29.内乱考(倭人余譚) 1 - 倭国大乱
- 前書き
以下の一連の倭人余譚は、後漢書倭國記事を元にしたと思われる風評用語「倭國大乱」について私稿を展開したものであるが、ここまでの余譚記事と同様、論証・主張するものではなく、小論筆者の日常感覚が言わせる雑感に過ぎない。その成果、文体が砕けている。
いわば、素人の思いつきなので、学界諸賢にすれば、一笑に付すものだろう。とは言うものの、素人考えといえども、何か根拠があって、否定されるべきものだと思うのである。
- 弱肉強食幻想
少なくとも、魏志倭人傳に記録された三世紀までの「倭國」は、筑紫平野にひしめき合った村落国家群であったと思われるが、それらの国家群が互いに相争って大乱となったというのは、あり得ない話と思われることは、すでに述べたが、ここでは、推論の練り方を変えて、蒸し返してみる。
- 孫子の教え
古代の戦いは所詮、歩兵対歩兵の一対一の対戦の集積であり、余程のことがない限り、勝者も、大きな消耗を強いられることは明らかである。
個別の戦いで、備蓄している食料、資材を減耗し、自国民の壮年層を消耗していては、勝者となっても、食糧自給の前提となる農耕に支障を来し、早晩飢餓の道を辿ることは避けられないことが、歴史の示すところである。
その程度のことは、当時の支配者たちも承知していたであろうから、互いの生死を賭けた総力戦などしなかったはずである。
- 捕虜は重荷
三世紀の当時の産業構造を理解していれば、内戦の勝者が敗者から捕虜を得て、自国の労働力を強化するという見方が、後世史眼に囚われた図式化、よく見られる時間錯誤だとわかるはずだ。
自国の産業が、多大な労働力を要し、労働力が増えればそれに従って収量の上がる鉱山採掘や綿花栽培のような労働集約型であれば、他国から戦時捕虜を奪って、そこに投入することに意味があるだろう。
しかし、稲作は、収穫期などを除けば、深刻な人手不足はないはずである。つまり、
例えば、それまで、大人五人で耕作して労力が、食料生産の制約となっているわけではない。いた土地に一人の捕虜を追加しても、収量はそれに応じて増加するものではない。
方や、捕虜といえども一人分の食事を食べさせなければ、満足に働けないのだから、むしろ、捕虜を預けられた農戸は、お荷物を抱え込むことになる。捕虜に衣食住を与える上に、逃亡を防止する責務が生じるはずである。大したお荷物である。
戦時捕虜を各戸に預けず、集中管理して、新田開発すれば、新たな収量が発生するだろうが、新田がまともに収穫をもたらすまでの食事は、どこから湧いてくるのだろうか。軍糧が急増したに等しい消費増である。
大体が、戦時捕虜の多くは、けが人であり、その意味でも、労働力として計算するのは早計である。
そう見ると、戦時捕虜が、戦勝国にとってお荷物であることに違いはない。
辛うじて捕虜を奪った効果と見ることができるのは、労働力を奪われた敵国の生産力減退であるが、それにしても、最初の戦闘時に各戸から召集する兵士は、農耕に支障を来さない程度にとどめているはずであるから、一撃必殺の打撃とはなるまい。
- 中原に「鹿」を追う
そのような三世紀の農業国家群を武力で制覇、統一して中国の皇帝のごとき覇権を握ったとして、何が楽しいのだろうか。
韓半島との交易を独占するといっても、多寡が知れている。
- 遠征の萌芽
それにしても、ここで仮想遠征の引き合いに出される東方の異国は、三世紀時点では、総じて未開地であり、先進地帯である筑紫諸国に比べると、一段と村落に近い集落が点在しているのである。
遠征、征服して支配下に置くことの意義は乏しいといわざるを得ない。
普通は、使節を派遣して、平和裏にゆるやかな服従関係を設定するものである。支配欲に後押しされた覇権国家でない限り、遠隔地の國が、復習しなかったからと言って、遠征するものではない。
何しろ、支配したとしても、貢納品を届けさせるための街道が整備されていないのだから、得るものは乏しいのである。
未完
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