「古田史学」追想 遮りがたい水脈 2 「達筆」について
2015/11/1
ここでは、故古田武彦氏の残した業績の一端について、断片的となるが、個人的な感慨を記したい。
「古田武彦が語る多元史観」(2014年 ミネルヴァ書房刊)(「参照書」)の197ページから、「版本の問題」として、尾崎康氏の「正史宋元版の研究」(1989年 汲古書院)で展開されている三国志紹凞本批判を題材に「版本の問題」について語られている。
尾崎氏は、紹凞本は、誰でもわかるような誤字が多く残されているので信用できない、とすばり論断されていて、古田氏も、誤字が多く残されていると言うことについては反対していない。ただし、誤字が多く残されていると言うことは、例えば、史上衆知の人名を誤っているのに訂正していないというと言うことである。
これは、写本作成者(写本工や校正担当者)が、自分の見識で勝手に手直ししていないと言うことであり、却って、写本作成者の原本に忠実に写本するという姿勢を信じさせるものであるという論理である。
この趣旨は、当ブログ筆者のここまでの主張に反する点が多い。筆者は、正史の写本は、官製写本工房が、命がけで正確に写本するものであり、従って、誤写は、極めて少ない、だから、千年を経ても、誤字は大変少ないという見解であった。
また、写本は、基本的に、写本の作業効率、速度の面から草書で行うものであり、草書故の誤読、誤写が多いという見解*に対しても、正史の官製写本は、正確さを旨とするから、草書でなく清書で行われていたという見解であった。*(井上悦文 「草書体で解く邪馬台国の謎」 季刊「邪馬台国」 第125号)
ところが、古田氏の見解は、293ページで『「間違いが多い」というのは、写した写本が印刷ではなく、達筆であった。』ことに起因するもの、といさぎよい。筆者は、一度目は何となく読み過ごしてしまったが、「達筆」とは、「真書」(楷書など)でなく、「草書」(崩し字)で書かれていたという意味になると気づいた。
北宋咸平年間の刊本、つまり、印刷本が紹凞本の版起こしの「原版」となったというのは言葉足らずであって、原版の典拠は咸平刊本であるが、実際に使用されたのは咸平刊本の写本だったとみているのである。おそらく、北宋刊本は、11世紀冒頭に木版印刷されたとは言え、刊行されたのはごく少部数の貴重品で、王族、高官の一部が手にしただけにとどまり、それ以外の全国愛書家には、貴重な刊本から起こした写本で流布していたことになる。
北宋は、首都汴京(開封)以外にも、複数の行政中心を持ち、東西南北に広がる中国を全国支配し、文治主義を貫いた画期的な政権であった。また、創業以来、「太平御覧」など、過去歴代王朝の残した正史などを引用した類書の編纂に注力していて、筆写能力の高い人材を育成し、また、このような事業に不可欠な紙、墨、筆などの文具も普及が進んでいたものと思われる。
と言うことで、正史刊本から起こす写本は、どうやら、官製工房ではなく、民間の手によるものと思われる。
唐代の風俗として、仏教経典筆写が一種の文化産業となっていて、遣唐使や僧侶が、経典の写本を大量に特注し、帰国時に持ち帰ったと書かれているようだから、分裂戦乱の時代を経て、全土を統一し、文治主義の国策によって民間への文化普及が進んでいた北宋時代には、手間賃次第で、かなりの量の高速写本が成されていたものと思われる。
つまり、三国志咸平刊本も、速度第一の草書写本が、一度ならず行われたと言うことになりそうである。してみると、尾崎康氏の指摘する誤字は、最終写本の原本に至るまでに、すでに誤字となっていて、写本工は、誤字に気づいても、あえて訂正しなかった可能性もある。井上氏の指摘にあるように、草書体で書かれた文字は、「真書」で書かれた原書を確認しない限りいずれとも判読しがたい混同多発文字があり、写本工が小賢しい見識で、訂正することは、職業倫理から禁忌になっていた可能性もあるのである。(遠い後世、異国のものには、憶測するしかできないのである)
と言うことになると、写本工程の信頼性が懸念されるのだが、古田氏の意見は、先に書いたように、「間違い」はあっても、勝手な訂正を加えていないので、陳寿原本から大きく外れているものではなく、紹凞本全体に対する信頼は揺るがないというものだと思われる。
ここで考慮すべきなのは、南宋草創期の紹興年間に紹興本が刊行されてから短期間しか経過していないにもかかわらず、巨費を投じて紹凞本が翻刻され、刊行されたという一種異常な事態である。
当時の最高の教養人が、紹興本の刊行後に紹凞本原版を入手して、信頼性で格段に優れたものであると判断されたことから、あえて、紹凞本を起こしたという事態が想定されるのである。紹興本の版本に対して、咸平本の「牒」(印刷本関係者の声明文)の真書手書きの写しが添付されたというのも、当時の尋常ならざる事態が想像できるものである。(正史に添付する写しは、何か間違いがあれば、当事者の首が飛びかねないものである)
このように、事態の中身を探ってみると、世の中は、なかなか一刀両断できないものであり、三国志刊本に限っても、紹凞本と紹興本は、それぞれの由緒を背負っているものだと考えるものである。
以上
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