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2015年8月

2015年8月26日 (水)

今日の躓き石 「アイドリングストップ機能」の謎

                                          2015/08/26
 今日のネタは、特定のメディアの報道姿勢を問うものではない。産学共同開発を謳ったニュースリリースを読んで、謎が深まったのである。

 タイトルは、まだ良いのであるが、本文は、今回の新技術は「アイドリングストップ機能」を特徴として、高らかに謳い上げているのだが、「 」内の新語がどういう意味なのか、どうにも理解困難なのである。

 問題の原因の一つは、「アイドリングストップ」と言うできの悪いカタカナ言葉にある。Idling stopと言う英語はないので、単語毎に解きほぐして、アイドリング状態で停止することと解されても仕方ないのである。白黒どちらにも読めるスローガンというのは、まことに不出来であると思う。

 この不出来な親亀の上に、「アイドリングストップ機能」なる派生語を打ち立てている
 本来、「アイドリングストップ」は、言葉遣いが不自然、つまり、自然発生しない言葉なので、前例がなく、商標登録可能ではないかと思われる。ただし、公共の用途に用いられたので、商標登録はされず、公共のもの(Public Domain)となったものと思う。
 以上は、素人の憶測であり、何も調べていないので、取り敢えず「としたら」として、話を続ける。

 そこで言いたいのだが、公共のために発案され、定着したらしい言葉を、一企業が私物化するのは、どんなものかと思うのである。いや、他にも、事例があるのであるが、結末がどうなったかは知らない。

 素人考えでは、「アイドリングストップ機能」の商標登録は不可能と思われるので、各社使いたい放題になるのではないかと思う。まあ、字数が多くて、敬遠されるのが救いである。

 続いて気になるのが、技術的な話として、PC用マウスに於ける「アイドリングストップ」とは、どんなものかと言うことである。いや、そもそも「アイドリング」の比喩が腑に落ちない。ここまで、国民的な課題として論議されたことはあるのだろうか。

 読み方によっては、従来のワイヤレスマウスは、待機中にも絶えず電力を消費していて、乾電池交換の際の購入金額が使用者の負担になっていて、また、乾電池の不法投棄を引き起こして、環境に負担をかけていて、使用者から叱責を浴びていたのかという気までしてくる。(当社比)比較データが表示されていないので、改善効果がわからない。

 ひょっとして、この新製品は、待機時消費電力ゼロと言うことなのか。それとも、何らかの回路が待機中も動作していて、メインの回路の電源投入すると言うことなのだろうか。主旨が、まことに不明瞭である。

 例えば、家電製品である各社製電子レンジでは、使用者がドアを開く際の動きで機械的なスイッチを動作させ、これによって起動するサブ回路の動作でメインの制御回路を起動する仕掛けによって、完全な待機時消費電力ゼロを実現している。
 当技術は、各社争って特許出願したが、確か、日立系企業が勝ち名乗りを上げたはずである。ただし、特許権者が、他社の利用を排除しなかったので、広く業界に普及し、公共の利益に繋がったのである。

 今回の発表では、LEDの光電発電に着目したと言うが、それをどう利用しているのか、専門用語のかすみに隠れていて、混沌としているのである。 

 特徴点の表現がまずいと、どんどん突っ込みが入るのである。

 まずは、「アイドリングストップ」を廃語にすることである。
 「死語」と言うものかも知れないが、語感が悪いので「廃語」にしたいのである。

以上

 

2015年8月20日 (木)

今日の躓き石 「白頭奇譚」 スポーツ報道の使命

                        2015/08/20
 今回は、毎度おなじみの毎日新聞大阪13版スポーツ面の報道への苦言である。 

 「頭が白くなった」と言う「けったいな」表現が、堂々とまかり通るようになってきた。
 引用符で囲まれていると言うことは、担当記者は、選手自身の言葉を正確に報道していると言うつもりなのだろうが、それは違うのではないか。

 この言葉遣いの現れたのは、しばらく前だったように思うが、丁寧に「頭の中が真っ白になった(ような気がして、何も考えられなくなった)」といった感じの発言だったように思う。

 それが、どんどん端折られてきて、「頭の中が真っ白になった」と笑い飛ばす記事が現れ、これは何だと不審を感じたものである。

 今や、事態は悪化(劣化)して、「頭が白くなった」と笑い飛ばしている

 これは、歴史的な言葉遣いでは、髪の毛が白くなる、と言う意味であり、誰の目にも見えるのであるが、今や、そうした歴史的な言葉遣いが、踏みにじられているのである。 

 子供が悪い言葉遣いをまねする、と言う危険だけでなく、メディアがどんどん言葉遣いを悪くしていて悪い言葉遣いを堂々と誇らしく報道・拡散している。毎日新聞に出ていたからという後押しを得て、子供がまねするのである。

 選手達は、突然連打を浴びてノックアウトされるという事例に出会ったとき、「頭が白くなった」と言えば、事態が類型化されるので、それ以上質問されることがなくなり、前例に倣った言い方をしたことで、多少とは言え気分が休まるようになっているのだろう。

 今回の記事で言えば、「頭の中が真っ白になった」と書かなくても、選手が事態に直面して受けた動揺は報道できている貴重な紙面を消費して、意味のない、意義に疑問のある常套句を普及させる必要はないのではないか。

 繰り返して言うが、野球界に広く普及しているらしい「頭が白くなった」と言う表現は、自然に生まれたものではなく、スポーツメディアが生み出し、作りかえ、まき散らしている悪い言葉の一例であって、メディア自身が全体として気づいて正さない限り、歴史遺産に刻み込んだ落書きのように刻み込まれているのである。

 毎度の苦言であるが、毎日新聞は、スポーツ面とは言え、選手達とそれを取り巻く軽率なメディアに流されて、たちの悪い言葉遣いの普及を進めるのではなく、毎日新聞の見識をしっかり身につけて、歴史的な言葉遣いを護り、次世代に伝えるという立場を堅持して欲しいのである。

以上

2015年8月18日 (火)

今日の躓き石 弱い「メ*タル」

                                2015/08/18
 ちょっと遅れたが、毎日新聞大阪夕刊3版スポーツ面の記事である。ただし、朝刊休刊の後の夕刊なので、スポーツ面は、日曜日の成果の最初の報道であり、朝刊なみの扱いである。

 さて、台湾の女子プロゴルファー盧曉晴小姐の優勝会見であるが、堂々と日本語で切り出した後、崩れた発言が出てきていて、それぞれ、発言内容がそのまま「」で引用されているようである。

 ここまでにも何度か書いたように、スポーツ選手が時折、不出来な言葉遣いをするのは、ある意味ありふれたことである。それを、「忠実に」(正直に、誠実に)引用するか、報道の意義を外さないように、引用から外して、(易しく、思いやりを持って正しい言葉遣いに言い換えてあげるかは、報道陣の品格を問われるのである。

 それにしても、前後の発言引用では、自身の言葉なのか、通訳を介したのか、中国語なのか、英語なのか、全く趣旨が不明なのだが、とにかく、そこ以外は立派な言葉遣いで喋っている人が、突如として舌足らずの言い方で「私メンタル弱いんです」と発言したと報道されるというのは、さらし者というか、バッシングというか、痛々しいものである。

 どう発言したのかはよくわからない点があるにしても、結果として、崩れた、不用意な日本語で発言したと報道されているのだから、選手の人格を問われてしまうのは、不注意と言うべきだろう。
 舌足らずの言い方で笑いを取る(ぶりっこ風)しゃべり方は、随分以前に、台湾出身のタレントが、テレビ出演で笑いを取っていた手口を思わせる。この一言で、一流スポーツ選手のイメージが、ぐずぐずに崩れる思いである。ユーモアなどではなく下品に近い。
 いや、言い回しが舌足らずであっただけでなく、「メンタル」という具合の悪いカタカナ言葉を無分別に使っているのが、「業界」汚染に感染したかと思わせるのである。
 万事ぶちこわしであるが、それは、当人の責任なのか、報道陣の悪意の結果なのか。

 報道陣に、優れた若きスポーツ選手に対する尊敬の念があれば、こうした手違い、言い違いは、割愛したものと思うのである。

 当ブログの筆者は、30代のある時期、台湾で友人の自宅に呼ばれて談笑しているときに、友人の母親(台湾人)に言葉遣いをたしなめられたことがある。子供時代、熱心な日本人教師に丁寧な日本語教育を受け、年月を経ても日本語の心が伝わっていて、不心得な日本人にその教えを伝えてくれたものと思う。その折の「学恩」の一部を、若きプロゴルファーにお返ししたいと思うのである。選手当人にすれば、ひいおばあさんの世代になるだろうが、古き良き台湾文化を源流にお返しするのである。

 こういうとき、正しい日本語では、「気が弱いんです」と言うものである。因みに、「気が小さい」とか「臆病」というつもりで「小心」と言うと、これは、現代中国語では、「注意深い」の意味なので、混戦が起こってしまう

 いやはや、スポーツ面も毎日新聞の一部であるという簡単な原理が、なかなか定着しないようなのである。

以上

今日の躓き石 選手を守る正確な報道

                                      2015/08/18
 今回の題材は、毎度おなじみの毎日新聞大阪13版スポーツ面の報道である。と言っても、苦言ではなく賛辞である。

 前回は、プロ野球選手の引退会見の報道に対して、選手個人を攻撃しているようなきつい言い回しで、不適切な子供っぽい言葉遣いを公の場で呈したことに対して苦言を呈した。記者会見で、事前に言いたいことを十分時間をかけて練ったはずのメモに基づいて、自分のペースで、自らの意思で語った発言なので、多少厳しく批判しても良いかと思ったのである。

 今回は、毎日新聞が同じ会見に基づいていながら、正確な報道と選手の尊厳を両立させた、いわば、報道の原点を守った姿を褒めたいのである。

 当記事では、該当部分が「」内で引用されていないので、「野球人生」と失言したかどうかは、不明である。また、メディアの品格を問うという当ブログの本筋には関係ないので、以下、論議しない。

 記事の地の文は、24年間の現役生活を振り返ったと書かれている。これは、担当記者が責任を持った的確な言葉遣いである。「」内で選手談話をそのまま引用している部分と相俟って、日米での選手生活の成果と感慨が語られているのである。

 このように立派な実績を残した選手が、引退会見で失言したとしても、それをそのまま報道したのでは、選手の失言が言葉を表面に目立って、肝心の引退会見の意義が損なわれてしまう。それでは、報道の使命を果たせない。
 記者には、それを予感する感性が必要なのである。
 大事なのは、会見の報道であるので、報道の使命を果たしつつ、不適切な言葉遣いがあったとしても、毎日新聞の責任と見識で整理して、間違った言葉遣いを無意味に世間に拡散しないのが、責任ある「報道」というものである。

 今回、毎日新聞社の紙面は、とかく、世間の崩れた言葉遣いに染まりがちなスポーツ面でも、選手の偉業にふさわしい高いレベルの品格を「絶妙」に保っているのである。

 今日の風潮に流されない姿に、賛嘆を惜しまないのである。

以上

2015年8月17日 (月)

今日の躓き石 人生幼年期の終わり

                                      2015/08/17
 今回は、どのメディアがどうこう言うことではない。また、発言内容に疑問があると指摘している選手がどうこう言うことではない。各メディアが堂々と報道しているのだから、業界ぐるみの悪習なのであろう「業界言葉」とその背後にある安直な考え方を批判しているのである。

 引退会見した選手が、「こんなに恵まれた野球人生を送れるなんて、思ってもみなかった」と失言している。多分、ご当人は、コーチになる気も、評論家になる気もなく、これで野球と縁を切る決意で発言しているのだろう。それなら、自らの決意で野球人生に終止符を打つことを宣言するのもわからないでもない。

 それにしても、なぜ普通の、誰でもわかる、当たり前の言葉で、「こんなに恵まれた選手生活を送れるなんて、思ってもみなかった」 と言わなかったのだろうか。

 どんな名選手であっても、野球は人生の全てではないものと思う。まさか、本人の人生がこれでおしまいというわけでもないだろうに。

 立派な実績を残した選手が、引退会見で、こんなつまらない発言をしたのかと思うと、大事なのは、業界全体の自己研鑽と思うのである。
 どうか、特別の世界に厚遇されて世間と隔離された「幼年期」の終わりを迎えてもらいたいものである。

以上

2015年8月12日 (水)

今日の躓き石 大谷に「リ**ジ」???

                                     20150812
 今日は、大変情けない記事を書かねばならない。愛読紙として信頼していた毎日新聞に、ドンと裏切られたのである。
 問題の記事は、大阪13版のスポーツ面に、デカっと書き立てられている。

 しかも、この「リ**ジ」は、用語自体が不適切な上に、言葉の使い方が間違っている。

 パリーグ2チームの角逐で、西武の岸投手が日ハムの大谷投手との投げ合いで繰り返し後れを取ったと言っても、正々堂々の勝負、フェアな試合の勝敗であり、おぞましくもどろどろした遺恨が発生するはずはない。時代劇でも、正々堂々の立ち会いでは、負けた側の敵討ちは認められず、勝った側は処罰されない。そういうものと思う。

 また、敗戦投手になるのは、確かに点を取られたせいだろうが、相手投手を打てなかった味方野手陣の力不足が大いに影響しているのである。投手が対戦するのは、野手陣であって、投手同士がいがみ合うわけではない。

 投手が、チームの勝敗を一身に背負って、負け試合を根拠に相手投手を恨んで闘うというのは、プロスポーツの世界では、禁物である。

 毎試合敗戦投手は必ず発生するのだから、それぞれに試合の責任を押しつけていたら、投手は、全て背信の徒になってしまう。それでは、スポーツの本分は見えなくなってしまう。

 結局、遺恨のないところに遺恨を描き出して、無理難題を書き立てているのは、戦前以来の大時代なスポーツジャーナリズムの汚点である。そんなふうに報道の大義に反する無法な書き方をしなくても、選手の中にあるファイトは、表現できるはずである。

 冒頭に「情けないと書いたのは、そのような汚点を正そうとしない毎日新聞校閲部の無為無策である。全国紙、一般紙の節度を忘れて欲しくないのである。

 今回の暴走で、折角、着々と続いていた「リ**ジ」無使用の効果が、一気に無に帰したのである。たった一人の、一度の思い違いが、後世に「リ**ジ」伝道師としての毎日新聞という不滅の汚名を残すのである。

 いやはや、NHKも、毎日新聞も、信頼できないとしたら、言葉の守り人は死に絶えて、伝説(レジェンド)になったのだろうか。

以上

2015年8月11日 (火)

今日の躓き石 NHKの赤っ恥「リ**ジ大作戦」

                                                                                       2015/08/11
 波乱の一日の最後に、まさかと思うNHKGのドラマ10「美女と男子」18が待っていた。

 それにしても、NHKには、不適当な用語を使わないように指導する部門はないのだろうか。今回は、無残なことに、「リ**ジ大作戦」と大書されている。
 心あるメディアが、1年間抑止していても、これ一発で帳消し以上の効果がある。何しろ、日本全国に放送されていて、よい子がこぞって学ぶメディアだから、影響力は絶大である。

 これでは、受信料から50分相当分を返して欲しいものである。┐(´-`)┌
 「かね返せ」

以上

今日の躓き石 Unbirthday Carroll

 今題材は、某世界企業のとちりである。

 いや、すでに不適切な表現と反省して撤回しているから、追い打ちするのは、本来、行きすぎなのだが、担当コピーライターの鈍感さを指摘しないと、同様な不適切な表現が再発しそうなので、一言挟むことにする。 

A very merry unbirthday to you!

 と言う表現で、本当に問題なのは、"unbirthday"という不適切、不穏当な単語ををどう解釈すべきかと言うことが紹介されていないというである。 

 最悪の解釈は、"unbirthday"とは、「誕生日」の反対語であるから、「命日」という意味とる人がいると言うことである。欧米では、命日を大変めでたいと祝うのだろうか。宗旨も違うし、よくわからない。

 The word reminds me of Don McLean's "American Pie."

 このコピーをひねり出したコピーライターは、英語と言う複雑怪奇な言語をよく知らない脳天気な人のようだが、ここでほじりだしたのは、大変危険な言い回しである。

 たまたま、8月9日だったことで非難集中となったが、問題の意味は、もっともっと根深いものである。世界有数の著名ブランドで未来永劫「食って行ける」超巨大企業が、一介の日本人に英語として不適当だと指摘されるのは、あまりに不用意ではないかと思う。

 いや、ここまで書いてきて調べ直すと、このふざけた単語は、ルイス・キャロルの紡ぎ出したものらしいとわかった。

 あの方は、英語の達人であり、何気ない、ありふれた言葉をちょっと捻っただけの毒のある言い回しが得意だったから、以上で指摘したようなことは、全部承知した上での「不適切な」表現かも知れない。だからといって、現代の責任ある作家達が、そのまま世界中にまき散らしていいのではないのである。世界中の良い子たちが、キャロルの毒舌に染まって良いのだろうか。

以上

2015年8月 4日 (火)

今日の躓き石 【共同】のフィジカル問題(サッカー)

                                    2015/08/03
 融けそうで融けない懸案となってしまったサッカー(フットボール)の「フィジカル」が、毎日新聞大阪版13版スポーツ面の日本代表監督のコメントに現れた。

 因みに、縦見出しの「男子も顔色失う」と言うのは、限りなく誤用に近い不安定な言い回しであり、クイズで当てて見ろといわれると、「女子チーム大勝」と続くように見える。この面には、「も」の先行例が見当たらないのでそう見える。

 加えて、横見出しでは「猛暑」と書き出しているが、相手だって「猛暑」で闘っていたのだから、いきなり下手な言い訳するものだと思うのである。ただ単に、調整失敗なのに前半飛ばしすぎたと言うだけではないのではないか。いずれにしろ、勢い込んでオーバーペースを続けていたら、気温が低くても、早々にばてがやってくる。

 この辺り、素人目には、見出しの付け方の不出来な記事と見えてしまうのである。

 それにしても、4カ国対抗リーグで初戦を落としたら、まず優勝の可能性は、半分逃げたようなものであるが、その点は触れられていない。FIFAランキングをとってつけたように掲示して字数を稼いでいるが、済んだ試合で相手が格下だったと言い立てても、何にもならない。その程度の相手に、ちゃんと試合を作れなかったという非難だとしたら、報道として、不出来である。

 他でもない、全国紙のスポーツ報道として大事な点を伝え漏らして、意味不明な見出しを付け、意味不明な書き連ね方をしているのが、興ざめである。

 さて、ここで懸案の言葉遣いであるが、代表監督のコメントが、まずは、相手に背の高い選手がいてやられたと評した後、「フィジカルに問題があり、選手は疲れていた」と締めているが、何のことか、一般人にはわからない。

 しばらく以前に、「フィジカル、スピード」と外国人である代表の監督が、カタカナ言葉を連ねてJリーグの改善を求めたという記事があったが、解きほぐされなかったため、当方は、勝手に「当たり」のことではないかと憶測したが、結局意味不明のまま終わっている。「フィジカル」は、人によって、その時によって、揺れ動く概念であり、一般紙の報道では、言い換えていくべき問題語と考える。

 それにしても、高給を取り、高い栄誉を得ているナショナルチームA代表の監督が、毎回こんな断片的で意味の通じないコメントしかできないのであれば、即刻辞任すべきである。
 
また、意味の通らないコメントを日本語にし損ねているのであれば、通訳を替えるべきなのだろうか。意味の通らないコメントを引用して、報道責任を果たしているという関係者も、褒められたものではない。

 いや、毎日新聞の女子W杯サッカー記事に意味不明、先入観ずくめの戦評が続いたことに文句を付けていたのだが、昨日の女子チーム敗戦戦評で、面目一新したと思ったのである。

 女子チーム監督の戦評として、カナダの準優勝チームは、試合運びに抜群のものがあったので、厳しい試合を1点差で勝ち続けたが、今回の若手中心のチームは、先輩の戦いぶりから学びとっていないとの評価であり、当然とは言え、カナダの準優勝チームは、経験を身につけていて、年上であっても伊達に年は食っていないと言っているように読み取れる。
 記者の見識と一般読者に的確に報道しようとする姿勢が顕著に表れていて、頼もしいものであった。

 素人考えなのだが、若手主体に一気に切り替えてしまうのでなく、力をつけた若手の選手が順次レギュラーに浮上して、先輩を追い越していくという、順当な世代交代では、なぜ、ダメなりだろうか。

 振り返ってみると、その記事には【共同】と署名されていて、共同通信担当記者のしっかりした見識に感心したのである。それが、今日は、かくの如く不行き届きな監督コメント報道である。

 今回の共同通信担当記者は、メンタルに問題があり、疲れていたのだろうか。そしてよくわからないのが、同一面の別の場所で、代表監督のコメントが別の切り口で紹介されていて、そこでは、相手チームと体調管理の差で負けたような口ぶりの後、「これが日本のフットボール」と喋ったと書かれているが、唐突であり、特にフォローがない。

 まずは、フットボールとは何かと言うことになると、イングランド、米国、大陸諸国で、食い違いがあり、また、日本でも、一般読者になじみがない表現なので、報道の際に「サッカー」と言い換えるものだと思っていたのだが、ここでは、首尾一貫していない。報道の不手際であろう。

 それはさておき、もし、冒頭に挙げた意味不明のコメントの主旨が、ここに展開されているような言葉になるのだとしたら、別の意味で監督の不具合が見られる。負け方の悪いのは、監督の問題である対策しようのない日本の国情のせいにされては、無責任と言わざるを得ない。本当は、何と言ったのかと言うことである。

 最近の事例では、都市対抗野球の決勝に臨む監督の談話が、全国版と地方版で、大きくずれていて、地方版記者は、ちゃんと聞き取れていない、メモが書けていないのではないかと思った事例がある。慎重に言葉を選んだ日本人監督の日本語談話ですら、主旨を取り損ねる体たらくであれば、今回のように、急き立てられて絞り出した通訳の言葉が断片的であっても、監督の戦評がそのように断片的であったかどうかは不確かであり、ひょっとすると正確に報道がされていない可能性もある。

 と言うことで、代表監督が、なにを問題点と自認していたのか、担当記者の見解と交錯して、読者に伝わってこないのである。

 関係者一同、ボキャブラリーをすりあわせして、何とか用語を調整して欲しいものである。何とか、一般人に読み取れる、平易な文章、用語で報道して欲しいのである。

以上

今日の躓き石 週刊将棋で谷川会長の「リベンジ」報道が続く

                                      2015/08/03

 それにしても、宅配講読している週刊将棋の最新2015/8/5号の連載王位戦回顧記事での「編集部」氏の谷川浩司会長追究は、ここまで数回に続いて執拗である。(将棋の王位戦は、主催 新聞三社連合-北海道新聞・東京新聞・中日新聞・・神戸新聞・徳島新聞・西日本新聞)
 この記事にしても、全体にちゃんと普通の言葉で書き続けているのに、特定の個人に対して、将棋に場違いな、そして、時代錯誤の「リベンジ」を繰り返し言い募るのは、どうしたことだろう。

 何度目かのことなので、煩雑と思われる向きもあるだろうが、当ブログで、「リベンジ」の使用を非難している趣旨を説明する。

 この連載コラムで書かれている「リベンジ」は、復讐、報復の意味であって、ある意味、辞書に載っている普通の言葉遣いであるが、次に出る新しい用法のせいで、もはや半ば死語となっている言葉遣いとも言える。

 この言葉自体は、(中近東起源の)宗教で重大な意義を持った言葉であって、それ自体は、異教徒の俗人がとやかく非難できるものではないが、長年にわたって、世俗世界で悪用されているために、誤解・誤用が広がって、問題を醸しているのである。

 一方、近年になってプロ野球界で言い立てられ、スポーツファンを介して汚染が進んでいる「リベンジ」は、リトライ(再挑戦)の意味で使われていて、復讐や仇討ち、仕返しという本来の意味を踏み外しているので、単に無教養から来る誤用でしかないのである。問題は、本来物々しい言葉を、気軽に誤用することに軽率な間違いがあるのであり、いうなら社会人として言葉の使い方が、はなから間違っているのであり、そのために物議を醸しそうになっているのである。

 そして、近来、「リベンジ」で検索すれば付いてくるのが、破廉恥極まる犯罪行為である。悪質な犯罪者が犯罪行為を正当化するために、「リベンジ」と言い立てているのが、各報道機関が、暗黙の同意を与えるかのように、そのまま報道しているのである。

 だから、今の時点で「リベンジ」というと、そのような犯罪者と同類視されかねないのである。だから、ちゃんとしたメディアは、この言葉を慎重に避けているのである。

 ということで、週刊将棋は、谷川浩司会長の過去の功績に対して、悪口を言い立てるのを止めて貰いたいものである。

 ここまで、安易な検索でヒットしないように、文字遣いを工夫していたのは、当事者を直接的に非難するのを避けていたのであるが、今回は、度重なる誤記に我慢しかねて、そのまま書き綴っている。

 メディアの書き立てたものは、一度世に出てしまえば、なかったことにできない、いわば、待ったなしの真剣勝負である。読者から誤用の指摘があったときには、逆ギレするのではなく、謙虚に自戒して頂きたいものである。

以上

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