近江、遠江 - 古代史雑感
日本では、何の気無く淡水湖に「江」の字を当てていますが、古代中国語で、「江」と言えば、北の「河」、「河水」とも呼ばれた黄河と対比される、南の「江水」、今日の中国語で言えば長江のことです。
そうそう、古代は、支流を呼ぶときも含めて、河川を「水」と呼んでいたのです。
遠い昔、日本から中国に旅した誰かが、大海に通じる長江下流の揚子江と呼ばれる江水を眺めて、あれは何かと現地の人に聞いて、「江」と書かれた文字を持ち帰ったもののように思います。
日本から訪れた旅人には、向こう岸が霞むほどの壮大な広がりが、海に通じる淡水の「湖」と見えたのでしょう。
してみると、淡水湖である琵琶湖に「江」の漢字を当てたのは、中国南北朝時代に、江水に佇む南朝の都建康に遣わされた倭王の使節だったのでしょうか。
よく考えると、琵琶湖は、海に続く江水とは違って、海を遠く離れた山中の湖水なのですが、何とかなぞらえたのでしょう。
後に、東方遙かの海辺に淡水の浜名湖を発見した時に、琵琶湖を近い「江」、浜名湖を遠い「江」と言い分けたのは、おそらく、今日の近畿圏から見たものでしょう。
因みに、浜名湖が遠州灘の海水と通じるようになったのは、「遠江」と名付けられた時代からみて、遙か後世の西暦1498年のことなので、古代には海に通じた淡水湖である「江」ではなかったのですが、何とかなぞらえたのでしょう。
地名に使われた文字は、遠い歴史の彼方の人の思いを伝えてくれるものです。
以上
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