今日の躓き石 「こういうメンタル」
2014/10/13
毎度です。毎日新聞のスポーツ欄の話題です。
選手談話といえども、言葉使いに関して新聞社に指導責任があるということを蒸し返さざるを得ないのです。特に、相手が、新人投手で世間慣れしていない場合は、教えてやるのが親心というものです。
「こういうメンタル、体で試合に臨めるようにしたい。」とは、まあ、当然来シーズンのことでしょうが、「メンタル」は、スポーツ界の悪い言葉遣いそのものです。良い子は、まねしないように。
以下、色々身辺がせわしないのもあって、気がせいているので、文体が変わるが、勢いに任せて書き飛ばしているわけではないので、ご容赦いただきたい。
さて、本題である。
母校の英語教師に確認して貰ってもいいのだが、mentalは、形容詞であって、独り立ちはできない。何か、次に来るのである。
そして、言葉として、良いときに使われるものではなく、例えば、mental illnessと続きがちなので、カタカナ言葉で「メンタル」で打ち切られると、どこか、心の病でも抱えているのかと心配になるのである。
また、スポーツ選手では、不調の原因として、mental problemが上げられがちである。
言葉の色は、ブラックではないが、ダークグレーである。何かの言い訳でなければ、わざわざmental何とかを持ち出さないのである。
どうか、業界人の杜撰な言葉遣いに染まって欲しくないのである。
真意は、正しい言葉遣いで話されないと、正しく伝わらないことが少なくないのである。数多く失敗してきた年寄りの忠告として、聞き入れて欲しい。
実は、それ以上に気になるのが、この記事全体に見える新人投手の試合後の暢気な姿である。まさか、レギュラーシーズンの引き分け試合と勘違いしているのではないとは思うが、その場の状況に不似合いな語り口である。
肝腎の試合は、堂々の引き分けとは言え、チームは、ファーストステージ敗退になった。二万人かと思われる来場カープファンの絶大な期待を裏切り、落胆させたののだから、負け試合なのであるが、とても、そうは感じているとは見えない、まことに伸びやかな雰囲気である。
当人の本音は、大事な試合を任され、結果として相手の攻撃をゼロに抑えたのだから、投手としてどこも悪くない、これ以上ないくらい良くやったと褒めてください、と言うものだとしたら、それは、考えの足りない、思い上がりである。
各野手は、試合の位置づけが身にしみているから、各回裏の守りについても、引き分けは負け、一点取られたら二点取り返さないとダメ、とにかく、エラーのない守りだけでなく、相手のヒットを止めてしまう強い守りをするように普段以上の注意を注いでいたはずである。
そこで、記事にある四回裏の守備の話になる。
ツーアウトランナー二塁の守りで、各内野手は、とにかく、間を抜かれまい、深いところで止めて内野安打になっても、一三塁だから、もう一度気を引き締めて守り抜けば抑えられる、と、わずかながらゆとりを持っていたはずである。それなのに、突然の暴投でランナーが三塁に進んでしまった。
打者は、三割四分近い打率の首位打者である。何とかして、ヒットでも何でも捕まえてアウトにしないといけない。全く余裕のない守りである。
守りに気力を取られて、攻撃に集中しきれないことは、凡打、凡退の原因ともなる。
イニングの守備としては、打者を凡打に打ち取ってチェンジにしたので、当人は、自力で解決したと思っているのだろうが、その間の野手のメンタルな負担は、無視できないはずだ。どう思っているのだろうか。
もちろん、そんなことを口に出す野手は、一人もいないだろうし、むしろ、新人投手の失敗をカバーするのが、先輩野手の努めと言うだろうが、それは、野手としてのプライドと後輩への思いやりが言わせているのである。プロとして、触れるべきでない話題である。
それにしても、大成を目指す考え深い投手は、野手陣が点を取れなかったことの原因の一端は、こうした、厳しい状態での守りにあったのではないかと、思いやるものである。口に出す必要はないが、そう思っていれば、日頃の態度が変わってくるものである。
振り返って読み返すと、この記事の様子では、この攻防を、投手としての力を称えるネタにされているようだ。記者も同感だったのだろうか。
見出しには、「強心臓」とあるが、自分が作り出した問題を自覚しないで、ひたすら自分の無失点投球を自賛しているとしたら、それは、単に鈍感なだけである。未来の名投手が、全国紙にこうして書き立てられると、まるで、酷評されているように読めるのである。ビジターチームの選手も、人生の後輩としていたわって欲しいものである。
これに対して、阪神の投手は、たいていの場合、野手に心配をかけた、中継ぎに負担をかけたと、まことに謙虚な言葉遣いが報道される。えらい違いだが、事実の報道で済まされることだろうか。
何をどう書き、何を書かないか、記者の目と筆で、記事の「被写体」の眺めは、随分変わって見えてくる。全国紙のスポーツ欄は、スポーツ紙の記事とは違った着眼とペン捌きが求められるのではないだろうか。
以上
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