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2015年6月

2015年6月30日 (火)

今日の躓き石 「ボーラー」とは??

                      2015/06/30
 本日のNHK BS1のMLB(米プロ野球大リーグ)中継で、アナウンサーのナックルボーラー」連発に げんなりしている。

 解説者は、業界人であるので、日頃の会話と同じなのだろうが、「ナックルボーラー」どころか、「ナックル」、「ナックラー」と業界用語を連呼している。さすがに、「ナックラー」は、口が滑っただけで自粛したようだが。
 そこで、アナウンサーがうまく仕切れば良いのだが、解説者の言うまま、「ナックルボーラー」とオウム返しするのは、プロとして、余りに不用意、不注意であり、感心しないのである。

 NHKにはちゃんとした用語基準があると思っている。誤解しているかも知れないが、英語として、文法に外れている言葉は、カタカナ語として採用しないものと思う。

 高校生レベルの議論なので、本来改めて言うまでもないのだが、「ナックルボール」は、ピッチャーが繰り出す変化球の一種であって、英語の動詞ではないので、語尾にerを付けて言うのは、間違った言葉遣いである。
 言葉として適当かどうかは、文法談義を抜きにしても、落ち着いて考えればわかると思う。シューターとか、カーバーとか、スプリットボーラーとか言うものではないはずである。まして、スライダーピッチャーをスライダラーと呼ぶのだろうか。

 仲間内しか通じない間違った言葉遣いを混ぜ込んだのでは、その意味が視聴者に的確に伝わらないので、報道の用を為していないものと思う。
 また、そのような言葉遣いを公共放送の電波に乗せて世間に広げるのは、NHKの本質に反すると思う
のである。
 受信料を払って、子供達に妖しげな言葉遣いをうつされるのは、たまったものではない。

以上

2015年6月23日 (火)

今日の躓き石 サッカー独特の用語としての「フィジカル」

                                      2015/06/23
 今日の題材は、毎日新聞朝刊大阪13版スポーツ面のバンクーバーレポートである。

 主力ベテラン選手のオランダチーム評として、「身体能力が高く、フィジカルが強い」との発言が引用されている。つまり、随分長く悩まされている「フィジカル」の表現の揺らぎは、記者のペンの揺らぎであって、監督や選手の心は一貫しているようである。 

 身体能力とフィジカルは別のものであり、フィジカルは「強い」と言われるのであれば、フィジカルは、おそらく当たり(の強さ)と言うことだろう。
 競ってボールを追いかけているときに、肩や腰の強い当たりで相手を横にはじき飛ばすのは、サッカーで言うチャージングであり、ルールで認められているものである。もちろん、相手の体の前に割り込んで、相手を排除するのも、ルールの範囲である。これは、スポーツと言っても、陸上競技、体操、野球、卓球などでは無いものである。

 してみると、意味のとり違えの出やすい(常態化している)「フィジカル」でなく、「コンタクト」(プレー)と言えば、カタカナ語として程度の良いものになるように思う。
 何しろ、サッカーに、「メンタル」チャージとか、「メンタル」コンタクトはないのだから、殊更、フィジカルと言う必要はないのである。

 それ以外の「フィジカル」なプレーとなると、腕を広げて相手を押しやったり、相手の上体を抱え込んだり、ファウルめいた動きになるが、こうした動きは、下手をすると、肘打ちとかびんたになるので、けんか紛いの「暴力行為」もどきになる。

 よく、スポーツでフィジカル、メンタルと、言葉端折りして言い立てるのは、本当は、後に、ストレングス(強さ)、コンディション(状態)、プロブレム(問題)、イルネス(病気)のように具体的な言葉が続いていて、二語熟語のアタマだけで、二大要因として対比して言い立てるためではないだろうか。大事なのは、端折られている うしろの言葉である

 ついでに言うと、当人の発言をそのまま書き取ったのだろうが、「ロングボールを蹴れて、縦に強い印象」というのは、いかにも、臨場感のある業界言葉だが、実際は、「素早く、長いパスを、縦に出してくるという印象」とシンプルに言えば、字数が少なくて、一般人にもわかりやすいと思う。
 それにしても、記者は、プレーヤーの言っている言葉の意味を解しているのであれば、読者の言葉で書いて欲しいのである。

 因みに、別のプレーヤーの「同じアジアの....オーストラリア」というのは、言葉足らずで誤解を招くのである。地理学的には、オーストラリアは、アジアの一部ではない。あくまで、FIFA地域わけで、アジア代表となっているだけである。以前、毎日新聞の社会面記事で、サッカーのイングランドプレミアリーグを「英国」プレミアリーグと書いているのを見て、ずっこけたのを思い出す。スポーツの地域わけと地理区分は、いつも一致しているとは限らない。(子供が勘違いするのである)

 ついでに言うと、記者コメントの「ライバル心」と言う発言も、珍しい用語である。普通、ライバル意識、カタカナ語を避け「対抗意識」と言えば、わかりやすいのではないか。まあ、ここまで口に出している以上、「のぞかせる」ではなく、「自分自身に対してかき立てている」とでも言うのだろう。記者も気がせいているのだろう。

 それはさておき、総じて、今回の意見は、ディフェンスからの発言が目立っていて、記者は「失点しないことが大事」と締めているが、感心しない。
 なでしこジャパンの(周知の)弱点は、点を取れていないと言うことであり、そこから来る危機感がディフェンス陣の気持ちを、必要以上に硬くしているのではないだろうか。
 それにしても、フォワードが、この記事をどんな気持ちで読むかチームの攻守のバランスが崩れないか、気がかりである。 

 チームとして大事なのは、早い時間帯に先制点を挙げて、ディフェンスを楽な気持ちにすることのように思う。

 ここまでの決勝トーナメントの推移でも、ゴールキーパーやディフェンダーが、相手プレーヤーのペナルティエリア突入にパニックになって、無理なチャージで相手を倒し、PKを与えているのを見かけた。
 一点与えたら負けるという切迫感は、決して、チームにプラスにならないように思う。

 今回は、躓いたわけではなく、立ち止まったのである。

以上

2015年6月19日 (金)

35. 一大国再考 倭人伝に「壹」はなかった?

 井上悦文 「草書体で解く邪馬台国の謎」(季刊「邪馬台国」 第125号)書評補追

          私の見立て☆☆☆☆        2015/06/19

「立証」への疑問
 当論説で展開される、草書論から来る数々の指摘は、それぞれ大変克明であり、教えられる点が多い。
 ただし、それぞれの結論として、当然の如く語られている「明確に立証」、「立証」と言った断言には、率直なところ、方向違いが混じっていると思われることは、すでに別記事で述べた。

倭人伝に「壹」はなかった
 133ページ下段からの用例列挙と主張は、ここでは、「一」、「壹」の使い分けについて、両者は同じ字であるから、「正史」編纂の際に統一されるべきであり、従って、本来、「壹」はなかった。倭人伝の「壹」は、「臺」の誤写であるとの「立証」と思われる。

 井上氏が、倭人伝での用例を列挙して、分析を加えているのは、見聞の乏しい素人にとって、大変貴重である。
 まずは、倭人伝で「一」が用いられているのは、漢数字としての「一」であり、その場合には、大字「壹」を使わないとの指摘である。
 続いて、国名、女王名、儀礼名などは、別格の固有名詞扱いであり、「壹」と元資料に書かれていれば、編纂者はそのまま「壹」と書くこともありうるか、との提起である。

一大国論証
 そこで、重要な論拠として提示されているのが「一大国」である。
 井上氏は、ここで、(紹凞本)一大国は一支国の誤り、一支国は壱岐國である、と論理を重ね、この一例をもって、固有名詞といえども、「壹」でなく「一」を使うのが、倭人伝の表記法と立証されたとみているようである。

 導入部の記事と重複するから、念押しはしていないが、固有名詞においても編纂者は、「壹」と書かずに「一」と書くのであるから、倭人伝に「壹」はなかった、存在しているように見える「壹」は「臺」の誤写であると「立証」されたと言うことであろう。

 しかし、この論理展開には同意しかねる。
 一大国と一支国の二者択一は別に置くとして、当時、壱岐国が存在していたが、倭人伝編纂の際に、本来(本字)の「壹支国」でなく「一支国」(一大国)と書き換えられて表記されたという推論は、十分な証拠に欠けていて、論理として堅固なものではなく、結論とするのは余りに性急であろう。

 当方の推定では、一支国(一大国)と壱岐国とは、国名として併存したものではなく、数世紀の間に起こった地名の変転によるものではないかと思われる。

 素人議論の悲しさで、資料に基づく確証はないのだが、三世紀時点に国名としての壱岐国は存在せず、(遅くとも)数世紀を経て律令制の整備された頃、各地地名を、格調高い文字遣いに変えた際に、三世紀の外交の遺物である「一支国」を品格の高い文字遣いで「壱岐國」と改めたのではないかとも見える。

 三世紀当時の国名が一支国(一大国)であったから、倭人伝編纂の際に、そのまま一支国(一大国)と表記されたものと考えるる。
 従って、倭人伝で、一支国(一大国)表記に「一」字が使用されているからと言って、倭人伝の両版に厳然と書かれている「壹」字が、「臺」の誤写であると立証する根拠にはならないと考えるのである。

 当方の推論も、推定の積み重ねであって、論説として発表するものになっていないが、井上氏の「立証」も似たようなものである。推定は、あくまで推定であって、推定として発表されるべきものである。

 折角、書家として深奥な蘊蓄を示しておられるのに、邪馬台国研究家としての立場では、論拠不十分なままに性急な結論を露呈されると、井上氏の論客としての品格に関わりそうで懸念されるのである。

以上

今日の躓き石 「依然フィジカル任せ」

                                  2015/06/19
 毎度の言葉探しです。購読紙である毎日新聞の大阪3版スポーツ欄のサッカー女子W杯決勝トーナメント下馬評記事である「強敵 ここが弱点」と題したコラムの「米 依然フィジカル任せ」とある不可解な書き方に立ち止まったのである。
 いや、表面の印象だけでは、意見は書けないので、早速1行10文字で書かれた記事を読みふけったのである。依然として、意味不明な、隠れ家になっている「フィジカル」の正体を知ろうという気持ちは、二の次である。

 冒頭のドイツチーム評価は、14行を費やしている上に、得点が多く、選手層も厚いと具体的にほめている。また、「シュート精度に課題」というのが弱点と言いたいのだろうが、特定チームとの戦いで打ったシュートが決まらなかった、と書いているが、読者としては、相手の守備が頑強で攻めきれないときは、疲れてボールを失い、カウンターアタックを食うことを恐れて、早々にシュートを打って攻めを切り上げ、あわせて体力を温存するらしい、とか高度な戦略があるのではないかと、想像を巡らせることができる。
 実戦をその場で観戦したわけではないので、素人の想像である。いや、その場で観戦しても、素人には見て取れないかも知れない。

 米国チームに関する記事は、行数は11行あるものの、予選リーグB組の相手国名、FIFAランクと勝敗という既報データの複製で8行を費やした後、「体の強さを生かすスタイル」がこれまでの通りであると評しているだけである。
 折角の記事だが、これでは、見出しの「フィジカル」が「体の強さと言い換えられているらしいが、実際の何を指しているのかわからない。当たりが強いのか、走力、キック力、耐久性、など、体力面のどの点を指しているのかわからない
 それにしても、この部分の字数配分が妙である。

 また、見出しは「弱点」を取り出しているはずだが、ここに書かれているのは特徴点であり、連戦でも体力が衰えないのも「体の強さ」であれば、他チームを上回る絶大な強みなのだろう。付け足すように、前線での連携は今ひとつとあるが、これも、後に来る、見出しにないブラジルを除けば、特に不出来とは思えない。

 「体の強さを生かすスタイル」の背景には、優れた個人技と不屈の闘志、そして何より、チームとしての組織力、戦略意識があるはずであり、その上での「スタイル」だから、責め立てるべき弱点は、取り立てて無いものと見えるのである。ただの力任せの荒っぽいスタイルで、競争の激しい世界のトップに迫る実績を示せないはずである。

 因みに、先ほど触れたブラジルに対しては、7行程度の短評であるが、予選リーグの相手国紹介などの無駄口はなく、3戦無失点(守備力抜群)、パス回しが出色(抜群)、競り合いに強い(当たりで前進が止まらない)、とべたぼめの上に、(弱点とされていたと思われる)組織力が向上した(独走しないで連携する)、と南米式サッカーに対する悪しき先入観を払拭する高評価であり、あれあれと思う次第である。

 以上、またもや、謎かけ的な記事であるが、もう少し素人にもわかるように明快な言葉遣い、記事構成にして欲しいものである。

 言うまでもないが、英語が支配している野球業界はもちろんとして、多言語世界であるサッカー業界では、一段と、英語としての用法が不適切である上に、定義が不確かで、その場その場の手軽な言い逃れに使われている「フィジカル」は、願い下げである。

以上

私の本棚 28 完全図解 邪馬台国と卑弥呼 その8 末論

  別冊宝島2244 宝島社                         2014年11月発行

 私の見立て★☆☆☆☆ 乱雑、粗雑な寄せ集め資料    2015/06/18  追記 2020/06/05

*末論
*混沌の形

 本書には、「邪馬台国論争」が収束しない原因が、あからさまに露呈していると思うのである。

 いくら漢文には高密度に文意を凝縮できる機能があるとしても、高々二千文字のテキストに関して、これほど多様な、ある意味排他的な複数の意見が形成されるとは、不思議な現象と思えるかも知れない。

 しかし、個人的な経験で言うと、この魏志倭人伝追究の道に踏み込んで以来、参照したのは、各論各様に書かれた「魏志倭人伝」であった。

 各論者が自説にあわせて、新たに創作した魏志倭人伝で論説を立てるのであるから、論者の主張と論者の魏志倭人伝は、必然的に整合するが、各論者が異なった魏志倭人伝を読んでいる以上、議論の基盤は求めることができず、邪馬台国論争は、今後とも収束しないのではないか、と言うのが、延々8回にわたった当書評記事の結論ならぬ、末論である。

*見失われた本義
 一人だけ取り出して言い立てるのは、好ましくないのは承知しているが、上に述べたのが空論では無いと言うためには致し方ないのである。

 と言うことで、おずおずと採り上げるのだが、本書52ページに、「卑弥呼と倭迹迹日百襲姫命が同一人物であるという決定的な証拠は残念ながらまだ存在していない」と言う、一種の願望表明が書かれている。

 こうした討論の場で、「残念だ」とあからさまに言うのは、案ずるに、個人的な思い入れが浮き上がっていて、論争の敵手を罵倒すると共に、データ偽造の一歩手前の追い詰められた心境なのではないか。「まだ」存在していないと言うことは、目下鋭意制作中なのだろうか。不思議な言い方である。
 ことさらに、「考古学的な見地から考えると」と言うのは、考古学界の一部、古代史に関しては、関係者一同、黙々と自説に添った創作を進めていると言うことだろうか。

 これは、随分極端な言い分だが、例の「キャスティング・ボート」の的外れた比喩の動員とある意味で通じるものであって、各論者に共通した本音の率直な表明とも思われる。

*不敗の信念、不滅の定見
 言うまでもないが、基本資料である倭人伝記事には、口語訳も含めて、「倭迹迹日百襲姫命 」は、一切登場しない。いくら倭人伝の資料解読ニラ務めても、書かれていないものは書かれていないから、論議の対象外である。それが、棄却されずに、ここに居座っているのが、倭人伝論の特異なところである。本来、中国正史の議論は、中国正史に精通した者以外の素人論議を排することが出来るはずなのだが、ここに例示されたような、無効な素人談義が徘徊しているのである。いや、素人論議でも、論考の形を整えれば、一考に値すると評価されるのだが、先に挙げたように、暴論を連発しているのでは、門前払いやむなしである。
 それが通用しない編集方針では、事は、収束どころか、混乱を深めるのである。そう、当ムックの編集部の鼎の軽重を問うものである。

 自身の所説が、出土品の裏付けが全く無い仮説であって、資料の独自解釈だけに立脚した「仮説」であっても、論争の場で他の陣営の所説が出土品の裏付けや堅固な資料解釈に裏付けられたものであっても、あくまで、論争に負けたと認めて、承服して「仮説」を取り下げることは無いとと言うことである。百撓不屈とか、七転八起とか言われるように、気持ちが負けない人は、決して負けないのである。

*たこ焼きの時代
 本書は、さながら、大きなフライパンに各陣営の所説を放り込んで、加熱調理している内に程良く攪拌され、渾然一体となり大同団結した「邪馬台国」像が醸成されるという期待(願望)を持って編纂されたのかも知れないが、ここにあるのは、フライパンでは無く「たこ焼き器」なのであり、個別の所説は、大河に流れ込む支流のように、他の所説と密度が異なれば、階層を形成して混じり合うことはなく、とうとうと独立不遜の形勢を保つのである。いや、従来は、闇鍋と評したのであるが、死語、廃概念となったので、言い換えたのである。

以上

2015年6月17日 (水)

今日の躓き石 校閲部を校閲する?

                                     2015/06/17
 毎度ながら、毎日新聞大阪版の話であるが、まずは、毎度ながら、スポーツ欄でのサッカーナショナルチーム監督の談話で、「サッカー人生」という失言が書き出されている。軽率な言葉選びに、まずは引っかかるが、本人が日本語でしゃべっているわけではないので、言葉の選び方がお粗末なのは、翻訳者の責任である。と言っておく。

 それよりは、定例のくらしナビ面月一掲載の校閲部のコラム「字件ですよ」で、地の書き方で選手の「野球人生」と書き出しているのが、大変気がかりである。ここは、スポーツ欄記者の書きなぐり記事でなく、「言葉の守り人」の姿勢を世に知らせる場所である。言うならば、日本全国でお手本にしている所で、これはないよ、と思うのである。
 「**人生」と言う言い方は、スポーツ欄記者固有の悪弊かと思っていたら、すでに、「言葉の守り人」の感性まで汚染されているとしたら、嘆かわしいものである。

 言葉には、日常、どんどん使って、時には、踏んだり蹴ったりして、慣れ親しむ言葉もあれば、それこそ、人生の機微を語りたい時だけに使う、とっておきの言葉がある。はっきり言って、「人生」というとっておきの言葉を、普段着に下ろして、汗や食べこぼしにまみれさせたくないのである。

 元々、誰かが英語でBaseball Lifeと言ったとしても、それを日本語で「野球人生」と言い換えて良いかどうか、考えて欲しいのである。

 ちょっと場合は違うが、ノートパソコンの充電池の持続時間を、業界のかなりの企業が「バッテリー寿命」と翻訳していて、情けない思いをしたことがある。元々、米国企業が言葉遣いに無神経で、Battery Lifeと無造作に書いていたせいであるが、それに追随する方も、よくぞ追随したものである。

 言うまでもないが、充電池の容量を使い切って空にしても、充電すればもまた満タンになって復活する。
 いや、もっと大事な話がある。人間は悲しいかな限りある寿命を生きているが、ものは元々生命(Life)がないので寿命(Life)もないのである。

 これが、英語として当然の使い方であれば、アメリカ英語の伝統を守るべき知識人の権威も地に落ちたものであるが、アメリカ人皆がこうした業界用語の良い崩しに同意しているわけではない
 アメリカのように多様性を包含する社会でも、言葉選びに無頓着な種族が、間違った言葉遣いを拡散させていることに、多くの人たちが義憤を感じているのである。アメリカにも、言葉の規範はあるのだ。

 と言うような、まねしてはならない事例を横に置くと、ここに言う「人生」は、何とも情けない言い方である。単に、自分の選手生活、監督生活といった、個人のキャリアを言うものに過ぎない。選手時代、監督時代も、普通の個人としての生き方があったはずである。

 「人生」は、その人にとって一度きりのかけがえものであり、産まれたとき、と言うより、物心ついたときから最期まで続くものであり、「**人生」と手軽に小分けにして、「穿き崩す」ものではない。 

 大事な言葉を「普段着」にしたら、大事な話をしたいとき、どうやって話すのだろうか。

 因みに、少し踏み込んで「野球人生」という言葉を新入り言葉と認めたとしたら、野球人生初、と言うのが、賢い言い方かどうかである。
 それこそ、小学校の試合でホームランを打ったことを野球人生初といい、プロとしての初ホームランを、野球人生二度目というのは、どんなものか。あるいは、高校時代に、甲子園でホームランを打ったことを野球人生初というものか。

 プロ野球の公式戦は、技術的にも、選手としての受け止め方から見ても、それ以前の全ての野球経験と段違いのものと考えるのである。それにしても、選手本人は、こうした言い方をどう思うのかである。

 言うなら、昔から言い慣わしている「プロ初」で良いのであり、言葉の言い崩しを付け足す必要はないと思うのである。

 「野球人生」という言葉は、用例案などを慎重審査の上、断固「却下」である。

 ハリルホッジ監督の「サッカー人生」との言い方も、自身の一流クラブやナショナルチームでのプロ選手として闘って以来の経験だけを言っているのであって、まさか、子供時代の路地裏サッカーから思い起こしているのではないだろう。

 読者に事実を伝えるという報道の本分に照らしても、問題の多い、軽率な言い方と思うのである。

 毎日新聞校閲部ほどの見識があれば、素人の感じる情けなさを共感して頂けると思うのである。

以上

 追記  「字件ですよ」には、読者の「ご意見、ご感想」の連絡先が書かれているが、それでは、「ご意見、ご感想」と持ち上げているものの、連絡してしまうと当方が意見を押しつけ回答を強要しているようになるので、他の記事同様、言いっ放しの道を選んでいるのである。あるいは、「クレーマー」との定評を受けるのが怖いのかも知れない。
 別の言い方をすれば、ここまでの記事全部に、都度きっちりと回答が返ってきたら、当方も、更に回答せざるを得ない。論争と言わないまでも、意見交換会になったとしたら、当方は、心身ともに忙殺されるると言うことで、万事、言いっ放しでないと、身が保たない。

2015年6月15日 (月)

私の本棚 番外 長野正孝 古代史の謎は「海路」で解ける

 卑弥呼や「倭の五王」の海に漕ぎ出す PHP新書 2015/1/16

          私の見立て☆☆☆☆☆        2015/06/15

 番外としたのは、講読しての書評でなく、アマゾンが紹介している内容紹介に対する突っ込みであるからである。営業妨害目的でないのは、見て頂ければわかる。苦言は最良の助言であると信じるからである。 

 「魏志倭人伝」によると、卑弥呼の特使である難升米(なしめ)が洛陽まで約2000kmの航海を行ったという。

 と、惹句は書き出されているが、この一文だけで、購買欲、読書欲を削がれる。 

 魏都洛陽は、遙か内陸にあるから、「洛陽」まで「航海」することは、不可能である。

 魏志倭人伝には、倭国使節が帯方郡に来たので、帯方郡のしかるべき役人達が、洛陽まで帯同したと書かれているのである。帯方郡から洛陽まで、どこをどう通ったかは、書かれていない。帯方郡まで、どこをどう通ったかも、書かれていない。書かれていないことを堂々と打ち出すのは、論考の惹句として問題である。 

 難升米(なしめ)とあるが、そのように かな表記されたという記録はない。 

 邪馬台国が畿内の内陸にあった場合、と言うが、歴史的事実は不明なのだから、邪馬台国が畿内の内陸にあったと仮定するとしたとき、とでも言わないと、言い出し方から偏ったものになる。 

 瀬戸内海は航路が未開発であったため通ることができず、とあるが、断定に過ぎる。島々にも、南北の沿岸にも、早い時期から人が住んでいたはずであり、北岸沿岸や島伝いに航海する航路は、随分以前から成立していたはずである。少なくとも、数多くの交易遺物が発掘されていると記憶している。
 何かが存在しないことを論証するのは、大変な量の論拠が必要である。無謀としか言いようがない。

 例えば、現在の山陽路沿いに海路遍歴した後、河内湾に至ったという、神武東征説話を否定する論拠が必要である。

 こうしてみるだけで、この内容紹介は、はったりの羅列であり、様々の疑念を招いて、購買意欲喚起の惹句の用を為していないどころか、大いに逆効果である。

 著者は技術者出身と言うが、技術者は、確たる根拠があっても、なかなか断定しないのが本分である。技術者の「知」とは、そうした厳然たる基盤を踏まえているものなのである。
 このような惹句で自著を売ろうとするのであれば、著者は、技術者とは言えないと思うのである。

 通りがかりの冷やかし客から、嫌みたっぷりな非難を浴びせられて、不愉快な思いをしないないように、惹き句を改訂することを強くお勧めする。

以上

私の本棚 番外 河村哲夫 ブッダへの道 季刊「邪馬台国」第124号

          私の見立て☆☆☆☆☆        2014/06/15
                 以外★★★★☆

 このとき、10回目を迎える連載記事は、西晋時代の僧法顕のインド行を、法顕の遺した「仏国記」と現代の地理・風俗記事と連動させて描き出していて、まことに有り難い著作なのだが、今回は、途中の挿入記事(余談)で大きく躓いていたので、謹んで苦言を呈させて頂く。

 問題としたい箇所は、169ページの書き出しである。

 ここで、突然、ローマの話が出て来るのである。「ローマ人が初めて絹布を見たのは、紀元前53年である」と断定されている。その裏付けとして、やや場違いな挿話が語られているが、ローマ史の研究家でもない、単なる読書家に過ぎない、浅学の当方の老眼にとまるほど、人名や単語、形容句に不備が多く、史実に添ったものとは思えないと見えた。

 これでは、折角の労作全体の信憑性を損なうものになっている。なぜ、ここに、こうした記事を書き足したのか、趣旨が理解できないのである。

 別に、生き字引ではないので、記憶の確かでないところ、つまり大半の事項を、ネット検索、主としてWikipedia記事で補って、講釈をたれることにする。

 当時は、共和制ローマの時代であるが、特に、三頭政治と呼ばれる三大指導者の鼎立時期であった。ローマは、強力な指導者を求めるものの、王政復古ともなりかねない独裁政治を恐れたため、複数指導者の並立を選択したのだが、二頭政治だと、たちまち両雄の闘争になりかねないので、三頭政治としたのである。

 その時、政治的な統率力が高く、かつ、ローマの指導者として不可欠な軍事面の統率力も高く評価されていたのは、年長のグナエウス・ポンペイウスと年下のユリウス・カエサル(英語式のシーザーとして知られている)の二人であり、この二人の角逐を抑えるために、三人目の指導者として、マルクス・リキニウス・クラッススが呼び入れられたのである。

 クラッススはローマ随一の大富豪(西洋史を通じて第8位の大富豪という評価がある)であり、軍事面でポンペイウスに匹敵するとみられたライバルであつた。
 しかし、クラッススは、軍事面でライバルであるポンペイウスに軍功で後れを取ったままでは、三頭政治に於ける発言力が制約されるとみたのであろう。
 ただし、残る一頭カエサルとは、巨額の債権を持つパトロン同然の間柄であったため、カエサルを競争相手とは見ていなかったと思われる。
 そのような高度に政治的な配慮から、担当領域である中東でのパルティアとの紛争を利用してる軍功を補おうとしたのである。これを「嫉妬」と呼ぶのは、クラッススに対して失礼であろうと思う。

 さて、誰がクラッススの遠征が失敗すると予想していたのか、河村氏は書き出していないが、ローマはそれまで何度となく両国の境界地域での紛争を経験していたから、パルティアの不穏な国内情勢と手薄と見られる軍事力を把握していて、まず負けない相手と速断して遠征したのである。

 それでも、もし、マルクス・リキニウス・クラッススが東方遠征で不覚を取ると、三頭の中でポンペイウスが断然強力となり、政治的な平衡が崩れるのを危惧したカエサルは、自身の部下としてガリア戦争に従軍していた息子 プブリウス・リキニウス・クラッススに、多数のガリア騎兵を付けて、この遠征に送り出したのである。
 カエサルは、
クラッスス遠征軍が負けるとは見ていなかったが、万全を期したのである。

 と言うことで、クラッススは、十分な成算を抱いて出撃したのだが、結果は、惨敗に終わって、実質的に指揮官であった、息子ともども、異郷で命を落としたのである。

 全兵士が十分に訓練されていて、常に組織的な戦闘を行うローマ軍4万人が、敵地遠征で敵国との対決で敗北したとは言え、その半数2万人が戦死し、1万人が捕虜となってパルティア東北辺境の終身強制労働で生涯を終えたのであり、パルティア側には大した損害はなかったとされているのであるから、長いローマの戦史でも片手に入る、特筆される大敗北である。

 遠征軍の要諦は、敵地に深入りせず、劣勢とみたら早めに退却、撤退して生還することであるから、このように一方的な敗北は、両軍がまともに会戦した結果ではないのであろう。おそらく、パルティア側に、革新的な兵器ないしは戦術の秘策があってて、楽観気味のローマ軍を自陣深く誘い込み、伏兵が包囲して退路を断ち、劣勢のローマ軍は、脱出のできないままに一方的に打ちのめされたと見るものであろう。そうでもなければ、あり得ない負け方である。

 ここで、書評対象記事に戻ると、ローマ史に通じた筆者の書いた記事であれば、「カエサル・シーザー」という人名表記は、明らかに誤記であるので、ローマ史の記事として容易に校正できるはずであり、してみると、河村氏が、門外漢である、ローマ史に関する何らかの記事を誤写したのではないかと思えるのである。なお、「嫉妬に駆られ」とか「予想通り」とか、付け足している、講釈師めいた不用意な解説も、専門的な編集者が見れば、記事の風格に合わないとして削除を勧めるはずである。

 ついでに言うと、「およそ十年後」とは、元老院から、それこそ致命的な死刑議決を受けたガリア総督のカエサルが、ローマの国法で厳禁されていた、軍団を率いてのルビコン川渡河に始まる五年間の連戦で、ギリシャ、エジプト、旧カルタゴ領北アフリカ、ヒスパニアと、地中海周辺をほとんど制覇して、ポンペイウス勢力を掃蕩した後の凱旋である。これは、マケドニアのアレクサンダー大王の軍功に匹敵する、史上まれにみる大戦果と思われるが、河村氏は何も語らない。

 この間、日本風に言うなら恩人クラッスス父子の仇であるパルティアとの戦いは書かれていないが、おそらく、ローマ軍の猛威の前に、パルティアもローマと事を構える気をなくして、むしろクラッススの遠征で途絶えていた交易が再開していたことだろう。 

 絹布については、その間に、ローマ金貨を目当てにしたパルティアから、強力な売り込みがあったと見てもいいのではないか。契機は何であれ、絹布は、パルティア(中国名、安息国。パルティア人は「安」の姓を名乗っていたと言う)の特産物と言うことだから、別に、絹布のローマ流入の契機について信頼性の乏しいクラッススの戦死に絡む秘話を持ち出す必要はなかったように思える。

 一旦書き終えたところで確認すると、カエサルは、パルティア遠征を準備している時に暗殺されたと言うことだから、両国は友好関係ではなかったのかもしれないが、交易がなければ絹布は手に入らない、と言うことに変わりはない。民間交易は禁止されていなかった、と言うことかとも思う。 

 河村氏は、次のページでは、カエサル以後の両国の交易を淡々と説いている。

 元に戻って、確認不足とみえる数行の記事が、折角の労作記事全体の信憑性を落としているように思うのである。この手の苦言が、大変嫌われるのを承知の上で、あえて、率直に苦言したのである。

 ついでながら、氏の法顕旅行記紹介の「現地」は現在の中国領でもあり、旧ソ連邦中央アジア諸国でもあるが、本筋を外れて記事の風格に合わない余談にならないように、ご注意を喚起させて頂くものである。 

 以上の批判的な解説は、Wikipediaなどを通読して得られたものであり、個人的な史観であって、絶対的なものではないことは言うまでもない。興味のある方は、自力で裏を取ることをお勧めする。

以上

2015年6月14日 (日)

今日の躓き石 台湾語の話

                                  2015/06/14
 ITmediaサイトのCOMPUTEX TAIPEI 2015の関連記事の見出しで、ふと立ち止まったのである。

COMPUTEX TAIPEI 2015:
動画で体感! 台北の会場で友好関係を築く (1/2)
台湾語で語りかけてくる彼女たちのなんと可愛らしいことよ。

 いや、記者のタイペイ現地取材だから、おそらく書いているとおりだと思うのだが、つたない聞き手に聞こえる限り、語っている言葉は、大陸国家でも採用されている中国語であり、俗に北京語、正しくは普通話といわれる言葉のように思える。記者は、裏を取って書いたのだろうか。

 台湾で、標準の言葉「国語」としているのは、もともと普通話だけであり、台湾現地の言葉である台湾語(正確には閩語(福建語)と思う)は、長年にわたり影に押しやられ、学校で教えず、テレビ、新聞でも(一部番組を除いて)使用されず、と言う状態と聞いている。
 とは言え、現地に元々住んでいた人たちにとって、台湾語は先祖以来の母国語であり、タイペイを離れた地方では、今も使われているだろうし、50代以上の高年齢層は普段の言葉として使っているだろうが、国際報道が前提のインタビューで、台湾語で話すことは、まず、あり得ないと思う。

 ITmediaに報道機関としての意識があるのであれば、是非、事実確認をお願いしたいものである。

以上

今日の躓き石 メンタルを保つ

                                     2015/06/14
 今朝も、昨日に続き阪13版スポーツ面で、つと引っかかったのである。

 言い訳は毎回なので省略する。こうした苦言を聞くのは不愉快だろうから、早く、言わずに済むようになって欲しいものである。言う方だって、別に愉快ではないのである。

 63戦で100安打を打った若き好打者の談話に、「メンタルを保っている」とあるが、何のことかわからないので、折角の自慢話の真意が伝わらないのである。そこまでは、技術論が具体的なので、素人なりにわかった気がするが、この部分は、理解できない。

 一般に言われる言葉を取り出して言うと、「メンタル」ヘルスを保っているのだろうか。それとも、勝手な造語で、「メンタル」パワーを保っている、と言っているつもりなのだろうか。躓くと言っても、その場に倒れ込むほどの邪魔物ではないが、完全に足が止まるのである。

 別の戦評では、投手の突然の大乱調について、当人の談話も引用して「パニックに」陥って、「感覚が狂って」とあるから、素人ながら、どんな心理状態にあったかわかる。
 何しろ、人が「パニック」状態になると、血圧や脈拍が動揺し、視覚が揺らぎ始め、そして、筋肉の制御が効かなくなるから、ドクターストップで降板するしかないと納得するのである。
 つまり、投手の心の状態が、ほぼ的確に読者に伝わってくるのである。

 読者は、投手の「心技体」の、「」(技術)や「」(体調、故障)の問題ではなく、また、油断や過緊張のように、気を落ち着ければ回復する程度ではなく、深刻な「メンタル」プロブレムであったか、と一応納得するのである。

 これに対して、「メンタル」と言うだけで、意味の通らない記事は、報道の役に立っていないと言える。
 これまでも、機会のあるごとに指摘しているように、「メンタル」は、もともとできの悪いカタカナ言葉であり、困ったことに、あちこちで色々崩して使われているから、この4文字だけでは、何を言っているのかわからないし、この急造カタカナ言葉を、英語のmentalと見立てて英和辞書を引いても、解答はないのである。

 記者は、その選手独自の「メンタル」の一言で意味がわかるなら、どうか、言い換えの言葉を足して伝えて欲しいのである。もし、自分にもよくわからないのなら、読者に丸ごと投げつけるのではなく、選手に問い返して欲しいのである。それで、選手も、自分の言葉がファンに通じないと言うことを知るのである。

 「気負わずに日々同じことを続けていられる」と、大人めいた表現で記事を締めているが、それだから高みに立てるとは信じられないし、「平常心」と「メンタル」は、どう繋がるのだろうか。むしろ、「それでメンタルを保っている」と言う意味不明の下りを省略した方が、選手の真意が伝わるように思える、と感じたことを付け加えておく。

 報道に当たる記者は、もっと、報道の基本に忠実に、そして、読者の乏しい知識と理解力を忘れずに、丁寧に語って欲しいのである。

以上

2015年6月13日 (土)

今日の躓き石 ボレーの神業

                                      2015/06/13
 今朝も、毎日新聞大阪13版スポーツ面で、つと引っかかったのである。

 半日余り、ブログネタにするかどうか迷ったが、嫌みになるのを恐れずに掻き立てることにした。老い先短い当方としては、世間の嫌われ者になっても、それはその時、自分の将来が閉ざされる損失より、未来ある人に言葉遣いを治して貰いたいと思うことにしたのである。

 「ワンバウンドのボールに追いついてボレーで蹴り込む
 何の気なしに読んでいて、ここでつっかえたのである。 

 ワンバウンドのボールを蹴るのをボレー(Volley)と言うのが、世界標準としたら、連続ボレーが必須であるバレーボールとボレー禁止の卓球のゲーム展開は、大転換するのである。何か、サッカーだけ特別の言い方をするのだろうか。スラングめいた業界人言葉であれば、一般人を混乱させる言い崩しなので、ご勘弁頂きたい。

 因みに、当方の印象に残っているスーパーボレーの記憶では、ゴールに向かって駆け上がるプレーヤーの肩越しに背後から縦パスを送り込み、駆け上がったプレーヤーは、当然の如く、振り向きも見上げもせず、速度を合わせることもなくそのまま走り続け、見えないところから前方に落ちていくボールに自然に追いついて、そのままボレーシュートしたのを見たことがあるように思う。
 確か、縦パスのキッカーは、中村俊輔選手であったような気がする。

 もう一つのスーパーボレーの記憶は、向かって右からのコーナーキックで、ゴールから大きく離れた左手前で、(当然)ノーマークで待機しているプレーヤーに向けてコーナーキックを蹴って、待機していたプレーヤーが、足下に来たボールをボレーシュートするスーパーセットプレーも見た気がする。言うならば、ロング「ショートコーナー」である。
 こちらも、キッカーは、中村俊輔選手、シューターは、名波浩選手だった気がする。と言うことは、国際試合だったのかと思う。

 いずれも、随分以前のことであり、録画しているわけでもないので、記憶違いであったら、ご容赦頂きたい。

 ともあれ、今回は、寝起きに読んで、ついずっこけてしまう名文であった。

以上

今日の躓き石 今日も ドライバーは空を飛ぶ

                                     2015/06/13
 今朝も、毎日新聞大阪13版スポーツ面で、つと引っかかったのである。奇しくも、連投になってしまった。自業自得というものの、ブログ書きにも、何も得はない。

 半日余り、ブログネタにするかどうか迷ったが、嫌みになるのを恐れずに掻き立てることに下。老い先短い当方としては、世間の嫌われ者になっても、それは戸の時、それより、自分の将来が閉ざされることより、未来ある人に言葉遣いを治して貰いたいと思うことにしたのである。

 これも、毎日新聞記者に対して、だから、苦言を呈するのである。

 ゴルフのレディーズトーナメントで好位置を占めているアマチュアの発言が、引用符入りで「パットがよかった」と書かれているのは、若者世代が古老の悪習に染まっていないのを知らせていてうれしかったし、「同*生」と言う問題発言がなくて、丁寧に同学年と書かれているのも、大変うれしかった。
 と思ったら、先ほどの「パット」発言の後に、「ドライバーの飛距離」が、同じ組で回っていたプロを上回っていたと書かれているのは、何とも興ざめであった。悪しき言葉、古来より業界に根強く蔓延っているスラングである。

 トッププロに上り詰めたいと思っているのなら、クラブ飛ばし遊びは止めることである。

 というのは、言うまでもなく、冗談半分の嫌みであるが、ここは、記者の地の文なので、多分、記者がまだ半分アマちゃんなのであろう。 

 記者も、トッププロを目指すのなら、集中力を切らさずに、格調高く記事を書き、厳しく自己校閲して欲しいものである。毎日新聞の記事を教材にしている子供達も、沢山いるのである。

 因みに、この記事の本題ではないが、ついでに苦言を載せておくと、未来あるブレイヤーが、早くも第2日目で、「充実感」をにじませ、周囲の人間に自画自賛を見抜かれるのは感心しない。

 この時点の自己採点は、余程注意して表明すべきである。多数のプロが、90点のアマチュアに負けているのである。どちらを向いても先輩ばかりの中、自慢めいた言いぐさと受け取って気分穏やかでない人も少なからずいるだろう。

 謙虚に振る舞って、どこにも損はないのである。わざわざ、敵を作る努力に励むことはないのである。

 それも、若年のアマちゃんなら仕方ないのだろうか。

以上

2015年6月12日 (金)

今日の躓き石 「フィジカル、スピード」 そうだったのか

                                    2015/06/12
 今回は、不満ではなく、毎日新聞のスポーツ欄の書きぶりを褒めたいのである。指摘した躓き石が消えたという報告である。

4月17日付毎日新聞大阪版スポーツ面で、Jリーグ戦の記事に、視察しいてた日本代表ハリルホッジ監督が、先日、「Jリーグはフィジカル、スピードが足りない」と語ったと引用されているが、まことに不可解である、と書いた。

 いろいろ考えても、監督が、「フィジカル、スピードが足りない」」と言ったとする報道が、当人の意図が通らないものであり、報道になっていないという苦言であった。

 今回6月12日付毎日新聞大阪版スポーツ面で目にしたイラクとの国際親善試合の報道は、当該ブログで毎日新聞に求めたスポーツ報道像である「掘り下げた」報道、かつ、一般人に「伝わる」報道である。

 ゲーム経過に即して語られた「1対1で負けない」守備という「フィジカル」コンタクトの強さと「少ないタッチ数で前線に縦パスを送る」攻撃という展開「スピード」の速さという二つの要素が十分意識された記事であった。

 さすがに、報道のプロの見事な著作である。脱帽である。

 前者について言うと、サッカーでフィジカルと言えば、何より、フィジカル コンタクトの意味であることを、もっと強調して欲しかったのである。サッカーは陸上競技ではないので、フィジカルとは、体力数値のことではないのである。
 そのように、言葉の意味がしっかり統一されて理解されていて、時折、一般人向けに説明がされれば、民間「言葉の守り人」としても、専門用語としての意義を否定するものではない。

 後者について言えば、サッカーでスピードと言えば、何より、ゲーム展開が攻勢に転じたときに、直線的と言えるほど、まっしぐらに敵ゴールに進む、チームとして統一された意志ある展開スピードを言うのであることを、もっと強調して欲しかったのである。サッカーは陸上競技ではないので、スピードとは、走る速さのことではないのである。
 そのように、言葉の意味がしっかり統一されて理解されていて、時折、一般人向けに説明がされれば、民間「言葉の守り人」としても、専門用語としての意義を否定するものではない。

 たまたま、本日夕刊3版スポーツ欄に、「敵FWのスピード警戒」と特に書かれているのも、短距離走のタイムを言っているのではなく、やはり、攻勢に転じ たときに自陣ゴール前に進出して来る展開の速さを言うのだろう。
 予想より早く進入してきた敵FWにディフェンスが対応できないうちに、早い縦パスを通されたら失点の可能性がぐんと高まる、それが脅威である と補足して理解するものなのだろう。

 どちらのカタカナ言葉も、あちこちに登場する元選手や評論家がそれぞれ勝手に解釈して、詳しい説明なしに使いまくるものだから、当人達の発言の趣旨は的確に伝わらず、側聞した民間「言葉の守り人」が、安易な(間違った)言葉遣いとして、否定的な発言を声高に述べる「言葉咎め」のブログ記事が続くのである。

 こうしてみると、報道の価値は速報にあるといいながら、趣旨の伝わらない報道は、「報道」として価値ののないものであることがよくわかるのである。

 お断り
 最後に、念のため付け加えると、当記事で言いたかったのは、当方が前回のブログで、『毎日新聞に求めたスポーツ報道像である「掘り下げた」報道、かつ、一般人に「伝わる」報道』を求めた記事のフォロー記事である。
 だめ押しのだめ押しであるが、当方は、サッカーを始め、各社スポーツに関して、全て、ど下手のど素人である。これは、技術論を言い立てる記事では無い。

以上

34. 翰苑再考 追記版 2016/08/15

                                                                                       2016/08/15

 末尾の追記で予防線を張っていたが、翰苑記事の通常「卑彌娥惑」と解釈されている句は「卑弥妖惑」と解釈すべきという指摘は、素人ながら良いところをついていると当時思ったが、最近、古田武彦氏が「邪馬一国への道標」で同様の論拠で同一の指摘をされているのに気づいたので、謹んで、ここに附記する。
 当然、古田氏の深く広い学識に基づく指摘は、当方の遠く及ばない高みに達しているので、是非とも、同書を確認いただきたい。

 いや、素人がつつくような齟齬は、当然、先賢が指摘されているものであり、事前点検が疎かであった点をお詫びする。いや、当ブログ記事の趣旨は、余り世間で目にしない指摘を、率直に提示すると言うことなので、よろしくご勘弁いただきたい。

 いずれ、翰苑に関する記事のまとめを公開するときは、順序よく整理して書きたいと思う次第である。

                                        2015/06/11
 翰苑については、以前当ブログで紹介しているので、ここでは、要点に入る。
 概観として、翰苑には、誤字らしいものが多く、なかなか原文を察しがたいものがある。

 翰苑記事の中でも、魏志や後漢書のような完成史書を原典としている記事は、ある程度原典を参照して誤記を校正できるが、大きく書き出された四六駢儷体の字句は、(おそらく)翰苑編者である張楚金の創作であり、他に例のない字句が多いから、正しい文字が書かれているのか、誤字なのか判然としがたいものがある。

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 今回、素人文書考証の演習課題として、やや詳しく採り上げるのは、次の一句である。
 「早方尓娥惑翻叶群情」

 当方の知る限り、翰苑に関する論説で、自明のように、劈頭の三文字を「卑彌呼」と解釈している例が見られる。

 いかにも、もっともらしいのだが、「呼」と「娥」では、偏も旁も違うので、漢字の見かけが大きく違い、文字の意味も用途も違い、発音も違い、とにかく、取り違える可能性は、かなり低いと見られる
 定説とは、そうしたものである。

 そうそう、仕事始めとして、「早」(いや、実際は、十の上に田が載っている造字である)は「卑」の書き間違え、ないしは、横着した略字と見るのである。続いて、二文字目の「方尓」のように見える文字は存在しない文字であり、これは、「」の通字である「の書き間違えと見るのである。

 漢字は、大抵の場合、偏や旁のような部品の組み合わせで出来上がっているから、うろ覚えで、ありきたりの偏とありきたりの旁を組み合わせて、ありそうだが実は存在しない漢字を創作してしまうことは、時にはあるのである。ただし、訓練を受けた写本工は、そのような間違いを起こさないものである。

 当考察で指摘したいのは、この句は、四六駢儷体で書かれていると言うことである。
 詳しいことはさておき、要は、句の文字数に応じて、句の内部が四文字、ないしは六文字が単位で区分されるのである。上記二ページでも、十文字句が二件書かれた後、ここで上げている八文字句が書かれていて、そのすぐ後に臺與に関する八文字句が続いているのである。

 さて、この八文字句は「卑彌娥惑」の四文字句と「翻叶群情」四文字句に前後二分されるのである。
 それぞれの四文字句は、更に区分すると二文字単位で構成されていると推定される。
 つまり、「卑彌娥惑」は、「卑彌」の二文字句と「娥惑」の二文字句とに前後二分されるのである。

 「卑彌」は、何とも妙な感じであるが、卑彌呼の頭二文字を取ったものであろう。
 曹魏当時は、新朝の王莽が布令した「二字名の禁」が厳守されていて、中国人の名前は二文字だったことは、教養人には知られていたものである。

 因みに、「二字名の禁」が消えて、中国人の下の名前が二字になるのは、唐王朝第二代太宗李世民の世代からである。それに先立つ、李世民の父は、太祖李淵である。
 そのような背景から、卑彌呼は、実際は、「」と言う名前と見られたのかも知れない。
 ただし、当時の姓氏録らしいものの影印版を目視で検索すると、「卑」氏の項目は見つかったものの、具体的な例は書かれていなかったので、実際に、「卑」氏が存在したかどうかは不明である。

 さて、続く二文字である「娥惑」に相当する言葉は見あたらないから、よく似た二文字熟語を探すと、「妖惑」が浮かんでくる。
 笵曄後漢書では、卑彌呼を「能以妖惑衆」と形容しているのだが、翰苑には後漢書の引用例が少なくないので、これはかなり可能性の高い推定である。

 と言うことで、前半四文字は「卑彌妖惑」であったと思われる。

 ついでに、後半四文字「翻叶群情」について考察すると、よくわからないのは、二文字目の「」である。この漢字は、日本語で願いが叶う、と言った使い方をするが、この使い方は日本で発明されたものであり、中国語では、「叶」は、「協」ないしは「葉」と通じる漢字である。

 してみると、後半四文字は「翻葉群情」と考えられ、素人考えで意味をこじつけるなら、「群衆の感情を木の葉のように翻させる」、と言うことではないかと思われる。

 「卑彌妖惑翻葉群情」の八文字は、そうしてみると、「卑彌呼は、群衆の感情を木の葉のように翻させる」となり、これは後漢書の「卑彌呼(中略)能以妖惑衆」と言う記事と調和するように思えるのである。

 いや、ここで大事なのは、翰苑編纂者が、史家として、倭の女王卑彌呼がそのような指導者であったと言っているのではなく、文筆家として、後漢書の記事を元に倭の女王卑彌呼に因む美辞麗句を編み出したと言うことである。

 翰苑は、史書として書かれたものではないのである。 

以上

追記 得々と、当方の新発見のように所論を書き進めたが、言うまでもなく、当方の見聞は限られているので、以上の所論に対して先行論説があったとしたら、よろしく御寛恕頂きたい。

 

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2015年6月11日 (木)

今日の躓き石 CEA goes mirrorles, so what?

                                                             2015/06/11
 いや、今回は、全く個人的な感性に基づく意見であり、根拠のない偏見と見なされても仕方無いものです。とは言え、何とも、悲しい知らせを聞いたものです。 

全米家電協会、カメラ分類名に「ミラーレス」を採用
 呼称問題が一歩前進か 日本のCIPAは“ノンレフレックス”

 いえいえ、記事を報道したデジカメ Watchに、不平不満があるわけではないのです。ただし、「前進」という言葉には、若干疑問がありますが、まあ、仕方ないでしよう。(いや、不満はあるのだけれど、無理ないとも思えるのです)

 以前、現役時代に商品企画担当や商標担当(いえ、カメラは、長年の趣味であり、業界人ではありません。念のため)をしていたことから、ネーミングに関する感性を研ぎ澄ましていたものだから、「ミラーレス」というネーミングは、どうにも、感心しないどころか、不適切だと思うのです。

 **レスという言葉で、誰でも思いつくのは、「ステンレス」という言葉と思います。つまり、**レスの**は、滅ぼすべき欠点です。
 ステンレスは、ちゃんと全部言うと、ステンレススティールと言って、2000年以上にわたって「鉄」の宿命的な欠点とされていた、汚らしいさびの出ないいつまでも美しい鋼板という意味であり、ネーミングそのものが、特徴表現になっていて、まことに見事なネーミングです。

 では、「ミラーレス」のミラーは欠点なのでしょうか。そんなことはありません。無用の存在、滅ぼされるべき欠点だとしたら、DLSR(一眼レフ)は、欠点を抱えた滅ぶべき存在なのでしようか。そんなことはありません。

 だから、カタカナ日本語で、「ミラーレス」と名付けた人(昔風に言うと「仕掛け人」か)は、本質的に一眼レフ撲滅論者だったのでしょうが、当の攻撃対象であるSLRのトップメーカーは、当業界のリーダー達と思うのですが、このような曲がったネーミングに、何となく同調したらしい(反対したと聞こえてこない)のは、嘆かわしいことです。いや、CIPAのこだわりは、そんなことわかっているよ、との意思表明なのでしようか。

 新製品、あるいは、新技術につけるネーミングは、世界に対して新たに提供する特徴機能を高々と歌い上げるべきものであり、先行している先輩の成功と名声をねたんで、その足を引っ張るものにすべきではないと思うのです。
 その意味で、ノンレフレックスというのはまだ不満があるのですが、ネガティブキャンペーンを露骨に打ち出した「ミラーレス」(ミラーレス撲滅論)より「まし」と思うのです。

 そして、今回英語を母国語とする米国の業界団体が、Mirrorlessをcategoryとして採用したというのは、なんとも嘆かわしいものと、一人で歎いています。英語で言うなら、What a shame, CEA!でしょう。
 彼らには、米国英語に対する愛着も、SLRに対する尊敬もないのでしようか。
 確かに、DLSRの基礎となったSLRカテゴリーは、日本のカメラメーカー(複数)が、ドイツ系のレンズ交換式レンジファインダーカメラに対抗して開発し、鉄壁と見えた堂々たる牙城を乗り越え、それ以来、長年にわたって発展、維持させ、ついには、今日の盛況まで発展させたものであり、米国の業界団体の発展は、ほぼ、日本のカメラメーカーの功績であり、その日本のカメラメーカー達がMirrolessと言いたくてしょうがないのだから、賛成するしかない、泣く子と何とかには勝てない、あるいは、You can't argue Capitol Hill. とでも言うのでしようか。

 今回は、デジカメWatchまで、いつの間にか時流に降伏していたというので、かくして、当方は孤立して、こんな意味不明の悪態をつくしか無いのでしょう。

 それにしても、ネーミングの真意を聞かされていない読者の大勢がどうだから、とか、当ネーミングの仕掛け人に付和雷同しているマスメディア全体がどうだから、とか言うのは、報道者としての気骨を失った潔くない対応と思うのです。

 今日は、大変悲しい一日になりそうです。

以上

2015年6月10日 (水)

私の本棚 20 井上悦文 「草書体で解く邪馬台国の謎」 季刊「邪馬台国」 第125号

 私の見立て★☆☆☆☆ 根拠不明の断言集       2015/06/10

 本稿は、専門的な根拠を踏まえた論説のようであるが、余程論旨に自信があるか、それとも、論旨に不安があるのか、冒頭から、強い物言いが続くのである。
 こうした断定的な書き出しは、却って不信感を招くと思うのだが、どうだろうか。例えば、書き出し部で「三国志の原本は草書であったことが判明した」と声高に唱えて開幕するのである。

 そこまで言い切る自信の根拠は、何かとみると、楷書などによる写本は大変時間がかかるので、作業性が悪く、写本は全て草書で行われていたに違いないという説である。

 時代を隔てて、遙か彼方の現場を推定する状況証拠だけであり、物的な証拠が無いのに断言するのは大胆である。

 ここで言う物的な証拠は、例えば、西晋皇帝所蔵の三国志写本の実物であるが、断簡も残っていないし、下って、北宋までのいずれの時代でも良いが、皇帝所蔵の三国志写本が発見されたとは聞かないから、やはり、物的証拠は存在しないのである。

それとも、噂に聞く、敦煌文書の呉志写本断簡は草書で写本されているのだろうか。もっとも、そうであったとしても、皇帝蔵書ではないので、状況証拠にしかならないのだが。

 ここで状況証拠としている写本に使用する書体と作業効率との関係は、書の専門家の意見であるし、また、多少なりとも、書き真似してみれば納得できるので、首肯せざるを得ないのだが、その点を根拠に、正史の写本が全て草書で継承されていたというのは、速断に過ぎ同意しがたいものがある。

 因みに、いくら書の専門家のご高説とは言え、三国志の解釈に「草書の学習」が必要というのは、不可解である。三国志草書写本は現存しないのである。氏が三国志全巻を古代草書で書き起こして、仮想教材として提供するというのだろうか。

 いや、今回の井上氏の論説でありがたかったのは、秦漢時代にも、日常の書き留めには、手早く書ける草書めいた略字体が採用されていたと言う指摘である。
 してみると、草書の特性は、文書行政の発達した古代国家である秦時代からの常識であったと思うのである。
 発掘されている木簡類は草書では書かれていないようだが、日常の覚え書き類は草書だった(のだろう)との説には説得力がある。

真書と草書
 それで思い出したのが、宮城谷昌光氏の著作「三国志外伝」の蔡琰(蔡邕の娘 蔡文姫/昭姫)の章の結末である。曹操から、記憶している亡父の蔵書四百余篇を書き出して上程するようにと下問されたのに対して、「真書」で書くか、「草書」で書くか、書体を問いかけているのである。

 手早く草書で書き上げれば随分早く提出できるが、書籍として品格が低くなり、曹操ほど詩作や孫子注釈で高名な大家に失礼と思えるし、といって、厳密に真書で書くと、時間が大層かかる、いわば、二者択一であったのである。

 ここで言う真書は、言うならば、字画を全て書き出す本字であり、草書は、省略の入った略字という位置付けであろう。どちらでも、ご指示のままに書き上げますという趣旨である。

書体の併存
 さて、古来から真書、草書の両書体が併存していたのであるから、草書が略字体であるために異字混同が(必然的に)出ることは、当時の知識人や行政官吏に知れ渡っていたはずと思うのである。氏自身も述べているように、草書の位置付けは、あくまで草稿、つまり下書き止まりであって、本当に「文書」を書くときは真書で書いたと言うことである。これは、浄書であり、清書でもある。

 ちょっと意味合いは違うかも知れにないが、唐時代、公文書では、簡明な漢数字の一,二,三,,,壱,弐,参,,,と、大字で書く規則があったのも、改竄防止、誤読防止の意義があれば、時間を掛けても字画の多い文字を採用していたと言うことである。ということであれば、信書(手紙)の類いは草書としても、公文書を草書で書くことはなかったはずである。

 つまり、正確さ、厳密さが至上課題である公文書類や正史写本には、後世に至っても厳として真書が採用されていたと推定するのである。

正史写本
 特に、正史写本の中でも、皇帝蔵書に当たる最高写本、これを仮に正本というならば、正本を写本して新たな正本を作るとすれば、そのような高度に厳密さを要求される複製写本の際には、写本に於ける速度ではなく、複製の正確さが至上命令であったからである。

 至上命令というのは、これに違反すると、給料を減らされたり、免職になったりする程度の「処罰」にとどまらず、馘首、つまり、打ち首で死刑もあり得ると言うことである。

 それに対して、経済的な要素として懸念される時間や人手は、国庫から十分以上に与えられるわけだから、真書で、しかも、予習復習を含めて、とにかく、時間と人手を惜しまずに、念には念を入れて写本するのは当然の帰結と思われるが、どうだろうか。

抜き書き・走り書き
 ただし、以上は、何よりも厳密さが求められる公文書や正史写本の話であり、一度、そのような厳密さの桎梏から解き放たれたときは、段違いに書きやすく、速度の出る草書写本が採用される可能性が高いと思うのである。

 特に、正史をもとに編纂された類書の原典とする抜き書き資料は、草書で書かれていたものと思われる。
 類書の編纂の姿勢は、正確な引用でなく、飲み込みやすく消化した要旨抜粋であるので、誤字もまた発生することが避けられないのである。また、抜き書きの元となって写本が、正本と同様に真書で書かれていたかどうかも、以下で思案するように、かなりあやしいのである。

 お説に従い、これら草書写本には、異字混同がある種の必然となることを考慮すると、ここで延々と主張されている誤字は、こうした草書写本段階で発生し、後代史書や類書に継承(誤伝)されたと見て良いのではないか。

 この辺り、論理の分水嶺というか、絵に描いたような諸刃の剣である。

 その極端な例として、翰苑写本がある。当該写本は、影印版の収録された解説書が公刊されているから、どのような書体と配置で、どんな文字が書かれているか、誰でも確認可能なのである。

 特に同意意見も、反論も出てこないブログ記事で公開された私見ではあるが、見るところは見て書いたものである。

 つまり、翰苑写本は、(原本が確認不可能なので、ちゃんとした原本があったと仮定して評価すると)原本に忠実な、正確なものではなく、正確さを求めたものでもなく、とにかく、自分たちの欲しい部分を、何者かに追い立てられているように、手早く書き写すという方針で書き飛ばされていると見るものである。

 更に問題としたのは、素人目にも、校正というか、校閲によるダメ出しがされていないので、信頼できないのである。

 いわば文化財としては尊重すべきだが、史料としては相当信頼性の低い文献資料と見ているのである。

二次写本、末裔写本
 また、皇帝の指示した正史写本は、次なる正本として厳格に写本されるにしても、当代の正本から写本された、言わば、子写本(一次写本)から芋づる式に連鎖して写本された孫写本(二次写本)以降の末裔写本となると、厳格さの適用外であり、作業効率が優先されるものだろう。となると、草書写本となる可能性がどんどん高まるのである。王族や地方豪族の手元に渡る頃には、多くが草書写本になっていたとも推測される。

 以前から指摘しているように、真書写本といえども、誤写の発生を食い止めるには、大変な労力と優れた職人群が必要であり、王侯貴族といえども、そのような精密な写本は、そう簡単にはできなかったと思われるのである。

草稿と確定稿
 また、三国志の編纂過程で、陳寿、および、その補佐役が草稿、すなわち下書きを作成したのは、おそらく、草書体であったと思うが、三国志の確定稿は、真書で清書していたものと思うのである。

 ただし、草稿といえども、文脈から推察できない異民族の固有名詞などは、おそらく、草書のただ中に真書を交えるなど、誤写を防ぐ工夫などをしていたに違いないのである。それが、俗事に屈しない史官というものである。

 井上氏の記述は、陳寿は三国志を完成することができず、草稿を残して没したようにも見えるが、当時、すでに60歳を過ぎた老齢であるから、自身の著作を中途半端な形で後世に遺すことがないよう、真書で書き上げた清書稿を完本として完成していたと考えるのである。
 また、皇帝から命が下ったときは、速やかに上程できるようにしておくという意味もあるのである。
 陳寿の人柄と職掌を考えると、そう考えるのである。

余談談義
 総じて、井上氏は、業界用語を交えた不思議な言い方を好むようである。

 例えば、冒頭で、何の断りも引用符くくりもなしに、魏志倭人伝と書いておきながら、後出しで、だめを入れるのである。

 曰く、『「邪馬台国」の(と言う国)名は、中国(余計である)正史(である三国志の一部である)の「魏志倭人伝」に書かれていると大方が思っている。』 ()内は当方の補充。それにしても、大方とは何の意味か、よくわからない。他人の「思っている」ことょどうやって調査し、どのようにして計数化して、「大方」見出したのだろうか。

 ここで、てっきり、季刊「邪馬台国」誌では場違いな、古田武彦説復唱かと思ったが、そうではない。
 「魏志倭人伝という正史はない」に始まる趣旨不明の提言が続く。どろりと「魏書の東夷伝の倭人の条」と書き写しているが、魏書と書かれているのはここだけで、他の箇所では全て、魏志である。趣旨不明である。「倭人伝」はなかった論には大方は食傷している。

 最後には、倭人伝と三国志全体の文字数が上げられているが、本稿においてどんな意義があるか、不明である。
 まことに、不可解である。

 以下、三国志の「成立方法」(単語明瞭、意味不明)と言う下りがある。

 「成立」を確定稿のとりまとめ時点と言うのであれば、その時点では、確定稿は、いまだ陳寿の個人的な著作なのだから、いわゆる官製史書である「正史」でないことは自明である。まして、一部厳密な言い方を打ち出す識者によれば、西晋時代に「正史」はなかった、のだから、その後も、正史という言葉が浮上するまで、三国志は「正史」でなかったことになる。

 とかく、そのような「重隅突き」的な散漫な言葉咎めは、「大方」の読者に論旨の迷走を感じさせ、折角の文章が寄せ木細工との感を与え、箸休めの「閑話休題」以外に何の意義があるのかよくわからない

 おそらく、ご自身の学識の範疇外なので、いずれかの公開文献から取り込んだのだろうが、身に合わない借り着は、本人の品格を落とすだけである。(門外事を、うろ覚えで挟み込んで論説全体の値打ちを下げるのは、井上氏だけの失敗ではない)

写経
 遣唐使や留学僧が持ち帰った仏教経典の写本が草書体であったとも思えないので、唐時代でも、真書による写本も残存していたように思われる。
 奈良時代に平城京で行われた国家規模の写経事業も、また、本稿で言われる草書写本の例外ではなかったかと思われる。
 因みに「藤三娘」と署名した聖武天皇皇后「光明子」の残した写経は、どう見ても、草書ではない。
 と言っても、草書写経が「なかった」と断言できるほど、多数の原史料を確認していないので、推測であるが。

以上

2015年6月 6日 (土)

今日の躓き石 水洗トイレの水流で発電

                                         2015/06/06

 いや、なかなか素っ頓狂なアイデアであるが、世に出てしまったので、率直に批判せざるを得ない。

 下記は、6月2日付ニュースリリースである。

東北大学との産学共同による研究
災害時にも快適に使用できる「ゼロ・エネルギー・トイレ」開発の一環として
水洗便器への給水で発電した電力により照明電源を賄うことに成功

 リリースの記事では、災害時、停電から復旧していなくても、水道が通じていれば、水道水の水流で発電して、非常用照明の電源とするとおっしゃる。
 ちょっと聞くと、なかなか気の効いた発明と思えるが、本当にそうだろうか。星霜を経た年寄りは、こうした「新発明」をそのまま受け取らないのである。

 見たところ、この発明は、家庭用水道の話でなく、大学やオフィスのような業務施設の話のようである。しかし、そうした施設の「水道」は、いわゆる「市水」(記事の例では、仙台市水道局)配管に接続しているとは思えない。
 市水配管に接続している家庭用水道は別として、こうした施設では、市水を施設の受水槽に一旦貯水してから、施設の電動揚水ポンプで高架水槽に汲み上げ、落差を利用して、施設内の各水栓に給水するものである。

 停電時、市営水道局の配水ポンプが非常用電源で動作すると水道は通じるのだが、一方、施設の電動ポンプは動作しないので、高架水槽が空になれば、水洗トイレに水流は来ないと言うことである。

 と言うことで、素人考えで恐縮だが、この発明は実用にならないのではないかと思う。

 どのみち、当発明が組み込まれる全体システムは「蓄電」を前提にしているのだから、照明の分の少々の電力は蓄電しておけば、耐久性が心配になる機器が減るだけ好都合ではないかと、年寄りは憶測するのである。

以上

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