32.内乱考(倭人余譚) 4 - 反乱談義
- 遠征と反乱
遠征軍指揮官は、戦勝に乗じて、遠征先で自立することもできたはずである。
もし、そんな事態になると、倭國の王者にしても、異国の支配者が入れ替わっただけで、膨大な戦費と人的資源を損じただけである。
ただし、遠征軍指揮官にしても、異郷で自立して王者となっては、住み慣れた故国での栄誉を捨て、残した家族を失うから、まるでうれしくないのである。そもそも、遠征の旅路で望郷の念の募っている兵士たちが従わないのである。
- 反乱の恐れ
それくらいなら、遠征軍を反転し、遠征軍を送り出して手薄となっている故国を制覇して、自ら王者となる方が意味が大きい。故国でそれに呼応するものがいれば、割の合う反乱である。
指揮官は、東方のユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)となるのだろうか。
そうした事情を考えると、そもそも、倭國王は、勇敢な指揮官に強力な遠征軍をつけて、遠征に送り出すことなどできないのである。遠征軍の勝算は、またもや低下する。
- 異国の優位
遠征される側の異国は、油断して斥候、物見を怠っていない限り、早々に遠征軍の到来を知ることができ、迎撃態勢を取ることが可能である。遠征に疲れた敵軍を、悠々と自国で迎え撃つという、相当有利な立場に立つのである。
遠征軍が闘志旺盛であっても、守備側は堅固な守りを活かして籠城し、食料補充のままならない敵軍の衰弱を待てばよく、概して、兵站に窮した遠征軍に対する籠城戦は守備側の勝利となるところである。
歴史上「遠征」は、数多く記されていて、とかく遠征軍の勝利が書き立てられているが、必勝の信念で派遣されていても、遠征軍は、なかなか克ちがたいものなのである。
- 天下布武の幻想
そのように、三世紀当時の時代環境を冷静に評価すれば、遙か後年、千三百年も後の織田信長の天下布武のごとく、希代の英傑が、革新的な軍制で諸國に隔絶した武力を有し、高度に機能的な戦闘部隊を四方に派遣し、服するものは従え、反するものは悉く討伐し、全国統一するというような大事業が展開できなかったことに気づくことであろう。因みに、天下布武が挫折頓挫したことは、歴史の示す貴重な教訓である。
未完
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