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2014年11月

2014年11月17日 (月)

今日の躓き石 「メンタル」騒動記

                                 2014/11/17
 毎度おなじみの毎日新聞スポーツ欄ですが、今回朝刊の記事を題材として取り上げたのは、毎日新聞の記者の落ち度と言いきれないものがあります。

 どうも、質問で、日本人が年長者を負かすことに対して心理的な抵抗があるのが影響しているのではないかという問いかけだったようです。これは、選手に対して大変失礼であり、そんなことはないとする回答は、丁寧な言い回しでした。

 その後に、質問が通訳された際の「メンタルは変わったのか」と言うへんてこなカタカナ言葉誤訳が災いして、選手が業界用語の落とし穴にかかったのでしょう。つまり、通訳が、外国人記者の質問を正しい日本語に訳していれば、選手が、変な言葉遣いをすることがなかったのです。こうしたことは、英語でmentalityと言いそうなものなのであり、まさか、Is your mental changed?とは言わないでしょう。

 結局、質問が「誤訳」されたのが第一の原因であり、それに加えてテニス界で、インチキカタカナ語が蔓延っているのが、決め手となったようです。

 それで、聞かれてもいないのに、「メンタルが強くなった」と口を滑らせて恥をかいたのです。

 
毎日新聞の記者も、選手の言い間違いをそのまま伝えるのが、「報道」と勘違いしているのでしょうか。世間は、毎日新聞が紙面に載せると言うことは、毎日新聞の厳しい用語基準に合った、正しい日本語だ、と見るものであり、今回の記事は、誤解を広げているのです。折角、自信、確信、、焦り、意識改革、などと、格調高く選手の内面を分析しているのに、この一点で着地に失敗して、全てぶちこわしている感があります。

 それにしても、折角、世界のトップテンに入っても、国内テニス界のインチキカタカナ語に影響されて、正しい言葉遣いができないようでは、無教養と思われてしまいます
 2014年の旅が終わったので、しばらくは、トッププロにふさわしい言葉遣いを学ぶ時間ができたということでしょう。来年は、トップ4入りと並んで、それにふさわしい言葉遣いを身につけて、インチキカタカナ語を捨てられるものと期待しています。

 困ったことに、今日の記事を何気なく読むと、外国人記者まで、「メンタル」なるカタカナ語に汚染されているように読めるのです。毎日新聞には、インチキカタカナ語の汚染拡大に対して責任があるということです。「記者のバイブル」(毎日新聞用語集)には、こうした注意は書いていないのでしょうか。筆者は、在職中、1989年版を愛用していたので、記者諸氏は、当然、正確な言葉遣いと書き方が身についていると思うから、これまで手厳しく指摘してきたのですが。

 毎日新聞も、夕刊記事では、ジョコピッチについては、「精神面も充実している」、「体力面。意識も高いレベルにある」と、格調高い言葉遣いで内面の充実を書いているのに、朝刊記事のこの下りは、大変不公平な扱いになっています。

以上

2014年11月16日 (日)

今日の躓き石 「僕の中では彼がNo・1だ」

                          2014/11/16
 今回は、珍しく、スポーツ新聞のネット記事、「スポニチ アンネックス」の見出しに、かちんときました。

 「僕の中では彼がNo・1だ」と書かれると、「僕」「僕」「僕」「僕」と何人かの僕がいて、その中では、「彼」がNo.1だと言う、錯綜した言葉になってしまいます。

 MLBの選手の言いぐさなので、Within me,he is number 1.などと、英語で意味のとれないたわごとを言ったとしても、直訳するのでなく、正しい日本語に直すのが、メディアの役目だと思うのですが、スポーツ新聞は、言葉が乱れようが、お構いなしに好き勝手に書き散らすものなのでしょうか。筆者としては、この風潮が、全国紙、一般紙に拡散しないことを祈るだけです。

 因みに、記事本体をよく読むと、ここまで3試合の先発投手で、この投手が最高であったといっているだけで、ごく当たり前のことを淡々と述べているだけで、MLBの選手は、スポーツ新聞の記者の遠く及ぶところではない、整然とした言い回しができているのだと思います。

 今回は、これとは別に先発投手の記事として、「“ノーヒッター継投の主役”則本 5回完全「人生最高の投球」」などと意味不明の見出しを付けて、さらに混乱しています。

 「ノーヒッター」とは、せいぜい「ノーヒットノーラン」のできの悪い略称であり、動詞でもない言葉「ノーヒット」の変形の仕方としては、大変不細工なのです。また、これでは、普通に見ると、3タコ、4タコのバッターを指すものであり、ピッチャーの形容としては、不都合な物です。

 「ノーヒットノーラン」のできの悪い略称として認めるとしても、「継投ノーヒッター」と言わないと、錯乱した感じになります。

 まあ、スポーツ新聞は、こんな物なのかと、匙を投げるところでしょうか。

 ついでに言うと、折角、抜群の結果を出した投手の言葉として、「人生最高の投球」というのは、大変情けない言葉です。このような成果は、プロの投手になって始めて達成できるものであり、彼の全人生で初めてかどうかなどと、問いかけるものはいません。

 個人的に、こんなうれしいことは生まれて初めて、と言いたかったとしても、彼の子供時代のことやアマチュア時代のことなど、別に知りたくもない、自己満足の台詞はたくさん、と言いたいところです。MLBの選手には、遠く及ばない、軽率な台詞です。

 なぜ、簡単に「最高」と言わないのか、不思議です。

以上

 

 

2014年11月 9日 (日)

今日の躓き石 「同級生、フィジカル」 スラング考

                               2014/11/09
 以前あった問題の続きなのだが、NHKのルール遵守への疑問である。

 BS1の特番で 「世界の壁を越えろ」と題して、若手プロゴルファーの闘志と努力が描き出されている。専門チャンネルでもないのに、専門性のある硬派のドキュメンタリーを堂々と展開するのは、NHKの総合的な報道力を示すものである。

 しかし、男性ナレーターは、場所柄もわきまえず、堂々と「同級生」と怒鳴りまくっている。二人は、出身校は別だし、ジュニア時代に一緒にコースを回ったことも、一回あったかどうからしいから、別に、同じ環境で時間を共有したわけではないと思う。

 かたや、女性ナレーターは、ちゃんと「同い年」、「同世代」と言っている。別に、何の違和感もなく言い換えられるのである。

 男性ナレーターからは、別の問題用語である「フィジカル」も出てきた。当然の如く、説明抜きで出てくる。

 かたや、アダム・スコットの談話にmental strengthという言葉が出たが、ちゃんと「心の強さ」と字幕が出ている。海外の一流プロは、ちゃんとした言葉遣いで語っている。ゴルフは紳士のスポーツである。

 してみると、NHKとしての言葉の常識は、壊れてしまったのではなく、生きているのである。問題は、言葉の常識を徹底する努力に陰りが見られると言うことである。

 この番組は、実況放送ではないのだから、当該ナレーターが音入れしているときに、誰かがだめ出しすべきである。

 繰り返しになるが、NHKは、報道のプロである以上、言葉遣いにちゃんとした基準があるはずであり、基準がある以上は、ちゃんと守ることを期待されているのである。

 たとえ、プロの言葉使いが世間の常識から外れていても、それを、視聴者の知る言葉と互いになじませて伝えるべきであり、訳のわからない業界スラングを、説明無しに視聴者に押しつけるものではないと思うのだが、間違いだろうか。

以上

 

2014年11月 1日 (土)

「花のワルツ」騒動 8 準拠法と準拠常識

 本件、ようやく動きがあって、本件動画の公開に対する遮断は解除されたと言うことである。
 
 ここで、初めて、「デジタルミレニアム著作権法」に基づく判断と明言されたので、これを手がかりに、YouTubeのこれまでの不審な行動の背景を読み解いてみた。
 
 以下、Wikipediaから、「デジタルミレニアム著作権法」の関係部分を引用する。
 
「 アメリカでは著作権侵害について故意・過失が無くても罰せられる無過失責任制を取っているためインターネットサービスプロバイダ (ISP) には著作権侵害に繋がりかねない事態に対して、漫然とした態度を取らずに取りあえず警告を発するなど迅速に対処する事により法的に罰せられるリスクを回避できるセーフハーバー(英語版)条項の規定があり、一定の要件を備えた著作権侵害主張の通知を受けた場合には調査・削除義務が生じ、詳しい調査や発信者に対して確認を取る前にコンテンツを迅速に削除・遮断しても罪に問われないというノーティス・アンド・テイクダウン (Notice-and-Takedown) などの回避策を規定してある[1]。その後、発信者に対して著作権侵害の主張があった事とコンテンツを即座に削除・遮断した旨を通知し、それに対して発信者からの異議申し立てが有れば著作権者に異議申し立てのあった事を連絡し、反論が無ければコンテンツを復活させる。ユーザーに対しては複数回の著作権侵害警告を発した後にISPがインターネットを遮断する事を強制する段階的レスポンス(graduated response)を採用している、日本ではスリーストライク制(三振法)などが有名。」
 
 YouTubeが、準拠法を明確に言い立てなかったために、当方も憤懣を抱えていたわけだが、「デジタルミレニアム著作権法」に従っていると聞いていれば、「お気の毒に」と言うしか無いのであった。
 
 YouTubeは、組織の主体ないしは相当の部分が、合衆国にあり、連邦法である「デジタルミレニアム著作権法」に違反すれば、合衆国内での事業活動が出来なくなるので、忠実に守らざるを得ないのである。
 
 つまり、YouTube自身の見識で、著作権侵害の事実があるか調査するのではなく、機械的に、「デジタルミレニアム著作権法」の規定に従っていただけなのである。
 
 これに対して、日本国民である当方は、国内法に従って判断するのであり、著作権者が、法的に権利を追求するのであれば、日本国内で当方を告訴しなければならない。
 
 当方は、素人考えながら、本件動画に管理者が著作権管理している音楽らしきものが聞こえるからと言って、国内の著作権法では、著作権侵害にならないという確信があったので、強情に異議申し立てしていたものである。
 
 ほかにも、本件の著作権について、いくつかの主張があり、むしろ、国内の法廷の場で議論して、不適切な著作権主張について司法機関の判断を仰ぐ機会を得たかったのであるが、そのような好機は失われた。
 
 仕方が無いので、重複を恐れずにここに書き残す。
 
 問題は、本件動画の背景に聞こえる「BGM」音楽が、管理者の管理している「権利音源」と同一であるから、本件動画が管理者の著作権を侵害しているとする主張であるが、この判断には、二つの問題点がある。
 
 第一の問題点が解決されなければ、管理者は、権利の無いものに対して権利を主張したという誣告罪に問われる。
 
 第二の問題点を解決しなければ、管理者は、権利の及ばないものに対して権利を主張したという権利濫用の罪に問われる。
 
 いずれも、一個人で資金も何も持ち合わせていない動画作家に対する迫害であり、不法行為と言わざるを得ない。
 
 YouTubeは、「デジタルミレニアム著作権法」の示唆する所に従って、自身を「無過失責任」から保護しているようであるが、「デジタルミレニアム著作権法」は、忽然として存在するものではなく、不朽の社会正義と無数の法との上に打ち立てられたものである。
 
 是非とも、YouTubeは、「仲裁」回避の考えを「考え直し」ていただきたいものである。
1.著作物特定手順の不備
 YouTubeは、動画の音声トラックを電子的に解析して、特定の音の周波数と発生時点のデータを取り出し、管理者から受託した権利音源から取得したデータが、ある程度以上の確かさで一致したと見たとき、同一楽曲の複製物であると判断するようである。 
 ようであるというのは、YouTubeは、判断基準を示さず、判定の根拠となったデータを明らかに示さないからである。
 
 これは、上記したように、「デジタルミレニアム著作権法」の規定に従ったものと思われるが、これは、メンバーである各動画作家が、リーダーであるYouTubeに対して期待している庇護を放棄したものである。
 
 リーダーが苦難に陥ったメンバーを庇護しないとしたら、リーダーシップの欠如と見なされるのではないか。リーダーに信をおけないとしたら、一私人たるメンバーは、どこに庇護を求めたらいいのか。
 
 再確認するが、YouTubeの判定方法は、クラシック音源の聞き分けが出来ず、あやまった認定を行うことが、実検されているのである。今回も、判断を間違っている可能性が高いものと考えている。
 
 YouTubeが、自身の判定方法が誤認定することがが排除されていないことを正しく認識すれば、自ずと対応が異なってくるのではないだろうか。
 
 それは、「デジタルミレニアム著作権法」に優先する憲法等の基本的諸法の規定に従うものではないのか。
 
 合衆国連邦法と言えども、不備や矛盾が存在しうると言うことは、過去のいくつかの判例に示されている。
 
2.著作物の要件喪失
 これは簡単な話である。もし、本件動画の背景に聞こえるBGM音楽が、管理者の管理している権利音源を利用していると確証が得られたとしても、本件の動画は、花火芸術を写し撮ったものであり、音楽著作物ではないと言うことである。
 
 早い話が、YouTubeの電子的検知手段が、人の聴覚や音感を遙かに超えた鋭敏な検知手段であって、それが、畏くもBGMと権利音源に一致点があると主張しても、それは、聴衆が音楽著作物として感知できるものではなく、聴衆は、既に著作権の消滅したチャイコフスキー作曲の一楽曲を思いつくだけであり、特定の演奏者の特定の演奏を思いつかないのである。
 
 花火の爆発音の合間にも切れ切れに聞こえる音楽断片が、市場価値を有する音楽音源とならないことも明らかである。この動画の音声とセラックを、チャイコフスキーの花のワルツの演奏だと主張しても、音楽愛好家が買わないことは明らかである。無償でもダウンロード市内だろう。
 
 言い換えれば、本件動画は音楽著作物でなく、音楽著作物でない動画作品に対して、音楽著作物の著作権を主張するのは、不当であると言うことである。
 
 ちなみに、以上の主張を、日本国の著作権法に照らして言うと、著作物の「写り込み」は、基本的に著作権の侵害に当たらない、と言うものである。(程度問題ではあるが、本件では、基本的な判断に従うものと考える)
 
 と言うことで、今回得たものは、本件動画、つまり、特定の花火芸術を撮影した動画作品が、特定の管理者の頑迷な主張を克服したと言うだけである。相手が、面倒くさくなって放棄したのに過ぎない。
 
 花火芸術に映り込んだクラシック楽曲は、著作権の侵害にならないという「判例」にならないのが、残念である。
 
 ちなみに、花火芸術作家の方には、使用する楽曲の著作権者の許可を取った上で使用し、その旨を、プログラム冊子に公開していただきたいのである。
 
 クラシック楽曲は、同曲異演が山のようにあるので、許可が取れるものを使用すれば良いのである。音源使用に対する支払金額は、おそらく100円にもならないものであり、権利者が国内資本であれば、無償で許可が取れるものと考えている。
 
以上
 

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