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2014年10月14日 (火)

ヒト型ロボットに将来はない?!

 批判の対象者と発言内容の紹介に、ちょっと字数を費やさなければならない。
 許容されるかどうかわからないので、リンクを貼ることもせず、節度ある引用にとどめるので、興味のある方は、検索して、原典を発見していただきたい。敬称、敬語の使用を省略している点、ご容赦いただきたい。

 東京工業大学で150体以上のロボットを製作し、現在もロボット開発の第一線に立つIEEEフェローの広瀬茂男氏(東京工業大学名誉教授、立命館大学客員教授、ハイボット 取締役 CTO)が2014年10月9日に行われたIEEE主催の「ロボットの現状とこれからの未来像」と題したセミナーで「ヒューマノイド型がロボットの将来ではない」とイメージ先行の未来に警鐘を鳴らした。

 だそうである。実務経験は、半端なものではないと思量する。

 まあ、氏としての結論は、既に見出し部分などで言い尽くされていると見るものだが、それにしては、要約の際に発生した言葉足らず、言い間違い、聞き間違いを補正すると多分、「ヒューマノイド型は、ロボットの将来の開発の目標、開発方針として追求すべきではない」と言う意味だろう。その場の発言を文字通りに書き留めると、とかく誤解を招くものである。ちなみに、「方向性」も、意図的に文の真意をぼやかせる「まやかし言葉」の一つであるが、ご本人の意図は、普通の言葉で「進むべき方向」であると解して読んだ。

 本文記事では、普通の表現で、「未来のロボットがヒューマノイド型になっていくとは考えていない」と発言し、これが、科学技術の世界の権威の意見として正確なものだと思えるのである。要は、ご当人の意見であり、「予言」では無いのである。

 その理由について以下の4点を挙げている。

  • 技術的な困難さ
    これについては、氏の事実認識に対して素人から反論することは無いが、古来、技術的に困難(英語のdifficultでなく)として、開発の選択肢から排除されたものは多いとしても、別の選択課程で排除されずに残り、実現したものも多いはずである。
    技術者にとっては、試練であり挑戦である「困難」な技術の前から逃亡するのは、感心しない。

    技術的困難さでなく、達成できる可能性が乏しいとか、コストが高すぎる(乱れた日本語で褒めているのではない。念のため。)、とか言うのなら、排除、いや、回避の理由にはなるだろうが。
  • 人間の形は最適ではない
    何に関して最適かと言えていないので、随分言葉足らずである。
    某テレビ番組で、ヒト型ロボットが、肘の関節が蝶番型なのは、機能的でないと、自分が作り込まれた体系構造を批判していたのを連想させる。確かに、最適ではないだろうが。人間は、自然の流れで、適者生存の勝者になったのだから、言葉の狭い意味で最適であったはずである。

  • 技術進化の自然な流れに反する
    ここも、何が自然な流れかと言えていない。技術進化は、人工的な技術世界の話だから、「自然な」流れとは無縁だと思うのだが、氏は、老子哲学の信奉者で、万事無為を重んじているのだろうか。
    技術者が、困難な流れに敢然と立ち向かって、新たな技術を開発しようとするのは、はなから徒労なのだろうか。

  • 健全な人間関係が維持しにくい、ロボット技術に対する誤解を与える
    人間社会は人間の形に合わせてデザインされているので、ロボットもヒト型が最適だという意見はある。

    とおっしゃっているが、この意見の創始者は、SF作家であり、科学評論家であったアイザック・アシモフ氏である。1940年代(70年前の戦時下である)に執筆したロボットに関する一連のSF短編の構想段階で到達した卓見であり、正確には、人間社会の各種機械装置は、人がそこにいて、手足で操作するようにできているのだから、ヒト型ロボットを開発してそこに置けば、機械装置の改造はいらない、経済的、且つ合理的だというものである(と記憶している)。
    「イメージ先行」はけしからん、とおっしゃるが、ご本人の物心つく以前から流通している意見なので、学術の徒として、尊重すべきではないだろうか。

 後生人が、後世視点で先人の意見を批判するのはむしろ当然であり、これまでの未来像を排除して、「これからの未来像」を打ち立てようと尽力されているのは見て取れるが、その際に「意見」を改変して、使用対象を人間社会に敷衍し、敷衍された部分でその不具合を指摘するのは、不公平というものである。

 それ以外の視点から言えば、人間社会は、人と人との絡み合いで成り立っているものだから、気持ちを寄せられるヒト型ロボットの方が、随分、人の心が安らぐという要因は、無視できない。アシモフ氏の著作にも、人と区別の付きにくいロボットが世に出た後、ロボットに対する愛憎が、人に対する愛憎と相まって人間ドラマを繰り広げる様が描かれていたと記憶している。
 世の中には、きらめく金属物体に性的偏執を寄せる奇人(?!)もいるが、大抵の人間は、機械細工には生命を感じず、(ペットや)人に寄り添われることに安らぎの情緒を求めるのである。氏が、健全な人間関係が維持しにくい、と断定しているのが、どちらの視点に属するかは関知しないが、是非、後生人の特権で、1940年代でない現在の視点で、「健全な人間関係」の具体像を解明していただくとともに、「ユーザーニーズ」を見直して欲しいものである。

 総じて言えば、氏の意見は、当科学技術分野の人材事情、台所事情、お財布事情を大切にした所帯じみた意見であり、おっしゃるところに従えば、開発技術者は、随分気が楽になるだろうが、だからといって、「ユーザーニーズ」の無視できない位置を占める、人々の情緒を軽視するのはどんなものだろうか。

 指導的な立場の方の意見であるから、生半可な反論を許さない絶大な影響力があり、「業界人」は、この意見に反対すると生存を危うくされ、政府関係の資金援助から縁遠くなることが懸念されるから、正面から批判的な意見を口にしないだろうが、本論筆者は、一介の私人で、年金生活者であるから、誠実な意見(sincere and honest opinion)として申し上げるが、ご高説は、是非再考いただきたいものである。

 余談を少々。
 広瀬氏は的確に言い分けているのだが、ロボットは、広い意味の人工知能を有する機械装置全般を指すことばであり、その中でも、人と同様の外観、行動のヒト型ロボットは、ヒューマノイド(型ロボット)、ないしは、アンドロイドと呼ぶべきであるが、近年、Google社が、ヒト型とは言いがたいロボットをアンドロイドOSのシンボル「ゆるキャラ」として用いたところから、一般人のイメージが混乱し、ヒト型ロボットをアンドロイドと呼びがたくなっている経緯がある。イメージとは、かくのごとく頼りないものである。

 そのような混同、混乱は、アシモフ博士の責任によらないことは自明である。

以上 

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