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2015年9月

2015年9月20日 (日)

今日の躓き石 南アのメンタルを乱す? NHK

                                                                                2015/09/20
 NHK BS-1のラグビー中継を聞いていると、後半開始早々、こともあろうに、NHKアナウンサーが、表題のようなたわごとを口走って、白けてしまった。 

 字幕制作者の心の問題("mental problem")が影響したのだろうか。

 当のアナウンサーは、一度、じっくりカウンセリングを受けて、心の病("mental illness")を治療して頂きたいものである。

 NHKは、アナウンサーの心の健康管理("mental health care")を怠ってはならないと思うのである。

 ここまで、用例を書いてきたのは、メンタルというカタカナに相当する英単語"mental"のニュアンスを例示したかったのである。

 そして、余り好ましくないので避けていたのだが、英語の名詞で"mental"とは、心を病んだ人のことである。差別表現に近いことには触れたくなかったのだが、ここまで来ると、もはや仕方ないのである。

 だから、HCは、心の強さのことを"mentality"と言ったと思うのである。言葉遣いの微妙さを味わうべきである。
 

 NHKともあろうものが、全国多数の視聴者、特に、次代を担う若者達に変な言葉遣いを広げないでほしいものである。

以上

今日の躓き石  気持ちの強さ

                                        2015/09/20
 NHK BS-1のラグビーワールドカップの関連番組で、エディー・ジョーンズHC(ヘッド・コーチ:ラグビーに於けける代表監督)のインタービューで、「メンタル」(mental)の強さと意味不明な字幕が出た。
 ただし、番組の地の部分に戻った時のタイトル字幕では、「気持ちの強さ」と解き明かされていた。それなら、なぜ、最初から誰にでも通じる日本語にしなかったのか、不審である。

 なお、コメンテーターは、HCは英語で"mentality" (メンタリティ)と言ったとしている。
 字幕制作者は、英語が満足に聞き取れなかったのだろうか。
 "mentality"は、英語として意味のとれる名詞だが、"mental"は、名詞ではない形容詞であり、聞くものは、後に名詞が続くと期待しているのに名詞が続かないので、単語明瞭、意味不明瞭となっている。"Mental what?"と問い返したいところである。英和辞書を参照しても、的確な記事はないのではないか。

 一般視聴者にHCの発言の意味が伝わらないという事態は、メディアとしてもっとも戒めるべきものではないか。

 と言うことで、インタビューの字幕に出た「メンタル」は、字幕制作者の誤解か、勝手な創作なのだろうか。

 NHKでは、番組制作時に、誤訳のチェックはしなかったのだろうか。

 HCは、自分が苦心して言葉を選んだ発言が、崩した日本語となって伝えられていることを承認しているのだろうか。

 ここまでうるさいのは、NHKの製作番組では、厳格な用語チェックがあるものと、万全な信頼を置いていたのだが、今回は大いに落胆した。

 世の中には、NHKの保守的な態度に反感を持っている人も多いようだが、当プログの見方は、頑として言葉を守る、鉄のゴールキーパーである。
 それとも、ラグビーには、ゴールキーパーがいないように、ラグビー番組は、タックルをかわされてしまえば、誰もゴールを守らないのだろうか。

 

以上

2015年9月19日 (土)

今日の躓き石 絶妙のスポーツ報道

                                      2015/09/19
 当記事は、批判ではなく、賛同である。だから、書いていて、気分が晴れるのである。
 題材は、毎日新聞の朝刊大阪13版スポーツ面の相撲報道である。

 「絶妙巻き替え」と題したミニ囲み記事は、力士当人の談話、審判長の評言を引用しつつ、記者の文章が綴られているが、見事な流れと高度な言葉遣いを感じさせたので、ここに賛同の意を表明したのである。いや、担当記者は、いつもこうしてちゃんとした記事を書いているのだろうが、別の分野の記事で大きく躓いて、足がそこで止まっていたのである。

 まず、他のスポーツの記事(他記事)と大きく違うのは、他記事では、(格闘技ではない)日本チームに対して、体力体格で劣るとダメ出しをしているが、体格が大きな要因となる相撲の記事で、体格を論じていないことである。(確かに、相撲の記事で書き立てられることはあるが、あからさまに勝敗の要因と言われることは少ない。また、大抵書かれるのは、ある程度力士が自分で増減できる体重のことである)

 それはそうである。体格は明確に数字が出てしまう上に、成長期を過ぎたら変わりようがないし、体力だってそう簡単に増進できるものではない。そうした点を戦力評価の重大な項目として採り上げ、暗に、これでは闘う前から負けていると、全国紙の紙面で書き立てられては、当の選手達には、不愉快な思いしかないであろう。(ここまで貶している毎日新聞記者が、当の選手達にインタビューして、丁寧に応対してもらえるとは思えない)
 全国紙としての客観報道を目指すのなら、避けられなかった失策(客観的に見て失策ではないプレー)や努力で克服できない先天的な要素は、軽々に書き立てるべきではない、それより、「劣っている」チームがなぜ勝てたのか、これからも勝てるのか、体格で劣るマイナスを努力で克服していると書かないのかと、当方はいつも不満であった。
 例えば、ワールドカップの決勝に勝ち進むためには、体格の不利を何かで補っていたはずなのであるが、決勝戦の前評判記事でも、後の総括記事でもそういう「前向きな」(ポジティブな)書き方は表に出ていなかったのが、不満であった。

 審判長は、「強いね。馬力だけじゃない。相撲がうまい」と技術的な要素を高く評価していることが引用されている。また、記事全体に、「考えた一手」、「危ないとは思わなかった」、格下に取りこぼさない(油断しないということか)、「意識は変わらない」とむしろ淡々と、味のある言葉を書き綴ることによって、技術・戦術の面と心理的な安定面とが、記事主題として称揚されている。

 ここで大事なのは、力士、記者、そして、読者の間で、相撲という「格闘技」における言葉遣いや意識付けが、共有されていて通じ合っていることである。全国紙のスポーツ報道は、かくありたいものである。

 国際的な対戦が多い球技類の報道では、先に触れたように、体格勝負、体力勝負の強調、かたや、正体不明の心理面へ言及などが、記者としての論理的・体系的な視野を持つことなく、選手やコーチから聞き取った語彙のまま、未消化で雑然とした記事として書き立てられ、しかも、それぞれの競技でことなる要件を無視して、同じようなカタカナ言葉を使い立てている。
 かくして、記事に込められた語彙も競技観も共有していない一般読者には、何が語られているのが見通せない報道が続いて、当方は、何度となく当ブログで歎いている。
 相撲の記事で強調されている技術面(うまさ)の尊重や平常心(揺るがない意識)の強調が、別の分野の記事ではほとんど見いだせないのも、一般読者の一員たる当方の嘆きの元となっている。

 おそらく、相撲記事の記者は、十分な見識と訓練を経た「記者の目」と「記者の言葉」をお持ちなのだろう。全国紙のスポーツ欄を任されるだけの優れた人材なのだろう。
 一介の宅配読者としては、ここで読ませていただいた記事の深い味わいが、他の分野の記者を感化することを望むだけである。

以上

2015年9月18日 (金)

今日の躓き石 ISO409600の憂鬱 改訂増補

                                                          2015/09/18

 デジカメの新製品の発表記事に「最高ISO409600」と高らかに、しかし、意味の判然としない見出しが付いている。読者諸兄は、どう受け止めたことだろうか。正直、当方は、しらけるのである。
 ISO高感度競争も3200とか6400程度では、すごいすごいで済んでいたが、409600と言う6桁のどでかい数字は、一般読者が効果を把握しかねる、ほぼ無意味な数字になりかけているのである。
 言い方は悪いが、一般消費者に誇大(過大)な印象を与えているのではないかと危惧する。あるいは、一種のインフレ効果とでも言うのだろうか。数字は最高だが印象は最低と言うことになりかねない。

*追記     2015/09/19
 慌てたわけでもないのに、肝心な点を言い漏らしたのは、まことに不覚であった。

 409600と言う数字が好ましくないのは、何と読んで良いのかわからない、それにしても呼びにくいというのが、大きな、大きなマイナス点である。
 409,600ではないので、桁数を数えあげて 「よんじゅうまんきゅうせんろっぴゃく」と発音する必要がある。
大抵の日本人は、何とか聞き取れる程度であろうか。それにしても、わかりにくいのである。
 
英語なら、"four hundred and nine thousand, six hundred"になるだろう。べたっと言わずに、コンマの所で軽く一息入れて三桁取りだと印象づけてくれたとしても、東洋風の四桁取りになれている日本人には、聞き取り困難なものである。
 因みに、
三桁取りに慣れている英米人が楽々聞き取れるかどうかは、当方には不明である。
 自分でしゃべるときは、桁数を指折り数えて、何とかしゃべれるだろうか。

 関係者の方は、是非ためしていただきたいのである。
*追記終わり 

 当方のような一介の素人より業界関係者の方がよくご存じのはずであるから、細かい説明は省くが、従来ISO204800であった感度をISO409600に上げる効果は、ISO100からISO200に上げる効果と同等である。ISO感度値の引き算分だけ効果があるわけではない。センサー感度と言うことに限れば、ISO感度の階段を、山積する技術的な課題を克服してまた一段上ったと言うこであり、技術的な意義はめざましいものがあると思う。問題は、技術的な成果のユーザー訴求が適切かどうかと言うことである。

 いや、これは、特定のメーカーだけのことでなく、工業界全体の統一された表示基準だと思うので、新製品発表記事のメーカー名は表示しないのである。

*背景考察
 ISO規格による感度値は、シャッター速度値や絞り値(に基づくレンズ開口面積)と同様に、倍々ゲームのように急上昇する数値が淡々とした階段状の数値で表現できるのである。即製であるが、表めいた形に書いてみた。別に複雑な数値ではないので、ブラウザーでの表示が崩れたら、メモ書きでもして頂いてご容赦頂きたい。

     0      1      2      3       4       5       6        7         8        9        10        11        12        13               
 100,  200,  400,  800, 1600, 3200, 6400, 12800, 25600, 51200, 102400, 204800, 409600, 819200

 ISO感度の数字が倍になると言うことは、センサーが1段階高感度となり、半分の受光量に対して同等のセンサー出力が得られると言うことだと思う。
 例えば、希望する露出設定が、ISO800で1秒であったとすれば、ISO25600では、4段進めたた30分の1秒となる。こうしてみると、感度上昇の改善効果は、写るか写らなかという臨界状況での改善だけでなく、手持ち撮影では、カメラブレの抑制に絶大な効果があることは言うまでもない。ただし、効果は、的確に表現したいものである。

*提言
 それにしても、ぼちぼち、ISO感度の多桁表示は打ち止めにしたらどうかと思うのである。

 例えば、学術的な意義のある段階表示(Speed Valueだったっけ)を併用したらどうかと思うのである。

 このような「対数」表現にすると、ISO感度の改善は淡々とした直線的な改善となって、これまでのロケット発進的な性能改善の印象が霧散しかねないことから、自社に不利と感じて頑強に反対するメーカーもあるかも知れない。

 と言うことであれば妥協的な救済策として考えるのだが、ISO感度の最後の00二桁を自明(無駄)として省略し、意味のある上位四桁の表示にとどめたらどうかと思うのである。

 新しい単位は、hISO (hect-ISO)とでも言うのだろうか。今回の例で言えば、ISO409600は、hISO4096である。

 ある意味、インフレ時の通貨デノミネーションに相当する革新的な改善効果がある。表示される数値が四桁であれば、一般消費者も感覚的に把握しやすくなると思うのである。

 いずれにしろ、ISO819200を標榜する技術誇示記事は見たくないのである。

 本質的に別にメーカー間に不公平が生じるものではないと思うので、業界として検討頂けたらと思うのである。

以上

2015年9月17日 (木)

今日の躓き石 安易な便乗商品の「罪と罰」

                                 2015/09/17
 以前、新技術告知のブレスレリースの際に、不出来な公共スローガンへの安易な便乗と言うことで批判していたのだが、今回、新製品マウスの店頭販売のニュースを見ると、堂々と「アイドリングストップ」と表示しているのには、正直言って呆れた。

 元々、「アイドリングストップ」というカタカナ言葉が、自動車の停車、待機時の無駄なエンジン運転継続の悪習を叩いて、省エネ風潮を催すという運動であったのだが、カタカナ語として造成する際に、語順の配慮を誤ったために、意味不明なスローガンになっていると言う批判があった。一言で言うと、命令文で、ストップ!アイドリングでないと呼びかけの意味がないのであった。

 そのまことに配慮不足で不出来なスローガンに、今になって一企業が安易に便乗したのは、どういうことだろう。

 でかでかと謳い上げていると言うことは、早い者勝ちで商標登録したのだろうか。それにしては、商標表示がないように見受けられる。

 更に深刻なのは、マウスの「待機時消費電力」を、意義の大きく異なるアイドリングストップと同列に表示したと言うことである。
 自動車のエンジンの待機中の燃料消費は、排気ガスの出具合やエンジン音で想定できるが、マウスの待機時消費電力は、微々たるものと感じるはずである。
 もちろん、マウスという小さな空間では、電池の持ちに影響するほどの電力消費なのだろうが、それが、大声で名乗りを上げるほどのものなのか。もし、マウスの商品生命に関わるような重大問題なら、この新製品以外のマウスは、エネルギー浪費型の度しがたい「ダメ製品」であり廃物ものなのだろうか。

 大学教授は、自身の名声を高めるために、適当なスローガンを唱えるのだろうが、分別、世間知のある立派なメーカーがその片棒を担ぐのは、どうしたことか。

 いや、実際の所、各業界の各メーカーも、チャンスがあれば、公共スローガン便乗の商標を唱えたい、もし、ただ乗りできるのだったら、儲けものと思っていることは想像に難くない。「アイドリングストップ」が事実上「廃語」になるまで便乗商品が、ほとんど出なかったのは、おそらく各メーカーで、商品化の過程で押しとどめるような、良心的な抑制が働いていたものと想像する。各企業では、こうした商標を言い立てる人がいると共に、必ず、役どころとして、言葉の護り人がいるものである。

 と言うことは、このメーカーは、昨今世評に上がっている大企業と同様に、組織として良心的な思慮が働かない会社である、と言うことだろうか。

 それにしても、恥ずかしい商品を売り出したものである。

 言うままでもないが、メーカーと連座している大学と大学教授の品位にも、大きな疑念を投げかけられているのである。

以上

2015年9月15日 (火)

今日の躓き石 週刊将棋の「リ**ジ」が続く

              2015/09/13
 宅配で講読している週刊将棋9月9日号の王位戦回顧記事で、またも、リ**ジと書き立てている。

 当方も、呆れて匙を投げるほどの連発だが、当ブログの主旨は、都度論評なので、重ね重ね申し述べることにする。大変情けない気分になったので、随分、記事を書くのが遅くなってしまった。

 重ねて言うが、これは、将棋界の栄誉あるタイトル戦の場で出てくるべき言葉ではない。

 今回やり玉に挙がったのは、前王位である郷田真隆氏が挑戦者となってタイトル奪還を目指す戦いであるが、「編集部」氏は、なぜか「リ**ジマッチ」と言い立てている部分である。これは、当事者達には、大変迷惑な勘違いである。
 郷田真隆氏が、前期の敗北を、耐えがたい恥辱と感じて、不当にタイトルを奪った現王位に天誅を加えようとしているわけではない。

 また、ボクシング界の「リターンマッチ」の例のように、タイトル保持者かタイトルマッチの挑戦者を選定するにあたって、万一敗北の際には、次回タイトルマッチの挑戦者に選定することを条件とするわけではない。
 挑戦者となるためには、厳しい戦いで、多くの競争相手に打ち勝っているのである。

 その意味でも、記事筆者は、言葉の感覚が大きくずれている。

 以下、口調を変えて書くのにも飽きたので、単純に再掲載しておく。

 引き続き、何とか、(編集部)さんが、自身の不見識に気づいたら良いなと思うだけである。当人が気づかなかったら、友達が気づいて苦言を呈すべきである。是正できない誤りはないのである。

 今日の世界で、「リ**ジ」で検索すれば、上位に出て来るのは、「リ**ジポ*ノ」ではないかと思う。次世代を担う子供達も目にする権威ある媒体では、決して掲載すべきではない忌まわしいカタカナ言葉である。

 それにしても、週刊将棋紙には、校閲、校正の最後の守り人となって不穏当な言葉にダメ出しする、決裁権を持った編集長はいないのだろうか。

 週刊将棋のコラム部分の編集サイクルから見て、発行した号に対する反省が編集内容に反映できるのは、早くて、次々号と言うこともあり、当方としては変化が現れるのを待つしかない。

以上

2015年9月 7日 (月)

今日の躓き石 WBSC U-18の悲しいプレー

                                                                                         2015/09/07
 今回は、辛い選択であったが、将来ある高校生のことなので、正直な意見を残しておくことにした。
 もちろん、ちゃんと野球をしたことのない素人老人の意見なので、とんでもない勘違いかも知れないが、ここまでのブログで言いかけたことの延長なので、言い終えておくことにした。

 決勝のアメリカ戦をABC(大阪)の実況放送で見た体験である。録画再生はしていないので、勘違いかも知れないことは言うまでもない。

 6回日本チームの攻撃で二死満塁であった。一塁の強いゴロで、深く守っていた一塁手が投げた球を、ベースカバーに駆け込みながらだ投手が受け止めたのだが、この際の判定は、投手の触塁と打者走者の触塁とどちらが先かの争いであり、審判の判断はアウトであった。

 ここで問題となるのが、打者走者が一塁にヘッドスライディングしたことである。いわゆる「気持ち」としてはそういう風潮なのだが、選手のプレーとして最善と言えないものだと感じたものである。

 短距離走でわかるように、一塁ベースは加速し続けて走り抜けることになる。ダイビングしてヘッドスライディングするのは、足が地面を離れた瞬間に加速が停まって、後は、自然減速している。多分、多分であるが、駆け抜ける方が速い。そのために、一塁へのヘッドスライディングを見る度に、駆け抜けていたらセーフだったのではないか、との疑問が残るのである。審判も、そうした先入観を持っているものと思うのだが、確証はない。

 そして、もっと大事なことなのだが、選手の安全と言うことがある。

 特に、今回の例では、ヘッドスライディングをかけた時点では、一塁ベースが空いているので、投手が触塁する場所を十分に残すすべりかたではなく、ベースの真っ正面に飛び込んだものと思う。

 この状態で、投手がしっかり触塁すると、打者走者と衝突して両方ともけがをする可能性があった。

 衝突の危険を避けるとしても、打者走者の方は、ダイビングしていてどうにもならないので、投手がベースの手前をかすめるように触塁して、素早く逃げ出すしかないのである。
 今回は、投手が内野手を本職としていて、こうした(危ない)ベース上でのプレーになれていたから事なきを得たが、内野守備に不慣れな投手なら、まともにベースカバーして事件になっていたかも知れない。

 してみると、一塁の塁審は、正常なプレーが行われていればアウトであったことを見て取って、アウトのコールをした
のだと憶測するのである。

 つまり、実際に行われたプレーのタイミングがセーフと感じたとしても、そのまま判定するとフェアプレーの精神に反するプレー(ベースカバーの投手の足を狙った危険なダイビング)を支持したことになるので、セーフのコールができなかったと思う。偏った見方であるが、審判に於ける正義(Justice)は、物理的な中心(Physical Center)にあるものではないと思う。いや、以上は、あくまで当ブログ筆者の憶測である。

 もし、そうもしである、打者走者が正常に一塁を走り抜けていたら、これは、普段から想定しているフェアなプレーであるから、審判が目と耳で感じた通りの判断になったと思うのである。

 頑張ったつもりで、随分自チームに不利なことをしたと思うのである。

 できれば、日頃から指導者が選手に、一塁は駆け抜けなければならない、と訓示しておくべきではないかと思う。危険は自分だけにかかるものではない、気がはやるときこそ、安全で正確なプレー、ということである。

 これまでのページと同様、当ブログでは、特定の選手をいじめるつもりはない。目立った事例を参考に、スポーツ界と取り巻くメディアの風潮の間違いを指摘し、風潮の正されるのを望むだけである。

以上

2015年9月 6日 (日)

今日の躓き石 夢中ダイブ 絶対反対

                                     2015/09/06
 毎度おなじみの毎日新聞朝刊大阪第13版スポーツ欄の記事批判です。

 小さいとは言え、署名入りの囲み記事で「人生初夢中 ダイブ」と不適切な言葉遣いの二連発です。何の罪もない選手を、こんな形でさらし者にする記事に疑問を呈しておきます。

 「人生初」と言う言い方が軽率で粗雑であることは、良識ある読者にははっきりしていますから、22歳にもなって、ちゃんとした言葉遣いができないことを重ねて言い立てるのは控えます。

 随分問題が大きいのは、ホームベースへのヘッドスライディングです。一塁のように、互いに先着を争うだけでブロックのない場合でも、大けがをしかねないヘッドスライディングするのは、大いに問題があるのですが、本塁突入の際には、捕手が両足を踏ん張ってブロックしているのであり、そこへ手を伸ばして突進するのは自滅行為です。

 確かに、派手で素人受けするプレーであり、熱烈系のファンから賞賛されがちですが、決して真似すべきものではないのです。また、足から行くと遅くなるわけでもありません。他の選手は、臆病で安全策を採っているのではないのです。

 プロの世界でも、タッチを避けるために、遠回りでヘッドスライディングして、伸ばした手でホームベースにタッチする例はありますが、捕手が捕球の際に移動して、スライディングの進路に入ったときは、レガーズに頭突きすることになりかねません。ある意味、余程技寿に自信がない限り、その場の勢いで突入するのは蛮勇に近いものです。

 随分以前ですが、強肩強打で知られた若菜捕手(だったと思う。記録が確認できないので、うろ覚えになる)が本塁へのヘッドスライディングで骨折して重傷を負い、長期欠場に加えて、選手生命に影響の出る大変な事態になったことを思い出します。もちろん、当然のプレーとは言え、結果として重大なけがを負わせてしまった捕手も、長く後悔したことでしょう。

 お願いですから、子供達が真似をして、大けがをするようなプレイは、但し書きなしに賞賛しないでください。ついでながら、「人生初」などと言った発言も報道しないでください。

 この選手は、感情的な発言を好むようで、担当記者も大いに共鳴しているようですが、冷静に見ると、大会に出場して打てなかった(結果が出なかったと言うよりは、出せなかったというものではないか)のは、単に力不足(謙虚)と言うべきであり、力をつけたことを示す機会を得て再挑戦するのは、「雪辱」とはほど遠いものです。

 (自分ほどの選手なら)打てて当然、打てなかったのは屈辱、と感じるのは、不遜というものです。少なくとも、報道関係者のインタビューで答えるべき表現ではありません。こうして、三つ目の問題発言が、締めの部分で発言引用されて、念押しされているのは、悲しいものです。

 くれぐれも、一時の感情に影響されて、一般読者を対象とする全国紙としての報道の使命を忘れないようにお願いしたいものです。

以上

2015年9月 5日 (土)

今日の躓き石 WBSC U-18の「リ**ジ」

                                         2015/09/05
 今日は珍しく、BS朝日の実況でキューバ戦の勝勢の試合を見ていたのだが、最後に聞きたくない言葉を聞いてしまったので、不公平を避け、謹んで批判させて頂く。

 日本代表チームが、米国代表チームと決勝で戦うことを「リ**ジの場に立つ」と、アナウンサーがつぶやいたのである。

 何とも、不都合な言葉を口に出した軽率なものであり、高校生世代が大勢視聴していることを思うと、後世に、大きな、消しがたい悪影響を残したものだと歎くのである。

 しかも、状況を考えると言葉の使い方を誤っていて、局アナの教養不足は情けないものがある。

 伝統的な意味で言うと、復讐、報復、仇討ちであるが、日本チームは、優勝経験がないので、(不当に奪われた)U18世界一タイトルを奪い返すものではない。復讐、報復、仇討ちを叫び立てるのは、見当違いである。

 次は、近年言い立てられている「再挑戦」の意味であるが、すでに、今の段階で決勝進出が果たされているのだから、すでにその場に立っているのである。決勝の場が「リ**ジの場」と言うことはない。

 それにしても、民放局アナの教育は大したものではないのだなと思うのである。どちらにしても、若い世代への影響力は大きいのだから、しっかり、言葉遣いの戒めを心がけて欲しいものである。

以上

2015年9月 2日 (水)

今日の躓き石 報道された「人生初」失言

                                    2015/09/02
 例によって、天下の毎日新聞が、スポーツ欄では、報道の本質を踏み外しているという例である。9月2日付大阪朝刊第13版のスポーツ欄の記事である。

 今回は、ご丁寧に見出しに取り出した上で、本文で繰り返している。担当記者は、選手が攻守に着実な成果を示したことより、この言い方を報道することに絶大な熱意を示しているようである。

 「人生初」とおっしゃるが、子供時代の草野球の頃から、随分試合をしていたのを、全部一繋がりで捉えているのだろうか。日本代表としての現在も、野球は野球であり、子供の遊びの延長でしかないと見ているのかと、寂しいものがある。いや、そんなつもりはなくて、先輩や友達の目立った言い方をまねているだけだというのだろうが、報道陣の前で喋るというのは、仲間内のしゃべくりとは違うのである。失言すれば失言のまま、世界中に報道されるのである。
 もっと、自分を大事にして欲しいものである。

 とにかく、何とも、粗雑な言葉遣いである。これからプロになるとしたら、高校時代の記録すら、ただの参考であり、まして、それ以前のことなど、冗談の種にもならないのである。選手として、自分の選手としてのキャリアをしっかり捉えて欲しいものである。

 確かに、選手本人がその通りの具合の悪い言葉遣いをしたのは事実だろうが、報道の本質は、高校生である選手の悪い言葉遣いを事実として報道して告発するものでもなければ、悪い言葉遣いを後押しして天下に広げるものでもないと考えるのである。
 野球の好きな子供達がまねをして、野球の好きな子供達がしっかりした言葉遣いができなくなってしまうことを恐れる
のである。

 毎日新聞ほどの報道機関は、自身の使命について よくよく各担当者に言い聞かせる必要があると思う。言ってわからなければ、しばらく、地方に出て修行してもらうのがいいのではないか。

以上

今日の躓き石 セットアップの話

                                 2015/09/01
 当ブログでは、毎日新聞の次に多い回数、NHKに難癖を付けているので、誤解されているかも知れないが、NHKの言葉遣いは、潔癖なほど折り目正しいと思う。

 例えば、元々は、野球界の誤用で始まり、今や俗語として広く定着しているように見える「ナイター」でも、好ましくないカタカナ言葉として扱い、極力使用しないことに決めているようである。

 今回は、BS-1のWorld Sports MLBでキャプションまで表示して、クローザーの前に投げるリリーフを「セットアップマン」と呼び立てていた。この番組は、語り手役のコメントやゲストの発言などで、妖しい言葉遣いに走ることがあるのだが、今回は(定例通り)台本段階で用語を統一したようである。

 とは言え、ここで姿勢を正しても、一般のスポーツメディア関係者は、おしなべて言葉遣いに無頓着なので、一度曲がった流れが真っ直ぐに戻るまでには、何年もかかるのだろうと思う。
 一度染みついた悪い癖は、指摘、指導を受けても治らないことが多い。Die-hardの代表である。

 今回は、NHKの地道な活動に賛辞を捧げたいと思う。

以上

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