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2015年7月

2015年7月29日 (水)

タブレットPCだより 8(Voyo Winpad A1 Mini 32GB)

                                     2015/07/29 
個人的使用感

 さて、1年近くこの話題から遠ざかっていたのだが、何も不満がなかったわけではなく、ただ、むやみに否定的な感想を書くと、風評被害を招くことが懸念されるので、差し控えていただけである。

 1年近く販売を続けて、そこそこ売り上げを獲得しただろうから、多少の批判は許されるものと考えた。

1.タッチパネルの不具合
 Voyo WinPad A1(以下、A1)に限ったわけではなく、Androidタブレットにも共通するのだが、軽量、薄型系のタブレットにはタッチパネルが故障、誤動作する傾向がある。

 いや、ゆったりした鞄内に緩衝材でくるんで収納して移動するのなら、何も問題はないのだろうが、実体として、混み合った鞄の中に、薄型ケースで同乗していることが多い。
 と言うことで、タッチスクリーンに圧力がかかったり、あるいは、タブレット全体がねじれて、タッチスクリーンの周辺に圧力がかかったりすることがあるのだろう。
 外郭の剛性が不足しているという評価になる。パネルにがっちり額縁がないのも、華奢で剛性不足の原因である。デザインとしては、大変美しいし、パネル外縁部のタッチ操作がしやすいのはプラスなのだが、所詮は「美人薄命」である。

 当方のA1は、一年の使用を経て、タッチスクリーンが暴走することがある。ご機嫌が悪くなると、やたらとノイズを拾うようで、チャタリングらしい症状やら、何やらで、キーボード入力が不可能になる。
 当方の愛機は、手放しで放りだしているのに、まん丸い光点が点滅して、存在しないタッチを感知していると告げている。従って、使用不能である。修理は可能だろうが、交換部品の代金も合わせて考えると、新品購入額より十分少ない手間賃で修理を引き受けてくれるところが見つからないものと思う。 

 「薄型で、狭い額縁で、パネル面がフラット」なタブレットであるA1は華奢なのだと言い聞かせて、混み合った鞄に放り込んで移動するのは、極力避けた方が良いようである。

2.マイクロSD装着の不合理
 マイクロSDの収納部分は、当然A1独自のものでなく、統一規格部品なのだが、どう見ても、チャチである。
 一、二回抜き差しするのなら、何とか耐えられるだろうが、着脱式の外部記憶装置として、頻繁に抜き差しするのは、ほぼ確実に故障の元である。
 
大変細かい構造であり、装着感がはっきりしないものだから、ついつい押し込みすぎることもある。
 Android時代以来、何回も脱出不能になるほどめり込ましたことがある。逆差しで力任せに押し込んだこともある。

 これは、元々の構造の不備が原因していると思う。微細なマイクロSDカードの殻に、必要な強度を持たせつつ、僅かな突起部でPC本体とのかみ合わせを請け負わせるのが無理であり、中でも、突起部に毎回の脱着時の強烈なストレスを負担させるのが、土台無理なのである。
 見たことはないが、おそらく本体側の構造も、かなり華奢なのだろうと思われる。こちらも何度も、毀したことがあるが、根性なしで、すぐつぶれるという印象である。

 要するに、マイクロSDは、微細化にだけ目をやって設計されたものであり、両側共に見るからに不合理なダメ設計である。(実用上の耐久性を無視した「欠陥規格」と言うことである)個々のメーカーの責任ではない。

 とは言え、構造が厳密に規格化されて、しかも、広く普及しているマイクロSDカードの構造は変えられないから、本体側で工夫するしかないのである。

 一部新製品で、マイクロSDを弾力性のある「プラスチック部品」(cradle)に挟み込んで、一回り大きくて弾力性のある柔構造に変え、プラスチック部品と本体側の部品を柔軟にかみ合わせて装着する構成が採用されているのは、感心したものである。

 「プラスチック部品」は、一種消耗品になるが、大事なマイクロSDカードに迷惑をかけない壊れ方をする限り、何度壊れても良いのである。まあ、柳に枝折れなしで、随分長持ちするものだろうと見ている。
 マイクロSDカードは、接点部の接触だけで、脱着に際してストレスを一切受けない、まことに堅実な設計である。
 信頼性の高い製品は、こうした堅実な細部から成り立っているのである。

*個人的使用感のまとめ
 と言うことで、随分あちこち持ち歩いて、メモ書きに愛用したので、A1としては、元を取ったということかなと思っている。

*日本語フルキーボード表示
 そうそう、ここまでの記事を見て書き漏らしていたのだが、華流タブレットのWindows8.1に日本語を組み込んだ後、スクリーンキーボードに、フルサイズの日本語キーボードを表示させるのに、もう一仕事が必要であった。
 「設定」のサイドバーを表示させ、一番下の「PC設定の変更」をクリックした後、表示される「PC設定」で、「PCとデバイス」、「入力」の設定画面で「タッチキーボード」の一番下、四番目の設定、見えないときはスクロールして表示させ、「ハードウェアキーボードに準拠したレイアウトをタッチキーボードオプションとして追加する」の項目がオフになっているのを「オン」に変更する。

以上

今日の躓き石 「大手」は「リ**ジチャンス」

                                 2015/07/29
 珍しく、毎日新聞大阪版③③南版大阪面「河内」と書かれたページに、トップ扱いのでかい見出しが躍っていた。どんと目に入る「好投で大手」とは、どんなつもりで書いたのか。意味不明である。

 それより、気になるのは、監督談話として「リ**ジするチャンス」をつかんだと書かれていることである。曰く付きの禁句を言い立てているのがそのまま報道されている。たしなめてあげるべきだった。

 しかも、この使い方は、近来球界で蔓延している「リ**ジ」の用法から外れている。多分英語の教養が邪魔したのだろうが、正しくは、決勝進出したことですでに「リ**ジ」できているのである。つまり、一度失敗したことに再挑戦(リトライ、ないしはリチャレンジ)するのを「リ**ジ」と言うのが、世間に蔓延る大輔用法なのである。決して、復讐行為を指しているのではない。
 当方も、その辺りの意味のずれを殊更言い立てると、言葉の誤用を非難して正しい「リ**ジ」を推奨しているのかと誤解されかねないので、ずっと原意を言い立てて非難しているのだが、詳しく言うとそういうことである。

 ともあれ、全国紙記者は、例え、地方版の片隅であろうと、子供達に悪い言葉を伝えないように努めて欲しいものである。

 参考までに、スポーツ面の記事では、監督談話は、「これでようやく(初戦敗退を喫した)昨年の借りを返せる場に立てる。何とか勝ちたい。」と謙虚かつ丁寧である。決勝で相手に勝つことが、正統な報復行為だと傲慢に言い立ててはいない。
 監督の口から出た言葉がどうだったかは知らないが、スポーツ面での報道は、真意を、監督の品格にふさわしい言葉で報道したものと思うのである。こうして両者を比較すると、毎日新聞の品格がうかがわれて、賛嘆を惜しまない。

 余談であるが、当方は、長年の将棋愛好家であるので、地方版大見出しのように、誇らしく、「大手(おおて)」とか「王手(おうて)」とか言い立てるのは、気に入らないのである。
 王手は、大抵の場合相手に回避されて、ただ追い回しているだけの「追う手(おうて)」になって、王手が続かなくなった途端、逆に詰められてしまうことがとても多いのである。だから、上手な指し手は、できるだけ王手をかけずに進めるのである。
 とはいえ、まことにわかりにくい余談であったかなと思う。
 原意を離れて一人歩きする比喩というのは、時として、度しがたい誤解を呼んでいるものである。

 事のついでながら、将棋の類推を追加すると、記者と棋士は、仕事の核心部で共通するものがある。仕事現場で、呵責なく時間に追われると言うことと指手や記事は訂正が効かない、待ったなしと言うことである。
 訂正記事を出すことはできても、一度、宅配された紙面は不滅だし、世人の目にとまった誤記は、記憶から消すことができない。
 日々精進してください、と言うしかない。

以上 

2015年7月28日 (火)

今日の躓き石 「***アッパー」で大きく後退

                                        2015/07/28
 いやはや、毎日新聞大阪夕刊三版スポーツ面のタイガースネタには、天を仰ぐしかなかった。「トラ」の**アッパーと見出しが躍っている。これで、また、だめ言葉沈静化が大きく後退してしまった。

 ここまで書いてきたように、カタカナ語であって、英語の原則に反している言葉というのは、大変始末に悪い。特に、プロ野球の世界では、「ナイター」というどうしようもなく巨大な100年ものの負の資産があって、野球界が汚染源であったということすら、忘れ去られるほど、日本語を汚染してしまっているのだが、プロ野球界は、依然として、出来損ないのカタカナ言葉を生み出して、世間に広げているのである。

 もちろん、大半のカタカナ野球用語は、問題ないものである。
 野手を「サーダー」、「ライター」などという人はいない。救援投手のことを「リリーファー」(いかにも正しそうに聞こえる)と言うこともない。変化球投手を「カーバー」「ストレーター」と言うこともない。

 それなのに、最近、海外情報が豊富になったのに反して、「セットアッパー」なる造語が蔓延っているのは、奇っ怪そのものである。救援投手を「リリーフ」と正しく呼んでいるのだから、セットアップする救援投手を「セットアップ」と呼ばないのが不可解である。先人の叡知をなぜ受け継がなかったのか、不可解である。
 出所はスポーツ新聞らしいのだが、歯止めが利かなかったらしくて、毎日新聞のように権威ある全国紙まで悪習に染まって、当方の非難を浴びているのである。

 担当記者が子持ちかどうかは知らないが、例え自分の子でなくても、若い世代の読者に、悪い言葉づかいを伝えて良いのだろうか。将来、子供達がどこかで悪い言葉遣いをして、指摘されたときに、でも、「**さん」が新聞に書いていたよ、といわれるようなことがあっても、何も自分の責任と感じないのだろうか。

 新聞記者を一生の仕事と思っているのなら、ぼんやり思いつくままに書くのでなく、自分の書いたものに責任を持てる自己管理をして欲しいものである。 

 毎日新聞に信頼を裏切られた気がして、長話になったのである。

以上

今日の躓き石 週将の暴挙 「リ**ジ」またも

                               2015/07/27

 宅配で講読している週刊将棋7月29日号の回顧記事で、またも、谷川 ... リ**ジ成功と書き立てている。

 三度目になるが、当ブログの主旨は、都度論評なので、重ね重ね申し述べることにする。
 これは、将棋界の栄誉であるタイトル戦の場で出てくるべき言葉ではない。今回は、別のタイトル戦であり、主催社が異なるのだが、今も続いているタイトル棋戦であり、長年のご愛顧を頂いている主催社に対して、大変失礼である。
 不思議なことに、引き続き書かれている名人戦(別主催社によるタイトル戦)に関して、「復位」と穏当な言葉遣いで書かれている。言うならば、積年の恨みを果たした、ある意味深い意義のある復位なのだが、そのようなことは書かれていない。
 いや、この記事の趣旨は、歴史的事実の回顧・確認であり、論評を加えるものではないはずなのだが、ここでは、高度な技巧を駆使して言葉を使い分けて、記事筆者の歴史観を押しつけているようにも見える。そうなら、自署名すべきであろう。

 今回も、やり玉に挙がったのは、谷川浩司会長(当時は20代の大変著名な一棋士)が当事者となったタイトル戦であった。知る限り、ご本人は、このような不穏当な言葉を漏らす人ではない。それなのに、何の配慮もなしにも不穏な言葉が書かれている。

 その意味でも、記事筆者は、言葉の感覚がずれている。

 引き続き、何とか、(編集部)さんが、自身の不見識に気づいたら良いなと思うだけである。当人が気づかなかったら、友達が気づいて苦言を呈すべきである。是正できない誤りはないのである。

 今日の世界で、「リ**ジ」で検索すれば、上位に出て来るのは、「リ**ジポ*ノ」ではないかと思う。次世代を担う子供達も目にする権威ある媒体では、決して掲載すべきではない忌まわしいカタカナ言葉である。

 それにしても、週刊将棋紙には、校閲、校正の最後の守り人となって不穏当な言葉にダメ出しする、決裁権を持った編集長はいないのだろうか。

 週刊将棋のコラム部分の編集サイクルから見て、発行した号に対する反省が編集内容に反映できるのは、早くて、次々号と言うこともあり、当方としては変化が現れるのを待つしかない。

以上

2015年7月26日 (日)

今日の躓き石 高校生まで 「リ**ジ」汚染

                                      2015/07/26
 本日の題材は、毎日新聞大阪朝刊13版のスポーツ欄、高校野球熊本大会の記事である。

 幸いなことに、高校生の談話ではないが、高校生に正しい言葉遣いを伝えるべき毎日新聞が、無頓着に「リベンジ」と書き立てているのが、大変気がかりである。

 関係者は、切り抜きを作って、ずっと、ずっと保管することだろう。一度の過ちが、長年にわたり、大勢に伝えられてしまうのである。

 「もう同じ失敗をしない」というのは、リベンジの正しい意味である「復讐」でもなければ、「天の裁き」でもない言葉の正しい意味を伝えていない、二重の過ちである。 

 言葉の汚染は、一度広がると止めどない、と言う見本でもある。 

 毎日新聞の校閲部は、居眠りでもしているのではないか。

以上 

2015年7月22日 (水)

今日の躓き石 「ルール(習慣)」ではない

                                    2015/07/22
 今日の題材は、地上波のNHK Gチャンネルで放送されていたニュースウオッチ9である。
 エスカレーター上の歩行に関する議論と言うより、世間の誤解を正そうというプレゼンテーションであったと思う。
 しかし、一つには、余りに遅すぎると言えるし、是正する前提として、間違った概念を勧めている

 「エスカレーター上の歩行」は、いつとはなしに形成されてしまった習慣であるが、字幕では、「ルール(習慣)」と混乱を広げている。ルールは、強制力があり、違反すると処罰されるものである。多くの場合、法律などで成文化されている、と言うことは、成文化に当たってしかるべき審議が成されているべきものであり、ルールとして、告知されているべきものである。

 今回の題材「エスカレーター上の歩行」は、いつの間にか形成されてしまった習慣であり、本来、強制力はないのだが、これに反したエスカレーターの使い方をしていると、叱責を浴びて、事実上、従わざるを得ないのだが、もし、叱責の出所と議論したとしたら、結局は、「別に法律で決まっていなくても関係ない。皆のするようにあわせろ」と説き伏せられるものである。要は、反対していると、地域社会の異分子として排斥されるものである。

 現実の世界で「エスカレーター上の歩行」はルール化されたものではない
 悪法ではなく、悪習なので、「悪法もまた法なり」などとは言えないのである。

 
ただし、英語のことわざにあるように、「悪習は、永遠不滅」(Die hard)なので、立法府が廃止できる悪法より、格段に強いのである。 

 天下のNHKが、「エスカレーター上の歩行」はルールだと言いきってしまうと、一方の論者に強力なよりどころを与えてしまうので、ますます、反対しにくくなるのである。厳に軽率な発言は差し控えて欲しいものである。

以上

2015年7月20日 (月)

今日の躓き石 会長の「リ**ジ」成功

                               2015/07/20

 宅配で講読している週刊将棋7月22日号の回顧記事で、谷川 ... リ**ジ成功と見出しが付いている。

 再度言うが、これは、将棋界の栄誉であるタイトル戦の場で出てくるべき言葉ではない。今も続いているタイトル棋戦であり、長年のご愛顧を頂いている主催紙に対して、大変失礼である。

 今回は、谷川浩司会長が当事者となったタイトル戦であった。二度にわたって、不穏な言葉が書かれているが、ニュアンスは仕返し、復讐戦であって、今日流布している軽い意味から外れている。その意味でも、記事筆者は、言葉の感覚がずれている。

 何とか、(編集部)さんが、自身の不見識に気づいたら良いなと思うだけである。当人が気づかなかったら、友達が気づいて苦言を呈すべきである。是正できない誤りはないのである。

 いや、今日の世界で、「リ**ジ」と言えば、まず上位に出て来るのは、「リ**ジポ*ノ」ではないかと思う。良い子は使うべきではない、忌まわしいカタカナ言葉である。

以上

今日の躓き石 「FKはメンタル」

                                  2015/07/20
 今日の題材は、宅配で愛読している毎日新聞大阪版朝刊13版スポーツ面のサッカー記事である。

 横浜(F)マリノスのMF(ミッドフィールダー)がFK(フリーキック)を決めて同点にしたプレーを高々とうたいあげている。当方は、長年のファンでもあるので、一流のプレーが決まったことに対して、同様の賞賛を送りたい。

 しかし、記事に引用されているプレーヤー談話は、断片的で意味の取りがたいものであり、特にタイトルに上げた言葉に対しては、記事のフォローがないので、何を言おうとしているのか、一般読者には伝わらないものと懸念する。

 何度か書いたように、毎日新聞のスポーツ面は、サッカー専門誌の戦評記事ではないので、一般人の理解できるようにかみ砕かれていなければ、その使命を果たせないものと思う。業界の内輪の言い方で、こうした言い回しが通用しているかどうかを言っているのではない。一般人に理解されない言い回しは、公的な報道では使うべきでは無いと言いたいのである。

 もし、プレーヤーが、引用されているように、断片的に言い散らすだけで、一般的な読者に理解できる言葉で語っていないとしたら、記者は、一般読者に成り代わって、問い返すべきなのである。あるいは、記者が、断片的な言葉を、自分なりに消化して聞き取ったのであれば、聞き取れた言葉に言い換えるべきである。

 おそらく、サッカー担当記者達は、毎日新聞の権威を借りて、プレーヤーの言いたいことを聞き取ることができ、毎日新聞読者に対しても、長年のつきあいと感じて、書き崩すくせが付いているのだろうが、一般読者は、絶えず、初心者が流れ込んでいて、事情に通じていない読者が多数いるのである。執筆の姿勢を考え直して欲しいものである。いや、毎日新聞の編集方針に疑念を感じるものである。

 それにしても、「FKはメンタル」というようなカタカナ言葉の言い崩しは、いつ、どこで身につけたのだろう。イングランド、スコットランドといった英語圏で長く活躍していたのだが、英語圏には、カタカナ言葉はないので、その素性ははっきりわからない。

 それにしても、一流の選手は、一流の物言いができると期待したい。もし、報道されている物言いしかできていないのなら、記者の立場から、アドバイスすべきである。 

 末尾に付け足されている、監督との関係を評した断片も、ちゃんとした言葉になっていない。記者の補正も入っていない。こんなおざなりな記事しか書けないのだったら、次からは、チームの広報担当から、公式談話を取材すべきではないのかと思う。

 それにしても、この記事の末尾の締め方には、不当なものを感じる。
 プロは実力の世界である。年齢をやたらに言い立てるのは、記者にとって、年齢が最大の評価要素であって、いくら実力で勝っていても、年長者を容赦なく切り捨てる視点から書いていることを思わせる。何歳であろうと、総合的な力が衰えればゲームに起用されず、戦力外となって去って行くのである。ことある毎に、プレーヤーの年齢を言い立てるのは、記者の未熟を思わせる。

 以上

2015年7月19日 (日)

今日の躓き石 復讐の名を借りた犯罪

                                 20015/07/19
 当ブログでは、重大な事項は取り扱わないつもりだったが、本件は、スポーツ界を中心に気軽に使われている「リベンジ」という言葉の問題に関わることから、場違いなタイトルで採り上げることになった。不快な記憶を呼び覚まさないように、直接的な言葉遣いは避けているので、ご容赦頂きたい。

 今回の批判の対象は、7/15日付毎日新聞大阪版13版の朝刊の社会面の記事である。

 そのまま書き出すのは腹立たしいので、伏せ字を交えて書くと、当該記事は、「リ**ジポ*ノ」の話題である。ご丁寧に、記事中には、「復讐」と漢字書きを括弧内に入れて、一般読者にわかりやすくしているつもりのようだ。
 しかし、これまでもそうだったように、「リ**ジポ*ノ」と呼ぶことは、そのような犯罪行為が、加害者にとって正当な報復行為だったと示唆しているものであり、報道機関として、そのような自己正当化に荷担しているように見えてしまう。

 詳しく調べるまでもなく、被害者は、何も加害者に対して攻撃を加えたわけではなく、報復されるいわれはないはずだし、仮に、報復としても、「目には目を」の原則に従って、妥当な攻撃が想定されるだけである。
 しかし、ここで採り上げられている行為は、被害者の人格を破壊する野蛮な行為であり、加害者が受けた(と感じた)かも知れない(心理的な損害)に対して、見合ったものとは言えないはずである。

 それとも、毎日新聞社は、このような行為は、復讐の範疇としてありうるものと認めているのだろうか。大変疑問である。

 「リ**ジ」は、宗教によっては、犯罪に対する神の裁きであり、それを、私人が成り代わって行う「天誅」の響きすら感じられるのである。世の男性一般が、いろいろなメディアを通じて刷り込まれている女性に対する傲慢さが、そこまで高まるものなのだろうか。筆者も、男性の一員として、「リ**ジポ*ノ」の横行に大変な危惧を感じているのである。

 どうか、記事の背景に潜む蛮習に荷担するような記事は、これ限りにして欲しいものである。生命に危険の及ぶストーカー事件に加えて、「リ**ジポ*ノ」の猛威に恐れを成して、女性が、交際中の不穏当な男性と別れられないようになるとしたら、その責任の一端は、各メディアの無頓着な取り扱いにあるのではないかと懸念される。

 そのような忌まわしい流れを食い止めるものとして、今回の事件に関して、司法機関が、適切な「天誅」を加えることを切望してやまないのである。

 そして、「リ**ジ」なる忌まわしい言葉が、冗談半分に、場違いな状況で使われないように、これまた切望するのである。それとも、「リ**ジポ*ノ」は、単なる「リ**ジ」の一形態と見て、気軽に喋っているのだろうか。

以上

今日の躓き石 大人のスポーツ報道

                                    2015/07/17
 毎日新聞大阪版7月17日付夕刊のスポーツ面のフェンシング世界選手権の報道が、味のある書き方だったので、公平な紹介と言うことで、ここにコメントする。

 勝者のコメントとして、「筋力とスピードでは勝たない。あくまでフェンシングをする」と報道されているのが、まことに味わい深いものだった。

 近来の風潮として、心技体の中でも、「体」の要素が数値として計測できることから、「データ」に基づく科学的評価と誤解して、やたらに書き立てる傾向があった。

 特に、以前のブログ記事で書いたように、毎日新聞の女子サッカーワールドカップの報道では、日本チームの選手の体格や身体能力が欧米チームの選手と比較して劣っているとした意見が掲載されて、一読者として不快を感じていたのである。
 事実は、無敗で決勝進出したから、「サッカーする力」は十分持っていたのである。悪運が強いだけでは、決勝まで勝ち上がることなどできないのである。担当記者が先入観で記事を書いているから、オウンゴールを嘲笑する書き方になったのではないかと思う。

 最後は、決勝で米国チームの奇襲戦法に出鼻をくじかれて序盤で大きく失点し、持ち味の闘志は最後まで絶やさなかったものの、さすがに大差を挽回できずに不覚を取ったが、素人目にも、日本チームの実力は米国に匹敵するものと思う。
 
米国チームのコーチ陣が、なりふり構わずに奇襲策を採ったのも、普通に闘っていたら、日本チームの終盤力(不屈の集中力)にひっくり返される、との危機感があったものと見る。そして、奇襲戦法を防ぎきれなかったのは、日本チームの若さ自チームの終盤力の自信から来た、普通は何の問題もない軽い楽観がもたらしたものと思う。

 ところが、毎日新聞のスポーツ欄は、大会の総括に当たっても、先入観が目立って、結果を評価しないものであった。最後には、選手の年齢を言い立てて、若手を起用しないことが敗因と書かれていたように読めた。

 それにしても、体格や身体能力、年齢などは、当人達の属性のごく一部であり、当人の努力で変えられないものなのだから、殊更に言い立てるべきものではないように思う。選手達が、反発し、気分を害し、素直な談話を出してくれなくなるだけではないのかと思う。読者も、担当記者の「科学的区」分析に感心してばかりではないと思う。

 それに、先に書いたように、「筋力とスピード」で勝つのは、心技体の「心」も「技」も無視した一面的な見方だと思うのである。体格や筋力で勝敗が決まる競技スポーツは、むしろ限定されているのではないか。

 ふと、記事を見直すと、「共同」と署名されている。と言うことは、今回感心した大人のスポーツ報道は、毎日新聞の担当記者の書いた記事ではなく、共同通信社の配信記事ののようだ。

 毎日新聞社は、報道見識の高い執筆者を選んで頂くよう要望したいのである。

以上

2015年7月 6日 (月)

今日の躓き石 30年前の「リ**ジ」

                               2015/07/06
  「リ**ジ」汚染が嘆かわしいと思う一因は、他業界への拡散にある。

 宅配で講読している週刊将棋7月8日号で、連載になっているタイトル戦回顧記事で、1985年(昭和60年)のタイトル戦に対して 「リ**ジ」成功と見出しが付いている。
 言うまでもなく、この言葉は伏せ字に値する不適切な言葉であり、将棋界の栄誉あるタイトル戦の場で出てくるべき言葉ではない。今も続いているタイトル棋戦であり、長年のご愛顧を頂いている主催紙に対して失礼である。 

 記事本文では、ちゃんと「お返し」と普通に書けているのに、この見出しはなんなんだろうかと、歎くのである。大体。30年前には、このような言葉遣いの悪習はなかったので、時代錯誤の罪も犯している。時代劇で、カタカナ語をしゃべるようなものである。

 私見であるが、これは訂正記事ものである。厳しいように思えるだろうが、週刊将棋紙は、日本将棋連盟の看板をになっている将棋界唯一の新聞であるから、不適切な用語は谷川浩司会長の責任になる。
 何とか、(編集部)さんが、自身の軽率と不見識に気づいてくれたら良いなと思うだけである。

 それにしても、一介のプロ野球選手の放言が、ここまで広がっているのは、情けないものである。誰かが止めて欲しいものである。

以上

2015年7月 4日 (土)

今日の躓き石 「リ**ジ」を克服するみち

                               2015/07/04
 いや、長生きはするものである。民放のスポーツ放送は、言葉づかいが粗雑で、世間の言葉を乱す元凶だ、などと悪態をついていたが、今日のサンテレビボックス席 阪神-DeNA戦の解説者広澤克実(ひろさわ かつみ 本名 広沢克己)氏の見識と勇気には感心した。

 趣旨として、
 昨今、日本のスポーツ界で氾濫しかけている「リベンジ」は、不適切な言葉であり、「リトライ」と言うのがふさわしい。最初に、某有名選手が、軽率にも間違って口にしたら、野球界を端緒に広まって、いまや定着したようなので、止めろとは言えないが、間違った言葉遣いである
 と言う発言の流れであり、放送では「某有名選手」の部分で、きっちり実名を挙げて言及していたので、当方が、大変感心した証拠にここにあげておく。

 いや、当方も、誰が最初に口にしたか、中継で見て知っていたのだが、責任追及するのは本意ではないので、ここまでも、そして ここでも、名前は挙げない方針を貫いている。 

 一人の勘違いが、はやばやと、野球界、スポーツ界、そして、若者層全体に広がるのは、ある意味で壮観であるが、今や、NHK BS1のアナウンサーまでが口にし、子供達が真似する事態は、何とか「言い出しっぺ」の責任で是正して欲しいものである。
 一番良いのは、本人が間違いに気づいて、公の場(SNS)で堂々と撤回の発言をすれば、ご本人の名誉のためにも立派な社会奉仕になると思うのである。
 そうすれば、球界はもちろん、メディアも巻き込んだ撲滅活動に繋がると思うのであるが、もちろん、これは、一私人の勝手な願望である。

 広澤氏は、球界の先輩として苦言を呈したのだが、公共の放送電波に乗せるので、淡々とした口調で、柔らかい口ぶりにしたものの、悪い言葉が簡単に消せないほど「定着」してしまっているのは、大変困った事態と思っているに違いないと感じる。
 注意して聞けばわかるように、いくら柔らかく言っても、決して、「リベンジ」を適切な言葉と追認しているのではない。むしろ、手厳しく批判していることを指摘しておく。

 多分、本日の放送で、一度に大勢が変わるとは思えないが、せめてサンテレビの社内で波紋を呼んで、サンテレビが禁句にしてくれたら幸いである。ささやかな回復である。

 広澤氏が、公共の場で言うべきことを言ったのは、球界の良識がまだ廃れていないということだと思う。

以上

2015年7月 3日 (金)

今日の躓き石 自滅点をめぐって

                                                2015/07/03
 今回の題材は、毎日新聞大阪朝刊第13版である。

 余録が見事である。日本チームの勝ち越し点に対して最善を尽くしたプレーヤーのミスを責めるべきではないという論調は、毎日新聞の見識を示す
ものであり、貴重である。

 ただし、あれをミスと呼ぶのは、依然として本人に対してかわいそうである。
 結果を失敗と成功に分けるなら、失敗だろうが、成功する可能性が低いプレーにチャレンジした結果であり、テニス用語で言うなら、”Forced error"である。してみると、英語では、Errorには、それほど非難の意味はないのだろうが、日本語で書かれていると、失敗に伴う非難の口調は避けがたいのである。

 あの場面で、ディフェンダーは、自分が止めなければ失点するという状況のもと、最善のプレーを選択したのであり、最善の努力をしたが、失点になったのである。これをミスというのは、本当にかわいそうである。
 それよりもなによりも褒めたいのは、相手のディフェンダーをそこまで追い詰めた、日本側の見事な攻めである。直接的には、絶妙のクロスを出したプレーヤーのアシストであるが、あわせて、これにタイミングを合わせてゴール前に駆け込んだ二人である。ボールに触りはしなかったが、クロスが通れば必ずゴールを決めるという二人の存在がボールをゴールに押し込んだと言える。
 そして、このように完璧な攻めが実現したのは、90分の最後に来て相手の集中力が低下したのに対して日本チーム全体の攻撃力が爆発したと言うことである。

 さて、スポーツ面記事は、周辺の関係者の意見を取り込んだのであろう、適切な書きぶりである。当のプレーヤー達のコメントは、ほぼ的確に取り出されていると思う。攻めが狙い通りに決まったので点が取れた、という大局的な視点がチーム内で共有されていたと感じられる。
 部分的に取りだしたコメントは、傲慢とも取られかねないが、専門的にはその通りなのだろう。それでこそ、イングランドのディフェンダーは救われるのである。敗者に対する無用のいたわりは、不要なのである。

 前回採り上げた夕刊スポーツ面記事は、記者の見識を露呈する物で不満だった。「自滅」と書いて相手プレーヤーの愚行であったかのように罵っていたので、それでは、プレーヤーがかわいそうだと歎いたのである。これを受けた朝刊記事は、夕刊の不出来を打ち消せるものではないが、読者の多くに、事態の全貌が的確に伝わったという点では、ご同慶に堪えない。

 それにしても、第一面記事で担当記者のペンは冷酷である。日本チームに対して、「身体能力が劣る」と決めつけていて、気の毒である。サッカー選手に対して、「身体能力が劣る」と言うからには、背が低い、足が遅い、持久力がない、反射神経が鈍いなどの包括的な批判と見られるのである。ちょっと、決めつけがひどすぎるのではないか。

 これは、言葉に間違いがあるとか、禁句を使っているとかの問題ではないが、全国紙の報道として、言葉遣いが粗雑である。(今朝は機嫌が悪いのである)

以上

今日の躓き石 「幸運」な自滅点

                                   2015/07/02
 今回の題材は、毎日新聞大阪夕刊第3版のスポーツ欄。引き続き関心を持って読んでいるエドモントンレポートである。

 大見出しに「幸運」とあり、縦見出しに「自滅点」とある。何とも、全国紙としての品位に欠ける惹き句である。これでは、日本チームが攻めたら、たまたま相手がミスして、棚ぼた得点で勝ってしまったという見方が浮かんでくる。

 記事本体は、客観的な報道に努めているように見えるが、いくつかのボロが目に付く。今日の躓き石である。

 「ボールは蹴るべき方向とは反対側の自陣ゴールに吸い込まれ」たと揶揄しているところを見ると、記者は、イングランドのプレーヤーに、後方に蹴り戻す選択肢があったにもかかわらず、自陣ゴールに蹴り込む無謀な対応をしたと見ているようである。

 ものの見方には、個人の主観が入るから、絶対と言うつもりはないが、あの瞬間の選択としては、走り込んだ勢いとボールの進行を見る限り、右にそらせるか、上に跳ね上げるかとして、クリアするしかなかったと思う。
 ただし、滑り込んでつま先で押し出すけり方しかできないから、右に大きくそらせることは、まずできないだろう。つまり、駆けつけて右に蹴り出すには、左のインサイドで叩き出すしかないから、追いつけないかも知れないし、追いつけても足が合わないかも知れないし、斜め後ろから飛び込んでくるボールに対して空振りするリスクもあるから、余りにも成功の可能性が低くて論外なのだろう。
 結局、ボールの勢いを生かして、上にそらしてクリアするしかないのだろう。

 そうした理屈はとうに承知であり、スライディングで跳ね上げるクリアは、普段の練習で何百回となく確認している手順だろう。失敗も成功もたっぷり経験しているはずである。失敗には、数多くのオウンゴールもあったはずである。

 もちろん、そのようなプレーを避けてスルーして、キーパーに任せることも考えられないではないだろうが、一流のプレーヤーが、責任回避することはないだろう。
 まして、ボールの進路には、日本のプレーヤーが二人走り込んでいるのが見えていて、キーパーと2対1になるので、スルーすれば失点は必然と見たはずである。いや、見ていなくても、クロスの入り方を見て、そう感じていたはずである。

 だから、あの瞬間のプレーは、双方最善を尽くしていたのであり、日本が得点できたのは、後方からの絶妙のクロスが入ったことも含めて、絶好の攻めの体制を確立していたことにあるのである。決して、幸運の産物ではない。イングランドの敗因は、日本にそうした決定的な攻めのお膳立てを許したことにある。

 そのような決定的な攻めに対して、何も抵抗しないで失点するのでなく、果敢にチャレンジしたのは、「自滅」などではないのである。それとも、記者は、日本チームには、あの形で決定する力はないと見ているのだろうか。

 と言うことで、今回の見出し仕立ては、日本チームの見事な攻めとこれに対して拮抗していたイングランドチームの果敢な守りを報道しないという意味で、疑問を感じるのである。 

 これでは、イングランドのディフェンダーが、かわいそうである。

 これでは、日本チームの強さが見えてこないのである。

 こうしてみると、記者は、両チームの実力と努力を軽視しているように見えるのである。

 以上のような意見は、遙か日本でテレビ観戦している、一介の素人が抱いたものなのであり、勝ち寄った見方であることはいうまでもない。

 現地の記者は、専門家から深い意見を取材できたと思うのだが、専門家まで、「幸運」「自滅」に染まっていたのだろうか。

 今回は、不穏当な用語に関するものではないが、スポーツのプレーヤーに関する報道姿勢に対して、疑問を呈するものである。

以上

2015年7月 2日 (木)

今日の躓き石 「リ**ジ」退治

                                        2015/07/02
 今日は朝から、NHK BS1の女子サッカーワールドカップの準決勝中継で、日本チームが勝つところを見て、大変気持ちの良い朝なのだが、番組の締めの部分で、問題発言を聞いてしまった。

 決勝の相手には、オリンピックの決勝で負けているので、これは「リベンジ」だと解説者が言うとNHKのアナウンサーまで、「リベンジ」だとおっしゃる。折角、インタビューに出た選手が、このことばを避けて、すがすがしい印象を保っていたのに、報道の専門家がこの発言では、ぶちこわしである。 

 「リベンジ」は、復讐である。それも、たいていの場合は、血なまぐさい行為である。日本であえて類推するなら、江戸時代の仇討ちである。

 それにしても、オリンピックで、日本チームは、何か不当な仕打ちを受けて、仕返しをしたいのだろうか。
 それとも、当然日本が勝つべき試合に負けたのだから、それだけで、復讐の対象として認められるのだろうか。

 今日の相手は、イングランドであった。もし、こうした不用意なコメントが直訳されて伝わったら、日本というのは、何という野蛮な国かと呆れることだろう。(と言っても、オーストラリアやUSAが、英語の乱れに鈍感な人たちだけでできていると主張していわけではないのだが)

 一番、普通な感じ方は、日本チームは、ディフェンディングチャンピオンの誇りを持って闘うという所だろう。どこかで、準決勝の向こうの枝が、ランキング世界1位と2位との事実上の決勝戦だ、などと放言があったと報道されているが、今回の決勝が終わるまでは、日本がワールドカップのNo. 1なのである。

 くれぐれも、血なまぐさい言葉遣いを、子供達の世代に伝えないように、特に、プロの報道では、注意して欲しいのである。

以上

2015年7月 1日 (水)

今日の躓き石 「フィジカルで押す」

                                      2015/07/01
 今日の題材は、毎日新聞朝刊大阪13版スポーツ面のエドモントンレポートである。面倒くさいからと言って、手を抜くと、当方の基準がぼやけるので、しつこく批判させて頂く。

 記事の掴みとして、「イングランドはロングボールを使い、フィジカルで押すイメージが強い」と切り出しているが、何のことやら読者に趣旨が伝わらない

 まず、「ロングボール」とは、長い縦パスのことなのだろう。当然、カウンターアタックの際に、一発突破を得意としていると言うことなのだろうか。Wikiに説明項目があるから、古典的な戦法なのだろう。古典的な戦法でありながら、余り採用されていないところを見ると、成功率が低く、また、欠点も知られているのだろう。
 「使い」とあっさり目に言うものの、試合の最後にリードされているチームは大抵長く蹴り込んでいくので、ここでチームの特徴としている以上、「常用」ないしは「多用」しているのだろう。しかし、成功率が低いと定評のあるロングボール頼みでは、ここまで勝ち上がれなかったのではないか。

 ロングボールに続いて「フィジカルで押す」とあるが、まるでラグビーである。これまで悩まされている「フィジカル」の用例をはみ出していて、ますます混沌としてくる。折角の速攻に体力頼みのもみ合いを多用しては、素早いカウンター攻撃を損なうように思う。ディフェンダーと押しくらまんじゅうして時間を使っていたら、どんどん相手方の帰陣が進んで、速攻にならないのではないか。
 色々考え合わせても、よくわからないのである。

 因みに、昨日朝刊のエドモントンレポートでは、「ロングパスと当たりの強さを生かす日本チームには苦手なタイプと書いていたので、素人にも躓かずに読み通せたのである。(だから批判していない)直前の記事と言葉遣いを変え、「イメージ」を否定するのは、誰かに記事の訂正を求められたのだろうか。少なくとも、前回大会では、ロングボールを放り込まれて2点失ったとの見方が書かれている。と言うことは、根拠のある見解に見えるので、その辺りが不可解である。

 特に、今回記事は、イングランドチームの手口が、はっきりとつかめないと言うことだから、前回記事との繋がりが見えないと、掴みが滑っているのである。

 それにしても、ロングボールは、カウンター攻撃戦法だから、後半に書かれているように、守備側として対応法は工夫できるだろうが、「攻略」はできないのではないかと思える。話が混戦しているようだ。

 フォワードの選手の意見として、「相手に蹴らせない守備をしたい」とあるが、ボールを奪われた瞬間からしつこい守備に入り、ロングボールのコースを消しにかかるという趣旨らしい。自分が強く当たることによって、相手に短いパスを選択させて、チームの他のメンバーが全力疾走で帰陣する消耗を避けたいというのは、卓見である。

 これに対して、最後の談話は、「1トップ」が、日本チームの戦型なのか相手の戦型なのか、簡単に読み取れないので、そのあとの戦略も趣旨がわからないままに終わりそうである。

 どうも、今回は、記者の意図がつかみにくくて、報道機関のもたらした記事にしては、文字数があっても空回りしているようである。

以上

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