今日の躓き石 うつくしい日本語
2015/10/29
今回は、新聞紙面に示された意見に戸惑いを感じたというものの、趣旨に反対するものではない。題材は、毎日新聞朝刊大阪13版の投書欄の意見である。
投書者は、「うつくしい日本語」が「うつくしくない日本語」に侵食されていると訴えているのだが、多分、その意図が通じる可能性は少ないと思う。以下、失礼を顧みず、どこが足りないのか語らせていただくことにする。
「うつくしくない日本語」を使っている人たちにとっては、「うつくしくない日本語」は、日頃慣れ親しんだ、それなりにちゃんとした日本語と思っている、と言うか、自然に口をついて出るから別に何とも思っていないので、誰かが何かを言っても気にしないはずだからである。「うつくしさ」は、人によって感じ方が違うものだから、個性重視の世の中では、自分の感じ方を押しつけても、受け入れられないのである。
別の感じ方をしている人たちに、投書者が「うつくしくない日本語」と感じる不快な言葉遣いを、「このままではまずい」と感じてもらうには、そうした人たちが、自分たちが適当だと思って使っている言葉遣いが多くの人に不快感を与えていることを理解してもらう必要がある。
それこそ、春のお花見で、ひっそり桜を眺めている人たちのそばで、けしからん一党が場違いな大騒ぎ をしているようなもので、自分たちと違う感性の人たちが不快に思う言葉遣いは、こうした場では避けるというのが大人というものである。このくらいの意見は、聞く耳があって欲しいものである。日頃やり玉に挙げているメディア関係者相手であれば、もう少し強い言葉遣いでたしなめるところであるが、世間一般相手では、控えめにならざるを得ない。
この場合は、長年大事にしてきた言葉を、若い人が、無思慮に使い崩しているのが、当記事筆者を含めて不愉快に感じるのが問題点だから、本当のところは、後から来たものたちには、何をどう使い崩してしまったのか理解いただきたいものである。そうして、そこから何か感じるところがあれば、先に来ているものとしては幸せというものである。
そうでなくても、「傍若無人」という成語があるように、公共の場所で、「すごい」とか「やばい」とか、自分たちの思いつきを大声でわめき散らすのは、勘弁して欲しいものである。こうしたことは、マナー、エチケットの部類に属するものであって、個人の「美」感覚とはまた別のものである。
以上のように勝手に思ったものである。
以上
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