本論筆者は、一介の素人動画作家であるが、YouTube(以下、サイトという)のやり方には同意できないのである。
サイトに「動画」を公開していると、使われている素材が、単数ないしは複数の「管理者」の指定した「素材」を使用しているとの「申し立て」が伝えられることがある。
特に、クラシック音楽にまつわる事例は、ほぼ軒並みであり、これはサイトが、クラシック音楽の取り扱いにおいて、深刻に混乱しているためである。
クラシック音楽の楽曲は、ごく一部の例外を除けば、歴史的な遺物であり、著作権は消滅している。Public domain、すなわち、公共の資産となっている。
しかし、この点の認識がないため、クラシック音楽の演奏が、「素材」として判断され、サイトが動画内に同一の素材があると(誤)検知して警告することが多発している。
もちろん、これは、例えば、全体で4時間を超える楽劇全体を指すものではなく、市販されている部分楽曲の演奏、特に、iTuneなどで販売されている断片に関するものである。その証拠に、動画として掲示するに足ると思われる重要な楽曲でも、何も起こらないことがある。
つまり、市販されている断片に関しては、曲自体に著作権が存在する素材と同様の取り扱いで警告され、いわゆる誤爆となっている。無責任(後述)である。
ここで、まず問題なのは、サイトの警告が、具体的な素材名と管理者、そして、同一と判断した根拠を示すことなく、「動画」の特定時点を提起して、そこから先が、管理者の管理する素材と一致しているから、自分の耳で確かめろと言い放つのである。無責任(後述)である。「一致」と言うからには、「素材」を聞く機会を与えられなければ判断のしようがない。また、一致していると判断した根拠が示されていなければ、これまた、同意できるかどうか判断のしようがない。無責任(後述)である。
時には、申し立て内容から「素材」の正体・素性が明らかになることがあり、そこで始めて、どこの誰の演奏と取り違えられているかわかるのであるが、それ以外は、それすらわからない。無責任(後述)である。
著作権の消滅したクラシック音楽の演奏と録音は自由であり、著名な曲であれば、それこそ、何千、何万という同一曲の異なる演奏(異演)が行われ、時に録音され、時に録音が販売、公開される。
従って、クラシック音楽を特定するためには、曲名の特定は当然として、それに加えて、演奏者と演奏時期の特定が必須である。時に、演奏者と演奏時期が誤って表示されている例も見られるが、そのように、「素材」が、表示されている演奏と同一であるか検証することは、一般的には、不可能されていると理解する。
法的に検証可能な識別を行うに、管理者は、何らかのWatermarkを埋め込むしかないであろうと推定する。そうしなければ、申し立ての対象となる「素材」が、Public Domainである自己の管理対象外の演奏と同一ではなく、素材と「同一」であることが、客観的に立証できないものと思われる。もし、サイトの判断手段が、複数の管理者に対して、権利を認める判断をするとしたら、判断は誤っていると考えるのである。
目下の事例の大多数では、管理者にそのような「科学的な」根拠が存在しないことが確認できる。
指摘されている動画は、それ自体で、ないしは、添付コメントで、動画がNHKの放送録音、録画の部分引用であることを明記している。それにもかかわらず、正体不明の異演と同一であるとの指摘を受けた例が頻発している。
サイトは、素材と同一であることを、電子的に検知するだけで、その妥当性は何ら審議しないまま、零細な動画投稿者に投げかけるのである。無責任(後述)である。
しかし、犯罪容疑者として告発されたのであれば、告発の具体的内容とその根拠を明らかにされるが、サイトの指摘は、管理者の申し立てが根拠不明であろうが不法であろうが、お構いなしである。無責任(後述)である。
以上のような推定も、自分で色々調べて行わなければならない。零細な動画投稿者には、大変な負担である。ついつい、詳しい追求がおろそかになり、異議申し立てに時間がかかる。
また、異議申し立ての際に述べた、以上のような推定が当たっているかどうかについて、その後、サイトから何の説明もない。無責任(後述)である。
サイトは、管理者なるものの一方的な言い分を無責任に取り次ぐだけである。ここまで、太字で連発した無責任はサイトにしてみれば耳障りであろうが、サイトとして社会的に求められる責任ある仲裁活動をしないと言うことを取り上げて、無責任と形容しているのであり、順当な形容と思うのである。
ただ管理者の言い分を取り次ぐだけで、双方の言い分をつきあわせて判断することを怠っていることとを評して、無責任と言うのが不適当であれば、こどものお使いである。 サイトは、自己の名声と品格にふさわしい体制を整え、管理者の根拠不明の主張をそのまま受け止めて一方的な指摘を行い、あるいは、無責任な取り次ぎを行うのを取りやめるべきである。
とくに、弱小動画作家が、いくら行き悩んでも、弱小故に資格不足で問い合せを拒否するなど、弱いものいじめは、いい加減にして貰いたいものである。
いや、弱小動画作家は、正義の人であるので、このような取り扱いは不当であるとして、法廷の場で主張したいくらいであるが、何しろ、素人であるから、いくら、活動を妨害されても、金銭的な損害が発生しないから、勝っても得るものが無いのである。
と言うことで、つましい犬小屋住まいではあるが、ここで声もなく吠えるしかないのである。
以上