« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »

2015年10月

2015年10月29日 (木)

今日の躓き石 うつくしい日本語

                                    2015/10/29
 今回は、新聞紙面に示された意見に戸惑いを感じたというものの、趣旨に反対するものではない。題材は、毎日新聞朝刊大阪13版の投書欄の意見である。

 投書者は、「うつくしい日本語」が「うつくしくない日本語」に侵食されていると訴えているのだが、多分、その意図が通じる可能性は少ないと思う。以下、失礼を顧みず、どこが足りないのか語らせていただくことにする。

 「うつくしくない日本語」を使っている人たちにとっては、「うつくしくない日本語」は、日頃慣れ親しんだ、それなりにちゃんとした日本語と思っている、と言うか、自然に口をついて出るから別に何とも思っていないので、誰かが何かを言っても気にしないはずだからである。「うつくしさ」は、人によって感じ方が違うものだから、個性重視の世の中では、自分の感じ方を押しつけても、受け入れられないのである。

 別の感じ方をしている人たちに、投書者が「うつくしくない日本語」と感じる不快な言葉遣いを、「このままではまずい」と感じてもらうには、そうした人たちが、自分たちが適当だと思って使っている言葉遣い多くの人に不快感を与えていることを理解してもらう必要がある。

 それこそ、春のお花見で、ひっそり桜を眺めている人たちのそばで、けしからん一党が場違いな大騒ぎ をしているようなもので、自分たちと違う感性の人たちが不快に思う言葉遣いは、こうした場では避けるというのが大人というものである。このくらいの意見は、聞く耳があって欲しいものである。日頃やり玉に挙げているメディア関係者相手であれば、もう少し強い言葉遣いでたしなめるところであるが、世間一般相手では、控えめにならざるを得ない。

 この場合は、長年大事にしてきた言葉を、若い人が、無思慮に使い崩しているのが、当記事筆者を含めて不愉快に感じるのが問題点だから、本当のところは、後から来たものたちには、何をどう使い崩してしまったのか理解いただきたいものである。そうして、そこから何か感じるところがあれば、先に来ているものとしては幸せというものである。

 そうでなくても、「傍若無人」という成語があるように、公共の場所で、「すごい」とか「やばい」とか、自分たちの思いつきを大声でわめき散らすのは、勘弁して欲しいものである。こうしたことは、マナー、エチケットの部類に属するものであって、個人の「美」感覚とはまた別のものである。

 以上のように勝手に思ったものである。

以上

2015年10月28日 (水)

今日の躓き石 鳥肌ものの話の続き

                                     2015/10/28
 さて、一夜明けての毎日新聞朝刊大阪第13版スポーツ欄である。

 件の勝利監督談話は、「鳥肌」と引用されている。と言うことは、前回記事で書いたNHKの報道には、正統メデイアとしての報道責任が感じられるのに対して、肝心のプロ野球関係者には、社会人としての自覚が育っていないと言うことになる。

 僅かな文字数で、自身の発言が引用されたとき、その真意が理解できる人ととっさに理解できずに大きく躓いて理解に苦しむ人が混在すると言うことを、監督ともあろう大人が、ご存じないと言うことになる。
 読者の中には、「鳥肌」と言う言葉で、過去の不快な体験を呼び覚まされて、目を背ける人までいるかも知れない。監督は、社会的な弱者ではなく、苦言に応えられる度量があると思うので、ここでは、誰のことかわかる程度に書いているのである。

 監督にしてみれば、自分の周囲には、この言い方で通じるものばかりだと言うことなのだろうが、チーム監督ともなれば、なかなか苦言を呈してくれる人はいないのだろうし、時折書くように、業界用語は、業界では通るので、それが、世間一般に通じていると錯覚しているかも知れない。

 と言うことで、球界関係者に言葉選びの自覚を促すしかないのである。

 本件の趣旨を再度確認すると、「鳥肌」は、(「リ**ジ」のように)廃語にすべき悪語ではないが、受け取る人の解釈が正負両極端に分かれる言葉なので、メディアに対する広報時には、別の適切な言葉を選んで語るべきだと言うことである。
 監督が、聞く耳を持っている賢明な社会人であることを祈るだけである。

以上

2015年10月27日 (火)

今日の躓き石 鳥肌ものの話

                                      2015/10/27
 本日の題材は、NHKBS-1の日本シリーズ第三戦実況であった。と言っても、ずっと全部視聴していたわけではないし、それほど耳をそばだてていたものでもない。

 手の空いたところで、試合終了後の総括の部分を聞いていると、さすがに、NHKアナのプロの技術のさえで、、困った言葉遣いは出ていなかったように思う。「セットアップ」ときっちり語尾をしめた言い方は、ずいぶん民放と違う、丁寧な語りである。

 それに共鳴したのか、勝利監督の談話が、ホームラン連発に身震いした(だったかな)と丁寧に言い回していた。ここまでは良かったのだが、コメンテーターの方から「トリハダ」発言があって、ずっこけたものである。わざわざ、他の皆が避けているのに、場の空気が読めない人である。

 特定の言葉の意味の取り方が、世代によって大きく正反対に別れる例になっているのである。と言うことは、放送でしゃべっても、ほぼ半数の人には、意図した意味が通じないことになる。だから、この言葉は、有害語ではないが、報道に関係する人としては、避けていただきたかったのである。

 他にも、最近、白黒裏腹の言葉があるが、いずれも、正確な伝達を求められる報道の場では避けていただきたいのである。

 因みに、当ブログ記事の筆者は、完全に旧世代なので、「トリハダ」は黒言葉である。

 もはや、誤用だと反発したり、言葉遣い間違いと指摘して是正したりすることができなくなったのは理解しているが、まだ、旧派がかなり多くいる以上、正誤がはっきりしない状況では、使用を控えるしかなくなっているのである。

 ここまで、色々、口うるさく指摘しているのは、これ以上、大事な日本語が混沌状態にならないように(全)報道機関が、意識を持って捌いて欲しいからである。

以上

今日の躓き石 ソネサ一時 ひと十時

                                       2015/10/27
 いや、今日のネタは、特定のメディアを指して言うものでない。時代風潮のSNSへの偏愛に疑問ほいだいているのである。

 川柳一種。お粗末。
 騒がしい ソネサ一時(いっとき) ひと十時(ととき)

 「ソネサ」は、SNSを丁寧に書き出した「ソーシャル・ネットワーキング・サービス 」(ひとによっては、命がけらしいが)を、時代好みのカタカナ三文字に略したもの(即製造語)である。

 NHK Gのニュース放送で、画面下部に視聴者のコメントが表示されるものがあるが、大抵は、さすがにあからさまな誤解に基づくものはないようだが、その場の思いつきで突っ込んでいるだけで、耳を傾けるに値しない、思慮の無いものが大半である。
 当方としては、こうした野次馬コメントを表示しない設定が欲しいと思うのである。当方が、受信料を払っている対象は、NHKの関係者が、最善の努力を払って精選したニュース報道であり、ど素人の無責任な思いつき・放言に金を払った覚えはない

 一時、ネット書き込みを「便所の落書き」と同列視している批判があったが、今や、「ソネサ」の落書きは同列の愚行になっている気がする。

 さて、ここで言いたいのは、「ソネサ」の速報性と裏腹/必然のいい加減さ(後日の訂正、付記はできるのか)である。当方が求めているのは、当ての無い/確かめようのない永続性ではない。せめて、「一時」の十倍長い「十時」の生命を持つの報道を求めているのである。

 どうか、全国の諸氏が目覚めて欲しいのである。ソネサの(一時)メッセージに深く依存すると言うことは、或る意味、言い過ぎや思い違いからくる誤発信を避けるという人としての良心を捨てることである。
 他人に本当に伝えたい想いがあるのなら、取り返しが付かないくせに、足の速い「ソネサ」でなく、もっと深くから出て、言い直しの聞く、もっと長続きする「十時」メッセージを探して欲しいのである。

 それにしても、「文部科学省」の最新の発表では、「冷やかしや悪口、嫌なことを言われる」のが、いじめの最大事例らしい。
 冷やかしや嫌みが、受けたものにとっては、自分の命を捨てるような思い込みに至る重大な攻撃になりかねないと言われては、当方は、今後の記事の書き込みに迷うのである。大抵の冷やかしや嫌みは、「気にしない、気にしない」と聞き流してしまえば、程なく霧散するものであるが、ソネサでは、冷やかしや嫌みが霧散せずに拡散してしまうのが、おそらく、重大な重みを持つ問題点なのである。

 この点を、より確実に知るためには、設問に不十分な点があるのではないかと思われる。

 いや、ここでこんなことを言っても、誰も見向きもしないのだろうが、一人前の大人として、 言いたいことは言わざるを得ないと感じるのである。

以上

*追記 「十時」(ととき)という言葉は、白石一郎氏の時代小説連作「十時半睡事件帖」シリーズから思いついたものである。
 本来は、江戸時代の、一日を十分割した時刻表示に由来するものである。当方も、ネットの速報情報が、せめて一日保つ情報であって欲しいと思うのである。

2015年10月25日 (日)

今日の躓き石 カタカナ言葉の誘惑

                                    2015/10/25
 題材は、宅配購読している毎日新聞の大阪13版スポーツ欄の署名入り囲み記事であるが、カタカナ言葉の軽率な取り扱いは、別に個人的な問題ではないので、たまたまやり玉に挙がった人が不運と言える。

 とは言え、「自由席」と題されたコラムで、「舌を巻いた」、「恐れ入った」と一人称記事を書けるほどの実力者(これは、ほめ言葉である)なので、ここに何か書かれたからと言って、萎縮することなどないと思うので、こうして遠慮なく言い募るのである。

 ここで気になったのは、「ユーティリティープレーヤー」なるカタカナ言葉である。これは、名匠監督の発言の引用であり、しかも、発言自体で「複数のポジションを守れる」と前振りしているので、この長いカタカナ言葉13文字の意味はうっすらと理解できるように思える。

 しかし、その直下で、「二塁を守った」選手は「一塁も守れるユーティリティーな選手」と形容されている。「ユーティリティー」というカタカナ言葉が、何とか意味を推定できる「ユーティリティープレーヤー」と言う(実質上の)単語を外れて一人歩きして、意味がぼやけている

 素人考えで気が引けるのだが、一塁手というポジションは、内野手で唯一左投げでも務まる守備位置であり、比較的負担の軽い守備位置であることから、ここを守れるからと言って、特筆すべきものではないように感じる。
 また、二塁手が外野を守れるというのは、関西地区ではなじみの深い現象であり、ちょっと前からの阪神球団なら平野選手や大和選手のような見なれた例がある。
 それ以外にも、長年捕手専任だった選手が、急遽コンバートされて三塁を守るというのは、大したことだと思う。
 こうした事例と比較すると、今回のレギュラー左翼手の欠場対応に対して、スポーツ専門記者としては、ちょっと感激しすぎ(これは、ほめ言葉ではない)ではないかと思う。

 はて、話が余計な方に流れた。ここで、不満を唱えたいのは、「ユーティリティープレーヤー」を「ユーティリティーな選手」と言い換えていることである。しかし、「ユーティリティー」は形容詞ではないので、文法から言っても違反である。また、単に「ユーティリティー」と言ったときの意味は、いかようにもとれて、解釈が不安定である。文章の大家であるプロの新聞記者としては、軽率ではなかろうか。

 いや、ここまで躓き石を掘り起こす気になったのは、同じページの巨人選手の引退記事で、別の記者が複数の守備位置を「どこでもこなす高い守備力」と讃えていたからである。「高い守備力」だけ取り出すと、僅か5文字であるが、明解に意味を伝えている。寸鉄の如く的確であり学ぶべき言葉遣いである。「ユーティリティー」とカタカナ8文字を費やして、しかも、意味が伝わりにくいのと大違いである。

 どうか、安直にカタカナ言葉に寄りかかるのではなく、誰にでもわかる言葉で書いて、事実を的確に報道するという基本を忘れと欲しくないものである。

 こうやって絞り出した苦言が「糠に釘」でなければ幸いである。

以上

今日の躓き石 無責任な放談記事

                                                                                  2015/10/24
 無責任な言いたい放題記事がまた浮上してきた。エセ「省エネ」談義の悪例である。 

え、怖い……家電の待機電力はここまで電気代を上げていた! 

 ITmediaサイトのスペシャル記事であるから、サイトとして最善を尽くした記事と予測したのだが、あっさり裏切られて、怒っているのである。

 まあ、記事筆者の幼児体験や個人生活の苦境に起因するのではないかと懸念される感情の動揺には、さすがに当ブログ筆者も干渉できないが、金を取って記事を書いているはずのプロの執筆者が、世間の不明を正し、理解を図るべき記事を「え、怖い」で始めていては、信用も何もないのである。

 「1ワットの待機電力でも年間で約193円もの損失につなが」ると言うが、便利の対価を支払うのを「損失」と決めつけるのは、無茶というものである。193円は、1日当たり50銭強であり、はした金以下である。大声で言い立てる金額にほど遠い。
 ひょっとして、落語の「まんじゅう怖い」のパロディーかと思ったが、そうではないようだ。

 続いて、10ワットなら、20ワットならと言うから、100ワットならと言うかと思ったら、逆戻りして、2ワット程度の話になる。いったい、どれだけの運転電力を使っている前提の話なのだろうか。比較の対象が、書かれていない。

 写真には、一万円札が写っているが、待機電力で1万円かかるとしたら、ご自宅は、月数十万円の電気代かと推測するのである。毎月数十万円かかるのなら、年間数百万円であり、年1万円の待機電力の節約談義どころではないと言うのが常識の考え方である。

 言い分のもととして、無造作に、「エアコンの待機電力の目安は2.4ワット、デスクトップPCは2ワットの待機電力がある」と言っているが、根拠不明である。憶測や風説を根拠に記事を書いて収入が得られというのは、太平楽で結構なご身分と言わざるを得ない。
 「エアコン」と無造作にひとくくりにしているが、大小、新旧、千差万別である。また、「エアコンの待機電力」とは、どこに消費されているのかもわからないから、価値判断ができないとも言える。寒冷地での凍結防止ヒーターの電力のように性能維持に必要不可欠な電力であれば、「損失」に計上すること自体が無茶である。

 デスクトップPCは、20年以上前と思われる太古から、大変厳しい米国の省エネ基準に合致しているものだから、シャットダウンさえしていれば、消費電力ゼロのはずである。シャットダウンしても消費電力があるとしたら、USB給電やネットワーク接続維持が目的なのか、あるいは、何かのきっかけで始動する仕掛けを持っているかである。

 使用者の設定で待機しているのであれば、それを「損失」と呼ぶのは無茶である。再起動時間を惜しんでシャットダウンせずにスリープなどにしているとしたら、それは本人の勝手である。

 対策として、「シンプルに使わない家電のコンセントは抜く」と手垢の付いた表現で言い放っているが、写真のようなコンセントは壁に作り付けになっていて抜けるものではない電源コンセントからプラグを抜くのだろうが、文明人は、そんな不便をしないで済ませたいものである。不便をしない代償は、ある程度支払うというのが文明人である。

 「最新家電は省エネ化によって待機電力がほとんどゼロ」と言うが、最新とは何年前から言うのだろうか。根拠不明であるから、判断のしようがない。(家電の省電力が大きく進んだのは、第一次の石油ショック直後の各メーカーの努力によるものである) ひょっとして、どこかのお役所が得意としているように、古びた書類のコピーから書き起こした注意書きを見ているのではないかと疑いたくなる。

 まして、製品が動いているのに、僅かな待機電力を理由に新品と買い換えるというのは、どんな根拠なのか、ひょっとして、電機メーカーの指示で書いているのだろうかと、「ステマ」疑惑までわいてくる。

 僅かな字数で、よくこれだけ混乱した書きぶりなのか感心するのである。

 以下、何か実証めいた記事が続くのかと思ったら、意味不明の壁面コンセント写真でおしまいである。

 「省エネ」という世間受けの取れるネタで、太古常識の蒸し返しやら物知らずだから言える場当たりな思いつきを、ぐずついた言い回しでしゃれのめ して一丁上がりと言うことか。

 当ブログのように無償・無給で書いている個人ブログであれば、何を言ってもその場限りであるが、ITmedia Lifestyleと言う有力メディアでここまで無責任な放言がまかり通るとしたら、メディア自体の信頼性にも不審を覚えるのである。

 当ブログ筆 者は、弱いものいじめは大嫌いだが、一流サイトの「暖簾」に隠れた書き手は、弱者とは思わないので、こうして全力で叩いているのである。

 ちゃんと修行して、まともな記事が書けるようになってから出直すべきである。(また、糠に釘を打って大汗をかいてしまった)

以上


 

2015年10月24日 (土)

著作権侵害の非親告主義について

                                    2015/10/24
 最近、TPPの影響で、著作権侵害が、著作権所有者以外の第三者による告発が可能となる非親告主義が採用されると報道されている。

*非登録制の陥穽
 しかし、よく考えてみると、これは大変不安定な制度である。少なくとも、著作権が登録制でない国では、危険な考え方である。
 登録制の場合、国の登録データベースを確認すれば、誰のどのような作品が著作物として登録されているか判断できるので、正確な告発が可能であるが、登録を必要としない国では、告発を受けてその内容を確認しない限り、何が著作物であるか、知りようがない場合が多いのである。
 まして、著作権は、同じ知的財産権と言っても、国内法では登録不要とされていて、特許などと異なり、登録を求めた出願に対して審査がなされるものではないので、果たして、著作権を主張している著作物が、正当なものかわからないのである。
 極端な話、当の著作物がそれ以前の著作の著作権を侵害しているかどうか、確認できないのである。
 あるいは、著作物のある部分が著作権の消滅している、あるいは、著作権の主張されない引用であっても、どの部分が著作物となっているか、わからないものである。
 非親告制を認めるなら、対象となる著作物は、しかるべき公的団体に登録され、公開データベースに登録された著作物に限定するようにして頂きたい。

*著作隣接権の混沌
 次に問題となるのは、国内法で言う著作隣接権の問題である。音楽関係で顕著なのだが、元々の作曲が古くて著作権がなくても、その曲を演奏するとその都度「著作隣接権」が発生するのである。
 例えば、どこかの交響楽団が、J. S. バッハの作品を演奏会したら、曲自体の著作権は消滅しているから誰にも使用料(ロイヤルティ)を払う必要はないが、演奏に対して著作隣接権が発生する。つまり、この演奏の録音に対して著作隣接権が発生する。本来、著作隣接権の了解なしには利用できないのである。
 しかし、元々同じ楽譜を、同様の訓練を受けた音楽家が演奏するから、同じ楽譜に基づく異なった演奏は、音声だけ聞いても区別できないことが多い。
 これを確実に区別、同定するには、各演奏毎に、識別特徴を明記して、データベス登録するのであろうか。例えば、どこそこに席が聞こえるとか、誰かがミスしたとかの特徴である。著作隣接権侵害の告発の際には、こうした具体的な演奏のデータを照合しないと、著作隣接権侵害の立証の仕様が無いのである。

 さて、今後国内法が整備されて、著作隣接権侵害が非親告制となったとして、以上のような厳密な処理なしに、司法機関が客観的な立証がされたと確認できる検出方法は存在するのだろうか。

 例えば、とあるオーケストラが、欧米の一流オーケストラの既存の録音を参考にして、極力同じ速度、強弱で演奏したとして、音声データの比較たげで両者を区別できるのだろうか。
 あるいは、先端技術を駆使して、過去の「名演奏」を分析再構成して、区別できないほどに複製再現したものに、再現著作物は不法な副生物になるのか、あるいは、新たな著作隣接権が生まれるのだろうか。いずれかの演奏の複製がどちらの著作物の複製であるか、判定できるのだろうか。大いに、疑問が湧くところである。

*結語
 後半、議論が迷走して当人が余談と自認しているが、いずれにしろ、大所高所からの議論に、素人にもわかるような、著作権固有の事情の実際的な検討が抜けていることに苦慮しているのである。

 すでにYouTubeでは、電子処理によって、曲の類似点を発見して、同一演奏だと速断するようシステムを導入しているが、類似点や一致点より、相違点の方が多くても、強引に同一音源だと決めつけるようである。現実に、誤判定が頻発している。それでも実施しているのは、YouTubeのような運営管理団体は、疑わしきは指摘し、公開を停止せよ、それを怠れば、直ちに、運営管理団体を重罪で告発するとの法律(米国法)が存在しているからである。

 著作権侵害の告発が非親告制となると、同様に、運営管理団体が、告発の義務を背負わされるのではないかと危惧する。米国法で摘発を受ける可能性のある団体は、他国で、米国法の適用外であっても、米国法に沿った行動を取らざるを得なくなる可能性がある、と指摘しておくものである。これは、国家主権の侵害とも取られかねないが、あくまで、「団体」が自己責任で行う告発であるので、非親告制での告発を認めた国は、そのような内政干渉を阻止することは困難になるのではないか、と危惧するのである。

 思うに、このような制度が導入されるのは、某大国が、自国の映画産業が所有する「不滅の名作」を(実質上)未来永劫収入源として確保することが主眼なのだから、受益者負担の原則から言うと、そうした特定の著作物を保護する制度としては、言うならば「ブレミアム著作物」として(それにふさわしい高額登録料を徴収して)登録し、堂々と特別扱いすれば良いのである。

 一私人の個人的な意見としては、米国以外の諸国は、そのような極端な見方に加勢して、無造作に国内法制を拡大すべきではないと思うのである。

以上

今日の躓き石 野球界業界用語の蔓延

                                   2015/10/24
 珍しく民間放送の野球中継を聞いていた。大阪で言えば、MBSで放送されているSMBC日本シリーズである。

 結局、芳しくない思いをしてしまった。(別に感情的になっているわけではない)

 広島カープの若きエースが、「同級生」と言いまくるのを聞いてしまった。一部出身高校の違いを明言したので、記憶違いではなく一度も、同じ学級で学んだことのないと認識しいる同期生を堂々と「同級生」と呼んでいたことに間違いはないようである。で、局アナが、言葉の誤用を訂正せずに、むしろ悪のりして同意しているのである。これでは、局ぐるみの誤用振興である。まあ、そんなものかと基準を下げてしまうのは、MBSに失礼なので、NHKと同基準でここに書かざるを得ないのである。

 続いて、肋骨骨折で欠場している4番打者について、歴々たる実績のある「名匠」が、野球人生」に影響することを苦慮していると伝わった。報道に誤りはないとして言わせてもらうと、人の人生は一つしかないのが、世間の常識である。実際、肋骨骨折を悪化させたら、今後の人生に大きな問題を持ち込むのは、もったいないことになる。

 一般世間の言葉遣いでは、選手キャリアに影響するというのである。あるいは、大げさに言って「選手生命」を縮めるというものである。まあ、このように、近年、「野球人生」などというつまらない言い方が聞こえてくるのだが、どうも、プロ野球界から言い出して、周辺に広がっているようである。

 それにしても、「野球人生」には、コーチ、監督、評論家としての業界人生は入らないのだろうか。その時々の各人の言い方に揺らぎがあって、よくわからないのである。

 一流選手や監督は、社会人としての良識を求められるその言葉遣いに多くの若者が注意していて、口まねするからである。そんな立場の人材の失言を誰も止めないと言うことは、この業界には、若者のお手本としての、大人としての、社会人としての良識はないのだろうか。折角、多くの人に言葉を直接伝えられる立場にいながら、もったいない話である。

 何とか、こうしたつまらない業界用語の使用を控えて終熄させて頂きたいものである。

以上

タブレットPCだより 10(ChuWi Vi7 Android 5) Lolipopの憂鬱

                                                         2015/10/24
 アンドロイド5,通称Lolipop(ロリポップ クシ飴のことである)が組み込まれていると言うことで、好奇心半分でChuWi ”Vi7”を買い付けたのだが、2カ月を経て、ちょっと不満な点が目に付いてきた。

 日常使用するには、いろいろなアプリを導入する必要があるのだが、しばらくして、メモリーが枯渇してしまった。

 資料閲覧用のExcelやWordは、泣き泣き取っ払うにしても、メモ書きする以上はATOKを外すわけには行かないので、行き詰まりとなってしまった。

 以前、古いバージョンのアンドロイドでは、マウントされているマイクロSDにアプリを移動したり、アプリのテータ保存先をマイクロSDに移動したりして、内部メモリーを解放できたのだが、ロリポップでは、そうした操作は「設定」からできない(いつ廃止されたか?)のである。当方の理解と大違いで、罠にはまったと感じさせられ、落胆しきりである。

 ちょっと調べてみると、これは、グーグルの大方針のようで、今後、SDカードへのアプリやデータの移動は、復活することはないようである。

 と言うことは、実質上、内部メモリー1GBのタブレットは「実用」に耐えない、と言うことである。目下、何とかメモ書きはこなしているし、単にブラウザーで情報確認するには差し支えないのだが。

 今回は、甘い飴と思ったら、わさび納豆入りの飴だったようで、当方の食感からいうと、とても楽しめないものである。
 大変な授業料を支払ってしまったようである。

以上

タブレットPCだより 9(ChuWi Vi7 Android 5)

                                                         2015/10/24
 やや旧聞になってしまったが、後追いである。(2015/08/12書きおこし)

 Androidタブレットは、Android3辺りの早い段階から、メモ書き用モバイル端末(当時は、キーボード付きClieを常用)の後継候補として、積極的に初物買いしては、使い物にならずに断念したりして小遣いをなくしていたのだが、格安Windowsタブレットの登場と共に足が遠のいて、ふと気づくと2年経っていたのである。

 このたび、Android5を搭載したIntel CPU搭載したしタブレット端末が安い価格で出回ってきたので、3G対応のを持ったSIMフリー端末ということで購入した。

 手元に届いてみると、格安データ端末の実験と言うことで、と火遊びになったのである。

 接続業者として長年つきあいのあるNiftyが販売しているNifmoのSIM(データ通信専用)を手配した。

 まず、誤算があったのが、Chuwiは標準SIM対応でサイズが合わなかった。当然、アダプターを買うのだが、その分金額は少ないものの、届くまでに時間がかかるのである。
 さて、余り資料のないAndroid5での設定であるが、アクセスポイントの設定で、候補に出ていないので、何かの不備かと後回しにしていたが、色々ためして、ここに戻ってくるのである。
 さて、Androidのスクリーン最上部には、3Gの電波が出ていると示されている。
 「設定」のドロップダウンでは、「通信サービスなし」となっていて、途方に暮れたのである。モバイルネットワークは接続されていない表示と見えた。

 結局、設定のドロップダウンの右下に登場した「アクセスポイント」をクリックして点灯させると、モバイルネットワークの接続ができたのである。(当初、単なる表示に見えて、クリックして点灯させるボタンと思わなかったので、見過ごしたのである)

 以上、実験とは言え、しみじみ、験し甲斐のある手順であったと思うのである。

 結論
1.昔ながらのモバイル端末としての用途であれば、7インチのAndroidタブレットは、快適である。(ここまで、アンドロイドタブレットは7インチばかり使っていた)

 横位置でのスクリーンキーボードは、スクリーン全体の高さに比べると、やや縦方向に広がりが大きい(入力しやすいサイズに調整済みの時である)感じがあるが、7インチは8インチのタブレットに比べて一回り小型で、格段に携帯しやすいことを考えれば、表示の関係は我慢できる程度である。

   因みに、Windows端末は、最小8インチである。MSは、この辺りが、マウス操作前提で設計された伝統的なWindowsアプリケーションをタッチ操作する際のスクリーンサイズの下限と見ているようだ。(Windows Phoneは別の話である)
 
 私見であるが、「伝統的なWindowsアプリケーションをタッチ操作する」のが、苦痛無しに操作できるのは、10インチ程度が下限と思える。指先は、マウスよりずっと大まかものである。

  また、画面が楽に読み取れるかどうかという問題がある。日常生活で読書眼鏡が必要なユーザー層は、裸眼でタブレット画面を見るには、50センチ程度離れる必要があり、それでは、画面の表示が十分読み取れないのである。

2. NifmoのSIMは、3G専用端末としての接続は有効であるが、俗に言う華流タブレット(玉石混淆)に対するサポートが「及び腰」であり、上に挙げたような、最後の一押しが書かれていないので、自力で登攀ルートを開拓できるのある人向きである。

3. Intel CPUを採用したAndroidは、動作が快適であり、電池の持ちも良いので、特にCPUの違いは気にする必要はない。

4. 言うまでもないが、手元にあるChuWiは「技適」未取得であるので、実際に使用するには問題があると言える。

以上

今日の躓き石 「あほすき」の壁

                                         2015/10/24
 NHK関西地域向けの学校再発見バラエティ「アホすき」(このタイトルは関東地域では抵抗があるだろう)であるが、躓き石どころが、レンガの壁のような「リ**ジ」連発であった。折角の勇気あるチャレンジが、血まみれになってしまった。

 未来ある若者が、自分たちの世界で新しい「間違った」言葉遣いを発明して、自分たちの発明した間違った言葉遣いに染まっている、つまり、言葉で縛られているのは、ありがちなことではあるが、機会があれば、「間違いは間違い」だと教えて上げるのが、天下のNHK、公共放送の務めではないか、と歎くのである。

 少なくとも、言葉のプロであるNHKアナウンサーが悪習の普及に手を貸すことはないのに、と思う。

 因みに、今回の「リ**ジ」は、「復讐」「報復」に類する古い使い方であって、新型である「リトライ」、「再挑戦」の軽い意味ではないと思う。(どちらも、元々の言葉が不穏当な言葉であることに違いはないので、盛大に蔓延した誤用である)
 番組で登場した「リ**ジに成功する」というのは、明らかに前者である。

 番組の内容自体は、別に年寄りが文句を言うものではなく、むしろ、元気一杯、良い番組を続けて欲しいと思うのである。良い番組だからこそ、「間違いは間違い」と大声で苦言を呈するのである。

以上

2015年10月21日 (水)

週刊将棋休刊予告について

                                      2015/10/21
 当ブログ筆者が宅配講読している「週刊将棋」(タブロイド判 通常24面の将棋専門誌 「週将」)が、来年三月末を以て休刊となるという予告である。世の習いとして、こうした休刊紙が復刊されることはまれなので、事実上、「終刊」と言うことなのだと受け取るしかない。

 休刊の理由は、発行部数の減少により収入の減少であり、発行部数の減少は、電子媒体に食われてとのことのようだ。この手の事情の定番と言えるものである。そりゃそうだろうなと思うのである。問題点の原因がわかっていても、解決策のない一例である。

 週刊将棋は、日本将棋連盟(日将連)にとって、重要この上ない刊行物であるので、にもかかわらず休刊すると言うことは、余程に経営不振なのだと思わざるを得ない。残念なことである。

 半世紀を超える将棋愛好家であり、週将第一号から、ほぼ全号制覇(多分、買い漏らしは、十号以下と思う)していて、近年は宅配講読にして、週初めに確実に届き、生活の一部と感じていたのだが、半年先にはなくなってしまうのは、寂しいことである。

 以前は、長年にわたって、月刊誌「将棋世界」を毎月買い込んでいたが、月刊誌講読が少し重すぎると感じるようになって、週将併読となり、すんなりと週将単独に切り替わったのであった。

  さて、ここまで書いたように、世間一般と異なり、当ブログ筆者は、紙媒体の熱烈な信奉者である。と言うことは、こてこての少数派であり、なにしろ資金力がないから、餓えた週将の腹の足しになるものが提供できるか不明である。
 と言うことで、一読者としては、週将代替のデジタル出版物は、是非登場して欲しいと思う。
 何しろ、ウェブサイトの記事は、大抵の場合、新聞の記事に比べて執筆態度が軽くて、頼りないと感じているからである。

 当方は、休刊報道に付随して一部メディアでコメントされている「近年はネットでの対局中継が普及し、媒体としての役割を終えた」などとは思っていないのである。

 将棋に関する報道は、対局手順の速報だけに意義があるのではないし、それが媒体の使命の全てではないはずである。週将の経営不振は、単に、世間の風潮、それも、次代を担うべき若い世代の勘違いが引き起こした経済性原理の問題であると思う。

 使命というならば、週刊将棋の使命は不滅であると思う。

 新聞全国紙のように執筆者の書いた記事が編集部内でチェックされ、校閲されているというプロの仕事の重みが欲しいのである。紙媒体に匹敵する重みのあるデジタル「週将」を待望するのである。

 当ブログ筆者は、60代後半という実年齢にかかわらず、デスクトップPCと共に、タブレットPCもアンドロイドタブレットも愛用している達者な読書人なので、以上のように待望するのである。そうでなければ、喪失(ロス)になるところである。

以上

 

週刊将棋休刊予告について

                                      2015/10/21
 当ブログ筆者が宅配講読している「週刊将棋」(タブロイド判 通常24面の将棋専門誌 「週将」)が、来年三月末を以て休刊となるという予告である。世の習いとして、こうした休刊紙が復刊されることはまれなので、事実上、「終刊」と言うことなのだと受け取るしかない。

 休刊の理由は、発行部数の減少により収入の減少であり、発行部数の減少は、電子媒体に食われてとのことのようだ。この手の事情の定番と言えるものである。そりゃそうだろうなと思うのである。問題点の原因がわかっていても、解決策のない一例である。

 週刊将棋は、日本将棋連盟(日将連)にとって、重要この上ない刊行物であるので、にもかかわらず休刊すると言うことは、余程に経営不振なのだと思わざるを得ない。残念なことである。

 半世紀を超える将棋愛好家であり、週将第一号から、ほぼ全号制覇(多分、買い漏らしは、十号以下と思う)していて、近年は宅配講読にして、週初めに確実に届き、生活の一部と感じていたのだが、半年先にはなくなってしまうのは、寂しいことである。

 以前は、長年にわたって、月刊誌「将棋世界」を毎月買い込んでいたが、月刊誌講読が少し重すぎると感じるようになって、週将併読となり、すんなりと週将単独に切り替わったのであった。

  さて、ここまで書いたように、世間一般と異なり、当ブログ筆者は、紙媒体の熱烈な信奉者である。と言うことは、こてこての少数派であり、なにしろ資金力がないから、餓えた週将の腹の足しになるものが提供できるか不明である。
 と言うことで、一読者としては、週将代替のデジタル出版物は、是非登場して欲しいと思う。
 何しろ、ウェブサイトの記事は、大抵の場合、新聞の記事に比べて執筆態度が軽くて、頼りないと感じているからである。

 当方は、休刊報道に付随して一部メディアでコメントされている「近年はネットでの対局中継が普及し、媒体としての役割を終えた」などとは思っていないのである。

 将棋に関する報道は、対局手順の速報だけに意義があるのではないし、それが媒体の使命の全てではないはずである。週将の経営不振は、単に、世間の風潮、それも、次代を担うべき若い世代の勘違いが引き起こした経済性原理の問題であると思う。

 使命というならば、週刊将棋の使命は不滅であると思う。

 新聞全国紙のように執筆者の書いた記事が編集部内でチェックされ、校閲されているというプロの仕事の重みが欲しいのである。紙媒体に匹敵する重みのあるデジタル「週将」を待望するのである。

 当ブログ筆者は、60代後半という実年齢にかかわらず、デスクトップPCと共に、タブレットPCもアンドロイドタブレットも愛用している達者な読書人なので、以上のように待望するのである。そうでなければ、喪失(ロス)になるところである。

以上

 

毎日新聞 歴史の鍵穴 批判再訪

          私の見立て☆☆☆☆☆           2015/10/21

 毎日新聞夕刊文化面に月一の連載コラム「歴史の鍵穴」と題した記事が掲載されていて、どうも、専門編集委員佐々木泰造氏の執筆がそのまま掲載されているらしいことについて、一度触れたような気がする。

 専門編集委員の玉稿なので、校正の手を経ていないのだろうが、毎日新聞にしては、随分不出来な記事になっていると思うのである。以下あげつらうのは、大概が、作文技法の不備であるので、誰か常識ある人がダメ出ししてあげた方がいいのではないだろうか、と思うのである。それとも、怖くて批判めいたことを言えない方なのだろうか。

 と言うことで、高名な著者の重要な記事と位置付けされているようなので、失礼を顧みず、あえて遠慮なく書いていくのである。

 当記事では、松山市北部の白石(地名)海岸の50メートルほど沖合にある巨石に関する論考であり、人工物の可能性について思索を巡らされたようである。

*「人工物」の可能性?
 まず抜けているのが、「人工物」の意味の掘り下げである。まさか、3Dプリンターで岩石を出力したとは思えないから、岩石自体は「自然物」なのだろう。どこを捉えて、「人工物」と想定しているのか、明解に語っていないのは、不行き届きである。
 さて、「人工物」の範囲であるが、元々巨石の配置はこうなっていて、周囲の邪魔者を取り除いただけで、人工物としたのかとも思われる。日本国内に限っても、奇岩の類いは無数にあって、人が言う「見立て」は珍しくないのである。

*大小不明の「巨石」
 当記事は「巨石」と言うだけで、外寸が書かれていない。
 「推定で100トンを超える巨石が五ツ」とあるのだが、
 それぞれが100トン超なのか、五個の総重量が100トン超なのか、趣旨不明である。
 また、「三ツ石」というのは、目に留まるのが三個と言うことなのだろうが、あえて五個全体を人工物というのか、見える三個が人工物というのか、趣旨不明である

 と言うことで、対象物の観察記事が不備では、論説記事として不備ではないのかな。

 このあたりは、技術者的根性からの余計な突っ込みと言うことで片付く問題ではないだろう。人文科学者だって、データ重視のはずである。

*当地は どこ?
 後段の論説によれば、「白石の鼻 巨石群はトーナル岩」であり「当地の石」とあるが、飛鳥の亀石と並記して「当地」とくくっているから、「それぞれ」と前振りしてはいても、両者共に共通した当地、飛鳥の岩石かと一瞬思ってしまう。指示代名詞が宛先不明となるようでは、不出来な作文である。そして、肝心のトーナル岩が、「当地の石」と軽く流しただけで、元々この場所、この位置にあったものなのかどうかは推測すらされていない

*この地は どこ?
 続いて、「この地には戦国時代から江戸時代の城の石垣がある」と書き出しているが、飛鳥の話が挟まっているから、「この地」がどこか見えなくなっている指示代名詞が宛先不明となるようでは、不出来な作文である。

*高浜城幻想
 いずれにしろ、松山市の外縁部(はずれ)と思われるこの地に城の石垣があったとは意外な意見である。松山城は、(7世紀の視点から言うと)遙か内陸の山城である。1000年後の江戸時代初期であれば、「この地」から遙か松山城まで巨石を運んだとしても不思議はないのだが、この記事で問われているのは、7世紀の話である。時間錯誤ではないか。視点が大きく揺らぐようでは、不出来な作文である。

*時代超絶 海中工事
 ここで問われるのは、17世紀に巨岩を地上を遠距離運送することの可能性では無く、7世紀に巨岩を精密な構想通りに積み上げる海中工事が可能であったかどうかと言うことである。
 少なくとも一個の「巨石」 を、足場の固まっていないこの場で、この角度に積み上げたと主張すると、すかさず反論が予想される。そのような海中工事は人海戦術ではできないのである。
 1000年後の江戸時代でも、周囲を埋め立てて海を乾上げた後、大規模な足場を作り、大勢で綱を引いて持ち上げるという「陸上工事」にしない限り不可能なのである。巨石の原産地からここまで陸上輸送する重労働を抜きにしての話である。

*場違いな高取、飛鳥
 なぜか、時代も状況も異なる飛鳥の石を高取城に転用した挿話が語られているが、それとこれとは、わけが違うのである。視点が大きく揺らぐようでは、不出来な作文である。

 このように、この記事の筆者は、類推のあてにもならない事項をだらだらと紛れ込まして、読者を煙に巻こうとしているが、肝心の事項を語らないので、不信感を煽るだけである。

松山市 熟田津
 「熟田津は松山市内にあった」と名言が出て来るが、現代の松山市の行政区画は、7世紀には存在していなかったので、当面の議論に関係ない言葉遣いである。
 そして、ここが大事なのだが、熟田津は、後世文書に出てこず地名も残っていないはずである。(残っていれば推定は必要ないはず)

*斉明の船 停泊
 続いて、「斉明の船」「停泊」と簡単に片付けているが、時の権力者が単身で移動するはずはなく、また、小舟一隻だけのはずはなく、そして、停泊と称し船をとどめて済むものでもなく、当然上陸するものであり、全体として大々的な行幸となったはずである。停泊というものの、一介の地方港の停泊場所では到底足りず、これも、問題になったはずである。また、そのように大船団を二カ月(?)受け入れるのには、陸上の宿舎(
仮宮殿)建設、盛大な饗応(食料、飲料提供)を含めて、地元にとって大規模な、途方もない物入りであったと思われる。ついでに、派遣軍の徴用、軍船の随行まであったとすると、これは、世紀の大事業であったものと思われる。

 総合して、当事者にとっては呪わしい天災と言うべきものであったと思うのだが、なぜ、それほどの一大事に関してしっかりした記録が残っていないのだろうか。

*二ヵ月の大祭祀
 続いて、筆の一振りで、何らかの祭祀を行った可能性があると漠然と言い立てているが、誰の意見なのだろうか。

 二ヵ月になんなんとする祭祀が、重大な派遣軍の戦勝祈願とすると、どの神社のどの祭神の祭祀なのか、なぜ、本拠地でなく、このような遠隔地で行ったのか。伊予の祭神大三島神社から神官を呼び立てたのだろうか。なぜ、大三島で祭祀を行わなかったのか。

 とにかく、なぜ記録が残っていないのか、疑問山積である。少なくとも、斉明天皇が戦勝を期して祭祀を執り行ったのであれば、何も記録が残っていないというのは、おかしな話である。

*九州統治拠点 新設計画
 そこから、筆が弾んで、九州を統治する拠点として何か大規模な構造物が「計画されたと推定」しているが、動詞に主語がない素人くさい不備は言い立てないとしても、計画は計画であり遺構を残さないから、何か建物が建てられたのではないだろうか。記事は、何が計画されたか語らず、計画がどうなったかも、語ってはいない
 素朴な疑問として、それまで、九州は誰がどのようにして統治していたのだろうか。太宰府政庁跡では、7世紀より以前の遺構が発掘されていると言うことだが、それは、何だったのだろうか。
 そして、大規模な派遣軍が大敗して、そのあとはどうなったのだろうか。なぜ、そうした国家の一大事が、的確に記録されていないのだろうか

 一筆の余談がもとに、当記事の主題とまるで関係ない疑問が陸続とわき起こるのである。

 結局、この部分は、何のために、何を求めて書き綴ったのか意図不明である。

*可能性の追求?
 斯くのごとき、華麗な余談の果て、記事の締めで、唐突に、「可能性を探ってみる価値は大いにある」と宣言されているが、それでなくても手薄な資金と労力は、別の方面に使った方が良いように思われる。ご提案の趣旨は、関連自治体へのプレゼンテーションなのだろうが、言下に却下されるべきものだろう。

 と言うことで、最初に書いたように、当連載記事は、高名な著者の重要な記事と位置付けされているようなので、あえて遠慮なく書いているのだが、 全体として散漫な印象が募るのは、所定の字数を埋めるためかと思われる冗句(道草)が多いからである。ポイントを絞れば、1/3の字数でまとめられたはずである。

 因みに、当ブログ筆者は、れっきとした愛媛県人であるので、我が郷土の古代史に関しては、大いに興味があり、後押ししたいと思っているのだが、このように筋の通らない提言には同意できないのである。

以上

2015年10月20日 (火)

今日の躓き石 名将への追従

                            2015/10/20   *訂正追記あり
 当カテゴリーでいう「今日の躓き石」というのは、散歩道で、小さな石ころに躓いてふと足を止めるような経験を採り上げているのだが、今朝の躓き石は、苦笑というか失笑で立ち止まったのである。

 目に付いたのは宅配講読している毎日新聞大阪13版のスポーツ欄であるが、多分、当紙に限ったわけではなく、あちこちで、たびたび出ている現象なのだろう。たまたま、目にとまっただけであろう。
 巨人・原監督退任と題した囲み記事で、「名将」を称える記事なのだが、文中、「追従」(ついしょう)らしきものが紛れ込んでいたと見たのである。

 *半日経って読み返して、「追従」(ついしょう)とは言い過ぎで、社交辞令という方がふさわしいと思ったが、ブログ記事のタイトルとして公開してしまったので、そのまま残すことにする。ご不快に感じた方があれば、ご容赦いただきたい。

 「2012年に日本一になった後は成績が緩やかに右肩下がり」とは、何とも不似合いな言葉遣いである。この言い方には同意しかねる読者が多いのではないだろうか。一野球ファンとしての当ブログ筆者の意見は、以下読んでいただく通りである。

 とは言え、記事中にデータが出ているので、当方のような私人の印象を書き連ねる必要もないのだが、ここに示された数字は冷静である。
 2012年 勝越 43 リーグ制覇 堂々の日本一 
 2013年 勝越 31 リーグ制覇 日本シリーズ敗退
 2014年 勝越 20 リーグ制覇 クライマックスシリーズ敗退(全敗)

 この3年は、ペナントレース3連覇というものの階段を足早に下る印象を禁じ得ない。特に、2014年、首位チームがクライマックスシリーズ全敗敗退と言うショックは、ファンの間に大きな失望をもたらし、クライマックスシリーズ廃止論を掻き立てる効果まであった大事件であったと思う。

 2015年 勝越 5 リーグ2位 クライマックスシリーズ敗退(1勝)
 いや、2014年のショックに比べると、今年は、終盤の不振でペナントレース4連覇を逸したあとのクライマックスシリーズ敗退なので、巨人ファンにも、あきらめが付いたかも知れないが、確実に一段下った成績と言える。いろいろな差し障りがあるので、原前監督自身は、「なかなか成績が上がらなかった」とぼかして回顧しているが、内心は、以上のような認識で長い日々を通じて苦慮していたものと思う。

 記事のしめで唱えられているように、業界では、巨人は、「『常勝』を義務づけられたチーム」と呼ばれているようである。

 そんな背景のもと、原監督を名将と称えるなら、なぜ、充実この上もない成果を巨人にもたらした原監督が、(多少の)成績不振が原因で退任を余儀なくされたか、客観的に報道することによって、名将の「有り難さ」(困難さ)を描き出すべきではないかと思うのである。

 念のため付け加えるならば、当ブログ筆者は、原監督を、この30年程度の期間を見渡しても、日本プロ野球界屈指の「名将」だと、密かに賛辞を贈るものである。

 正直言うと、「『常勝』を義務づけられたチーム」などという「冠」は野球博物館入りにして「天下最強のプロ野球チーム」であって欲しいものである

 *「冠」とは、商業主義に由来した命名と言いたかったのであって、「スポーツに常勝はない」と言うことは、周知のことと思う次第である。

以上

2015年10月17日 (土)

古田武彦氏の思い出

 古田武彦氏が亡くなられたことを毎日新聞の記事で知り、古田氏の去られる時が来たものとしみじみ感じている。

 なお、当ブログ筆者は、古田氏の著書の読者であり、その学識に親しんだものではあるが、面識はなく、思い出と言っても、当方の、一介の私人としての感慨に過ぎないことをお断りしておく。

 氏の所説は、流域面積の広い大河のように、山中の河源から大海の河口に至るまで、広く人々の目に触れ、そして肌に触れ、草花や木々に潤いを与え、時には、人を脅かす威勢を持っているものと思う。氏が去られても、氏の所説は長く残るものと感じる。

 氏の気概に感じるのは、中国唐代の魏徴の「人生意気に感ず、功名誰か復た論ぜん」と言う至言である。ただし、氏の場合、「意気」は、誰かに対して感じたものと言うより、学術的な使命感であったように思う。

 人は来たり、人は去るが、人の言葉は残るのである。

以上


 

2015年10月11日 (日)

今日の躓き石 NHKアナのプロ意識

                                   2015/10/11
 何の気なしに、NHK BSのセリーグクライマックスシリーズ実況を聞いていて、躓いてしまった。

 まさか、NHKアナウンサーの口から「リ**ジ」という言葉が出てくるとは思わなかったので、不意打ちを食らったのである。

 NHK BSの最近のMLB(米大リーグ)中継で、OB解説者の口からこの言葉を聞いたときは、まあ、素人さんの気軽なおしゃべりだから、失言も仕方ないと思ったのだが、今回は、全国民のお手本となるべきNHKアナウンサーがこの言葉を口に出したのには、愕然としたのである。

 ご当人(の耳に届くかどうか、耳に入るかどうかは知らないが)には、一度、この言葉の由来や世上に蔓延る悪用例についてかみしめて頂きたいものである。

 因みに、今回の用法は、報復、復讐、逆恨み、私刑に類する血なまぐさい、忌まわしい連想を誘うものであって、近年浮上してきた「再挑戦の機会を得る」という冗談半分の意味では無いようである。してみると、流行に悪のりしたわけでも無いようである。

 ついでながら、それ以外に気になったのは、NHKアナウンサーの口から「ポストシーズン」という言葉が出てきたことである。この言葉は、以前は普通の言葉として聞き流していたが、実は、BS1のMLB中継を見ていて、“Post Season”は、MLBの商標(商品名)になっているのではないかと思うようになったからである。

 それにしても、NHKは、伝統的に、放送で商品名を出すのを避けることになっていたのではないだろうか。(局内御法度)

 この辺の事情は、別に確認しているものではないので、一度、ご検討頂きたいものである。

 ともあれ、天下のNHKには、公共放送としてふさわしいかどうか疑わしい言葉は避けて頂たいものである。

 ついでながら、日本プロ野球機構(NPB)が、冠付きの日本シリーズの前段として、(商標でなく、冠付きでもないようだが)特に「クライマックスシリーズ」と命名して売り出しているのに、関係者がその言葉を使わない風潮が感じられるのはどうしたものか。
 毎日新聞などの報道にあるように、クライマックスシリーズに出場している有力なプロ野球選手が、インタビューで「ポストシーズン」と口に出したのを、言い換えもせずそのまま引用して報道することすら、当該新聞社のスポーツ欄担当記者がプロ意識に欠け、無頓着だと感じるほどである。
 NPBの事業を「商売」というと抵抗があるかも知れないが、プロ野球は、ビジネスであり、プロ野球選手だけで無く、報道機関も、NPBのビジネスモデルを尊重すべきであろう。

 このあたりを考え合わせると、NHKが目下の対戦を「ポストシーズン」と呼ぶことに不審を感じるのである。

 ついでながら、最近のNHKアナウンサーのプロ意識を疑わせる例として、ルーキーで特定の投手と対戦経験の無い野手について、NHKアナウンサーの口からプロになって初めての対戦」などと、意味不明の「冗句」(蛇足)を被せた発言があったことを歎くのである。
 現役ばりばりのプロ野球投手とアマチュア時代に対戦がないのは、自明である。「野球人生初」ほど素っ頓狂ではないが、それに類した無意味で、詰まらない言葉を付け足す軽薄な風潮に流されずに、もう少ししっかり、口に出す言葉を吟味して欲しいものである。

 NHKアナウンサーはプロの中のプロであり、口を滑らせることなど無いとの信頼ができていたのだが、今日は、ちょっとぐらついた。

以上

2015年10月10日 (土)

私の本棚 31 季刊邪馬台国126号雑感 ひめみこ試論

 季刊 邪馬台国126号                           2015年7月

 「卑弥呼と天照大御神」      安本美典

 本稿は、全国邪馬台国連絡評議会 第1回九州地区大会 (平成27年5月9日開催)での安本美典氏の講演を誌上に収録したものとのことです。
 主題および論考の大半は、かねてより、講演者が著書で丁寧に述べているものです。もはや、当分野での古典論考として定着したものと考えています。

 ここでは、当ブログ筆者の個人的な雑感として、公演後の後の質疑応答として語られている内容について、疑問を呈したいと考えます。

 「天照大御神と卑弥呼は固有名詞なのですか」と言う質問に対して回答されたものです。

 講演者の回答の冒頭部分を誌上から引用すると、
 村井康彦さんの書かれた「出雲とヤマト」{岩波新書2013年刊}と言う本には、「卑弥呼の名が『古事記』『日本書紀』」に一度として出てこない」と記されています。
 しかし、村井さんのこの発言は、あたらないと、私は思います。

 と、書き出されていて、以下の論旨は、「卑弥呼」が固有名詞ではなく、日本書紀において「女王」(女性皇族・王族)を「ひめみこ」と訓読している事例から類推して、元々、当時の邪馬台国の首長である女王が、「ひめみこ」と呼ばれていたものが、中国向けの漢文文書に「卑弥呼」と書かれ、それが、倭人伝に継承されたものと主張されているようです。
 つまり、「卑弥呼」は固有名詞ではないというお考えのようです。
 しかし、この主張には、素人目にも弱点があります。

*訓読の根拠
 まずは、「女王」(女性皇族)を「ひめみこ」と訓読するのは、卑弥呼の時代から遙か後世になって訓読が日本書紀や古事記の筆写本に書き込まれたことから推定されるのであり、その時点の訓読の習慣が遙か以前の卑弥呼の時代にも類推して適用できるかどうか疑問です。

*中国「王」の変遷
 次に気になるのが、女性王族を「女王」と呼ぶことの時代確認です。末尾の余談の項で示すように確かに日本書紀では、そのような用法も書かれていて、これは、今日の皇族の称号にまで及んでいますが、いずれも、見たところ女性王族というものの、最高権力者たる「王」の子供ないしは孫の世代のようです。
 国情と時代環境の違いで、漢字で同じく「女王」と書いても、卑弥呼のような最高権力者の称号とは、意味が異なっています
 中国史で、「王」は、まずは、周王朝という全国政権の最高権力者でした。各地区の地方政権の最高権力者は、周王朝から「公」「侯」などの爵位を頂いて、そう称していました。余談ながら、周王朝に先立つ殷王朝までの最高権力者は「后」と呼ばれていたようです。
 後に、周王朝の支配力が衰えてからは、各地区の地方政権が、実質的に独立した王国となって征伐される恐れがなくなったので、「王」と自称し始めて、それ以降は、地方政権の首長の称号となっています。
 そして、秦帝国が登場すると、全国政権の最高権力者は、「皇帝」となり、帝国内の地方領主が「王」と呼ばれるようになりました。このような「王」のインフレ現象が定着したのが、漢帝国以来のことです。

 とは言うものの、魏朝に至るまで、中国国内基準で、女性が「王位」に就いた例を見かけません。
 仄聞するに、中国、日本、朝鮮/韓国を含む東アジアで最初の女帝・女王は、7世紀前半に即位した推古天皇と思われます。
 推古天皇は、即位以前の「女王」時代には、(現代人に親しみやすい)「皇女」と呼ばれていたようです。
 案ずるに、「皇女」に相当する概念を呼ぶ言葉として、古来「ひめみこ」ないしは「ひめみこと」ということばが伝承されていて、それを、文書編纂が可能となった遙か後世になって、どんな漢字を当てるかと言うことで各地域に表現の揺らぎが多々あったと言うことのように思えます。

 と言うことで、中国(帯方郡)から「女王」はどう呼ばれているのかと問われたとして、(後世作成の辞書を引いて)それは姫御子であると応えたとは考えにくいのです。

 日本書紀の「王」、「女王」と異なり、倭人伝の「女王」は、あくまで、その「国」の最高権力者であり、統治者である「王」なのです。

*王名秘匿の謎
 それに続くのが、中国に対して、王の実名を隠すことの非です。卑弥呼が単に女性王族の意味であれば、卑弥呼の固有名は、語られないことになります。
 日本書紀で、「女王」と書かれている人たちには、全て、固有名詞が付いているはずです。この点でも、倭人伝記事と整合しないのです。

*王の娘か外孫か 
 倭人伝時代の家族制度は、詳細には理解できていないのですが、卑弥呼が、先行する男王の娘だとすると、とても男王の治世に不承服の各国が、実質上男王の影響下に収まると思われる「王の娘」の共立に応じるとは思えません。
 姫御子が、男王の娘の娘、つまり、男王の娘が嫁ぎ先で産んだ外孫だとしたら、卑弥呼は、男王と男王の娘の嫁ぎ先との二者の影響を受けることから、両者共立の成立する可能性がありますが、日本書紀の女王は、「王の娘」と見えるのです。
 卑弥呼が、即位しても、日々臣下の上申を受けて、これをきびきび裁可する統治行為をせず、面会謝絶状態で、一般社会から隔離されていたとするのも、この辺りの事情を示すものと見ることができます。
 対して、日本書紀の「女王」達は、天皇の娘世代であるものの、嫁いでいかずに、皇族の有力な一員としてとどまっていたことから、「女王」位を称していたのでしょうが、国情と時代背景が異なるので、その生き方を卑弥呼の時代に遡って適用することは、困難と考えます。

*出自の謎
 卑弥呼は、「一女子」(未成年女性、つまり、数え年齢で17歳以下)と書かれていて、その出自は書かれていないと見るのが定説です。(手前味噌異論はさておき)
 男王に代わって「王の娘」が即位したのであれば、そのように明確に書かない理由がないように思います。
 と言うことで、卑弥呼の発音の類推だけで、卑弥呼女王が王の娘と見るのは、飛躍が過ぎるようです。
 そう信ずるためには、他に、何か、信じるにたる根拠、同時代資料が必要です。そこには、不評の男王の娘が、なぜ「共立」されたかという謎の解決が含まれています。

*大きな謎
 最後になりますが、かなり解決困難な謎として、卑弥呼政権が遠く奈良時代まで継承されていたのなら、なぜ、「卑弥呼の名が『古事記』『日本書紀』」に一度として出てこない」などと解されるような編纂姿勢を取ったのかと言うことです。
 天皇家の権威発揚のための造作に定評のある日本書紀編纂で、こうした大事なところでちょっとした労を厭ったとも思えないのです。
 当ブログ記事筆者の素人目には、村井康彦さんの著作として引用されているような感慨は、むしろ当然のように思われます。

*書紀の造作作法
 卑弥呼の偉業を日本書紀に取りこむとしたら、神功皇后のようなな華々しい挿話を繰り出さなくても、偉大な卑弥呼(例えば、九州北部に威勢を築き上げた「筑紫女王」)の即位を称えて、遠く、魏朝から多大な貢献があったと書けばよいことです。その貢献物は、今、例えば、正倉院に収蔵されているものであると書けばいいのです。
 何しろ、日本書紀は、国策として多数写本して講読会を開くほど普及させるものの、中国正史である三国志を講読するものなど、いないも同然のですから、余程の無理な造作をしなければ、三国志と整合しないなどと造作の不備をつかれることはないはずです。

*継承と断絶
 それが書かれていないと言うことは、すくなくとも、日本書紀編纂の際に、卑弥呼政権の詳細を記録した文書が継承されていなかったし、魏志倭人伝を何とか入手しても、それを読みこなして、日本書紀に、滑らかに書き込むことはできなかったと言うべきなのでしょうか。
 それで、神功皇后説話をひねり出し、天の岩戸説話をひねり出し、後は、後世のものが考えるようにと、嘘を書かずに謎かけとしたのでしょうか。不思議なものです。 

*余談・雑談
 急遽Wikipediaなどで調べたのですが、回答で例示されている飯豊女王(いいとよのひめみこ)は、5世紀後半の女性皇族であり、むしろ、飯豊皇女または飯豊王女(読みは共に「いいとよのひめみこ」)と書かれることが多いようです。情報伝達の難しい時代ですから、各記事の筆者の理解している書き方が混在していると言うことのようです。
 飯豊ひめみこは、時には、飯豊王(いいとよのみこ)、飯豊郎女(いいとよのいらつめ)とも書かれいているようですが、飯豊郎女は、成人以前の女子時代の呼び方のように思います。
 蛇足ですが、飯豊女王に縁の深い地域として、東北地方の福島地方と、それとは別に、奈良の忍海地区(大和高田市と御所市の辺り)の離れた地域が提示されているのは、大変面白いことです。おそらく、福島の「飯豊山」付近の神社由来などの伝える人物は、飯豊女王自身ではないとしても、女王と何か縁のある人に由来するものなのでしょう。

 以上のように、講演者の一言を肴に、雑談をとろとろと語るのも、読者の少ない素人ブログの特権と思っています。

 妄言多謝

以上

私の本棚 30e 季刊邪馬台国126号雑感 付説-3

 季刊 邪馬台国126号 2015年7月                                                     2015/10/10

  投稿原稿 「魏使倭人伝」から見た邪馬台国概説

*類書考 
 非正史史料として太平御覧(四夷部三·東夷三)などの百科全書的資料(類書)が提示されることがある。
 資料編纂時に大量の引用を必要とする百科事典的書籍(類書)の正史関連記事の出典として、王室に厳重に保管されている当代原本を直接参照することは考えられないので、いずれかの場所で、比較的緩やかに管理されていた良質の(原本から写本を作成した一次的なものなど)写本から人海戦術により大量複写、抜き書きしたものと思われる。

*非正史 史料批判
 それにしても、抜き書きの原本となった史料との整合性が疑わしいと共に、最終的に要求されるわかりやすさを高めるために編集操作が加えられ、さらには編纂時の要約、校勘に因る書き換えの可能性がある。

 従って、原本の記述が厳格かつ正確に引用されている可能性は、原本写本を官製写本工房で、組織的に複製する際の厳格さ、正確さに比べて、低くなっていると見られる。

 少なくとも、これら非正史料史料の編纂時点が唐宋代に遡るとしても、三国志現存刊本の記述と競合したときに優越判断されて三国志現存写本の記述を書き換えるだけの効力があるとは思えない。

 言うまでもないが、倭人記事に関して、三国志の記述より後漢書の記述を重視したと思われる記事は、編集時に後漢書の信頼性の不備を採り入れて、三国志に依拠した記事を上書きしてしまっている可能性があるので、十分な考察なしに、後漢書自体より重視されることはないと思う
 太平御覧などの非正史料もまた、原本が現存しない資料である。

*張楚金 「翰苑」断簡考 
 翰苑(断簡)は、一部、漢方薬の全書めいた部分も残っているようである。そうした、実用書的な部分もあるが、主目的としては、当時官吏を目指す者の必須教養と見なされていた四六駢儷文のお手本として編纂された風情がある。
 つまり、史書としての正確さではなく、漢文としての美麗さを求めた書籍と思われる。

 翰苑は、中国中世の書籍の中で、珍しく、古い時代の写本が現存しているいる資料と見られる。いや、珍しいも何も、日本に伝来した写本断簡だけが現存している、稀代の書物である。そのような稀覯書は、偽書ではないかと懸念されるのが常識であるが、わざわざ念入りにでっち上げたにしては、内容が錯綜していていることから、むしろ、正当な写本に由来したと思われる。

*信頼性以前
 ただし、写本の実情を見るに、当時、いずれかの高官ないしは豪商の書庫に所蔵されていたと思われる在野の写本から性急に模写したメモ書きレベルのものと見られるものであり、模写の際に不可欠とされる典拠写本との照合確認もされていなければ、模写内容の文字校正もされていないものと見られる。資料として、信頼性以前の問題である。

 このような勘違いが発生するのは、現代的な類推では、書面をOCRによってデジタル化する際の誤判定問題である。
 OCRは、与えられた画像データから読み取った「字」(の:形状)が、「ある漢字」である可能性が最も高いと判定されたらその字自体の意味や前後関係に構わず、「ある漢字」と判断してしまうのである。
 そういう性質があるので、たいていの場合、OCRが判定した結果を、そのまま利用することはなく、人間の目で校正するのであるが、翰苑写本の場合は、当時の日本側関係者が写本工の限界に気づかず、中国で「模写」したら原本と同じ文字が書かれていると信じて、納得してしまったのだろうか。

*唐代写本考
 中国中世において、4世紀続いた分裂の時代が統一されて天下太平の世となったことから、経済活動、文化活動が、急速に開花し、また、科挙の制度によって、読書の訓練が全土に広がり、それに伴い、識字層の拡大、紙の普及を元に、四書五経や仏教経典の写本作成(写経)活動が広がり、民間にも底辺が広がったことから、金さえ出せば、秘蔵されていた稀覯書の写本さえ入手できる時代になっていたと推定される。
 唐代であれば、遣唐使に関連して派遣された留学僧は、多量の砂金などの金を潤沢に持参して、写経や写本入手に費やしたと言われている。
 そのような情報収集活動の一環として、翰苑写本の入手を図ったものだろうが、どうも、順当な写本が入手できなかったもののようである。

*写本ロマン
 以下、当記事では、延々と勝手な所感が続くが、張楚金の稀代の労作箍の外れた写本が、どうして現存しているのか、素人なりの理屈づけを試みた娯楽読み物なので、是非、笑い飛ばしていただきたいものである。

 中国中世の唐時代とは言え、客から高額の手数料を取って、写経・写本することを生業とするプロ集団は、信用第一として仕事の質を管理していたはずであり、このような不出来な仕事を残すはずがないのである。プロと言うからには、高額の報酬が必須であり、半面、客をだますような手抜き仕事をすれば、それでなくても一族飢餓の危険に繋がる「失職」だけでなく、直接の制裁による生命の危機に直面するという時代世界である。

 少なくとも、プロの写本工房は、写本工の当然の注意として、各ページの模写を開始するときには、原本のページを下読みして、文書内容を咀嚼して、書くべき文字を下書きするかどうかは別として、自身の意識下で確定してからページの模写を開始するものである。いや、大層なことではなく、指で筆順を辿ってみる程度の工夫である。
 このようなプロの熟練した手口を習得していれば、ここに多発しているような、次元の低い誤記、誤写は、ほぼ完全になくなるものである。

*達筆速写
 あるいは、模写の原本は、達筆の草書で速書されていて、気のせいた模写担当者が、草書解読に不慣れで文字を読み誤って模写した可能性はある。
 達筆の草書を正しく解読するためには、高度な訓練と教養が必要と言うことである。高度な訓練と教養を得るには、高額の資金が必要であるから、そうした写本工は、そうざらにいるわけではないが、それなりに競争は厳しい。何にしろ、中国古代は、天下太平とは言え、その分過酷な信賞必罰の世界である。

 ただし、仮に原本の文字を、一旦読み誤ったとしても、模写の担当者に十分な教養や文書の前後を暗記して、目前の文字をそれと照合する写本工としてのプロ技術があれば、文字選択の揺らぎはないはずである。
 例えば、空海(後の弘法大師)のように、諸分野に該博な知識を有し、中国語に堪能な能書家が関係したのであれば、このようなできの悪い模写は論外として、その場でで即却下され、やり直しになっていたであろうと推定できる。
 ひょっとして、模写していたのは、中国的な教養を有さない、従って、自律的な校正のできない担当者だったのかも知れない。

*玄人と素人
 それ以外にも、当写本の「形」には、写本の精度を高めることを最優先するプロ(玄人)らしくない不手際が見える。
 通常、このような書籍の原本は、縦横に文字の揃ったページ作りであり、正確な写本をするためには、原本の縦横文字数を再現するだけでなく、文字の揃方を忠実に模倣するものなのである。当写本には、そのような当然の工夫が守られていないので、原本を隣に置いて写本したとしても、照合が大変困難なのである。(常人には不可能という意味である)
 だから、玄人は段取りにかける時間と費用を惜しまないのである。その分、堂々と時間と費用を客から頂くのである。

*乱丁、乱調
 これまで当ブログで触れたように、現存写本断簡は、原本の文字揃えを崩して写本してしまったために、分註部分の続き具合を視線で追うことができず、続き具合を取り違えた例がある。そして、そのような読み違いが訂正されずに、続いて写本されている点に、写本の精度に対する不信が募るのである。大体、ページ校正を原本と揃えていても、見間違いしないように、定規などを置いて、原本を黙読し、写すべき文字を指差し、できれば指先で文字の筆順を確認した上で、その文字を筆ですらすらと書くものである。

 一体に、手がけた仕事の出来映えを確認しないものには、正確な仕事などできないのである。
 総じて言うと、「いや、そのような仕事ぶりでよい、ぱっと見が良ければ内容の正確さはどうでも良い」という依頼主の「根性」には、何とも言えず絶句するのである。

 誤写だらけの写本断簡だけが現存している現状は、そうしたロマンあふれる憶測を掻き立てるのである。 

この項終わり

続きを読む "私の本棚 30e 季刊邪馬台国126号雑感 付説-3" »

私の本棚 30d 季刊邪馬台国126号雑感 付説-2

 季刊 邪馬台国126号                           2015年7月
  投稿原稿 「魏使倭人伝」から見た邪馬台国概説

                                 2015//10/10

 付説-2 范曄 「後漢書」考

*編者と編纂の背景
 ここでは、推定を中心に、笵曄の後漢書編纂の時代背景とその独特の編纂姿勢について、長々と、延々と述べてみる。

 まずは、范曄は、東晋朝の後継王朝である宋朝(通称劉宋)の高官であった。

*時代背景
 東晋朝は、陳寿の仕えた西晋朝が、陳寿三国志の上申後、程なく、内乱と外敵の侵略によって壊滅して、皇帝と高位高官の面々が大量に捕囚となり、僅かに地方巡回中の王族が、いわば、着の身着のままで逃亡して南方に逃避し、王族の「血」を得ることにより中国正統王朝としての面目を辛うじて保ったが、所詮は敗残の王朝であった。いや、逃亡先の江南は、元々、長年三国の一角であった「呉」の孫氏政権の本拠地であり、亡命政権として再興を画策しようにも、そう簡単に旧敵国の世界に浸透できたものとも思えない。

 そして、その後も、中原の支配者として、正当性を誇示する北朝との抗争、南北の相互討伐によって、天下は延々と乱れた。

 西晋朝の帝都である洛陽を中心に、中国華夏文明の核心とされる中原地区を、先行する大規模な内乱につけ込んだ侵略により、短期間に占領されたため、西晋朝が保有していた文物の大半は、秩序だって持ち出すことができず、多くの貴重書が取り残されたものと思われる。
 従って、後漢以来長く継承された政府文書も、洛陽などに取り残されて、大半が散佚したものと推察される。

*笵曄素描
 笵曄は、若くして劉宋政府高官となったが、創業者劉裕の東晋高官時代に登用されたものと思われるが、劉裕が宋朝を創業して、僅か3年の短い治世で世を去った後、後継下押さない皇帝を巡る勢力争いに巻き込まれたものと思われる。

 第3代文帝に対する劉宋王族内の権力闘争の陰謀に関与したと見なされて更迭されて地方配流され、閑職に遇された。後漢書は、王朝高官としての激務を離れたことによる編纂著作である。

 劉宋高官の時代には、東晋、劉宋が懸命に復元したと思われる帝室蔵書である正史と東晋、劉宋政権の政府文書を含め、当時としては豊富な蔵書を蓄えたものと思われるが、地方配流の際に、それら資料文書を全て持ち去ることは不可能であったはずであり、総合して考えるに、笵曄が後漢書を編纂する際に依拠した原資料の信頼性は不確かである。

 笵曄は、後漢書の編纂を終えた後の被刑であろうが、皇帝に対する大逆罪の共謀者とされて族滅にあったため、大逆罪という重罪に連座して、三親等内の近親者は全滅しており、笵曄が取り組んでいた後漢書編纂が、実際に完成したかどうか、編纂された後漢書原本が、どのような経緯で後世に継承されたかどうかは不明である。

*史書継承
 後漢書が、後漢朝に関する複数の編纂史書の中で特に正史に選定されたのは、遙か後年の唐王朝時代である。いくつか伝承されていた「後漢書」候補の中から、正史として選定されたのは、それなりの評価がされていたからであろう。

 笵曄「後漢書」は、編纂時点から、正史に選定されるまでの長い期間、識者間に流布していていて、正史候補として有力視されていたとしても、あくまで正史以前の在野史書であり、少なくとも、厳格に管理された官営写本工程を経ずに、それよりは緩やかに管理された民間写本によって継承されたと想像される。

 従って、正史として認定された後漢書写本が、どの程度正確に笵曄編纂原本を継承していたかどうかは不明であることは、言うまでもない。(ここまでの議論では、誤字、誤記が必ずあると断定しているのではない)

 また、当然ながら、現存している後漢書現存刊本は、おそらく、北宋時代の刊本(木版印刷本)に基づく南宋時代の復刻本に基づくものであり、この点では、三国志の伝承状態と大差ないと思われる。
 三国志現存刊本の出自に対する北宋刊本継承の信頼性を元にした批判は、後漢書の北宋刊本継承の信頼性に対しても、ほぼそのまま適用されるものと思われる。

 誤解されると困るのだが、当方は、笵曄が、後漢書編纂で、不正行為を行ったと言っているわけではない。
 著作権に関する意識は、現在と大きくことなる。また、下敷きとなる資料に、自分なりの編集を加えて、自身の著作とすることは、堂々たる史書編纂行為であり、その際に、逐一原典を明示する義務は存在しなかったと思われる。

*記事評価
 以上のように、笵曄の後漢書編纂時点は、中国の南北朝時代と呼ばれる南北分裂の時代であり、南朝劉宋に仕えていた笵曄には、北朝、主として北魏の占拠している中原とその中原に接している東夷の領域とは、時に応じて来貢するものはあっても、多量の物資交換や密接な交流は、このように地理的に疎遠であったため、ほぼ不可能であったと思われる。

 と言うことから、笵曄が後漢書東夷伝を執筆する際に利用できた東夷に関する史料は、ほぼ三国志しか存在しなかったのではないかと思われる。因みに、笵曄が編纂に当たって、魏略などの正史以外の資料写本をどの程度参照したかは、推測にとどまるのは言うまでもない。

 合わせて推測すると、笵曄は、東夷伝執筆に当たっては、三国志史料に、東晋時代および劉宋時代の後代知見を加えて、自身の得意とする文章整備をおこなったのではないかと思われる。時間的には陳寿の時代を遠く離れ、地理的にも中原を離れた江南の文化圏に移動していたので、時の皇帝といえども、三国志の用語、概念を滑らかに読み取れない状態ではなかったかと推定される。

 中国正統王朝の継承者といえども、劉宋創業者劉裕は、おそらく貧しい農家の出であって学問とは疎遠であり、長じて軍人としての激務に就いていた青壮年時代に、懸命に治世者にふさわしい教養を身につけようとしたであろうが、史記、漢書、三国志などの古書の読解は、なかなか難しいものであったと思われる。

 そのため、劉裕の古書講読の指南役として、三国志の注釈者である裴松之と共に、笵曄も珍重されたものと思うのである。
 笵曄の後漢書編纂方針は、劉裕の東晋高官時代の勉学の努力に応えることから始まったものと思われる。(言うまでもなく、以上は、あくまで、現代人たる当ブログ筆者の勝手な推定である)

*総評
 後漢書は、本来編纂すべきであった、後漢後継政権である魏および晋が天下統一できず、あるいは、安定政権を維持できなかったために編纂が遅れた後漢書を、確固たる信念で編纂したことに意義がある。

この項終わり

私の本棚 30c 季刊邪馬台国126号雑感 付説-1

 季刊 邪馬台国126号                           2015年7月
  投稿原稿 「魏使倭人伝」から見た邪馬台国概説

                            2015//10/10

 付説-1  魚豢 「魏略」考

*編纂者と時代背景
 魚豢に関しては、晋書など史書への記載が乏しいが、書かれている限りは、れっきとした魏朝高官であり、かつ、史官の業務にも関係していたと見られる。つまり、「魏略」は、紛れもなく同時代史書であり、先に述べたような良質の(生の資料に近い)原史料に依拠して、自身が仕え、かつ、運営の一角を担っていると自負している魏朝の史書として「魏略」を編纂したものと推定される。
 魏略と題して、魏書としなかったのは、魏王朝の存続を想定し、後年魏朝が後継王朝に譲った後の正史編纂の際の典拠史料(魏書稿)としたのであろう。

 ただし、実際は、魚豢の経歴、業績の詳細は不明である。

 ここで重大なのは、魏略は、遙か以前から、原本どころか写本すら現存していない散佚資料であると言うことである。

*記事評価
 魏略の記述として伝えられているのは、あくまでも、他の著作に引用された逸文であり、そのような逸文引用が、その時点で存在していた、信頼できる魏略写本に依拠していて、魏略原本の記述に合致しているという保証はない。
 誤字、誤記が必ずあると断定しているのではない。

*総評
 三国志と並んで論じるなら、魚豢の魏朝に関する記事は、魏朝を正統政権としているので、三国並立の視点を採った陳寿と異なる魏朝内部視点から記述された同時代史料として、大変意義の高いものと見られる。
 逸文が多く残存しているのも、そうした視点に関して、それら逸文引用者の評価が、格段に高いことによるものであろう。

この項終わり

私の本棚 30b 季刊邪馬台国126号 雑感 本文後半

  投稿原稿 「魏使倭人伝」から見た邪馬台国概説
  梓書院                        2015年7月
  私の見立て★★☆☆☆        2015//10/10

承前

*先行論考の批判について
 以下、当記事では、魏志倭人伝の行程、道里記事について、堅実な考察を加えているが、すでに公刊されている中島信文氏の著作を参照して、これを克服しなければ、いわゆる定説の正確さを主張することはできないものと考える。(中島信文 『甦る三国志「魏志倭人伝」』 2012年10月 彩流社)
 それぞれの論者が、先行論考の評価を怠っていては、議論は、堂々めぐりして先に進まないのである。

 以上、肝心の論文内容についての「批評」ができていないのだが、これについては、著者の口ぶりを借りれば、当方の浅学非才で手の届かない分野であるので、おおむね考慮中と申し上げておくものである。
 ここに書き連ねているのは、当論考に触発された個人的な感慨である。

*「古代国家」に寄せる感慨
 本論考で、感心するのは、当時の邪馬台国の国の形として、九州北部にまとまった小国連合と見ている堅実な見方であり、九州島内すら完全支配していない「古代国家」が、島外に権力を伸ばしていたとは見ていない点であり、この点は、「近畿論」が、奈良盆地に根拠を持つ古代国家が、すでに、遙か北部九州まで権力範囲に収めていたとする壮大、かつ根拠不明の展望に比べると、確実な議論と思える。

 以前にも書いたように思うのだが、当時の交通手段で日帰り圏を越えた遠隔地を支配しようとすると、相互の意思疎通、つまり、頻繁な文書交信にはじまり、年々の貢粗取り立てに伴う物資の搬送、軍役の賦課、労役の賦課など人員の移動が必須であるが、そのような、支配される側が容易に受け入れないと考えられる国家としての「支配」を維持するのは、機動的な武力行使を背景としない限り、限りなく困難(ほぼ不可能)である。

 少し言い換えると、その時代に短期間で到達不可能な「遠隔地」を実効支配するには、相応する交通、輸送、通信「インフラ」整備が前提である。
 それに必要な水陸交通手段が不確実であり、文字や紙がなくて文書支配もできないと思われる「インフラ」未整備状態の3世紀、4世紀には、西日本を横断支配する古代国家は、史料にも遺物にも依拠しない願望に基づくものであり、砂上の楼閣とみられる、それを言い立てるのは時間錯誤である。

 本論文著者が書き綴っているように、その時代の各地小国家は、相互に影響を及ぼせる範囲内では、互いに存在を認めつつ、競合ないし連合し、支配など試みなかったと思われるのである。
 遠隔の他国を征服・支配するには、時に応じて遠征軍を派遣する必要があり、そのためには、物資、食糧の輸送、多数の人員の移動が必要であり、これを国家事業として実施するには、少なくとも、後の山陽道と呼ぶに値する堅固な「インフラ」(国家基盤)が必要なのである。

 当時、遠隔地との交易は、物々交換はあっても、交易と言えるほどの大規模な交換はなかったと思われる。なぜなら、共通通貨が未形成であったから、と思うのである。おそらく、少人数の行商人が往来していたのではないだろうか。
 発掘された遺物に見られる遠隔地物資の流入は、それらがあくまで、貴重品の範囲であり、交易が大規模な実業として成立する規模ではなかったと思われるのである。

*結語らしき感慨
 それにしても、邪馬台国に関する議論では、信頼性の高い三国志でなく、相対的に不確かさの高まっている後世資料である後漢書やさらに信頼性が低下している後漢書引用史料を根拠とした論理的に証明されていない俗説の類いが横行していて、そのため、素人目にも、邪馬台国論は、混沌としていると見えるのである。
 中国の説話にある、のっぺらぼうな混沌の顔に目鼻を書いて面目を与えると、混沌は死んでしまうと言う教えに従っているのか、それとも、悪ガキの落書きに倣っているのか、理屈の通った議論、解明が成されないのが残念である。

 当ブログ筆者のように、その道の素人にも粉飾の目立つ議論であるから、粉飾を丁寧に取り払えば、意外に単純な中核が見えるのではないだろうか。

以上

私の本棚 30a 季刊邪馬台国126号 雑感 本文前半

 季刊 邪馬台国126号                           2015年7月
  投稿原稿 「魏使倭人伝」から見た邪馬台国概説
         私の見立て★★☆☆☆        2015//10/10

 あらかじめのお断りになるのだが、当記事の大部分は、題材とした論考の書評と言うより、揚げ足取りめいた、常套句批判になっているのは、筆者に大変失礼な発言になるかと思うのだが、論考の一部として、根拠記事を明示することなく書き立てているので、ここで批判するしかないのである。
 自画自賛であるが、学界全体にとって大事な指摘を書けたと思うので、無謀にも、延々と私見を書き綴ったものである。

 さて、掲題論考筆者の述懐として、「邪馬台国」と言う国名、国家像が、魏志倭人伝の記述に由来するものであるから、魏志倭人伝の記述に基づいて議論すべきであるという基本的な認識には、同感である。
  しかし、そのような主張は、「邪馬台国」という雑誌の編集方針と不協和なのを気にしたのか、以下の論旨がそうした基本認識から、微妙に外れていて、論考の首尾一貫しないことになっているように思える。

 邪馬台国誌記事にあって珍しく、魏志倭人伝に書かれているのは邪馬台国ではなく、邪馬壹国であるというある古田武彦氏の指摘を採り上げているのは、例が少ないので好ましい。「邪馬台国」しの沽券に関わる問題なので、ここに書く以上は、論破してくれるものと期待した。

 しかし、期待は裏切られた。
 「その後の研究により「壹」(壱)は「臺」(台)の表記誤りという考えが主流となっていることから」として「邪馬台国」と書く、と「通説」に逃げているのである。これは、感心しない。

 要は、世間の圧倒的な大半が「邪馬台国」と書いているので、長いものには巻かれろとして、それに従っているとしているのであり、いずれが筆者の支持する議論であるか語らない処世法を採っているのである。それでは、世にざらにある安手の要約書籍と変わらない。

 さて、それはそれとして、以下の記述で論者の持論に反する言及が飛び出すのである。
 「魏志倭人伝」の原本はすでに失われており(中略)現状では、誤写、誤記は考えられるところであり、云々

 と、世間の「魏志倭人伝」読み替えの風潮に言及しているのは、著者が同意していないとしても、見かけ上かかる風潮を容認し、迎合しているものと見られる可能性が高く、人ごとながら、それは著者の本意を誤解されて損ですよと感じる。

 ここは、大事な分岐点であるので、揚げ足取りとの批判を覚悟で、素人考えで解きほぐしたい。気軽に言及したつもりの「枕」が不首尾だと、肝心の本論の足を引っ張ってしまう例が多々あるのであるので、嫌みと採られても仕方ないとばかり、苦言を呈したと善意に解していただければ幸いである。

 さて、「魏志倭人伝」の原本とは、陳寿が編纂し、晋朝皇帝に上申した(いと考えていた)完成原稿を指すのであろうが、

    1. そのような原本が、1700年を超える期間に失われていることは、中高生でも理解できる程度の「自明の理」であるが、

    2. 三国志に先行する正史「史記」、「漢書」の原本が、三国志より更に長期の期間に失われていることも「自明の理」であり、

    3. といって、「後漢書」、「晋書」、さらには、新旧の唐書、など後続正史も、編纂後の経過期間は短いものの、ほぼ例外なく原本が現存しているものはない、はずである。

    4. 写本は、如何に原本に忠実であっても、原本そのものではない

 以上は、一種当然の真理である。だからといって、上に書いたように、特に珍しくもない原本の喪失を殊更に言い立てて、三国志の現存刊本、およびその根拠とされたであろう三国志写本の記述の信頼性を頭から、全面的に否定するというのは、まことに粗雑な論法ではないかと考えるのである。

 それに続くのが、誤写、誤記の発生の可能性は否定できない、と言う一般論をすり替え、誤写、誤記の発生は当然であると断定してかかる、すり替えの手口である。

 僅かな字数の字句であるが、以上のように、安穏と読み過ごせず、躓いて立ち止まるのである。他に、適当な論拠は持ち合わせていないのであろうか。まことに、子供じみた論調であるが、それでは、子供達から、子供の知力を見くびったとして非難されるかも知れない。

 学術的な議論で不可欠なのは、根拠の疑わしい、安易な総括的先入見の粗雑な適用を排した、事例毎の史料吟味「史料批判」であり、その際尊重すべきなのは、原本から継承された写本の信頼性であろう。
 そして、見過ごされがちであるが、「正史」が依拠する原史料の信頼性も慎重に評価すべきであろう。

 三国志が書かれた西晋朝の存続時点では、先行する後漢朝、および魏朝の政府公文書が多く継承されていると共に、至近の事項では、目撃者たる関係者が生存していたであろうことから、三国志は、西晋朝に仕えていた陳寿の職責からして、鮮度の高い良質の原史料を利用できたものと推定して良かろうと思う。

 別記事で三国志と並んで論じられる史料について、これらの事項を冷静に確認して見たので、興味のある方は、各付説をご一読頂きたい。

 付説-1 魚豢 「魏略」考
 三国志と並んで論じると、陳寿の視点と異なる魏朝内部視点から記述された同時代史料であり、三国志の補完資料として意義の高いものと見られる。
 逸文が多く残存しているのも、それら逸文引用者の評価が格段に高いことによるものであろう。
 三国志は、裏付けの取れない噂話まで取り込んだ晋書と異なり、正統派の史書なのである。

 付説-2 范曄 「後漢書」考
 後漢書は、本来編纂すべきであった、後漢後継政権である魏および晋が天下統一できず、あるいは、安定政権を維持できなかったために編纂が遅れた後漢書を確固たる信念で編纂したことに意義がある。

 時代考証を軽視した東夷記事は、ほぼ全面的に、三国志記事に依拠した編纂、改変記事であり、若干の後世知見を加えたものと思われる。

 編纂、改訂の筆致は、文筆家としての名声を高めるものであるとしても、史料としての正確さは、判断を保留すべきものである。

 付説-3 非正史史料考
 *類書考
 太平御覧等の非正史史料(類書)は、原写本の記述を厳格に引用している可能性は低いと見られる。
 少なくとも、三国志現存写本の記述と競合したときに三国志現存写本の記述を書き換えるだけの効力があるとは思えない。
 言うまでもないが、太平御覧等の類書もまた、原本が現存しない資料と思われる。

 *翰苑(断簡)考
 翰苑(断簡)は、一部、漢方薬の全書めいた部分も残っているようである。そうした、百科事典めいた実用書部分もあるが、当時官吏を目指す者の必須教養と見なされていた四六駢儷文のお手本として編纂された風情がある。

 つまり、史書としての正確さではなく、漢文としての美麗さを求めた書籍と思われる。

 当断簡は、文化財ないしは著作物として高く評価されるべきているとしても、文書資料として評価すると、筆写、校正、浄書が手堅く成されたものとは見えず、、現存している断簡の記述に対して十分な信頼を置くことはできない

*本論復帰
 いや、ここで言いたいのは、三国志絶対論ではなく、総体的な信頼性評価である。

 特定の史料の信頼性を、明確な根拠を示さずに批判するのであれば、比較対象となっている他の史料も、同じ尺度で信頼性を評価して、それぞれの信頼性を客観的に把握した上で発言すべきと言うことである。下手をすると、五十歩百歩、大同小異の手口で片付けられそうであるが、ここでは、五十歩と百歩は実質が違う、小異が大事、とのこだわりを持ち続けたいのである。

 もちろん、三国志の一部である魏志倭人伝の記述を、同程度の信頼性をおけない国内史料や、考古学上の発掘遺物に対する憶測を根拠にして改定してはならないと言うことである。

未完

今日の躓き石 美化したくない家庭内暴力

                                   2015/10/10
 他人の不幸を種にしたくはないし、人それぞれの死生観の是非は論じたくないのですが、今回の話題は、そうした不都合な話題の近くに及ぶので、読まずに飛ばしていただいて結構です。以下、余り生々しくならないように、言葉を選んだのですが話題自身が不都合なものなので、読んでご不快に感じられたら、ご容赦ください。

 昨日夕刻、整形外科の待合室で何気なく眺めていた家庭内暴力のニュースコメンタリーで、子供達の死亡統計数字の説明に「心中」と出てきたのは、違和感などというものではなく、ずしんとこたえたものがあります。

 この言葉は、元々、江戸時代に、思いの叶わない恋人たちが、揃って命を捨てたことを形容したものですが、そういう死に方を「美化」することに、幕府為政者は、激しい怒りを示し、生き残りが出た場合はさらし者にするなどの厳罰に処した上、「心中」と美化することを禁止したほどです。

 ここで上げられているのは、そうした恋人同士の「心中」とは関係のない「親が子を手にかける」事例が大半なのです。幼い子供達は自分たちの人生をこうした形で終わることに賛成したはずもなく事件の被害者なので、ますます「心中」として美化すべきではないものです。
 「親が子を手にかける」という邪悪この上ない行いを「心中」と美化することで、子供を道連れにすることの後ろめたさが和らげられているのではないかと恐れています。
 どうか、この言葉がこうした場で出てこないように配慮してほしいものです。

 もちろん、「親が子を手にかける」ことがなくなれば一番良いのですが、それは、当ブログの力の及ぶところではないので、これ以上言及しないことにします。

 今回は、新聞記事やテレビ報道の用語問題ではなく、社会通念の問題なので、新聞社やテレビ局に文句を言うことはできないのですが、影響力のある各報道関係者が、不適切な言葉の廃語化に挑んでいただければ幸いです。

以上

« 2015年9月 | トップページ | 2015年11月 »

お気に入ったらブログランキングに投票してください


いいと思ったら ブログ村に投票してください

2022年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

カテゴリー

無料ブログはココログ