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2015年6月19日 (金)

35. 一大国再考 倭人伝に「壹」はなかった?

 井上悦文 「草書体で解く邪馬台国の謎」(季刊「邪馬台国」 第125号)書評補追

          私の見立て☆☆☆☆        2015/06/19

「立証」への疑問
 当論説で展開される、草書論から来る数々の指摘は、それぞれ大変克明であり、教えられる点が多い。
 ただし、それぞれの結論として、当然の如く語られている「明確に立証」、「立証」と言った断言には、率直なところ、方向違いが混じっていると思われることは、すでに別記事で述べた。

倭人伝に「壹」はなかった
 133ページ下段からの用例列挙と主張は、ここでは、「一」、「壹」の使い分けについて、両者は同じ字であるから、「正史」編纂の際に統一されるべきであり、従って、本来、「壹」はなかった。倭人伝の「壹」は、「臺」の誤写であるとの「立証」と思われる。

 井上氏が、倭人伝での用例を列挙して、分析を加えているのは、見聞の乏しい素人にとって、大変貴重である。
 まずは、倭人伝で「一」が用いられているのは、漢数字としての「一」であり、その場合には、大字「壹」を使わないとの指摘である。
 続いて、国名、女王名、儀礼名などは、別格の固有名詞扱いであり、「壹」と元資料に書かれていれば、編纂者はそのまま「壹」と書くこともありうるか、との提起である。

一大国論証
 そこで、重要な論拠として提示されているのが「一大国」である。
 井上氏は、ここで、(紹凞本)一大国は一支国の誤り、一支国は壱岐國である、と論理を重ね、この一例をもって、固有名詞といえども、「壹」でなく「一」を使うのが、倭人伝の表記法と立証されたとみているようである。

 導入部の記事と重複するから、念押しはしていないが、固有名詞においても編纂者は、「壹」と書かずに「一」と書くのであるから、倭人伝に「壹」はなかった、存在しているように見える「壹」は「臺」の誤写であると「立証」されたと言うことであろう。

 しかし、この論理展開には同意しかねる。
 一大国と一支国の二者択一は別に置くとして、当時、壱岐国が存在していたが、倭人伝編纂の際に、本来(本字)の「壹支国」でなく「一支国」(一大国)と書き換えられて表記されたという推論は、十分な証拠に欠けていて、論理として堅固なものではなく、結論とするのは余りに性急であろう。

 当方の推定では、一支国(一大国)と壱岐国とは、国名として併存したものではなく、数世紀の間に起こった地名の変転によるものではないかと思われる。

 素人議論の悲しさで、資料に基づく確証はないのだが、三世紀時点に国名としての壱岐国は存在せず、(遅くとも)数世紀を経て律令制の整備された頃、各地地名を、格調高い文字遣いに変えた際に、三世紀の外交の遺物である「一支国」を品格の高い文字遣いで「壱岐國」と改めたのではないかとも見える。

 三世紀当時の国名が一支国(一大国)であったから、倭人伝編纂の際に、そのまま一支国(一大国)と表記されたものと考えるる。
 従って、倭人伝で、一支国(一大国)表記に「一」字が使用されているからと言って、倭人伝の両版に厳然と書かれている「壹」字が、「臺」の誤写であると立証する根拠にはならないと考えるのである。

 当方の推論も、推定の積み重ねであって、論説として発表するものになっていないが、井上氏の「立証」も似たようなものである。推定は、あくまで推定であって、推定として発表されるべきものである。

 折角、書家として深奥な蘊蓄を示しておられるのに、邪馬台国研究家としての立場では、論拠不十分なままに性急な結論を露呈されると、井上氏の論客としての品格に関わりそうで懸念されるのである。

以上

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倭人伝新考察」カテゴリの記事

コメント

牧野資繁さん
 コメントいただき感謝します。
 まず、貴コメントは二件、二重になっていたので、別件は削除しました。共々、何かの誤操作なのでしょうか。
 「コメントを書かれた方」に文句を言っているようですが、当記事には、別にコメントはありません。意味不明です。
 基本的に、コメントに対する応答/会話に、横からヤジを入れるのは、行儀が悪いものです。
 以下のご意見は、一応ご意見として承りましたが、根拠不明で、意味不明、趣旨不明。
 結局、当記事に何を言い立てているのかわからないので、回答しようがありません。
 それほどまでして公開したいご高説があれば、ご自分のブログなどで、字数/行数を使って発表されたらいかがでしょうか。
 ということで、応答はいたしません。
以上

コメントを書かれた方は魏志倭人伝そのものを深読、深考されていない。陳寿の書いた魏志倭人伝の数字は一、二、三、・・であり漢数字、壱、弐、参、・・は書かれていない。、のちに陳寿の草書体の魏志倭人伝を転写した者が楷書体で書いた。我々が現在見ている文章である。「壱の草書体と台「」の草書体はほとんど見分けがつかない。だから転写した者が見誤って台を壱として書いたと思われる。魏の使者が倭人の言葉を聞いて一支国(一大国)=いき国と書いた。魏の役人がすべて倭人の言葉を聞いて作られているので全くその通りであり、南を東に書き換えること自体魏志倭人伝を冒涜するものである。ほかに至、到の違いは短距離は「至」、長距離は「到」で、倭人が話したことやはっきりしない距離は「至」。榎説は完全に否定するべきものである。魏志倭人伝のポイントは「不彌国」が起点である。不彌国から投馬国、邪馬台国の方行を議論すべき大きな課題


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