安本美典 大和朝廷の起源

   勉誠出版 平成17年7月

          私の見立て★★★★☆        2014/05/29

 引き続き、同じ著者の論説を鑑賞しています。

 著者が論旨の展開に先立って述べているのは、紀記に記された建国神話は、全てが真実というわけではないが、かといって、全くの虚構ではなく、「史実の核」をもとに形成された物語であるという前提であり、これには、同意したいと考えています。

 その中で、本書の重点が置かれているのは、副題に書かれている「邪馬台国東遷と神武東征」の論証であり、遺物、遺跡の出土物の解析を通じて、その論証を支持、補強するという方針は貫かれています。

 本論筆者の素朴な疑問として、九州北部(北九州)に、長年にわたり威勢を振るったと思われ、強固な基盤を有していたはずの邪馬台国が、交易に不利な遠隔の奥地に大挙移動したと見える「邪馬台国東遷」と楽園追放の憂き目を見たとも解釈できる小身、無冠の若者が、放浪の果てに山間の安住の地を得たとも見える「神武東征」が、同じ史実の核から展開した説話とは思えないと言うことです。

 と言うものの、これは、何の裏付けもない素人の感想であって、正統な批判とは呼べないものであることは、言うまでもありません。

 さて、本書の論旨展開で、著者は、古代国家の展開について、理性的な見解を吐露しています。

 その第一のポイントは、日本の古代国家に於いては、正式な暦法が施行されていたとする主張であり、至当な意見と思います。
 中国の正朔を報ずるという名目的なものは別として、暦が実用施行されてなければ、古代国家の組織的な運用は不可能であったと思われるからです。
 伝統的な太陰暦系の暦は、月の満ち欠けで日々の経過を確認でき、運用しやすいというものの、1年単位で運用するためには、大小の月を設け、更に、閏月を設けて、月の進行と年の進行を同期させる必要があり、中央の権威者が適宜これを制定して公布する必要があります。
 と言うことは、古代国家の中央と地方は、共通した暦法を共有し、中央が暦法の正しい運用を行うことによって、権威を示すという仕組みが必要となるのです。
 稲作に於いては、日程を定めて共同作業することにより、広大な耕作地と言えども、適切な時期に田植え等の画期的な農作業を行う必要があり、暦法の管理者は、農業国家の統治者でもあるわけです。

 また、著者は、第二のポイントとして、古代国家の肝要な点は、「租税」の確実な施行にあるとしています。

 以下、例によって一介の私人の私見ですが、租税制度の定着により、始めて、各耕作者から、その収穫の半ばを取り立てるような運用が可能となったと言えます。半々なら、五公五民となりますが、そのような租税徴収を行っても、農民が生活し続けられるというのは、高度な行政運用と言えます。

 そのような制度を持続させられるには、各戸の生産力、つまり、耕作面積と従事者数を的確に把握し、担税力に応じて租税を賦課することによって、安定した高度な収税が可能となるのです。
 実態を把握しないままに租税を賦課すると、一部の耕作者に担税力を越えた税負担が発生し、飢餓状態に落としたり、租税の不満によって逃亡されたりして、社会不安が発生し、民政が混乱するわけです。

 言わば、統計的に妥当な租税賦課が、最大限の税収入を安定して維持できる前提になります。

 言うまでもないことですが、そのような統計学的に妥当な租税賦課は、戸籍制度の整備と土地管理制度の整備が必須であり、その前提として、関連する台帳を制定管理できる官僚組織と文書行政が必須となります。

 してみると、古代国家は、官僚組織による文書管理行政が前提となるように思われます。

 言うならば、こうした行政は、理屈は正しくても、余りにもハイコスト、ハイリターンであり、広い地域で実現されるまでには、多大な年月が必要であったものと思われます。

 通信、輸送手段が未発達な古代に於いて、そのような高度な管理が広域に対して実施可能な古代国家は、維持することが不可能であったものと思われます。

 以上のような考察を支持している著者の洞察は、まさしく、現代人の叡智で古代を照らすものであり、敬服すべきものと考えます。

以上

2014年6月28日 (土)

私の本棚 15 安本美典 古代物部氏と「先代旧事本紀」の謎

  勉誠出版 平成15年6月

          私の見立て★★★☆☆        2014/05/30

 著者は、古代史論者の中でも、著書刊行に恵まれた有力な論者であり、知名度も高く、多くの支持者に恵まれているものと推察します。

 本書は、ほぼその全体が、古代史書である「先代旧事本紀」、以下、「旧事紀」とします、に関する論考です。

 本書は、冒頭の「はじめに」の部分で、旧事紀の素性、由来や、その記述の信頼性について、慎重に審議した成果である旨が述べられていて、本書の体裁と価格から見て、立ち読み読者にとって妥当な体裁と考えます。

 さて、比較的先頭に近い部分で、旧事紀は、普通偽書と言われるものであることが確認されています。普通、そこで話が終わってしまうのですが、本書は、後が続いています。

 著者は、冷静に「偽書」の内容を審議して、他文書を盗用した部分や来歴を偽装するための造作部分など、明らかに史料として信頼できない部分以外に、旧事紀独自の記事が多く含まれていて、これら独自記事を吟味、批判した上で、旧事紀は、何らかの史実に基づく独自の伝承を描き出していると信ずるに足ると判断し、その判断に基づいて、古代物部氏の発祥と展開を導き出しているように思います。
 まことに、冷静で堂々たる対応と考えます。

 疑わしい史料を、偽書として丸ごと切り捨てるのではなく、深くその内面を掘り下げて、史料として有意義なものであることを感じ取る眼力は、堂々たる風格を感じます。ただし、そのような観点は、著者だけのものではなく、著名な古代史家で言えば、上田正昭氏がいち早く旧事紀を支持したことも知られています。

 ちなみに、「プロローグ」での考証を経て、第一章は「先代旧事本紀」は、いつ、誰が編纂したか?」と明解な章題が振られています。

 ここで皮肉なのは、著者が範を仰いでいるベッドディテクティブの国内事例が、いずれも、他者著作の盗用指摘を受けているものであり、著者が、専門分野以外では、割とのんきなの気風だと思わせるところがあります。

 先例としては、国産著作のお手本である「時の娘」(ジョゼフィン・テイ 1951年)が、悪名高いイングランド王であるリチャード3世の犯罪を現代の警察官が病院のベッド上で解き明かすという体裁であり、当該歴史ミステリーのジャンル創始者として見事なオリジナリティを持っているので、この例を示すのが著者の見識に相応しいものと思います。

 ちなみに、「時の娘」は、「真実は時の娘」(隠された真実も、時の流れによって明らかになる)と言う伝統的な成句に基づいているものです。蘊蓄のある言葉遣いは、国産品に数等勝ります

 余談はさておき、著者は、古史料の考察に当たって、異物、遺跡などの出土品のデータを参照して、入念に持論を補強しているので、素人があら探しなどもっての外なのですが、導入部の世間話には、いろいろ口を挟めるのです。

 ちなみに、著者が、戦闘的な言い回しを採ることは、著書の副題等に明示されているので、言わば、サングラス、耳栓用意で鑑賞装備しているので、騒然とした言い回しがあっても、余り気にならないのです。

以上

2014年6月27日 (金)

新・私の本棚 渡邉義浩 魏志倭人伝の謎を解く 4/4

 私の見立て★★☆☆☆        2014/05/27  2019/04/21

*魏志私論
 魏志は、紀元三世紀の曹魏で展開された事件の無限の積層である「歴史」を、限られた言葉で書きまとめているのです。なお、「歴史」という単語は、現代では、拡張、誤用が著しいので、慎重に読んでいただく必要があります。

 ここで言う「限られた言葉」とは、無限ではないとの意味です。いくら字数を費やしても、歴史(歴史事実)を書き尽くすことはできないと言いたいのです。百文字でも、一億文字でも、歴史の一部、一視点から見た、一局面を捉えようとした試みであって、歴史そのものではないのです。

 歴史の「客観的な事実」を「歴史事実」として、神のごとき視点と言葉遣いで著述する事は、誰にも出来ないのです。
 そうした冷静な認識のもと「壮語」や何気ないもたれかけ、という役に立たない隠れ家を遠ざければ、行間から歴史事実の片鱗が垣間見えるはずです。

 史記の書かれた漢武帝時代、漢書の書かれた後漢の時代、いずれも、漢王朝の威光が維持された時代です。これに対して、曹魏は、統一国家の面目を辛うじて維持したもの、と言えるでしょう。

 後漢後継と言うことは、中国全土を支配して、天下を正すという大命を与えられたのですが、先に挙げたように、絶大な努力で正統王朝に要求される面目と体裁を整備したにもかかわらず、蜀漢、東呉と言う(曹魏の正当性から見て)不法に自立した勢力との抗争に明け暮れて、統一国家の復興を成し遂げず、曹丕、曹叡と天寿を全うできない皇帝が相次いで、王朝から天命の去ったものと見なされ、西晋に国を譲ったのです。而して、曹魏は、正統王朝の証として、「後漢書」を編纂することができなかったのです。

 陳寿は、「史官」であり、その本分に即して、そのように面目を整えられなかった曹魏の正史を、史記及び漢書に匹敵する堂々たる史書の体裁で編纂すべきでない、と考えたのでしょうか。そうであれば、これは「春秋の筆法」と呼ぶべきものです。

 これもまた、陳寿の史眼で捉えた歴史事実なのです。

*総括
 本書での著者の論考自体は、魏志、特に、倭人伝の書きぶりを高く評価しているように見受けます。

 しかし、著者の論考の基礎は、倭人伝原文から倭人伝を読み解くのではなく、編纂者のもたらす回避できない「誤差」に、ことさらに読解者の「誤差」を積み上げ、歴史事実から大きく遠のいていると見るべき「読み下し文」に論考の基礎を置くのでは、歴史事実の開拓者たろうとする著者の抱負に、早々と背いているように見えます。

*おことわり
 以上の論じ方は、それぞれ先賢の著作から教示を受けたものですが、随分我流にこね回しているので、あえて、出典を上げていない物です。

                             以上

新・私の本棚 渡邉義浩 魏志倭人伝の謎を解く 3/4

          私の見立て★★☆☆☆        2014/05/27
承前

・本文について - 冒頭論評
 4ページ末尾で、「これは、歴史事実とは異なる。劉備も孫権も皇帝に即位しているからである」と壮語して、それを認めない正史は偏向していると、論断しています。

 皇帝は、まずは自称です。同時代で袁術が皇帝と自称していますが、これも、歴史事実と言うべきものです。確かに、袁術は皇帝に即位したのですが、著者は、自身の価値観から、ほぼ無視しています。自称「皇帝」を皇帝と認めるのは、論者の価値観であり、劉備も孫権も、「皇帝」を自称したが、皇帝に即位してはいないとするのが、三国志の価値観です。

・何気ない見過ごし
 因みに、少し手前で、何気なく、曹魏について、中国の北半分を支配、と書いていますが、これは、何気なく著者の価値観を押しつけているのです。

 北半分と書くと、なんだ、天下は半分子、残りの南半分を蜀漢と東呉が半分子、曹魏は、ただの50パーセント政権、残りは、25パーセント政権が二個あって、それぞれ五十歩百歩の状態だったと思わせたいようです。しかし、それは著者の価値観であって、著者の言う歴史事実とは異なるのです。
 曹魏の持ち分は、天下の半分子などではないのです。

 冷静に観察すると、曹魏は、曹操の時代に、形としては後漢朝の復興というものの、その過程で、東西の二大古都である「長安」「洛陽」を包含し伝統的に中国の中核とされる「中原」を支配し、伝統文物の作成を担当した官営工房である「尚方」を運用して典礼と暦法を復活し、史官を整えたのであり、とにかく、正統王朝に要求される面目と体裁を、絶大な努力で整備し、さらに、曹丕の代になって、天下の大勢から見て天命を失ったと見える後漢朝から中国の政権を正統を引き継いだのが、曹魏の功績だったと見えるのです。

 この視点から評価すると、蜀漢、東呉のいずれも、曹魏の足下にも及ばず、従って、地方政権と位置づけるのが、史官としての順当な評価です。

 三国鼎立というのは、蜀漢、東呉の価値観に影響され、「皇帝」の名目に影響されて、こうして視点から確認できる歴史事実を見失っていると思います。

 ちなみに、以上の視点は、異民族政権に中原を奪われて江南に逼塞した東晋以降の南朝各国や南宋にとっては、自己の正当性を否定する視点であることから、「史官としての順当な評価」も変質し、異なった後世視点が形成されますが、三国志編纂時には、あくまで、曹魏の同時代視点が正統だったのです。

・小総括
 以上の論を総括すると、著者の考える「歴史事実」は、著者が先入見としている歴史観であり、このような後世人の歴史観と同時代人の歴史観と、どちらを尊重するかと言うことでしかないのです。

 そうした考察の提示のつかみの部分で、市井の一私人に、歴史観の浅いところを指摘されていては、肝腎の論考の展開が軽く見られようというものです。

未完

新・私の本棚 渡邉義浩 魏志倭人伝の謎を解く 2/4

 私の見立て★★☆☆☆        2014/05/27  2019/04/21

*文字の価値
 そもそも、記事の充実度は、文字数で数えて評価するものではないはずです。文字数で勝負するのであれば、誤字も、誤記も、それぞれ、充実度に貢献することになり、まことに不合理な事態となってしまいます。

 また、数字の大小の評価も、決して一意的に定まるものではなく、倭人伝の記事は、魏志の一部を成すものなので、中国全体の記事が「約三十七万字に及ぶ」三国志の中で、「約二千字」にわたって、不釣り合いに詳述されているという見方も成立します。

 こうしてみていくと、神のごとき公正や中立があり得ない以上、論者の見方は、いずれかの「偏った」見方であるのは避けられないのであり、その「偏った」見方が、論説の言い回しに、堂々と反映されるのはしかたないことですが、それを、何気なく提示して、こっそりもたれかけさせる言い回しは、品がないという感じがします。ちなみに、「及ぶ」と言うのも、何気なく著者の価値観を押しつけています。

*周知、自明
 直後に、「三国志」は、邪馬台国を記録するために著された史書ではない、とまたもや、当たり前の意見を壮語していますが、これもまた、周知、自明の話であって、何も新たな知見を知らせてくれているわけではないのです。
 余言の羅列という感じがします。一方、倭人伝は、倭人を記録するために書かれたのであり、その中では、倭人の国について記録しているわけですから、著者の発言は、意味/意義不明の妄言とも撮れます。

*「はじめに」のまとめ
 ここに、本著を上梓するに至った著者の抱負が示されています。
 倭人伝の歪みを取り除き、邪馬台国の真実を示して行こう、との趣旨/抱負を述べていますが、物の道理として、「真実」は、無限とも思える情報量を有し、ひとたび、何者かの記述によって伝えられたとき、伝えられなかった部分は知ることはできないのです。それは、「歪み」以外の何かです。

 記述の「歪み」を取り除けば、残されるのは無面目の混沌であって、元なる真実ではないのは避けられない道理です。
 
*空虚な壮語
 著者の壮語癖は、本文の冒頭にも示されていて、「三国志は、書かれた当初から正史であったわけではない」と一発ぶち上げていますが、この発言はすぐさま、「正史」は唐時代から始まった呼称である、従って、西晋の時代に「正史」と言う呼称はなかった、と揉み消されていて、この壮語は実弾ではなく、儀礼的な空砲であったことが示されています。

 三国志上申当時に、先行する「史記」、「漢書」の二史書は知られていて、概念としての「正史」は、すでに存在していたと思われるのです。しかるが故に、それに続く正史として「後漢書」と「魏書」が、強く期待されていたのであり、三国志は、それに応える編纂事業だったと考えるのです。
                                未完

新・私の本棚 渡邉義浩 魏志倭人伝の謎を解く 1/4

 中公新書2012年5月         2014/05/27  2019/04/21 
 私の見立て★★☆☆☆

○「はじめに」
 この部分に著者の所信が明記されているので、それなりにフェアなのでしょうか。それにしても、この「わずかな」記述の中でも、著者の「先入見」が露呈し本著が客観的な論考とは言えないものであることがわかります。

 以下、最初が肝心なので、どこがどう不都合なのか、丁寧に解き明かすことにします。

*虚言の山積
 「しかし、約二千字に過ぎない倭人伝の記述は、その全てが事実に基づいているわけではない」
 何気なく「過ぎない」と言い切って、何気なく著者の価値観を押しつけています。これは、正統な論議に自信のない論者の常套手段、いうならば使い古された、見え透いた手口であり、これもまた、ささやかな隠れ家です。

 「その全てが事実に基づいているわけではない」と、筆勢に載せて断言していますが、いかなる著作も、「全てが事実に基づいている」訳はなく、必ず、誤解(勘違い)や誇張(言葉の綾)や創作が含まれているのは、自明です。こうしてみると、著者の断言に特段の意義はなく、一片の壮語なのです。

 続いて、倭人伝の記述には、多くの「偏向(歪んだ記述)」が含まれている、と断言しています。ここで、いかなる著作も、全てが事実に基づいている訳ではない、と言う原則に立ち返ると、それは、大半が「偏向」と言うより「観察の誤差」、と呼ぶべきものです。
 誤差は、いかなる観察にも避けられないものであり、取り除くことはできないということを、読者は、全て、承知の上で読んでいるのです。
 また、正史編者たらんとして史料編纂に取り組んでいる編者が、何らかの編纂方針に従って、言葉遣いなどを工夫するのも「曲筆」などと非難すべきでなく、「修辞」、「修飾」と言うべきです。

 このような、ことさら厳めしい言葉遣いを投げつけることによって、著者の価値観を読者に押しつけるのは、壮語と言うより、業界の旧弊と呼ぶべき悪しき習慣であると考えます。

*誤爆御免
 本論は、書評として不釣り合いなほどに著者の手口の不都合を言い立てていることと思いますが、それは、著者が、今日までに、常套手段の弊害を学びとっていないように読み取れるからです。

 本著の主部の論旨展開は、不都合な壮語を取り除けば、むしろ堅実なものと思うのですが、何分にも、「業界の旧弊」と見られる「偏向」と「曲筆」が、説得力を失わせていることが気がかりです。

*価値観の押しつけ
 「倭人伝」は、「三国志」のほんの一部分に過ぎない、と言うのも、またもや、価値観の押しつけであって、「倭人伝」は、「三国志」の一部分、字数で言うと0.5パーセント程度と、ことさらに壮語していますが、これは、小学生にもわかる算数であって、著者ならではの高度な知見ではないのです。

                                未完

2014年6月25日 (水)

動画遊び Animation GIFあれこれ

 アニメーションの一番素朴な形態が「ぱらぱら漫画」なのと同じように、素朴ながら、小粒で気のきいた動画がAnimation GIFです。
 GIFは、256色(バレット対応)のカラーイラストを纏めて記録しておいて、順番にめくって表示するだけなのですが、各ブラウザーが、基本的な表示機能の一部としてアニメーション表示に対応しているので、イラストを貼り付けるところに、動画を貼り付け、動きのあるページが作れるというわけです。

 ただし、当然Animation GIFには、厳しい制約があります。

 当ブログでは、イメージの容量に一枚1MBの制限があり、これは、おそらく平均的な制約と思います。
 1MBのAnimation GIFに収容できるコマ数は、セルのサイズによって決まりますが、手っ取り早く言うと、このブログで採用している426X240(16:9)のサイズでは、16駒程度が限界です。

 なお、GIFは、各駒に使用されている多様な色を256色の範囲に収めるのですから、時には、再現できない色を似た色に置き換えたりしています。ただし、動画の各駒が小さいことと、画面に動きがあることで、余り目立たないと言うことです。

 当然、Animation GIFは、音声なしのサイレント動画です。

 「天龍寺の秋 2013」

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 天龍寺の大方丈越しに庭の紅葉を眺めたものです。

 望遠で庭の紅葉だけを眺めているときは見事に紅葉が色づいて見えるのですが、広角にして視野を広げていくと、暗い本堂内が映り込み、自動露出のため、庭の紅葉は露出オーバーとなって紅葉が白く飛んでしまいます。

 当然、元々の動画(未公開)はそのように映っているのですが、それでは、人が見たときの印象とまるで違うので、ここでは、庭の紅葉を、一コマ一コマはめ込み合成して、一定した色合いで表示しています。

「観客」を裏切らないためには、こうした演出も、時には必要になるのです。

 「大河内山荘の秋 2013」

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 滴水庵の軒先の情景ですが、竹樋から落ちた水滴が、水面で跳ねる様を16駒に纏めています。YouTube動画から、途中の駒を飛ばしたので、まるで、同じ水滴を追いかけたようにも見えます。

 水滴の音が聞こえないのも、残念です。

 「秋田新幹線 こまち」

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 角館駅からの発車情景を、隣接する内陸線から撮影した動画のハイライト部分をAnimation GIFに要約したものですが、こうしてみると、この部分だけ取り出した方が、インパクトがあるようです。

 とは言え、YouTube動画はそれなりの手間を掛けていて、その苦心の成果がこのコンパクトな動画をもたらしたと言うことです。

以上

2014年6月18日 (水)

動画制作記 2013/04/29 秋田内陸線 鷹巣操車風景

Railroading in Akita 2013: Switching lines at Takanosu

YouTube動画へのリンクです。
東北の春 内陸線 鷹巣 操車 13/4/29 モバイル
東北の春 内陸線 鷹巣 操車 13/4/29

 上が、モバイル対応の426X240ドット,15fpsとワンセグ並みの小容量なので、スマホなどでも快適に見ることができます。

 下は、フルHD動画ですから、高速回線接続、大画面表示に適しています。

 東北の春を旅するとき、弘前と角館の間の移動で、秋田内陸線が、山間をゆったりと縫って走るのが好きで、ここ何年か利用しています。

 今回とりあげたのは、2013年春に、弘前から臨時快速「角館武家屋敷とさくら号」に乗ったときの動画です。

 弘前からJR鷹ノ巣駅に到着した列車が、構内で切り返して内陸線鷹巣駅に入線する手順を、最後尾の車窓から撮影したものです。とは言え、技術系の好みがないと、何の面白味もないでしょうが。

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 当方は、大昔に工学系教育を受けているので、電気屋とは言え、いろいろ、メカの動きに興味があるので、そこそこに鉄道好みなのです。

 本動画は、2013年に内陸線車窓風景を取材した素材の一部ですが、撮影一年後に見直して、鉄道のプロの堅実な仕事ぶりに感心し、ここだけ切り離して公開するものです。

 例によって、デジカメの手持ち動画なので、列車の揺れなどでぶれているのを延々と調整していて、撮りっぱなしと言うわけではありません。

 余談ですが、JRと内陸線のプラットホームは共用で、背中合わせなので、角館側に移動してから内陸線乗客を乗せて、そのまま内陸線に乗り入れすれば、10分以上の行程短縮になるのですが、そこは、いろいろ大人の事情があって、切り返しての内陸線鷹ノ巣駅乗り入れなのでしょう。

以上

2014年6月16日 (月)

動画制作記 2013/11/26 京都の秋 嵯峨野 大河内山荘

YouTube動画へのリンクです。

洛西嵯峨野 大河内山荘 滴水庵 13/11/26 モバイル

洛西嵯峨野 大河内山荘 滴水庵 13/11/26

 上が、モバイル対応の426X240ドット,15fpsとワンセグ並みの小容量なので、スマホなどでも快適に見ることができます。
 下は、フルHD動画ですから、高速回線接続、大画面表示に適しています。

Autumn in Kyoto 2013: Just water drips
 京都・嵯峨野の大河内山荘は、天龍寺の北、竹林の坂道の奥の小高い丘の上にたたずんでいます。

 晩秋には、よく手入れされた構内で、絢爛多彩な紅葉が観賞できますが、ここで紹介するのは、「滴水庵」の軒下の小空間です。

 今回は、11月下旬のある日の昼下がり、隅々までよく手入れされた庭園の50cmほどの目立たない小宇宙です。

 

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 昼過ぎの日射しが雲の切れ間から漏れて、紅葉と苔と水鉢とに注ぐという絶妙の風景ですが、竹樋から落ちてきた水滴が水面に落ち、その反動で小さな水粒が跳ね上がる眺めは、毎秒60駒撮影の動画が捉えていますが、そのままでは目にとまらないので、スロー再生しています。

Still009

 


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 最後の画面で、枠内に1/4速でスロー再生しているので、跳ね水の動きがよく見えると思いますが、これは、そこまでに上映していた画面と同じものです。

Still007

 やはり、動画でないと捉えきれない世界だと思います。

 と言うものの、しゃがみ込んで手探りの動画撮影なので、傾いたり、うねったりで、ちゃんと纏めるのに、時間と手間がかかりました。音声は、当日の収録音ですが、背後の観光客の声などを消し、そこそこに整音しています。

以上

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