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2016年1月

2016年1月31日 (日)

今日の躓き石 ラグビーのフィジカルコンタクト

                       2016/01/31
 今回の題材は、NHKG(NHKテレビ)のラグビー日本選手権に取材したものである。というか、当ブログ筆者は、スポーツ界用語に疎い一般人であるので、生きた言葉を学ぼうとしたものである。

 その結果、社会人チームの選手が、「コンタクト」と言っているものNHKアナウンサーが「フィジカル」と言っているものが、多分同じ概念なのだろうと思ったのである。

 つまり、本来、「フィジカルコンタクト」と呼んでいるものを、片方は、自明の「フィジカル」を略して、「コンタクト」(接触、当たり)と称しているのであり、他方は、具体的な「コンタクト」を略して、漠然と「フィジカル」と称しているらしいと言うことである。

 後者の「フィジカル」が、多くの意味を湛えた、つまり、漠然たる形容詞であるため、この言葉が使われていても、言っている人の込めた意義がわからない、人によって、大きく意義が異なっているので、聞いているものに伝わらない、という弊害を招いていて、報道の役を果たしていないと言うことは、当ブログでは、しつこく繰り返しているのである。

 しみじみ思うのだが、こうした様を見ると、NHKアナウンサーが、業界の符牒に馴染んだ事情「通」となってしまい、一般人の理解しやすさを度外視して、「業界人」のしゃべりになっていることを感じるのである。確かに、実況放送の場では、すぐそばに業界人が座っていて、掛け合いになるので、業界言葉でしゃべった方が話しやすいのだろうが、目の前にいなくても、遙か彼方で耳を傾けている、一般人たる視聴者の耳に向けてしゃべって欲しいものである。

 こうしてみると、社会人選手が、一般人に意義を伝えられる堅実な言い回しで語ってくれたことに、感謝したいのである。

以上

今日の躓き石 府警機動隊員の復讐宣言?

                             2016/01.31
 いや、とんでもない報道があったものである。毎日新聞朝刊大阪13版社会面のお話である。大阪府警ラグビー部(全員が機動隊員とのこと)が、トップリーグ下位チームとの入れ替え戦に敗れ、来季のリベンジ(報復、復讐、仇討ち)を誓ったと報道されている。
 事実であれば、市民の平和を守るべき警察官の本分に、真っ向から反する不穏当な言葉遣いであるが、引用符の外なので、担当記者の心得違いかも知れないと思う。
 いや、きっとそのはずである。警察官が、メディアの取材に対して、「反社会的勢力」紛いの暴力行為「お礼参り」に等しい行動を宣言するはずがないと信ずるからである。
 宣言を(神仏に?)「誓った」というのも、不穏当そのものである。

 それにしても、誰が考えても、無得点で大敗したのは、力不足と言うことであり、負かされた対戦相手は、ラグビー界で高い評価を勝ちえているから、大半の観衆は、これを番狂わせとみることはないと思うのである。
 今回の敗戦で、当事者は、恥をかかされたわけてもなければ、公の場で負かされたことに恨みを抱くことなど無いはずである。
 「悔しさ」は実力不相応の負け惜しみであり、「借りを返す」という、敵意をぼかした表現すらふさわしくないと感じざるを得ない。
 トップリーグは、世界の一流レベルに手の届いた日本ラグビー界で、「トップ」の名にふさわしい権威と名声を持つ全国トップクラスの場であり、そこに参加するには、今回の例で言えば、入れ替え戦という試練に耐えて、トップクラスの実力を示すしかないのである。
 敗戦の弁としては、自分たちの力、技の足りなかったところを謙虚に認めて、足りなかったところを鍛え直し、来季も下位リーグを勝ち抜いて出直してくるから、見ていてください、というべきではないだろうか。誓うべきは、一層の努力であり、報復ではないはずである。
 ついでながら、今回の報道を見る限り、来季も、当然下位リーグを勝ち抜いてくる、という、やや不遜な響きが聞こえるのも、公然と発言するのには感心しない言葉遣いである。

 その辺りのニュアンスを、紙面外で妥当なものに是正してあげるのも、全国紙のとるべき報道姿勢ではないかと思う。猛々しい言動を殊更に煽り立てるのは、別の報道機関に任せるべきである。

 全国紙としての権威が、「リベンジ」という言葉の不用意な書き出しで、深々と傷つけられている
のを見ると、長年の宅配購読者として残念である。こうして紙面になってしまうと、取り返しが付かないのであり、内部の校閲段階で消せなかったものかと思うのである。 

 滅ぼされるべきは「敵」(対戦相手)ではなく、悪しき言葉である。そう信じるから、当ブログ筆者は、弛まず書き続けるのである。

以上

今日の躓き石 囲碁界の鈍感さ

                                                                     2016/01/29
 今回の題材は、趣味の将棋界のお隣の囲碁界の話題である。よその内輪の話に口を挟むのは趣味ではないが、将棋欄と囲碁欄は、隣り合わせなので、つい見てしまうし、見て不審に思えば、口に出さざるを得ないのである。
 そうそう、今回の題材は、毎日新聞朝刊の囲碁欄、本因坊挑戦者決定リーグ観戦記である。

 まともに目に入るのが、「ミニベトナム流」の見出しである。ぱっと見、日本囲碁界は、中国、韓国の囲碁界の影響を受けている、と言うか、後塵を拝しているのだが、遂に、ベトナム囲碁界の指導を受けることになったのかと複雑な心境になったのである。「中国流」布石の次は、「ベトナム流」布石であり、世界に認められた「日本流」布石はないものか、などと思ったのである。

 と言うことで、興味を惹かれて記事を読んだのだが、実際は、ベトナムに由来するのではなく、「中国流」布石の分岐らしい。それを、(しゃれで)中国の隣の国がベトナムだから「ベトナム流」と呼んでいるらしい。
 しかし、ベトナム由来でないものをベトナム流と呼ぶのは、熱心な囲碁ファンを含めた一般読者を欺くものであり、「詐称」と呼ぶべきものである。世界に冠たる日本囲碁界のとるべき姿勢ではない。
 もし、そうした呼び方を続けるなら、次は、チベット流、モンゴル流、もっと中国流に近かったら、ウイグル流、とでも呼ぶのだろうか。随分暢気なものだと慨嘆するのである。

 普通、こうした新形は、創始者に敬意を表して、その人の名を冠するのではないだろうか。このままでは、まるで、ベトナム囲碁界がこうした呼び名を提唱したようで、真相が発覚すると、ベトナム囲碁界は、世界の嘲笑を浴びることになりかねない
 日本棋院はベトナム囲碁界に対して、何か恨みでもあるのだろうか。

 それにしても、誰かがこうした言い方を初めても、日本囲碁界の誰か、良識ある人がたしなめそうなものであるが、「日本囲碁界」には、嫌われ役を覚悟で、囲碁界の良心となってたしなめる「良識と気骨のある人」は、いないのだろうか。

 以上の苦言は、当ブログ筆者が、あえて嫌われ役を買って出たのであって、日本棋院から立ち入り禁止になっても、良くないと思ったことについて口をつぐむべきではないと思うのである。

以上

2016年1月30日 (土)

今日の躓き石 サッカー指導者の勘違い

                                 2016/01/30
 さて、サッカーの五輪予選決勝のNHK BS-1での中継で、1開始直前に書き出しているのだが、すでに、互いに五輪出場が決定している試合に対して、指導者の発言に「リベンジ」が飛び出してきて、げっそりしている。

 一人は、オリンピック参加対象のU23の現監督であり、もう一人は、以前監督経験のある人なので、それぞれの発言は、選手達に大きな影響を与えているはずである。してみると、聞き過ごしにできないものがある。

 スポーツの試合に、殺伐たる、復讐、血祭りの意義を与えて、選手の闘志を掻き立てる手口は、前世紀の遺物も良いところであり、指導者の発言として感心しない。多分旧世代監督の指導を受けた現監督の意識には、当然の発言として浮かんでくるのだろうが、「負の遺産」は、早くお蔵入りにしたいものである。

 いつもは、NHKの番組作りの不手際として批判していたが、今回は、生放送中の発言なので、止めようがないのである。ちなみに、選手の発言には、不適切な言葉は出てこなかった。結構なことである。

 念押しすると、スポーツの試合は、両チームの力量が勝敗の大半を決めるものであるから、決して、負けても、恥をかかされたとか、恨みに思うとか、の低次の感情論に落ちないで欲しいものである。

以上

2016年1月28日 (木)

今日の躓き石 セブンズのフィジカル

                          2016/01/28
 当ブログで、スポーツ界における「フィジカル」というカタカナ言葉がかみ砕いた説明なしに報道されているが、意味不明で問題だということを何度も述べている。「問題」というのは、別に言論の自由にかかわる話ではなく、意味不明な言葉では、報道の役を果たしていないということであり、時として、一般読者の外来語嫌いに火をつけているからである。

 今回の題材になっているのは、NHKBS-1の7人制ラグビー(セブンズ)特集番組で、何度か「フィジカル」の言葉が聞けたからである。というより、「フィジカル」と別の概念として、「スピードとステップ」が取り上げられていて、番組に登場した二人の選手にそれぞれの特徴として割り当てられていたからである。

 つまり、ことセブンズにおいては、「フィジカル」というのは、体のデカさと取っ組み合いの強さに限定されているということで、明快であった
 願わくば、説明なしに言いっぱなしにするのではなく、言い換えてかみ砕く努力をしてほしかったのである。万事心得たファンだけが見ているのではない、新たにこの分野に飛び込んだ初心者も見ているのである。

 番組は、「追体験ドキュメント」と題されているものの、使われている言葉が意味不明では、視聴者は、選手の体験を追体験することは困難なのである。

 ここで、セブンズのフィジカルと限定するのは、15人制ラグビーの報道では、フィジカルは、体格のデカさはもとより、スピードや耐久力に重きを置いた、かなり幅広い「体力」を指していることが多いように思うからである。

 視点を広げると、同じフットボールの範疇でも、取っ組み合いのないサッカーでは、当然、「フィジカル」は、同じ意味ではないようである。

 他分野での意味について明快に言 えないのは、それぞれの解説者、新聞記者において、言葉の使い方に個人差があるからである。いや、言葉をかみ砕いてくれたら、その場限りの意味を受け止められるのだが、言い返してくれることはほとんどなく、報道の趣旨は、宙に浮いているのである。

 この番組の冒頭に、次々と単語や短文が表れて、スポーツにおいて要求される特徴を網羅しているように思うのだが、見ている限りでは、単なる「Physical」や「Mental」のような断片言葉(かたこと)は登場していないようである。英語のままであるが、ちゃんと、辞書を引いて意味を察することができる言葉のように見える。ついでながら、"Tenacity"なる単語は、非英語圏住民からは、なかなか出てこない意義深い言葉である。
 こうした配慮ができるのに、なぜ、番組本体で、無頓着な言い方をするのだろうか。

 全国紙の報道に対しても、文句をつけているのだが、何とか、一般読者泣かせの、意味不定の業界用語は、説明なしに使わないようにしてほしいものである。

以上

今日の躓き石 レンジファインダー奇譚

                            2016/01/28
 今回は、特定のメディアを批評したものでなく、業界の流れへの批判である。

 レンズ交換タイプの非一眼レフカメラを、「レンジファインダースタイル」と無造作に形容している例が目につくのだが、的外れであり、誤用に近いと思う。

 ふつう、ファインダーと単にいうのは、「ビューファインダー」の略であり、要は、どんな光景が撮影されるか、事前に見ることができるというものである。
 もちろん、「一眼レフ」(SLR)カメラであれば、ファインダーで見えている光景は反射ミラーとペンタプリズムなどの光学素子を使って、フィルム面、ないしはイメージセンサー面に形作られる「撮影光景」と実質上「同じ」光景を見ているのだが、フィルム時代の非「一眼レフ」では、別の光学系で「撮影光景」とそう違わない光景を見て、撮影していたのである。

 ただし、それとは別に、被写体との距離を検知して、レンズの動作を制御するため、少し離れた場所に距離測定用の光景を取り込む(結構大きな)を設けていて、「三角測量」の原理で距離を測定していたのである。これを、「レンジファインダー」というのである。

 ということで、フィルム時代の非「一眼レフカメラ」は、概していえば撮影レンズの上に、二つ窓があったのである。これが、意匠の特徴であった。
 言ってしまうと、この形態の元祖ブランドは、こと、レンズ交換タイプに限っても、ライカであり、国内でいえば、ニコン、キャノン、オリンパスなど、軒並み、この構成を踏襲したのである。(日本メーカーが大挙して引き起こした一眼レフ革命の前夜である)

 今日のデジタルカメラは、撮影光景と同等の画像をビューファインダーで見ることができ、被写体との距離を別のレンジファインダー窓を利用して確認しなくてもいいのである。ということで、レンズの上には、窓が一つだけである。
 意匠の特徴を欠いているから、本来「レンジファインダー」スタイルとは、呼べないものである。

 本稿の主張を繰り返すと、このようなカメラを、「レンジファインダースタイル」というのは、大きな勘違いである。
 
今回目についたオリンパス製品でいうと、往年のシャッター速度設定ダイヤルを模した全面デザインといい、完全に蓋ができるモニタースクリーンといい、まことに、クラシックカメラスタイルである。(ライカスタイルと言いたいところだが、元祖が健在であるので、差しさわりがあるのであろう)

 業界の叡智で、消費者を困惑させないような文句を考えてもらいたいものである。

以上

2016年1月21日 (木)

毎日新聞 歴史の鍵穴 批判再訪 補充

          私の見立て☆☆☆☆☆        2016/01/21

 毎日新聞夕刊文化面に月一の連載コラム「歴史の鍵穴」と題した記事が掲載されていて、どうも、専門編集委員佐々木泰造氏の執筆がそのまま掲載されているらしいことについて、また触れることになった。

 天下の毎日新聞の専門編集委員の玉稿に口を挟むのは不遜かも知れないが、当方は、毎日新聞社の社員でも何でも無く、宅配講読している「顧客」の立場で、高名な著者の重要な記事に対して、今回も失礼を顧みず、あえて遠慮なく書いていくが、相手の怒りを恐れない「率直」は、誠実(Sincerity)の極致と思って言うのである。

 今回は、15/10/21付けで公開している「合わない鍵穴再訪」と題した前々回記事の補足である。どうも、趣旨が言い尽くせていないかと思ったのは、斉明帝の現地滞在、長逗留の話である。

 斉明帝は、緊迫した半島情勢に急遽対応するために、国を挙げた出兵を陣頭指揮すると言いつつ、この地に二ヵ月滞在したと語られているが、とても、あり得ないほら話なのである。

 天皇が単身で来たわけではない。当時の最高権力者であり、朝廷諸官全員は言えないものの、政権中枢の高官(文官)のかなりの人員が随行したと考えられる。いわば、政府機関の引っ越しである。
 それ以外に、軍務関係者も、相当数随行していたはずである。行幸全体に於ける天皇の護衛という意味でも、十分に武装していたはずである。

 何しろ、彼方の大国唐は交流が乏しいので脇に置くとしても、、長年抗争してきた新羅が敵である以上、刺客を投入しての暗殺の可能性がある。新羅人は、長年にわたって渡来、来訪しているので、朝廷内に同調者がいるかも知れないほどである。

 さて、そうした生々しい治安問題は別としても、このとき、現地には、天皇の威光を示すにふさわしい行在所なる仮御所が設けられ、現地の日常と隔絶した世界が確立されたはずである。

 当時、この地に行在所にふさわしい規模と威容の建築物があったとも思えないから、新たに整地し、柱を立て、屋根を張る行在所造営工事を執り行ったはずである。

 現地に、そのような行在所の遺跡は、既築新築を問わず、見つかっているのだろうか。大極殿や紫宸殿などの威容はないとしても、行在所については、整地や柱の跡は残っているはずである。

 当然、行幸には、高官だけでなく、日常実務を担当する昇殿の許されない下位のものまでが随行するし、使い走りのものまで随行する。

 全体として、例えば、1000人の一行とすれば、人数分だけ寝泊まりする場所が必要である。1000人が適切であるかどうか判断する基準は持ち合わせていないが、数百人程度では収まらないし、まさか、万とは行くまいと思い、仮に提示するのである。

 1000人分の食事となると、それだけの膨大な食料を調達するだけでなく、竈で煮炊きして日々の炊事に当たる者達が必要である。ちなみに、まだ、金属製の鍋釜がなかった時代であるから、個人毎、銘々の小ぶりな竈での煮炊きになったと思われるのである。

 してみると、炊事場所の跡や日々食した食事から出た貝殻や魚骨のようなゴミが残りそうなものである。

 食事には、1000人分の食器が必要である。割れた食器の残りがありそうなものである。

 また、滞在二ヵ月ともなると、その間に1000人分の衣類を何度となく洗濯しなければならない。飲料水の供給と共に、洗濯、物干しの場所も必要であるから、造成した水路跡が残りそうなものである。

 滞在時期は冬季に始まる。滞在地が松山市付近としても、厳しい寒さは当然であり、今日のように暖房などできるものではないから、少なくとも高官には十分な採暖が必要である。炊事用の薪と合わせて、1000人分の大量の薪炭の調達が必要である。

 事前に周辺に広く通達して、木炭とか薪の増産備蓄をしそうなものであるが、それら大量の備蓄の置き場所が必要である。

 ここに物々しく書くのは、滞在地が、経済的に未発達な状態ではなかったかと思われるからである。

 九州北部のように、人口が多く、随分以前から経済活動が活発であったところであれば、所定の対価さえ整えば、食料、物資、労力が調達可能であったろうが、滞在地は、千人規模の長期滞在を、施設の造営や物資の調達の面で、平然と受け入れられる状態ではなかったと思うのである。平然と受け入れられなかったのであれば、かなりの遺物が残ったはずである。

 それとも、千人規模の長期滞在者を、日常茶飯事のように支えきれるだけの施設、物資、管理体制を備えた繁盛した寄港地だったのだろうか。それなら、それなりの遺跡、遺物が出土しそうなものである。また、早々にそれほどの発展を遂げた海港であれば、災害で破壊でもされない限り、後世まで残りそうなものである。

 思うに、書紀記事筆者は、与えられた断片的な資料の中から、適当と思われる断片をざっと並べ、大きな穴をもっともらしく埋めただけであり、出来上がった記事を現地取材や関係者の遺物などで考証する意欲などなく、また、中間滞在地の地理条件を考証するだけの土地勘も実務知識もなかったと思うのである。
 斉明帝行幸皇帝の途中に二ヵ月の空きができてしまったのは、大阪と九州北部とでそれぞれの行程日付を書いている断片資料しかなかったと言うことであり、書紀編纂に当たって、個別の事象の日時については、細かくつじつま合わせしないという原則があったように見えるのである。

 逆に言うと、何か重大な出港があったと言うことと何か重大な入港があったと言うことだけが、どうも、原資料の内容を保っているらしいが、それが、御座船かどうかは、どうもはっきりしないと言うことである。であれば、出港、入港が同一の船であったというのは確かではなく、また、途中で二ヵ月の滞在があったというのも確かではない。まして、滞在場所も不確かである。

 書紀の記事は、そういう風に確証のないものと受け取るべきあって、元々実在した行幸の的確な記録の反映と受け取るのが無理なのであり、極論すれば、実際に起きたことと無関係の、寓話、説話、おとぎ話の類いと受け取るべきなのである。

 毎日夕刊連載記事筆者は、根拠のない自説の裏付けを得たいために、書紀の記事に信を置いて、懸命に筋道立てて、不可能な謎の解明に挑んでいるようであるが、その結果、例えば二ヵ月の滞在という、裏付けのしようがない記事を前提とした巨大な空論を唱えているのである。これでは、自縄自縛である。

 高名な専門編集委員には、苦言し、窘めてくれる良き友はいないのだろうか。

以上

毎日新聞 歴史の鍵穴 批判四訪 「もう一つの謎」

                                           2016/01/20

 毎日新聞夕刊文化面に月一の連載コラム「歴史の鍵穴」と題した記事が掲載されていて、どうも、専門編集委員佐々木泰造氏の執筆がそのまま掲載されているらしいことについて、また触れることになった。と言っても、4度なので、当方も、あごやら手やら、くたびれるのである。

 天下の毎日新聞の専門編集委員の玉稿に口を挟むのは不遜かも知れないが、当方は、毎日新聞社の社員でも何でも無く、宅配講読している「顧客」の立場で、高名な著者の重要な記事に対して、今回も失礼を顧みず、あえて遠慮なく書いていくが、相手の怒りを恐れない「率直」は、誠実(Sincerity)の極致と思って言うのである。

 今回は、いよいよ斉明女帝の御出航であるが、一段となまくら論理(?)の迷走で、二の句が継げなくなりそうであった。

 冒頭に、連載記事の主題を強調するように、御座船の針路を日の入りの方位に合わせていたと言うが、地図でわかるように、それでは、船は、程なく四国山地に突入するのである。掲げられた地図の上に直線を引くのは簡単であるし、天文学的な計算を高精度で行うのは、当代のPC愛好家には片手業だろうが、地上、海上を進むものには、到底実行不可能と考える。

 今回の記事にも、関連地点の地図が掲載されているが、素人には、不審満載である。念のため再度掲載する。

 「多武峰付近の御破裂山から、松山市近郊の白石の鼻までの直線経路は、見たとおり、出だしが淡路島に乗り上げた後、すぐ四国の山地(今日の香川徳島県境)に入り込み、そのあと、燧灘沿岸の海中を辛うじてなめるものの、高縄半島に乗り上げている。経路のほぼ全てが、見たとおり、遠く見通すことのできない陸上である。太陽の沈む方向に、となると、現代人でも、軽飛行機ででも飛ばない限り、とても「追いかけて」行けるものではない。無茶な言い回しである。」

 また、物々しくこの日(1月14日)の日の入りの方位は、257.9度と小数点第一位まで書かれているが、これは大嘘である。いかに現代科学が進歩しても、1450年前の日の入りの方位をそこまで正確に計算することは不可能と考える。(関連計算の計算精度のことは、御自分でお調べいただきたい)
 また、現代の科学者であっても、現場で観測していて、落日の中心を見極めて、その方位を0.1度単位で決定するのは至難の業と考える。(事実上、不可能と言いたい)
 また、地図上に図示された地名の場所は、その位置を257.9度と提示された数値と「一致」するほど正確に求めることも不可能と考える。
 いずれも、現代の科学技術をもっていしても、現場での測定で(信頼できる数値として)4桁精度が確保できるかどうか、身近な専門家に確認していただきたいものである。
 こうした、一見科学的でじつは裏付けのない論法は、現代科学のご威光を借りた、文字通りの「空論」と思われる。

 まして、カレンダーも時計もなく、海図、地図や羅針盤もなかったと思われる(「なかった」とする証拠資料を提示できないので推定とする)当時の人にできたことは、西方の方角を見て、思いを馳せる、つまり、遙拝、想到するだけであったと思うのである。
 近代の航海のように、専門技術を備えた航海士が、海図と羅針盤をもとに、六分儀による精密な天体観測をおこなって、現在位置を確認できたとしても、陸上通過を前提とした一定方位に合わせて、迂回した海上航路を経由して、最終的に所定の目的地に辿り着くよう進路を取ることなどできるものではないと考える。

 言うまでもないが、海図は、誰かが、事前に測量を重ねてようやく描き上げられるものであり、歩測や測量機器による精測が可能な陸上でも、地図とコンパス、ないしは、天体観測によって、遠距離を誤りなく進めるようになったのは、遙か後世と考える。
 つまり、神がかりで、当日の日没の方位を0.1度単位で知ったとしても、その方位角に従って航海することは不可能と考える。繰り返すが、御座船の現在位置を正確に測定する手段はなく、目的地の方位を正確に知る手段もないのに、どうやって、進路を方位と一致させることができるのだろうか。

 このあたり、専門編集委員の科学観が、中高生レベルから間違っているのであり、間違った方向を向いているのである。意見形成の土台となる見識が方向違いでは、筋の通った意見を形成できるはずがない
 今からでも遅くない。一から学び直し、考え直すことであると愚考する。

 とは言え、ぱっと見にはもっともらしい科学的な裏付けであり、それが権威ある高名な筆者の名の下に、毎日新聞の専門編集委員の肩書きで権威付けして堂々と前面に打ち出されているだけに、当方も、執拗に、つまり、丁寧に、誠実に、批判せざるを得ないのである。

 因みに、当連載記事筆者のお人柄を信じたくなるのは、「もう一つの謎」と題して、「御船、還りて那大津に至る」の一句の意味が解せないことの確認である。「悪意」はないようである。

 ここまでに展開されたお話は、一種のおとぎ話、たとえ話、ほら話、落とし話、の類いとして笑い飛ばすとしても、この一句は、そこまでに展開された「おとぎ話」と「還」の一文字で、決定的に食い違っていると考える。
 無理に筋の通った説明を付けようとすると、「御船」は、本来、那の大津が母港であり、手元の素材資料の御船の帰還記事を、その趣旨を理解しないまま、(御船とは別の)斉明女帝の御座船の到着と誤解してしまった、とも思われる。
 当記事で書かれているような、斉明女帝が、百済支援の船群を率いて出航しながら、半島西岸に赴くのに大きく方向違いの壱岐に出向いて、敵前逃亡さながらに帰港したという不名誉極まる航海だったという不敬極まる読みをされかねない記事を、正式史書に載せている気が知れないと考える。

 いずれにしろ、意味の通らない結句をここに置いたことは、書紀の歴史記録としての信頼性の低さを示しているものと思われる。「もう一つの謎」などと軽く片付けるべきものではないと考える。

 「還」の字義は大層な参考書を繰らなくても、自明事項(Elementary)と思われるのてある。およそ、書紀の草稿起筆を任されるほどの者が、気づかないはずはない。まして、文書校正する高位者が気づかないはずはない。解決策は簡単で、「還」の一字を削除すればよいのである。なぜ、放置したのだろうかと困惑するのである。
 書紀は、当時、広く講読されたと言うから、筋の通らない記事には、批判が出たと思うのであるが、それとも、出なかったのだろうか。
 してみると、ここ(書紀の編纂部門)では、誤記、誤編集が野放しになっているものと考える。誤記、誤編集が野放しになっている部門が編纂した資料は、全ての記事の全ての字句を信頼してはならない全てが誤っているという意味ではない、個別に検証しない限り、記事を全面信頼してはならないという意味である)とするのが、客観的な「ものの見方」と考える。

 ここで、大胆に書紀記事の信頼性について断罪しているので、論拠を示すとしよう。
 誤記、誤編集は、必ず発生する
ものであり、発生した誤記、誤編集を、発見し、是正することにより、誤記、誤編集が最終文書に残らないようにするのが、時代、社会環境を越えた編纂者の責務と考える。編纂者の責務というのは、これを守らなければ、最終文書が誤記、誤編集混じりのものになり、誤記、誤編集が事実として継承されるからである。そうした事象を理解せずに編纂されていると思われる資料は、全体として、信頼してはならない資料であると考える。
 

 とは言え、全面的に資料の否定を打ち出すと、個別の記事毎に精査すべきだという正論めいた批判が出てきそうなので、狭い範囲の話にすると、ここまで説かれた「斉明西征」の一連の辻褄の合わない記事は、本来、由来の異なる断片記事の貼り合わせによる「創作」と推定されるものであり、そのような批判が克服できない限り資料として信じてはならないと思うのである。

 そのような、信じてはならない記事を、不正確な科学論理で強引に正当化して、延々と説きける論者の信頼性も貶められるのであり、気が知れないと思えるのである。

 そうそう、基本的な意見に還るのだが、書紀に、最高権力者の大々的な行幸記事のちゃんとした記録が残っていないのは、なぜなのだろうか。壬申の乱で宮廷記録が焼失したとしても、乱後の天武天皇の朝廷には、当時の関係者が大勢生存していたはずであり、2カ月の滞在地や九州北部の各機関にも、生存者がいたはずであり、当時の業務記録が残っていたはずである。重要な記事であれば、それにふさわしい努力を払って書き残すべきではないのだろうか。もちろん、はるか、遙か後世の無責任な批判なぞ、言っても詮無いのであるが。

 それにしても、独自の自説に応じて図上に直線を引いて、それにあわせて、現実に自説を投影して話を運ぶというのは、古代史学につきものの「空論」とは言え、無検閲で掲載されるという特権を与えられている高名な学者の採るべき正々堂々の論法とは思えない。「牽強付会」と言う四文字熟語が思い浮かぶのである。

 またも、繰り言になるのだが、高名な専門編集委員には、記事を熟読し、難点に気づいて苦言し、思い違いを窘めてくれる良き友はいないのだろうか。

以上

2016年1月 8日 (金)

今日の躓き石 ISO 3280000の困惑

                                   2016/01/08
 今回の話題は、カメラ業界の悪習に関するものである。

 以前、桁数のやたら多いISO感度表示について、消費者を惑わす不届きな品質表示だと感じて、文句を言ったが、今回は、業界のリーダー、世界一の一眼レフメーカーであるニコンの新製品の表示がその先を歩いているので、褒めずにはいられない。(もちろん、皮肉である)

 曰く、「ISO 3280000」。ゼロがいくつあるのか、ISO100の何段階上なのか、とても暗算では把握できない。いや、何で、コトコト計算してまで把握しないといけないのか。

 消費者が商品の品質を把握できない多桁表示は、ぼちぼちお開きにした方が良いと思うのだが、もう、誰もやめられないものになってしまったののだろうか。

 以上、落ちも何もない、ただの文句たれになってしまった。

以上

2016年1月 1日 (金)

今日の躓き石 フィジカルの混沌

                                 2016/01/01
 今回の題材は、NHK BS-1の特別番組で、じっくり、サッカー日本代表監督のご高説を聞いたのである。また、天下のNHKが、迷走しているカタカナ語をどう捌くのか、期待していたのである。

 結論を言うと、混沌は、混沌のままであった。
 開始間もなく、海外の有力チームは、「フィジカルが強い」との語りであった。監督は、フランス語圏の人のはずだがここだけは、日本式のカタカナ語に同化しているようである。一度、カタカナ語の「フィジカル」の自国語への言い換えをお伺いしたいものである。

 当方としては、「フィジカルが強い」との言い方から、これは、格闘技に類する強さと解するのであるが、それなら、「フィジカルコンタクトに強い」と言って欲しいものであるが。かみ砕きはない。NHKも、この用語に関与しない。

 じゃあ、それがそのまま、近作のスローガンである「デュエル」、言葉の意味からすると、一対一の戦いなのだが、そちらにすんなりと進展したのかと思うと、そうでもない。

 番組の展開では、「フィジカルフィットネス」の強化に繋げている感じが強い。こちらは、禁止薬物を摂らない限り、伝統的な肉体鍛錬であり、クリーンそのものであるが、そんなきれい事を言っているのではあるまい。

 この番組でも、「フィジカル」と言う売り言葉は、大別して、二種の意味が込められているようである。これでは、視聴者が混乱するのである。英語としての言葉の本来の意味とは違うが、「ダブルテイク」と言いたくなる、見事な言葉遊びである。言葉が正確に伝わっていないのか、意識的に、すり替えて本音をぼかしているのか。まあ、スカッと勝ってくれたらいいのだが。

 最近の日本代表のプレーを見ていると、肩、肘、腕など、上半身の働きで、相手の動きを制するプレーが目立っているように、素人目には見える。また、チャージングでぶつかるときも、相手を倒して、上に被さるような体捌きが見える。見えないところで、格闘技コーチを取り入れているのだろうか。

 いや、NHKが「フィジカル」の意味を明確にしないのは、実際は、「アグレッシブ」のダークサイドである「ダーティー」さに触れたくないのだろうか。

 聞けば聞くほど混沌としてくるのである。

以上

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