YouTubeの「申し立て」について
YouTubeの制度がまだ改善されていないので、ここに、苦言を公開せざるを得ない。
以下は、公知事項に基づく妥当な議論(一私人の私見であり、愚考である)と考えるので根拠は示さない。なお、YouTubeの「申し立て」は、YouTubeが唱えているのではないが、タイトル上は表現を短縮簡略化している。
今回、「第三者のコンテンツと一致しました。 」と指摘されたのは、新作動画のBGMとして添付した楽曲「マーラー 交響曲第5番 第4楽章」(抜粋)であり、演奏者は、ブルーノ・ワルター指揮ウィーンフィルハーモニー、1938年1月15日(Naxosによれば19日)の録音というものである。当方が当該楽曲の当該演奏を利用したことについては異議がないのである。
当楽曲は、グスタフ・マーラー(1860-1911)によって、1904年に発表されたものであり、従って、当楽曲の著作権は消滅し公有(Public Domain)化している。
当楽曲は、当楽曲の当演奏は、HMV(EMI)によって、1938年にSPレコードととして発売されたものである。従って、当演奏に対する著作権(日本法で言う「著作隣接権」)も、消滅し公有(Public Domain)化している。
このため、いくつかのレーベルから、上記SP盤レコード(ないしは、再発されたSP盤)をレコードプレーヤーで再生し、その音声を、デジタル処理等の変換(remastering)を施すことによって、自身が権利を有する音源として発売している例が見られる。
その一例が、Naxos (HNH International Ltd.)であり、当方の手元には、2002年6月発売の9.110850が所蔵されている。
ただし、同一音源のremasteringによる再発売は、EMI, Duttonなど、複数のレーベルから合法的に発売され、流通している。
remasteringとは、総じて言えば、元となる音源再生音から、耳障りなノイズを提言し、音源の音量、周波数のバラツキを抑制し、周波数特性を操作して、今日の再生装置での聴取に適した調整を加えることが、その大半である。ただし、remasteringの目的は、元となる音源再生音の「原音」(録音の際に現場で聞き取れていたであろう音声)の再現を試みるものである以上、総じて、極めてよく似た音声が再現されることは当然である。
と言うことで、そのようなremastering工程は、特定の電子装置の設定と実行にいたるものであり、オーケストラによる楽器の演奏やそれを指図する指揮者の指揮と異なり、創造的なものではないと思量するものである。つまり、別の時点に、別のスタッフが、同一の装置で同一の操作を行ったときに、同一の結果が再現されるという性質を有している。
この点は、remasteringによって新たな著作が創造されたかどうかの議論に関係するものである。
確かに、NaxosのCDには、ALL RIGHTS RESERVEDと全大文字(至高の権利宣言)の権利宣告がある。全大文字と言うことは、専門的に言うと、当CDのその他の部分に何と書かれていようと関係なく有効な権利の宣言途も見えるが、既に、Public Domainとなっている著作物をNaxosの著作物とすることは、いかなる著作権制度においても不可能であることから、Naxosの権利は、自動的に、著作権を主張可能な新規著作部分についてのみ有効となるよう限定されるものと考えざるを得ない。
もし、Naxosが、自身のremasteringによる変換が他のレーベルのremasteringと比較して、「明らかに他と異なる、容易に識別可能な特徴」を有しているとして、2002年時点で新たな著作権を主張しているのであれば、そのような著作権は、今日も有効である。しかし、そのような「特徴」は提示されていないように思われる。
言うまでもなく、当該CDそのものを複製販売するような行為であれば、NaxosOfAmericaによって登録されている「意匠権」「商標権」の侵害行為であると考える。
しかし、ここで問われているのは、当方が、いずれかの音源から取り出したBGMに関する権利主張である。各レーベル共に、同一SP盤からの音声を利用しているのであり、「原音」を再現することを主眼にしている以上、当方動画の音声について音源の識別、同定は不可能と思われる。
率直なところ、単なる素人考えの意見に過ぎないのであるが、当動画が利用している低ビットレートの音声が、いずれのレーベルの音源に基づくものなのか、あるいは、当方が骨董品として所蔵している(かも知れない)1938年発売のSP盤から再生した音声(かも知れない)を独力でデジタル処理したもの(かも知れない)のか、全ての選択肢を否定してNaxos盤を利用したものと特定するのは、不可能ではないかと思量するものである。
愚考するに、YouTubeのこうしたクラシック音楽に関する仕切り方は、頑迷なまでに必要な専門知識を拒否して「ミレニアム著作権法」の字面を遵守するものであり、組織としての社会責任を放棄するものと思うのである。各管理団体に対して、クラシック系の音源に関しては、
- 音源の著作権が消滅しているものは、単に音声の類似だけで、申し立てを行わない。
- 音源の著作隣接権が消滅しているものは、単に音声の類似だけで、申し立てを行わない。
- 音源の著作隣接権が有効であっても、別時点の演奏、あるいは、別団体の演奏と明確に判断できないときは、単に音声の類似だけで、申し立てを行わない。
との三原則に対して、宣誓確約を得るべきであり、そのような自己申告に反したことが判明した管理団体の管理音源はYouTubeのチェックから排除すべきである。「申し立てを行わない」というのは、一方的、かつ、強硬な指摘を行うのではなく、YouTubeが動画作家の言い分を聞き取って、仲裁/調停を行うと言うことである。
現実世界で、誤解や偏見に基づく告発を行ったものは、司法の場で厳罰に処されることを思えば、公平かつ合理的な制度であると思量するものである。
推測ではあるが、同様の「申し立て」を受けて、重大なショックを受け、あるいは、PTSDに罹患し、あるいは、過度の罪悪感を感じて、創作活動が萎縮している無辜の動画作家は少なくないものと思量し、甚だしい義憤を感じてこのような提言を行っているものである。
所詮、客観的な権威もなく、社会的地位もない一私人の「分に過ぎた」発言であることは承知しているが、社会的な地位を有する組織が「間違っている」と感じたときに、そのように明言するのが当方の信じる「誠意」(sincerity)であり、その信条に従うものである。
以上、当方の知りうる限りの情報と見識に基づいて、真摯に提言するものである。
以上
« 今日の躓き石 「メンタル」 | トップページ | 今日の躓き石 「メンタル」の極み »
「YouTube賞賛と批判」カテゴリの記事
- YouTube著作権騒動 Kleiber and Zeffirell "Otello” sounds and furies(2019.09.19)
- Google AdSense オンライン利用規約 公開質問状(2018.05.23)
- There goes YouTube fake copyright complaint invoked by UMG(2017.12.10)
- YouTube著作権騒動 素人動画の迫害を憂慮する(2017.04.05)
- YouTube著作権騒動 無限連鎖?「著作権保護されたコンテンツ」 3/3(2016.06.15)
コメント