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2016年1月21日 (木)

毎日新聞 歴史の鍵穴 批判再訪 補充

          私の見立て☆☆☆☆☆        2016/01/21

 毎日新聞夕刊文化面に月一の連載コラム「歴史の鍵穴」と題した記事が掲載されていて、どうも、専門編集委員佐々木泰造氏の執筆がそのまま掲載されているらしいことについて、また触れることになった。

 天下の毎日新聞の専門編集委員の玉稿に口を挟むのは不遜かも知れないが、当方は、毎日新聞社の社員でも何でも無く、宅配講読している「顧客」の立場で、高名な著者の重要な記事に対して、今回も失礼を顧みず、あえて遠慮なく書いていくが、相手の怒りを恐れない「率直」は、誠実(Sincerity)の極致と思って言うのである。

 今回は、15/10/21付けで公開している「合わない鍵穴再訪」と題した前々回記事の補足である。どうも、趣旨が言い尽くせていないかと思ったのは、斉明帝の現地滞在、長逗留の話である。

 斉明帝は、緊迫した半島情勢に急遽対応するために、国を挙げた出兵を陣頭指揮すると言いつつ、この地に二ヵ月滞在したと語られているが、とても、あり得ないほら話なのである。

 天皇が単身で来たわけではない。当時の最高権力者であり、朝廷諸官全員は言えないものの、政権中枢の高官(文官)のかなりの人員が随行したと考えられる。いわば、政府機関の引っ越しである。
 それ以外に、軍務関係者も、相当数随行していたはずである。行幸全体に於ける天皇の護衛という意味でも、十分に武装していたはずである。

 何しろ、彼方の大国唐は交流が乏しいので脇に置くとしても、、長年抗争してきた新羅が敵である以上、刺客を投入しての暗殺の可能性がある。新羅人は、長年にわたって渡来、来訪しているので、朝廷内に同調者がいるかも知れないほどである。

 さて、そうした生々しい治安問題は別としても、このとき、現地には、天皇の威光を示すにふさわしい行在所なる仮御所が設けられ、現地の日常と隔絶した世界が確立されたはずである。

 当時、この地に行在所にふさわしい規模と威容の建築物があったとも思えないから、新たに整地し、柱を立て、屋根を張る行在所造営工事を執り行ったはずである。

 現地に、そのような行在所の遺跡は、既築新築を問わず、見つかっているのだろうか。大極殿や紫宸殿などの威容はないとしても、行在所については、整地や柱の跡は残っているはずである。

 当然、行幸には、高官だけでなく、日常実務を担当する昇殿の許されない下位のものまでが随行するし、使い走りのものまで随行する。

 全体として、例えば、1000人の一行とすれば、人数分だけ寝泊まりする場所が必要である。1000人が適切であるかどうか判断する基準は持ち合わせていないが、数百人程度では収まらないし、まさか、万とは行くまいと思い、仮に提示するのである。

 1000人分の食事となると、それだけの膨大な食料を調達するだけでなく、竈で煮炊きして日々の炊事に当たる者達が必要である。ちなみに、まだ、金属製の鍋釜がなかった時代であるから、個人毎、銘々の小ぶりな竈での煮炊きになったと思われるのである。

 してみると、炊事場所の跡や日々食した食事から出た貝殻や魚骨のようなゴミが残りそうなものである。

 食事には、1000人分の食器が必要である。割れた食器の残りがありそうなものである。

 また、滞在二ヵ月ともなると、その間に1000人分の衣類を何度となく洗濯しなければならない。飲料水の供給と共に、洗濯、物干しの場所も必要であるから、造成した水路跡が残りそうなものである。

 滞在時期は冬季に始まる。滞在地が松山市付近としても、厳しい寒さは当然であり、今日のように暖房などできるものではないから、少なくとも高官には十分な採暖が必要である。炊事用の薪と合わせて、1000人分の大量の薪炭の調達が必要である。

 事前に周辺に広く通達して、木炭とか薪の増産備蓄をしそうなものであるが、それら大量の備蓄の置き場所が必要である。

 ここに物々しく書くのは、滞在地が、経済的に未発達な状態ではなかったかと思われるからである。

 九州北部のように、人口が多く、随分以前から経済活動が活発であったところであれば、所定の対価さえ整えば、食料、物資、労力が調達可能であったろうが、滞在地は、千人規模の長期滞在を、施設の造営や物資の調達の面で、平然と受け入れられる状態ではなかったと思うのである。平然と受け入れられなかったのであれば、かなりの遺物が残ったはずである。

 それとも、千人規模の長期滞在者を、日常茶飯事のように支えきれるだけの施設、物資、管理体制を備えた繁盛した寄港地だったのだろうか。それなら、それなりの遺跡、遺物が出土しそうなものである。また、早々にそれほどの発展を遂げた海港であれば、災害で破壊でもされない限り、後世まで残りそうなものである。

 思うに、書紀記事筆者は、与えられた断片的な資料の中から、適当と思われる断片をざっと並べ、大きな穴をもっともらしく埋めただけであり、出来上がった記事を現地取材や関係者の遺物などで考証する意欲などなく、また、中間滞在地の地理条件を考証するだけの土地勘も実務知識もなかったと思うのである。
 斉明帝行幸皇帝の途中に二ヵ月の空きができてしまったのは、大阪と九州北部とでそれぞれの行程日付を書いている断片資料しかなかったと言うことであり、書紀編纂に当たって、個別の事象の日時については、細かくつじつま合わせしないという原則があったように見えるのである。

 逆に言うと、何か重大な出港があったと言うことと何か重大な入港があったと言うことだけが、どうも、原資料の内容を保っているらしいが、それが、御座船かどうかは、どうもはっきりしないと言うことである。であれば、出港、入港が同一の船であったというのは確かではなく、また、途中で二ヵ月の滞在があったというのも確かではない。まして、滞在場所も不確かである。

 書紀の記事は、そういう風に確証のないものと受け取るべきあって、元々実在した行幸の的確な記録の反映と受け取るのが無理なのであり、極論すれば、実際に起きたことと無関係の、寓話、説話、おとぎ話の類いと受け取るべきなのである。

 毎日夕刊連載記事筆者は、根拠のない自説の裏付けを得たいために、書紀の記事に信を置いて、懸命に筋道立てて、不可能な謎の解明に挑んでいるようであるが、その結果、例えば二ヵ月の滞在という、裏付けのしようがない記事を前提とした巨大な空論を唱えているのである。これでは、自縄自縛である。

 高名な専門編集委員には、苦言し、窘めてくれる良き友はいないのだろうか。

以上

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