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2014年8月

2014年8月31日 (日)

28. 俾彌呼考 (倭人余譚)

 「考」と言っても、別に大層なものではありません。

 「俾彌呼」は、魏志倭人傳でなく、三國志魏書齊王紀四年の記事によるものです。

  • 齊王紀:   

 四年春正月,帝加元服,賜羣臣各有差。
 夏四月乙卯,立皇后甄氏,大赦。
 五月朔,日有蝕之,旣。
 秋七月,詔祀故大司馬曹真、曹休、征南大將軍夏侯尚、太常桓階、司空陳羣、太傅鍾繇、車騎將軍張郃、左將軍徐晃、前將軍張遼、右將軍樂進、太尉華歆、司徒王朗、驃騎將軍曹洪、征西將軍夏侯淵、後將軍朱靈、文聘、執金吾臧霸、破虜將軍李典、立義將軍龐德、武猛校尉典韋於太祖廟庭。
 冬十二月,倭國女王俾彌呼遣使奉獻。

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 ここでは、中國哲學書電子化計劃のサイトから、原文テキストと欽定四庫全書版の魏志巻四から見開き二ページ分の影印を、謝意と共に引用しています。

  • 皇帝元服立后

 この年正月早々に魏朝皇帝曹芳は元服し、四月には皇后を立てるというめでたい年であり、慶賀して大赦した後、七月には詔して、魏朝創業の太祖曹操を補佐した顔ぶれの19人の重臣たちを太祖廟に祀るという節目の年でもあったのです。余談ですが、合祀されたのは、曹真、曹休、夏侯尚、桓階、陳羣、鐘繇、張邰、徐晃、張遼、樂進、華歆、王朗、曹洪、夏侯淵、朱霊、臧覇、李典、龐徳、典韋と綺羅星のごとき建国の元勲であり、三国志(演義)読者には、なじみ深い名前があると思います。
 してみると、この年、正始四年の倭國女王俾彌呼の遣使奉獻は、皇帝元服、立后の慶賀として、各国で唯一特記されているのでしょうが、それにしては、ちょっと遅くなったものです。
 なお、この際の皇帝は、後に廃立され「*帝」と称する諡号を受けなかったため、定説では、皇帝在位中も、即位前の称号を以て斎王と呼ばれていますが、小論筆者は、定説に逆らって、在位中の事項では、呼び方を「魏帝曹芳」としています。

  • 正字と通字

 状況紹介が長くなりましたが、正史の本紀には、倭國女王の姓名は、(自称)俾彌呼であったと書かれています。古田武彦氏によると、このような時は魏書(魏志)本文である齊王紀の文字が正字であり、倭人傳のような「傳」では旁だけの「略字」にすることがあるそうです。
 ただし、略字とは、小論筆者の言い方であって、史官が字の画数を減らして横着をしているわけではなく、格式の求められる文書以外では、代用字(通字)として認められている字で書くという通則があるようです。
 よって、魏志倭人傳の女王は、齊王紀に従い人偏のある俾彌呼が正しいのです。

  • 佳字選択

 つらつら考えるに、倭國女王が国書に自署する時、倭國語の発音をなぞって字を選んだとしても、ことさら、「卑」と卑下しないはずです。さらにいうならば、後続の二字が「爾乎」でないように、女王の自署として、それぞれ偏旁を備えた格式ある漢字としたと考えるのが、自然な成り行きのように思います。

 説文解字によれば、俾の解字は、「益(ま)すなり、人に従ひ、卑を聲とす」であり、旁の「卑」は発音を示し、漢字としては、益すとか従うという意味であることから、晋朝に遣使する東夷の女王として考えると、俾はその教養と品格を示すものであり、むしろ好ましい文字であると考えます。決して、「卑字」ではないのです。

  • 発音憶測

 なお、旁で発音を示すという考え方で字を選んだと見ると、続く二字の発音はなのでこれは「ニカ」なのかなとも思います。
 結局、「俾彌呼」は、「ヒニカ」なのでしょうか。
 まあ、この辺りは、根拠の乏しい素人考えの積み重ねの極みなので、見当が外れてしまったかとも思いますが。

以上

2014年8月30日 (土)

27. 国書雑感 (倭人余譚)

*おことわり
 ここに掲示したのは、東京国立博物館(以下、東博)所蔵の朝鮮国国書です。
 小論筆者が、2014/8/22に撮影したものです。
 東博展示物の撮影ですが、国書左端の天井灯の反射と右下部の撮影者の影を、修正により消していますが、国書の本体部分は無修正であることは、ここに確認いたします。反射、反映を最小にする角度から撮影したために、遠近法によるひずみが発生したことから、矩形に見えるように補正したこともご了解いただきたいものです。
 なお、博物館展示物撮影のルールに従い、補助光は使っていないことを宣言します。

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 さて、倭人傳談義に、一千二百年余り後代の資料が何の参考になるかと言われそうですが、国書の用紙・体裁は、中国を宗主国とする韓半島歴代王朝が確固として守り続けたものであり、三国志時代の国書の用紙・体裁を保っている面が多いと考えるからです。

  •  体裁談義

 まず自身の王号に続く空白部に自署しているようです。国書中でここは自署したと思われ、臣下の者が、国書に於いて、国王の実名を代書することはないと思われますからです。
 続いて、相手方の尊称を書くものです。
 ここでは、建前上、日本側の君主である徳川将軍を「大君」と呼んでいます。いずれにしろ、相手方の諱は書かないものです。
 以下、本文を記し、最後に、署名・押印しています。

 ここでは、微妙な関係にある日本国大君に対する国書であるので、朝鮮国王の私印を押していますが、もし、明朝工程に対する国書であれば、国王署名に印を押したでしょう。
 三世紀に立ち戻るとして、後漢から下賜された「漢委奴國王」印は、押印用とは凹凸が反転していますが、時代を下った三世紀当時、少なくとも、押印用の国王印が作成されていて、紙に書いた国書に押印することは、国書として当然の体裁とされていたと思われます。

 してみると、晋朝から下賜された親魏倭王印も、押印用のものであったと推定されます。
 当国書を作成した朝鮮国は、明朝を宗主国とする以上、その年号として、明朝元号に従う「崇禎十六年二月」を記しています。
 当然ながら、三世紀の遣使に際して、国書に記載されたのは、晋の元号である「景初」でしょう。
 ただし、何年、何月の部分は、洛陽到着の時点まで空けておいたでしょう。

  • 針先か剣先か

 文書の体裁を保つために、用紙に針を打って行頭の目印としているとの所見です。
 痕跡が三角穴にみえることから、短剣の先端かと見ていますが、短剣では、差しっぱなしにできないので、やはり針を立てたのでしょう。
 厚く硬い紙に確実に差すために、針の先端を三角形に鍛えたものでしょう。
 これが、官吏たちによって日常使われる文書用紙であれば、罫紙を敷いて透かしながら書くのでしょうが、国書用紙は透けないので、こうするしかないのです。もちろん、1カ所の針穴だけで、全体の体裁を確実に守れるのは、当然ながら書官の腕のさえです。

  • 国書の代書、代作

 国王自署、国王印捺印の国書ですから、一部にある代書、代作説は、成り立たないでしょう。つまり、帯方郡、ないし、洛陽で、国書を代書、代作して提出することには、白紙に、国王自署、国王印捺印した、いわば「白紙手形」を持ち込む必要があり、さすがにあり得ない事態でしょう。そこまで無理に言い立てて、渡来漢人が、倭國の政権に参画していたことを否定する意味が理解できないのです。

  • 文書外交事始め

 ましてや、東夷の無名の國が、国書と手土産以外に、身上書(倭國の所在地、交通アクセス、人口、特産物などを書いたもの)、晋朝に対する忠誠を確約する人質など、新規のご奉公にふさわしい格別の「誠意」を示さなければ、いきなり、「制詔」とともに「親魏倭王」の金印やそれに見合った下賜物を授かることなどなかったでしょう。

 古代から、東夷の國といえども、中国に対しては、周到な文書外交が必須だったのです。

  • 用紙談義

 当該国書は、楮繊維を漉いた上に、打紙加工した強靱な白紙です。

 古代以来、韓半島や日本列島の九州、中国、四国などの山地には、楮が自生していたはずですが、素材である楮を伐採してから繊維を紙に漉き上げるまでには、念の入った製紙工程が必要であり、いずれかの先進地から、製紙工程をつぶさに指導できる製紙職人たちが渡来したのでしょう。
 また、山野に豊富に自生している楮を素材とするため、人手を投入すれば、それだけ生産量を拡大できることから、後世風の手工業化が進み、古代紙は、廉価で潤沢であったものと思われます。
 ちなみに、後漢時代に蔡倫によって実用化された「蔡侯紙」は、綿など衣類に使用された植物繊維を漉き上げたもので、これと比較して、楮繊維によって漉き上げた紙は、薄く、白く、強靱な点で優れているものです。

  • 鉄紙国家

 私見によれば、三世紀以降、急速に進展する韓半島中南部の諸韓国の百済、新羅それぞれへの統一や日本国内での古代国家形成の萌芽は、鉄製農機具の普及と併せて、こうした楮紙の大量普及がもたらした文書国家への「文明開化」によると思われますが、余り、同意は得られていないようです。

  • 参考資料

 下記資料は、ここに掲示した朝鮮国国書を含めた江戸時代の朝鮮国国書史料について、詳細な分析が加えられていて、大いに勉強になるものです。
-引用-------------
*この論文は共同研究による討議を経ていないものです。
         朝鮮国書・書契の原本データ*
-付記-------------
 当資料の公開者は、
 タ シロ カズイ
 田代 和生氏です。(女性ですが氏としました)
  歴史学者。専門は近世の日朝関係史。
  慶應義塾大学文学部教授
-引用-------------
四、料紙の科学的データ検出について
-付記-------------
 当部分の担当は、
  東京国立博物館文化財部保存修復課保存修復室長
   高橋 裕次氏です。
 (調査期間 2003/6-2004/7)
-引用-------------
国書 8 崇禎十六年二月 日 朝鮮国王国書 1643 東京国立博物館
 顕微鏡で本誌の繊維の組成を見ると、楮繊維の絡まり方に重なりがほとんど無い。また密度は
 0.95で、打紙加工が施されていることがわかる。糸目間隔は2cm、簀目は20本/3cmであるが、
 透過光では簀目はほとんどみえない。文字の頭を揃えるための針穴があり、顕微鏡で観察する
 と、痕跡は三角形であるから、小刀の先端による穴の可能性もあるが、とりあえず以下、「針穴」
 とする。
----------------

 

2014年8月29日 (金)

今日の躓き石 「セットアッパ」でなく「セットアップ」

 スポーツの報道を担当するテレビや新聞のマスメディア関係者は、概して、言葉尻を端折りがちであり、また、言葉の選び方が粗雑なのだが、放送や新聞記事で、その言葉遣いを多くの読者が目にするので、「よい子」がまねをして、蔓延するのが心配である。

 その代表例が、野球用語のつもりで使っているらしい「セットアッパ」(Setto-appa)である。概して、英語の単語はpaで終わるものではないので、ラテン系の訛り言葉だと思われるが、MLB(米・大リーグ)やNPB(日・プロ野球)の放送で、時折聞かれる(依存症がいる)のが、何とも耳障りである。

 この点、放送用語に無頓着で、平然と「同級生」など「誤語」(小論筆者の勝手な造語である)を使う民放と異なり、NHKは、公共放送の社会的責任から、例えば、「セットアッパ」とは言わないようにルール化しているようだが、それても、無頓着な解説者が、生放送でぼろぼろ口走るのは止められないようである。

 英語に慣れてない人は、"setupper"?と言う英単語があると思うようだが、中学(高校??)生時代に、英語では、動詞の後にerをつけて何かする人と言うことがある、と習ったのを忘れているようである。
 ”set up”と言うとき、setが動詞でありupは前置詞なので、upにerをつけるのは、野球のバッターがフォアボールで出塁するときに三塁に行くようなものであり、明らかなルール違反である。

 遙か昔、長嶋茂雄氏が現役の頃、「サードを守るから、長嶋サーダー」という漫才ギャグがあって、観客の爆笑を誘っていたのをうっすらと思い出す。
 随分以前から、何でもかんでもerをくっつけるのでなく「サードを守るのは、サード」など、手短に言う「知恵」があったのだ。

 してみると、「セットアップするのは、セットアップ」と呼ぶのが、賢明と思う。英語のルールにも違反していないので、「セットアップマン」など、お行儀はいいかもしれないが、早口で言いにくい表現よりましである。

 公共放送でなくても、放送や新聞で報道される「言葉」は、広く伝わり、大きな影響を残すのである。(適正な校正機能の備わっていないネット媒体は、社会的信用がないから、その限りではないのだろうか、と言う疑問は残る) 
 プロ野球投手が面白がって、気軽に使い始めた「リベンジ」と言う言葉が、交際相手の画像や動画を、別離の後でネットに晒す行為を正当化する言葉に悪用されているのが、めざましい例である。(時代劇で言えば「天罰」、「天誅」であり、こうした自分勝手な加害者の呼び方に、マスコミが、安易に荷担するのはどんなものか)

 今や、その悪意が野球選手の用語にまで遡って、事ごとに暗い影を投げかけているのである。

以上 

今日の躓き石 「今世紀最高のピアニスト」

 常套句の安易な使い回しは、時として、滑稽で収まらないものがある。

 最近の毎日新聞の文化欄コラムに、マルタ・アルゲリッチが、「今世紀最高のピアニストとも評される」と風評めいた書き方で紹介されていて、大きく躓いてしまった。
 コラムニストも、ちょっと考えれば、常套句の不都合に気づいたはずである。「とも」と言うからには、他の言い回しも聞いているはずなのだが、よりによって、どこで目にしたのか、現時点では、分野、業界を問わず不適当と決まっている常套句を採用したのが、コラムニストの不幸の始まりである。

 今世紀は、始まってまだ1/5も経っていないから、この時点で今世紀最高というのは、褒め言葉にも何もなっていない。もう70年くらい経って、今世紀の決算が見えてきた頃に言うべきものであるが、コラムニストはどうか知らないが、話題のピアニストも、小論筆者も、すでに老境にあるので、今世紀最高と呼ばれているかどうか、到底見届けることはできない勘定である。

 ピアニストは、1941年生まれで1960年にレコードデビューして以来、20世紀だけで、40年の堂々たるキャリアを刻んでいる。14年経ってない21世紀の活躍を持って、21世紀のピアニストというのは、不釣り合いというものだろう。参考までに言うと、素人集団の書いたWikipedia記事では、「現在、世界のクラシック音楽界で最も高い評価を 受けているピアニストの一人である。」と妥当きわまる表現をとっている。コラムニストは、こちらから、学ぶべきであった。

 別の常套句を転用するならば、「常套句は、無能な著作家の隠れ家である」とでも言うのだろうか。署名入りで記事を書くコラムニストは、文筆家、著作家に属する職業人である。隠れ家が、童話で言う、藁の家なのか、煉瓦の家なのか、隠れる前に確かめるくらいの分別は必要だろう。

 それにしても、天下の毎日新聞の夕刊文化欄のコラムであるので、校正段階で駄目が出なかったのが、不審である。

 当記事は、世間の一般的な風潮を諷するのが目的であり、やり玉に挙がった形の個人を攻撃するのが目的ではないので、記事は明示しない。当人が気づいて、執筆姿勢を改めていただければ、小論筆者にとって幸いである。

以上

2014年8月27日 (水)

タブレットPCだより 5(Voyo Winpad A1 Mini 32GB)

                                  2014/8/28
 以下は、Voyo Winpad A1 Miniだから気になるというわけでは無いのですが、ご参考まで。
 手短に言うと、チャームバーが邪魔なのです。(unpleasant and obtrusive charm bar)
 タブレットPCでメモ書きしていて、画面端付近のキーボードを「探った」とき、スワイプ操作と誤解して、お呼びでないチャームバーが出てくるのが、何とも邪魔なのです。
 デスクトップアプリケーションの画面キーボード操作で、キーボード右端に近い BackSpace, Delなどのキーに指が行ったときの問題です。
 思うに、タブレットPCのケースが、タブレットを包み込む形式の時、画面端近くで指がケースに当たって、端的にキーを押すことができず、その辺りを探ることがあります。そんな「もたついた」動きをスワイプ操作と誤解されるのでしょう。
 突如、画面右から想定外のチャームバーが登場し、集中しているキーボード入力が中断するのです。
 回復操作として、出てきたチャームバーを消して、デスクトップアプリケーションに戻るのも、書き留めていた思考が中断して不満なのです。(brutally interrupted idea stream)
 それに加えて、運が悪いと、漢字変換していない状態でチャームバーが登場し、その際に未確定の文字が確定してしまうことがあります。
 確定されてしまった未確定文字は、旅先のタブレットPC操作では、なかなか簡単に復旧できないので、そのままにしておいて、先に進むことにしていますが、見る度に不愉快になります。 (frustrated reminder of upset inputs) 因みに、常用しているメモ書きアプリには、再変換機能は付いていないのです。
 こうしたときに頼りにしている「マイクロソフトコミュニティ」に同趣旨の投稿があって、フォーラムモデレーターが、いろいろな技術資料を検討したものの、有効な対策はない、とのことです。
 この件の質問者は、管理者として、個々の使用者がシステム設定を容易に変更できるのは困るとの意見であり、当方とは事情が異なっています。
 当方にしてみると、チャームバーを呼び出したいときは、ちゃんと手順を踏んで呼び出すのであり、当方の手元のもたつきを見て、勝手に出てくるのは余計なお世話であり、当方の希望で停止できないのは、まことに困ったものです。(terribly uncomfortable)
 それでなくても、デスクトップアプリケーションで画面キーボードを出して入力操作しているときは、チャームバーは無用、と感じるのが順当、かつ、合理的な思考です。(completely reasonable customer desire)
 因みに、包み込み形式のケースの設計にも、若干問題があって、表示画面ぎりぎりまでケースを伸ばしているために、スレンダーなスタイラスならぬ、貫禄の付いた指が支えてしまうのであり、たとえば、画面キーボードを呼び出すタスクバー操作も不自由なので、もっと引っ込んで欲しいのですが、ともあれ、ケース設計者の意匠デザイン上のこだわりなのか、ほぼ、画面ぎりぎりの設計になっています。
 今回は、問題点の指摘だけで、解決策のない記事になってしまいました。
以上

今日の躓き石 「標準レンズ」

  • 「枕」恐るべし!
 当記事を書いた動機は、最近公開された某商用ブログの切り出し部分、枕とか掴みとか言われる部分です。
 「焦点距離50ミリ(35ミリフィルム換算)というのは、人間の視野角にもっとも近いと言われている、いわゆる標準の画角。
 多分、ぞろりと何処かからコピーペースとした常套句なのでしょうが、随分いい加減な言い回しになっているのに、気づかなかったのでしょうか。まあ、自分で入力すれば、一度自分の目で読み取るので、その時に批判力が働くでしょうが、一発貼り付けだと、目が届かないのでしょう。
 しかし、大量の類似記事を流し読みする通行人の関心を捉えようとするなら、「枕」の部分が命です。枕が、陳腐で生煮えだと、通行人は失望して次の記事に移ります。
 小論のように、素人の非商用ブログは、最後まで読んでもらえなくても、どうと言うことはないのですが、商用ブログの枕が粗雑なのは、一大事と思います。
  • 35ミリフィルム換算?
 「35ミリフィルム換算」は、はっきりした根拠のない言い回しです。まずは、レンズの焦点距離をフィルムに換算できるのかと、いきなり躓いています。
 多分、縦方向に送って、フィルムの幅方向を横とした映画撮影用のフィルムを横方向に送って、フィルムの幅方向を縦にして映画の倍サイズ画面を静止画撮影に使用することを創始した「ライカ」(商標 以下略)の画面構成を基準にしているのでしょうが、自分の記事内で決まりの付かない表現は、無責任でしょう。
  • リーダーシップ待望!
 イメージセンサのサイズが多数混在する現代のカメラ市場で、この手の言い回しが乱れているのは、拘束力のある業界基準が無いからなのでしょう。
 そのため、カメラ本体にレンズ視野角を知ることのできる指標が表示されていないのは、売られている製品の性能が明示されていないということです。
 国内企業に限っても、最古参メーカーは終戦直後からカメラメーカーとして事業を展開し、かれこれ70年におよぶ堂々たる歴史を持っています。業界リーダーとして、何かしていただかないとまずいのではないでしょうか。
 小論筆者は、L28,L50,L135など、Lを頭書した統一表記にして、「35ミリフィルム換算」などの曖昧さは、死語として欲しい物です。
 「L**とは、イメージセンサー**mm x **mmに換算したレンズ焦点距離を示すものです。当カメラの装備するレンズの焦点距離をしめすものではないので、ミリ表示していません。
  • レンズの視野角
 それにしても、当記事が振りかざす「人間の視野角」とは、何なのでしょうか。
 普通、健康人の視野角は、左右百八十度近くに及んでいます。また、意識されている「視野角」は、意識の集中度合いで変化するものであり、広々とした景色を見ているときは、大変広い視野が意識されているものであり、一方、細かい物に意識を集中しているときは、随分、狭い視野が意識されているように思います。とても、一つの数字で表すことはできないように思います。
  • 標準レンズ創世
 思うに、五十ミリというのは、ライカシリーズのカメラを商品化したとき、当時のレンズ設計、生産技術で、明るいレンズが作りやすい焦点距離だった、と言うことでは無いでしょうか。
 ごく最近まで、静止画の写真は、せいぜいサービス版止まりの比較的小さなサイズに焼き付けて手元で見るので、人の視野角を比較的狭く切り取った50mmの画角が好まれたのでしょう。
  • 標準レンズ変貌
 今や、写真は大きなサイズで表示して近づいて見ることが多いので、当時に比べて、広い画角が好まれることになったのでしょう。
  • 標準レンズ視野角?
 それにしても、当該記事はそこまで科学的めいた言いまわしながら、記事内にL50の視野角を明示していないのも、相当暢気な話です。
 もっとも、視野角を対角線で計測するとしても、16:9, 4:3, 3:2, 1:1の画面比で視野角に対する印象が異なってくるのです。
  • 人間の視野角
 と言うように、人間の視野角は、様々の要因で多様に変化するものであり、従って、人間の視野角にふさわしい視野角を持つレンズは、焦点を保ちながら連続的に視野角を変化させられるズームレンズ(例: L24-L300)と言うことになります。
  • ファインダーを見る?
 枕の後半には、「ファインダーを見る前に頭に浮かんだ」イメージをそのままに、思い描いた写真が撮りやすいレンズという超自然現象的な言い回しが出てきます。
 「ファインダーを見る」という崩れた常套句は別として、このように、自分の目で見ている「風景」が標準レンズの視野角で切り取って感じ取れるのは、相当標準レンズに慣れた、というか慣らされたカメラマンの思考形態であり、本末転倒の議論と言うべきでしょう。
  • 新時代の旧表現
 以上は、特定の記事の筆者の責任では無く、こうした使い古した、現代の実相にそぐわない常套句を長年にわたって使い回している業界各位に共通した「躓きの石」と思うので、対象記事を明示しないことにしました。
  • やせ我慢の時代
 いや、これは、全くの一個人の感慨を記した私見ですが、(銀塩)フィルム時代は、やせ我慢の時代であったように思います。
 写真撮影を趣味としていた普通人、大抵は、就職し立ての若者の使える資金でできたは、まことに限られた機材、素材での撮影だったのです。
 レンズ交換できるカメラにはなかなか手が届かず、何とかカメラ本体を買ったとしても、ズームレンズの価格がまだまだこなれていなかったので、数少ない単焦点レンズを使いこなすしかなかったのです。
 モータードライブなどの連写機材は思いも付かず、流れる時間の一瞬を鋭く切り取る一発撮影しかできなかったのです。
 カラーネガフィルム撮影は、高価な上に自動処理で自分なりの表現ができないので、廉価で自由な表現のできるモノクロに集中するしかなかったのです。
 色々制約される事情があり、やせ我慢を通していたのですが、ある意味、こうしたやせ我慢の時代の厳しい修行が、今日、指導的な立場にあるカメラマンを鍛えあげたのでしょう。
  • 飽食の時代
 今日、普通の人が撮影するのは自分の経験・見聞を、身近の人と共有したいから、見たり聞いたりしたままに記録したいのであって、「鍛えられたくない」のに、昔ながらの根拠不明のやせ我慢を強いるのは、どんなものでしょう。
  • 新やせ我慢の時代
 (超)広角から(超)望遠まで、コンパクトなカメラで撮影できて、何百枚と撮り続けることのできる「飽食」の時代だからこそ、自分で自分に制約を課す「新やせ我慢」のすすめがあるのでしょう。
  • 他人の枕、恐るべし
 ここで例示された「枕」は、使い古された常套句で読者をつり込もうとする手口なのでしょうが、わずか数行といえども、自分の言葉として消化せずに、丸投げするような扱いをすると、読者の信頼を失う物なのです。
以上

今日の躓き石 「標準レンズ」

  • 「枕」恐るべし!
 当記事を書いた動機は、最近公開された某商用ブログの切り出し部分、枕とか掴みとか言われる部分です。
 「焦点距離50ミリ(35ミリフィルム換算)というのは、人間の視野角にもっとも近いと言われている、いわゆる標準の画角。
 多分、ぞろりと何処かからコピーペースとした常套句なのでしょうが、随分いい加減な言い回しになっているのに、気づかなかったのでしょうか。まあ、自分で入力すれば、一度自分の目で読み取るので、その時に批判力が働くでしょうが、一発貼り付けだと、目が届かないのでしょう。
 しかし、大量の類似記事を流し読みする通行人の関心を捉えようとするなら、「枕」の部分が命です。枕が、陳腐で生煮えだと、通行人は失望して次の記事に移ります。
 小論のように、素人の非商用ブログは、最後まで読んでもらえなくても、どうと言うことはないのですが、商用ブログの枕が粗雑なのは、一大事と思います。
  • 35ミリフィルム換算?
 「35ミリフィルム換算」は、はっきりした根拠のない言い回しです。まずは、レンズの焦点距離をフィルムに換算できるのかと、いきなり躓いています。
 多分、縦方向に送って、フィルムの幅方向を横とした映画撮影用のフィルムを横方向に送って、フィルムの幅方向を縦にして映画の倍サイズ画面を静止画撮影に使用することを創始した「ライカ」(商標 以下略)の画面構成を基準にしているのでしょうが、自分の記事内で決まりの付かない表現は、無責任でしょう。
  • リーダーシップ待望!
 イメージセンサのサイズが多数混在する現代のカメラ市場で、この手の言い回しが乱れているのは、拘束力のある業界基準が無いからなのでしょう。
 そのため、カメラ本体にレンズ視野角を知ることのできる指標が表示されていないのは、売られている製品の性能が明示されていないということです。
 国内企業に限っても、最古参メーカーは終戦直後からカメラメーカーとして事業を展開し、かれこれ70年におよぶ堂々たる歴史を持っています。業界リーダーとして、何かしていただかないとまずいのではないでしょうか。
 小論筆者は、L28,L50,L135など、Lを頭書した統一表記にして、「35ミリフィルム換算」などの曖昧さは、死語として欲しい物です。
 「L**とは、イメージセンサー**mm x **mmに換算したレンズ焦点距離を示すものです。当カメラの装備するレンズの焦点距離をしめすものではないので、ミリ表示していません。
  • レンズの視野角
 それにしても、当記事が振りかざす「人間の視野角」とは、何なのでしょうか。
 普通、健康人の視野角は、左右百八十度近くに及んでいます。また、意識されている「視野角」は、意識の集中度合いで変化するものであり、広々とした景色を見ているときは、大変広い視野が意識されているものであり、一方、細かい物に意識を集中しているときは、随分、狭い視野が意識されているように思います。とても、一つの数字で表すことはできないように思います。
  • 標準レンズ創世
 思うに、五十ミリというのは、ライカシリーズのカメラを商品化したとき、当時のレンズ設計、生産技術で、明るいレンズが作りやすい焦点距離だった、と言うことでは無いでしょうか。
 ごく最近まで、静止画の写真は、せいぜいサービス版止まりの比較的小さなサイズに焼き付けて手元で見るので、人の視野角を比較的狭く切り取った50mmの画角が好まれたのでしょう。
  • 標準レンズ変貌
 今や、写真は大きなサイズで表示して近づいて見ることが多いので、当時に比べて、広い画角が好まれることになったのでしょう。
  • 標準レンズ視野角?
 それにしても、当該記事はそこまで科学的めいた言いまわしながら、記事内にL50の視野角を明示していないのも、相当暢気な話です。
 もっとも、視野角を対角線で計測するとしても、16:9, 4:3, 3:2, 1:1の画面比で視野角に対する印象が異なってくるのです。
  • 人間の視野角
 と言うように、人間の視野角は、様々の要因で多様に変化するものであり、従って、人間の視野角にふさわしい視野角を持つレンズは、焦点を保ちながら連続的に視野角を変化させられるズームレンズ(例: L24-L300)と言うことになります。
  • ファインダーを見る?
 枕の後半には、「ファインダーを見る前に頭に浮かんだ」イメージをそのままに、思い描いた写真が撮りやすいレンズという超自然現象的な言い回しが出てきます。
 「ファインダーを見る」という崩れた常套句は別として、このように、自分の目で見ている「風景」が標準レンズの視野角で切り取って感じ取れるのは、相当標準レンズに慣れた、というか慣らされたカメラマンの思考形態であり、本末転倒の議論と言うべきでしょう。
  • 新時代の旧表現
 以上は、特定の記事の筆者の責任では無く、こうした使い古した、現代の実相にそぐわない常套句を長年にわたって使い回している業界各位に共通した「躓きの石」と思うので、対象記事を明示しないことにしました。
  • やせ我慢の時代
 いや、これは、全くの一個人の感慨を記した私見ですが、(銀塩)フィルム時代は、やせ我慢の時代であったように思います。
 写真撮影を趣味としていた普通人、大抵は、就職し立ての若者の使える資金でできたは、まことに限られた機材、素材での撮影だったのです。
 レンズ交換できるカメラにはなかなか手が届かず、何とかカメラ本体を買ったとしても、ズームレンズの価格がまだまだこなれていなかったので、数少ない単焦点レンズを使いこなすしかなかったのです。
 モータードライブなどの連写機材は思いも付かず、流れる時間の一瞬を鋭く切り取る一発撮影しかできなかったのです。
 カラーネガフィルム撮影は、高価な上に自動処理で自分なりの表現ができないので、廉価で自由な表現のできるモノクロに集中するしかなかったのです。
 色々制約される事情があり、やせ我慢を通していたのですが、ある意味、こうしたやせ我慢の時代の厳しい修行が、今日、指導的な立場にあるカメラマンを鍛えあげたのでしょう。
  • 飽食の時代
 今日、普通の人が撮影するのは自分の経験・見聞を、身近の人と共有したいから、見たり聞いたりしたままに記録したいのであって、「鍛えられたくない」のに、昔ながらの根拠不明のやせ我慢を強いるのは、どんなものでしょう。
  • 新やせ我慢の時代
 (超)広角から(超)望遠まで、コンパクトなカメラで撮影できて、何百枚と撮り続けることのできる「飽食」の時代だからこそ、自分で自分に制約を課す「新やせ我慢」のすすめがあるのでしょう。
  • 他人の枕、恐るべし
 ここで例示された「枕」は、使い古された常套句で読者をつり込もうとする手口なのでしょうが、わずか数行といえども、自分の言葉として消化せずに、丸投げするような扱いをすると、読者の信頼を失う物なのです。
以上

2014年8月25日 (月)

近江、遠江 - 古代史雑感

 日本では、何の気無く淡水湖に「」の字を当てていますが、古代中国語で、「江」と言えば、北の「河」、「河水」とも呼ばれた黄河と対比される、南の「江水」、今日の中国語で言えば長江のことです。
 そうそう、古代は、支流を呼ぶときも含めて、河川を「水」と呼んでいたのです。

 遠い昔、日本から中国に旅した誰かが、大海に通じる長江下流の揚子江と呼ばれる江水を眺めて、あれは何かと現地の人に聞いて、「江」と書かれた文字を持ち帰ったもののように思います。
 日本から訪れた旅人には、向こう岸が霞むほどの壮大な広がりが、海に通じる淡水の「湖」と見えたのでしょう。

 してみると、淡水湖である琵琶湖に「江」の漢字を当てたのは、中国南北朝時代に、江水に佇む南朝の都建康に遣わされた倭王の使節だったのでしょうか。
 よく考えると、琵琶湖は、海に続く江水とは違って、海を遠く離れた山中の湖水なのですが、何とかなぞらえたのでしょう。

 後に、東方遙かの海辺に淡水の浜名湖を発見した時に、琵琶湖を近い「江」、浜名湖を遠い「江」と言い分けたのは、おそらく、今日の近畿圏から見たものでしょう。

 因みに、浜名湖が遠州灘の海水と通じるようになったのは、「遠江」と名付けられた時代からみて、遙か後世の西暦1498年のことなので、古代には海に通じた淡水湖である「江」ではなかったのですが、何とかなぞらえたのでしょう。

 地名に使われた文字は、遠い歴史の彼方の人の思いを伝えてくれるものです。

以上

2014年8月18日 (月)

タブレットPCだより 4(Voyo Winpad A1 Mini 32GB)

                                  2014/8/17

ここまでの個人的な利用感想

 以下は、個人の感想であり、当製品の効果、効用を保証しているものではありません。

 以下は、Voyo Winpad A1 Miniを批判するために書き出したのでは無いのですが、ご参考まで列記します。

  Windowsのアプリケーションは、大型(14型)、低解像度(640x480)のディスプレイを40センチメートル程度離れてみるように構成されているものです。

 近年は、さらに大型(21型)、さらに高解像度(1920x1080)に表示が拡大されたものの、依然として、当初の低解像度で拵えた大まかな表示を、画面サイズ相応に細かくしていったものです。
 さらに、項目の選択、クリックによる指示などに使用するマウスが解像度を高めていったので、きめの細かい画面作りになっています。
 デスクトップPCの本物のディスプレイモニターに本物のキーボードと本物のマウスを組み合わせたときには、史上空前の、高速、高度な情報処理が可能なのです。

 タブレットPCの画面は、一時を思えば、随分高精細度になって、10型程度の小さな画面で高解像度表示ができるものもありますが、以前から使用されているアプリケーションが、比較的小さな画面に、時に読むに堪えないほど、細かく表示されることに変わりはないのです。

 なお、「歩きタブレット」は、自身や他人に及ぼす危険からして論外としても、静止状態で操作しても、タブレットPCの画面タッチ処理に要求される精度は、普通人の手先、指先の動きの制御の限界を越えるものがあるため、デスクトップPCに合わせて開発されたアプリケーションを、画面解像度に合わせて縮小するだけでは、情報読取りも入力も、大変難しいもの(実際上不可能)になります。

 従って、従来のアプリケーション開発とは異なり、目の前の小さな画面に使用者が読み取れるように表示し、使用者の大まかな操作を受け入れるのに適した、言うならば、大まかな表示を行うアプリケーションが求められています。

 と言って、そうしたプログラム画面の構成法は、Androidタブレットで台頭してきたものであり、マイクロソフト社は、Windows8で「メトロアプリ」、「ストアアプリ」としてタブレットに適したアプリケーションを推進しています。

 これらの新世代アプリの画面構成、操作方法(ユーザインターフェイス)が、アンドロイドに代表される新世代モバイルアプリのそれに似ているところが多いのは、いわば、多様な使用者のおそらく大多数を占める使用者層の必要(ユーザーニーズ)に合わせたものであり、これからも、そうした変化の傾向(トレンド)は続くでしょう。

 車社会のアメリカと電車移動を多用する日本では、持ち運びできるタブレットPCに差があって、10型以上を多用するアメリカと7、8型が多い日本とが並び立っている次第です。筆者は、電車派なので、10型には、なかなか手が出せない次第です。

 筆者は、20年近くの間、七並べプログラムの開発、改良を、こつこつ進めているのですが、タブレットの画面に表示されたとき、読書用の眼鏡をかけても細かい部分が見えにくく、また、指先でのタッチ操作で的を外すのに閉口している次第です。

 時代は、それほどめまぐるしく変動しているわけでは無いのですが、万事片手間の素人プログラマーのこなしきれない程度のスピードではあります。

 というものの、電池の持ちが格段に長く、また、USB電源(DC5V-0.5A)充電ができる程度に消費電力が抑えられていることは、随分めざましいものであり、また、液晶画面の鮮やかなことは、時代の進歩を実感させてくれるものです。

 総合評価として、Voyoは、いい潮時に新製品をデビューさせたものであり、少し先行したAcer, Lenovoなど、一流メーカーに、いろいろ後れを取っている点はあるとしても、それは、周回遅れとか、半周遅れとか言うほどのものではなく、コストを考えれば、トップランナーの背中が視界に入っている程度の差では無いかと感じます。

以上

タブレットPCだより 3(Voyo Winpad A1 Mini 32GB)

                                     2014/8/12-16

海外版Windows Tabletの日本語キーボードレイアウト対応

 海外仕様のWindows8/8.1タブレットに日本語言語パックを導入して、日本語対応したとき、MS IMEなどでかな入力変換したいのに、画面キーボードとして英語キーボードが表示され、かな表記の入ったのでキーボードが表示されないときの対策です。

 

 この問題も、数日にわたって模索したのですが、最後の最後にネット検索に正解がヒットしたものです。

 この対応策は、レジストリーエディターを使って、レジストリーのキーボード定義を修正しますが、レジストリーエディターには、誤記チェック等の安全装置はありませんので、くれぐれもご注意ください。
 *言うまでも無いことですが、手順を間違えて「瓦」(スレート)になっても、筆者にも、紹介した記事の著者にも、補償することはできません。念のため。

 なお、今回のレジストリー修正は、Windowsの起動時に参照されるので、一旦、レジストリーエディターを終了しても、まだやり直しが効きます。誤入力が心配なら、しばらく時間をおいてから、レジストリーエディターを開始して、修正部分を再確認することができます。

 以下、元記事を引用しつつ、*で始まるコメントのように、記事の一部を修正、補充しています。

---引用始まり---
日本語キーボードを接続しているにも関わらず
英語配列になってしまっている場合の対処方法です。
※たとえばキーボードの@マークのキーを押しても 「 と表示されてしまう、等。

*本件は、タブレットPCであり、キーボードを接続しているわけでは無いの
  ですが、画面に英語キーボードしか表示されない問題の解決策でもあります。

※ここから下はレジストリを編集する操作が含まれます。

 誤った操作を行いますとパソコンが起動しないなどのトラブルが発生しますので
 レジストリの操作には十分ご注意ください。
*文字間違いを避けるには、下記記事からコピー、ペーストするのが無難です。
 また、慌てて処理を進めず、入力後、冷静になってから確認することです。

■日本語キーボードが英語配列の場合の対処方法
1.スタート画面の何もないところで右クリックして
 画面左下の「すべてのアプリ」をクリックします。

2.「ファイル名を指定して実行」をクリックします。

3.regedit と入力してOKをクリックし
レジストリーエディターを開始します
*使用するのは、「レジストリーエディター」であることを補充しました。

4.HKEY_LOCAL_MACHINE\SYSTEM\CurrentControlSet\Services\i8042prt\Parameters と開いていきます。

*タブレットの画面キーボードで操作するのは、視野が狭い上に、タッチ選択の的が小さくて難物ですから、可能であれば、外部にマウスとキーボードを接続したいものです。

5.LayerDriver JPN の値を右クリックして、修正をクリックします。

6.kbd101.dll になっている場合には、kbd106.dll に修正してOK をクリックします。

*原文は、kbf106.dllになっているので、訂正しました。
*毎度の繰り返しになりますが、「修正してOK をクリックします。」としました。

7.OverrideKeyboardIdentifier を PCAT_106KEY に修正
してOK をクリックします。

8.OverrideKeyboardSubtype を 2 に修正
してOK をクリックします。

9.OverrideKeyboardType を 7 に修正
してOK をクリックします。
*すでに7になっている場合は、修正の必要はありません。 

10.
レジストリーエディターを終了します。(ファイル保存などの手間は要りません)
*レジストリーエディターを終了することを補充しました。

11.画面右下をポイントし、メニューをだして、設定→シャットダウン→再起動させます。

---引用終わり---

 

当記事は、まことに貴重なアドバイスであり、公開いただいたことに感謝します。

 なお、ちょっと遠回りですが、周囲に日本語Windows7~8.1を導入済みのデスクトップPCがあれば、タブレットでの文字入力無しにレジストリーを修正する方法もあります。

1. そのPCで、レジストリーエディターを開始します。

2. HKEY_LOCAL_MACHINE\SYSTEM\CurrentControlSet\Services\i8042prt\Parametersの項目を開いて、必要な項目をドラッグ選択しておいて、

3. ファイル-エクスポートでエクスポート範囲が「選択された部分」になっているのを確認の上、

4. わかりやすい場所、たとえばデスクトップに、わかりやすいファイル名(例:PCKey.reg)で保存し、

5. タブレットのデスクトップ(例)にファイル(PCKey.reg)をコピーして、デスクトップ上でファイルをクリックするなり、ダブルクリックするなりすれば、

6. レジストリーエディターでレジストリーを修正することになるので、気は確かかとの趣旨の警告があります。

7. 以上の手順を振り返った上で、自信をもって、レジストリーの修正を指示すれば、デスクトップPCの日本語キーボード設定のレジストリー設定項目がそっくりコピーして書き換えられ、確認のメッセージが出ます。

 

(恐怖の)レジストリーエディターは、表だって動作するわけで無く、ひっそりと呼び出されてひっそりと終了するのです。
 随分遠回りですが、確実さを重視するときは、この迂回策も一考の価値があるものと思います。
 デスクトップ機の大きな画面で見ると、修正内容に自信が持てるでしょうから、デスクトップ機のモニター画面を眺めては、タブレットに、項目ごとに転記するのが最善策かもわかりません。
 くれぐれも、恐れず、侮らず、平静な気持ちで取り組んでください。

以下、次回

タブレットPCだより 2(Voyo Winpad A1 Mini 32GB)

                           2014/8/12-16

 

海外版Windows Tabletの日本語表示文字化け

 この症状が現れるのは、Windows Meないしは、それ以前の古手のアプリケーションだけです。

 結局、具体的な症状でのネット検索にヒットしたMicrosoft コミュニティのアドバイスが正解でした。

 *言うまでも無いことですが、手順を間違えて「瓦」(スレート)になっても、筆者にも、紹介した記事の著者にも、補償することはできません。別項の対策のように、レジストリーエディターを使用するわけでは無いので、事故る可能性は、格段に低いのですが、念のため。

 Microsoft コミュニティ  メニューバー文字の文字化け

>コントロール パネル > 日付、時刻、または数値の形式の変更 > 管理 タブ > で、「Unicode 対応ではないプログラムの言語」は「日本語 (日本)」になっているでしょうか。

 指摘の通りだったので、 [システム ロケールの変更]で [日本語 (日本)] を選択して解決しました。

 

問題の背景

 Windows XP以降で、全世界統一で、文字コード体系がUniCodeに変更されています。あくまで個人的な意見に過ぎないのですが、これは、マイクロソフト社が人類文化の進歩に貢献した最大の業績と考えています。

 それまで、各国の言語、文字への対応は、それぞれの国独特の文字表示を行っていて、日本語Windowsの(漢字など全角2バイト文字)表示は、Shift-JISコードを基本とした拡張体系を採用していたのです。

 とは言え、従来の文字データをUniCodeに変換しないと読めないのでは、使用者に大きな負担がかかるので、UniCode以前の「非UniCode文字」は、自動的にシステムロケールの言語(ここでは日本語、つまり、Shift-JISコード基本)で表示する設定が自動的に適用されていました。
 舞台裏にこうした仕掛けがあるので、日本語版Windows XPを採用したPCにWindows ME時代以前のアプリケーションを走らせても、使用者は何も気にしないで済んでいたのでした。

 とは言え、何事も完璧と言うことは無く、US English版のWindows8/8.1をインストールして設定したシステムは、UniCode以前の「非UniCode文字」を英語の文字と判断して表示する設定になっていて、その後から日本語言語パックを導入してシステムの言語を日本語に変更しても、システムから英語を削除しても、この設定が変わらないようです。

 色々、迷い道に入って2日ほど模索したあげく、当日の17時過ぎ辺りに正解に辿り着いたのです。日本語表示の問題であるから、日本語に集中して検索すべきであったと反省しています。

 回答に感謝するメールの形で、中華タブレットの日本語化に伴って発生する問題であることを告知したので、わかる人にはわかるはずです。

 とは言え、これは、海外版のWin8 PCの導入時のつまずきの一例であり、FAQものではないかと思うのです。

以下、次回

タブレットPCだより 1(Voyo Winpad A1 Mini 32GB)

                                                                                              2014/8/12-16

 Windowsを組み込んだタブレットPC(「スレートPC」とも言う)には、しばらく以前から関心を持って見守っていて、何度か、モバイル機、ネットブックなど、身を以て試していたのです。

 当方は、この手の「機械」で大きな仕事をする気は無く、電子手帳の大型判程度で良く、PalmシリーズやSony Clieシリーズで繋いでいたのですが、スマホの影響もあって、この手のMIDがすっかり影を潜めてしまったので、Androidタブレット頼みになり、中国製(華流)を渡り歩いたものの、がらくた仕様からの進歩が遅くて、なかなか気に入るだけの性能、耐久性のものが手に入らず困っていたのです。

 最近登場したWindows 8 Tablet PCは、従来不満の的であった「スレートPC」と比べて、価格がAndroid同様に低くなり、一方、そこそこの高性能、タブレット形態でのタッチ操作に合わせたWindows8/8.1の採用で、やっと、Windows CE時代が忘却の果てに消えかけてから、評価できるところまで近づいてくれた感じがします。

 そして、国内でも大々的に推進されているAcer(エイサー)、Lenovo(レノボ)など、著名なメーカー以外に、国際的に有名で無いVoyo(永佳合一)から、同クラスの製品が登場し、「秋葉」の店頭に登場したことが報道されています。

 当方は、AliExpressから中国製雑貨類の試し買いを趣味にしているので、早速、買い付けたのです。

 とは言え、これまで、Androidタブレットの試し買いで随分散財して勉強したので、この値段で、報道されている仕様、性能であれば、買うべきだと感じたのです。 

 まさか、カタツムリなみの低速郵便とは行かず、航空宅配便(UPS Expedited)にしたところ、素早く届きました。

 8月12日の到着以来、いくつかの難関に出会いましたが、幸い、それぞれ解決のヒントが見つかって、「大けが」せずに乗り越えることができ、手に馴染んでいます。

 まずは、開梱、導入です。(写真無し)
 コンパクトな梱包に手際よく詰め込まれていて、特に、問題とする点はありません。

 通電して立ち上げると、US English設定Windows 8が導入されていますが、日本語版を上書き導入する必要は無く、「言語パック」をダウンロードして導入すれば(別ライセンスの必要無しに)日本語版Windows8と同等になる、と言う触れ込みです。

 なお、メーカーなり、販売店は、US English設定で順調に動作する製品を出荷しているわけです。
 Windows 8タブレットPCは、精密で高度な電子部品を組み立てていて、いい加減な生産、検査工程では、まともに動作させられないので、量産販売している以上は、水準の高いまともな製品と見るべきものです。(カーナビやMP3プレーヤーを流用したと思われる初期のAndroidタブレットには、量産製品とは思えない粗雑なものがありました)

 不都合なことが起こるとしたら、日本語化の過程で発生すると見て、取り組んだのです。

 内蔵Wifiは、いわゆる「技適」を取っていないので、実際に使用する事はできないことは、周知ですが、製品としての動作確認のために、内蔵WiFiでのLAN接続動作をテストしました。
 ところが、実際には、楽勝のはずの無線LAN接続に失敗してばかりでした。
 しかたなく、買い置きしてあったOTG-USBアダプター経由で、USBWifi子機(Planex GW450C)を接続すると、問題なくデバイスとして導入され、一発で自宅の無線LANに接続できました。
 再起動したところ内蔵Wifiが順当に動作したので、ハードウェアには問題なしと言うことです。何故当初接続できなかったかは、よくわからないので、記録にとどめるだけにしました。

 これで、日本語言語パックの導入や設定ができた(時間がかかった)のです。

 それにしても、タブレットの回転に同期して、きびきびと画面表示切替えされるのは心地よいものです。また、無線LANの立ち上がりが確実で、迅速です。これは、同程度の価格の最新Androidタブレットを上回っています。
 その後、Windows Updateが延々と続きました。

 本機は、USB経由とは別に同梱のACアダプターで充電することもできるので、長時間(徹夜)のデータダウンロードも、電池切れの心配が要らないのです。

 そうそう、こうした大量データ転送には、ジャンクになりかけていたUSB-LANがまことに有効でした。

 以下は、メーカーホームページの記事に、国内での紹介記事から補足を加えたものです。
    ブランド名: Voyo    型名: WinPad A1 mini
    CPU:         インテル Clover Trail+ 1.8GHz (Atom Z3735D)
    画面サイズ:       8.0型  1280x800
    搭載OS: Windows 8.1 (英文版)
    メモリー容量: 2GB     内蔵ディスク:  32GB    外部記憶: マイクロSD
    接続端子: マイクロUSB,ミニHDMI 
   ネットワーク: WIFI   ブルートゥース: 4.0
    カメラ:  前方200万画素、 後方200万画素

*外形寸法は書かれていませんが、Acer Iconia W4-820に比べると、液晶画面(同寸法)の外にスイッチを設けていない分、高さ方向が短縮されています。
*簡体字は苦手なので、以上の翻訳紹介が間違っている可能性はあります。

以下、次回

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