「花のワルツ」騒動 2
さて、「申し立て」は、断片的なものであり、詳細が知らされないので、勝手な推定になるが、著作権に関する誤認がある可能性が高い。
日本法では、曲自体に関する著作権とそれを演奏したものに対する著作隣接権が区別されていて、それぞれ、適用される規定が異なるので、申立人が、著作権と言うときは、どちらを指しているのか不明であり、妥当な判断であるかどうか判断できない。とても、法的な事項に関する発言とは思えない。専門知識のない全くの素人のうろ覚えの発言と見えるのである。
これは、私見ではなく周知の事実なので、信用できる情報源で確認していただけばいいのだが、多くのクラシック音楽の曲に関して言えば、日本法で言う著作権は消滅している。
ただし、それぞれの演奏には、著作隣接権が有効である。
国によって用語は異なるが、著作権保護の根幹となる部分は該当国際条約に定めるとおり万国共通である。
つまり、本件楽曲に対して、日本法に言う著作権は無効であり、本件演奏に関する著作隣接権に相当する権利しか主張できないのである。繰り返すが、用語は異なっても、対象となる概念は、万国共通である。
従って、管理者が、本件動画に関して、その中で聞こえる音楽について著作隣接権を主張するのであれば、自身の管理する演奏と本件動画で聞こえる音声が、同一のものであると、科学的に立証しなければならないのが自明である。
これに対して、YouTubeの判定は、曲の類似性を、人の聴覚と音楽認識力を遙かに超える感度で検知し、全く素材の異なる演奏をも一致すると判 定するものである。なぜそう言えるかというと、本件作家は、商用販売されていないと思われる音源を素材とするよう努めているので、見落としがない限り、管 理者が指摘する商用音源とは異なることが自明であり、且つ、音源を動画に明示しても、それを考慮せずに機械的に判定するからである。いかなる判定制度に も、誤認はつきものである。
なお、異議申し立ての過程を含め、ちょさくけんに関する各手順が進む中で、YouTubeは、誤認の可能性の指摘などの申し入れを一切受け付けず、かつ、YouTubeの判定を受け入れると表明しない限り、異議申し立てが進行しない。このようなYouTubeの異議申し立て提起方法は、問答無用の強制であり、自由な意見表明ではないので、後日証拠として提示されても、当方は無条件に承服できないものであることを付言する。
従って、良心に従うところによれば、申し立てに対する質問を行い、明確な回答を求める権利があると考えるからである。
管理者は、著名なクラシック音楽小品である本件音楽に対して、本件動画に使用されているのは、多数ある同曲異演のいずれでもなく、本件素材だけが、YouTubeによって同一と判断されると言うことを証明する「最低限」の義務、立証責任がある。
告発する側に立証責任があり、告発が立証されない限り、その告発は無効であるというのが、衆知の司法原則である。YouTubeの規約がいかなるものであれ、司法原則を超えると解すべきものでなく、もし、司法原則を超えると解釈される規約は、部分的に、あるいは全体として違法であり、しかるべく無効となるべきものである。
立証責任を怠り、不完全であることが自明な根拠に基づいて、善意の第三者の活動に制約を加えるのは、不法な活動であり、自身、検証によって誤認と判定される可能性を知りながら、検証を怠って権利行使していると言うことは、実質上fraudに当たり、訴追の対象であると思量する。
本論筆者は、決して法律の専門家ではないので、自身の制限された知識と正義感に基づいて、ここに物の道理を説いているだけである。
YouTubeは、このような紛争に際して、一切、仲裁、調整の機能を成さないので、管理者の態度は、黙殺、無視と、低レベルのものになっているが、聞く 耳、しゃべる口があるのであれば、管理者は、企業人、社会人として、いかなる理念に基づいて、このように一見不法きわまる行動に従事しているのが、是非お 伺いしたいものである。
続く
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