季刊 邪馬台国126号 2015年7月 2015/10/10
投稿原稿 「魏使倭人伝」から見た邪馬台国概説
*類書考
非正史史料として太平御覧(四夷部三·東夷三)などの百科全書的資料(類書)が提示されることがある。
資料編纂時に大量の引用を必要とする百科事典的書籍(類書)の正史関連記事の出典として、王室に厳重に保管されている当代原本を直接参照することは考えられないので、いずれかの場所で、比較的緩やかに管理されていた良質の(原本から写本を作成した一次的なものなど)写本から人海戦術により大量複写、抜き書きしたものと思われる。
*非正史 史料批判
それにしても、抜き書きの原本となった史料との整合性が疑わしいと共に、最終的に要求されるわかりやすさを高めるために編集操作が加えられ、さらには編纂時の要約、校勘に因る書き換えの可能性がある。
従って、原本の記述が厳格かつ正確に引用されている可能性は、原本写本を官製写本工房で、組織的に複製する際の厳格さ、正確さに比べて、低くなっていると見られる。
少なくとも、これら非正史料史料の編纂時点が唐宋代に遡るとしても、三国志現存刊本の記述と競合したときに優越判断されて三国志現存写本の記述を書き換えるだけの効力があるとは思えない。
言うまでもないが、倭人記事に関して、三国志の記述より後漢書の記述を重視したと思われる記事は、編集時に後漢書の信頼性の不備を採り入れて、三国志に依拠した記事を上書きしてしまっている可能性があるので、十分な考察なしに、後漢書自体より重視されることはないと思う。
太平御覧などの非正史料もまた、原本が現存しない資料である。
*張楚金 「翰苑」断簡考
翰苑(断簡)は、一部、漢方薬の全書めいた部分も残っているようである。そうした、実用書的な部分もあるが、主目的としては、当時官吏を目指す者の必須教養と見なされていた四六駢儷文のお手本として編纂された風情がある。
つまり、史書としての正確さではなく、漢文としての美麗さを求めた書籍と思われる。
翰苑は、中国中世の書籍の中で、珍しく、古い時代の写本が現存しているいる資料と見られる。いや、珍しいも何も、日本に伝来した写本断簡だけが現存している、稀代の書物である。そのような稀覯書は、偽書ではないかと懸念されるのが常識であるが、わざわざ念入りにでっち上げたにしては、内容が錯綜していていることから、むしろ、正当な写本に由来したと思われる。
*信頼性以前
ただし、写本の実情を見るに、当時、いずれかの高官ないしは豪商の書庫に所蔵されていたと思われる在野の写本から性急に模写したメモ書きレベルのものと見られるものであり、模写の際に不可欠とされる典拠写本との照合確認もされていなければ、模写内容の文字校正もされていないものと見られる。資料として、信頼性以前の問題である。
このような勘違いが発生するのは、現代的な類推では、書面をOCRによってデジタル化する際の誤判定問題である。
OCRは、与えられた画像データから読み取った「字」(の:形状)が、「ある漢字」である可能性が最も高いと判定されたら、その字自体の意味や前後関係に構わず、「ある漢字」と判断してしまうのである。
そういう性質があるので、たいていの場合、OCRが判定した結果を、そのまま利用することはなく、人間の目で校正するのであるが、翰苑写本の場合は、当時の日本側関係者が写本工の限界に気づかず、中国で「模写」したら原本と同じ文字が書かれていると信じて、納得してしまったのだろうか。
*唐代写本考
中国中世において、4世紀続いた分裂の時代が統一されて天下太平の世となったことから、経済活動、文化活動が、急速に開花し、また、科挙の制度によって、読書の訓練が全土に広がり、それに伴い、識字層の拡大、紙の普及を元に、四書五経や仏教経典の写本作成(写経)活動が広がり、民間にも底辺が広がったことから、金さえ出せば、秘蔵されていた稀覯書の写本さえ入手できる時代になっていたと推定される。
唐代であれば、遣唐使に関連して派遣された留学僧は、多量の砂金などの金を潤沢に持参して、写経や写本入手に費やしたと言われている。
そのような情報収集活動の一環として、翰苑写本の入手を図ったものだろうが、どうも、順当な写本が入手できなかったもののようである。
*写本ロマン
以下、当記事では、延々と勝手な所感が続くが、張楚金の稀代の労作の箍の外れた写本が、どうして現存しているのか、素人なりの理屈づけを試みた娯楽読み物なので、是非、笑い飛ばしていただきたいものである。
中国中世の唐時代とは言え、客から高額の手数料を取って、写経・写本することを生業とするプロ集団は、信用第一として仕事の質を管理していたはずであり、このような不出来な仕事を残すはずがないのである。プロと言うからには、高額の報酬が必須であり、半面、客をだますような手抜き仕事をすれば、それでなくても一族飢餓の危険に繋がる「失職」だけでなく、直接の制裁による生命の危機に直面するという時代世界である。
少なくとも、プロの写本工房は、写本工の当然の注意として、各ページの模写を開始するときには、原本のページを下読みして、文書内容を咀嚼して、書くべき文字を下書きするかどうかは別として、自身の意識下で確定してからページの模写を開始するものである。いや、大層なことではなく、指で筆順を辿ってみる程度の工夫である。
このようなプロの熟練した手口を習得していれば、ここに多発しているような、次元の低い誤記、誤写は、ほぼ完全になくなるものである。
*達筆速写
あるいは、模写の原本は、達筆の草書で速書されていて、気のせいた模写担当者が、草書解読に不慣れで文字を読み誤って模写した可能性はある。
達筆の草書を正しく解読するためには、高度な訓練と教養が必要と言うことである。高度な訓練と教養を得るには、高額の資金が必要であるから、そうした写本工は、そうざらにいるわけではないが、それなりに競争は厳しい。何にしろ、中国古代は、天下太平とは言え、その分過酷な信賞必罰の世界である。
ただし、仮に原本の文字を、一旦読み誤ったとしても、模写の担当者に十分な教養や文書の前後を暗記して、目前の文字をそれと照合する写本工としてのプロ技術があれば、文字選択の揺らぎはないはずである。
例えば、空海(後の弘法大師)のように、諸分野に該博な知識を有し、中国語に堪能な能書家が関係したのであれば、このようなできの悪い模写は論外として、その場でで即却下され、やり直しになっていたであろうと推定できる。
ひょっとして、模写していたのは、中国的な教養を有さない、従って、自律的な校正のできない担当者だったのかも知れない。
*玄人と素人
それ以外にも、当写本の「形」には、写本の精度を高めることを最優先するプロ(玄人)らしくない不手際が見える。
通常、このような書籍の原本は、縦横に文字の揃ったページ作りであり、正確な写本をするためには、原本の縦横文字数を再現するだけでなく、文字の揃方を忠実に模倣するものなのである。当写本には、そのような当然の工夫が守られていないので、原本を隣に置いて写本したとしても、照合が大変困難なのである。(常人には不可能という意味である)
だから、玄人は段取りにかける時間と費用を惜しまないのである。その分、堂々と時間と費用を客から頂くのである。
*乱丁、乱調
これまで当ブログで触れたように、現存写本断簡は、原本の文字揃えを崩して写本してしまったために、分註部分の続き具合を視線で追うことができず、続き具合を取り違えた例がある。そして、そのような読み違いが訂正されずに、続いて写本されている点に、写本の精度に対する不信が募るのである。大体、ページ校正を原本と揃えていても、見間違いしないように、定規などを置いて、原本を黙読し、写すべき文字を指差し、できれば指先で文字の筆順を確認した上で、その文字を筆ですらすらと書くものである。
一体に、手がけた仕事の出来映えを確認しないものには、正確な仕事などできないのである。
総じて言うと、「いや、そのような仕事ぶりでよい、ぱっと見が良ければ内容の正確さはどうでも良い」という依頼主の「根性」には、何とも言えず絶句するのである。
誤写だらけの写本断簡だけが現存している現状は、そうしたロマンあふれる憶測を掻き立てるのである。
この項終わり