私の本棚 31a ひめみこ試論 補足
2015/11/19
季刊 邪馬台国126号 2015年7月
第340回 邪馬台国の会 講演会
今回、安本氏の見解について、「邪馬台国の会」のサイトで、第340回講演会の記録として公開されている記事を拝見した。(リンク省略)
前回記事は、講演会後の質疑応答の回答であり、時間的な制約と字数の限界から、十分論考が展開されていない可能性もあり、当方の批判は、不公平ではないかと案じられたが、今回は、講演会に備えて、十分推敲された論述と考えるので、あらためて批判させていただくものである。
まずは、批判対象となっている村井康彦氏の著書が挙げられている。(村井康彦『出雲と大和-古代国家の原像をたずねて』(岩波新書、岩波書店、2013年刊)340-15)
ここで、村井氏が著書で提起した
「邪馬台国や卑弥呼の名が『古事記』や『日本書紀』に一度として出てこないことにある。
三世紀前半、使者を帯方郡、さらには洛陽にまで派遣して魏王から「親魏倭王」の称号を受け、銅鏡百枚ほか数々の品物を下賜された倭の女王が大和朝廷の祖先であれば、その人物を皇統譜に載せてしかるべきであるにもかかわらず、卑弥呼のヒの字も出てこない。
卑弥呼は日本の神話歴史のなかでは完全に無視されている」
と提起した具体的な疑問に対する具体的な反論記事と思われる。
反論の提示に当たって、安本氏は、まず、豊富な資料を基に考察を加え、「「卑弥呼」は、坂本太郎の説くように、「姫子(ひめこ)」の意昧にとるのが、もっとも穏当である。」と、導入部を締めくくっている。
続いて、前回の記事通り、
「『日本書紀』では、「女王」は、
「飯豊女王(いいどよのひめみこ)」(「顕宗天皇即位前紀」)(2名略)
などのように、「女王(ひめみこ)」(姫御子の意味)と読まれている。」
と、畳みかけて、以下関連資料の評価と考察は進んでいるが、反論としては結論となっているように思う。
ただし、今回も、批判対象に対する反論としての明確な締めがないように思う。
素人の浅慮かと懸念されるので、ここに利用されている発音が日本書紀編纂時の発音そのものか、という疑問や「女王(ひめみこ)」(姫御子の意味)の漢語、訓読発音、意義解釈の連携の妥当性への疑問は脇に置く。
また、ここまでの論証に従うならば、「女王」は君主その人ではなく、(性別不明の)君主の子供の中で女性を呼ぶものであることになると思うが、この点は、追って確認するとして、村井氏著書に対する安本氏の反論の検討に戻ることにする。
ここに提示された安本氏の議論は、村井氏の「邪馬台国や卑弥呼の名が『古事記』や『日本書紀』に一度として出てこない。(中略)卑弥呼は日本の神話歴史のなかでは完全に無視されている」との明確な指摘に対する有効な反論として成立していないとみるものである。
つまり、「一度として出てこない」との主張は、安本氏が議論を進められたように、諸般の資料を丹念に参照し、英知を絞って思案すると、行間から読み取れる、などという暗示ではなく、だれでも見て取れる形で明示されていない、との主張のように見えるのである。
言うまでもないが、ことこの点に関して、当方は、村井氏の指摘に同意している者であり、世の一般読者も同感する人が多いのではないかと考えるのである。
さらに言うと、「倭の女王が大和朝廷の祖先であれば、その人物を皇統譜に載せてしかるべきである」とする具体的な指摘に回答が出ていない。
言うまでもないが、村井氏の邪馬台国に関する指摘には、まったく反論できていないと見えるのである。
当方の批判に話題を移すと、「倭人伝」記事における「女王」(卑弥呼)が、女性君主に対する呼び方であるのに対して、今回の論説で再確認した「女王」「姫御子」が、君主の娘(ないしは、その子)に対する呼び方である点が、大きく異なっているように思えるのである。
魏志倭人伝記事に対して、ここまでの提言にしたがって、日本書紀風の読み方を適用すると、「女王卑弥呼」は、「国王の娘である卑弥呼」、ということになり、これは、魏志倭人伝の文脈に合わないと思うのである。
このような食い違いは、3世紀中国における「女王」の理解と記・紀(古事記と日本書紀)編纂時の日本における 「女王」の理解とが、明らかに異なっているのであり、それには、地域と文化の異なることによる差異とともに数世紀にわたる経時的な変化も作用しているのであろうが、原因は何であれ、意味の違いは画然としていると思うのである。
ということで、依然として、前回記事で当方の提示した批判は有効と考える。
当方は、安本美典氏は、古代史に関する諸説において、自然科学的な論理を豊富に用いて、明確な論証を正々堂々と提示する合理的な論客として大いに敬意を表しているが、こと、今回取り上げた題材に関しては、不出来な反論にとどまっていると思うのである。
率直な批判は、最大の敬意表明であると信ずるものである。
以上
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