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2016年2月

2016年2月29日 (月)

今日の躓き石 NHKの誤訳汚染 mentally and physically

                                2016/02/29
 今日は、朝から、スキージャンプ女子W杯中継(再放送)であるが、二回目が開始する前に、目下、故障で参加できずにいる、W杯初代チャンピオンのインタビューが放送された。
 今年後半にならないと、ジャンプ練習ができないと言うことで、完全復活は来年かとも思われる。残念な話であるが、順調な回復を祈るものである。

 さて、その際、目下のチャンピオンについて意見を求められて、mentally and physically strongとコメントしていたのだが、字幕では、「メンタルもフィジカルも」強いと誤訳されていたのは、NHKBS1の放送として、大変情けないものがある。
 ちゃんとした英語教育を受けた大人のアメリカ人が、日本式のカタカナ語を喋るはずはないのだが、無頓着な翻訳者にかかってカタカナ語患者にされてしまい、一般視聴者に、アメリカ人なのに意味の通らないカタカナ言葉を喋ったと理解されては、気の毒であるし、逆に、アメリカ人が使うちゃんとした言葉と誤解されて、カタカナ語汚染が広がるのも、また弊害が絶大である。これは、多重化した「誤訳」である。

 それにしても、physically strongは、元々英語になかったはずだが、スポーツジャーナリズムが、mentally strongなる、珍妙な言い回しをはやらせてしまったために、strongの前に物理的、身体的という意味のphysicallyを蛇足する羽目になっている。気のせいか、選手の語りが一瞬言いよどんだようでもあった。多分、嫌いな言い方なのだろう。

 因みに、mentally strongは、勝ち気、負けず嫌いの一面はあるにしろ、目下のチャンピオンが談話で触れているような、自身の技術面の不出来を冷静に観察して、速やかに修復する、したたか、かつ、知的な心の持ち方を言うものではないだろうか。確かに、strongと言ってもいいのだろうが、形のない、数値化できないものを体の強さと対比させるのは、本来無理ではないか。

 そして、日本語に戻るが、「メンタルもフィジカルも」というのは、競技、分野によって、大きく意味が異なるし、個人差も大きい。スポーツジャーナリズム全体として、言葉の本来の意味がわかっていないジャーナリストが、その場その場でいい散らかしているように思う。
 と言うことで、NHKは、公共放送の任務を負う報道機関であるから、発言者の意図が視聴者に伝わらない報道姿勢は、改めるべきだろう。

 適訳は、「心も体も強い」というところだろうが、「心」が強いというのはどんなことなのか、問い返すべきではなかったろうか。記者が、自身の競技観で勝手に納得して対話をせき止めてしまわず、視聴者に代わって問い返して、一流選手が、どのような心の働きを「強い」というのか、「一流の競技観」を知りたかったものである。

 以前、カーリング女子チームの外国選手評として、まず、「からだがデカい」、「すごく気が強い」、という指摘があって、続いて、「困難な形勢では、一段と闘志が湧いてきて形勢逆転のプレーを編み出し」、それが、「どんなに困難なものであっても、ずばり通してくる、素晴らしい技術を持っている」、と絶賛していた。
 そんな相手のいるチームになぜ勝てたのかと聞くと、相手は、複数の選択肢があるとき、失敗の可能性が高くても、高得点の得られる、技術的に高度で困難なショットがあれば、安全、確実に得点するショットで安全勝ちを狙うのではなく、なく、リスクのある方を選ぶと知っていたから、そういう形になるように進めたところ、日本チームにとって幸運なことに、スーパーショットが逸れて、勝つことができたという談話であった。
 してみると、カーリングに於ける強さというのは、局面を冷静に先読みし、相手の性格も配慮して、勝つ可能性のある形を作るところにあるらしいと言うことが見えてくる。カーリングは、メンタル(知的)スポーツだという気がするのである。

 どちらも、NHKBS番組なのだが、今回は、選手と視聴者の間で、言葉の流れをかき乱す"discommunicater”になっていたのは、大変な残念と言いたいところである。

 できの悪い、見当違いのカタカナ語は、是非とも、「撲滅」して欲しいものである。

以上

2016年2月28日 (日)

私の本棚 番外 長野正孝 古代史の謎は「海路」で解ける その2 再掲

 卑弥呼や「倭の五王」の海に漕ぎ出す PHP新書 2015/1/16
   私の見立て☆☆☆☆☆ 単なる虚妄の書 2016/02/28 2023/04/19

*前置き
 前回記事に続いて番外としたのは、講読しての書評でなく、書名に対する突っ込みだからである。営業妨害目的でないのは、見て頂ければわかる。苦言は最良の助言であると信じるからである。
 ただし、依然として、乏しい資金で買い整えて、乏しい老生の余生の一部を裂いて読もうという気にはなれないのである。

*海路という妄言
 今回は、無造作にタイトルで言い立てている「海路」の話である。
 こと、古代に限るとして、言葉としての「海路」は「なかった」のである。
 いつもお世話になっている「中国哲学書電子化計劃」サイトにデータ保存されている万巻の漢籍の全文検索で、「漢代以後」、「魏晋南北朝」と言う時代期間を通じて、「海路」は、一度しか登場しない。
 しかも、どうも、「海」上行「路」という意味ではないようである。

《管子》    [戰國 - 漢 (公元前475年 - 220年)]    《度地》   (公元は、日本語の西暦)
4    度地:   
 桓公曰:「當何時作之。」管子曰:「春三月,天地乾燥,(中略)
 當秋三月,山川百泉踊,雨下降,山水出,海路距,雨露屬,天地湊汐,利以疾作,收斂毋留,一日把,百日餔,
 以下略

 素人の乏しい知識で読み解こうとしたが、中国春秋時代の覇者齊の桓公(紀元前7世紀の人)が、宰相であった管仲に、農作業、おそらく種まきに好適な時期を問いかけ、管仲が応えたようである。
 大筋としては、春三ヵ月、夏三ヵ月をそれぞれ吟味して却下した上の意見で、(齊国では)秋(陰暦)の三ヵ月は、雨が多く、山中から数百の泉が山地から湧きだし、川となって海に向かって流れ下るので、農作業に最適、と言うことのようである。余談ながら、「山水出」の三文字は、なかなか縁起の良い文字遣いであると感じる。

 ということで、管仲の言葉として「海路」と書いているのは間違いないが、別に、大海に船出する話ではないようである。
 春秋時代の齊国は、山東半島を含む長い海岸線を持った大国
なので、当然、沿岸航路を航行する交通は、結構活発であったはずだが、お殿様達の「海路」談義は、この程度である。

 それはそれとして、なぜ、「海路」なる言葉が存在しなかったかというと、当時の海上交通は、潮任せ、風任せで、まるであてにならず、また、航行の際の進路を定めることもままならなかったので、公道という意味の「路」と呼べなかったからではないかと思われる。

 これが陸上の「道」、ないしは「路」であれば、出発点と到着点が明確であり、その間の道里と日数も、徒歩の場合と車両の場合、それぞれが明確なのである。また、行程が1,2日程度を越えた長丁場であれば、途中に宿駅があり、毎日、睡眠と食事をとっては、また旅を続けるのである。
 当時の海上航路には、そのようなものはなかったから、「海路」と呼ばなかったのではないか。

 と言うことで、本書に対する批判をもう一つ積み上げると、「海路」はなかったと言うことである。中国になかったからこちらにもなかったというのが、早計というなら、反証を示していただきたいものである。
 言い過ぎたら、反駁されるのが当然と覚悟している。ただし、当方は、無報酬で書いているので、その点は、斟酌いただきたい。

 どうも、基本的なところで、これほど大きな見解の相違があっては、著者のご意見に耳を貸す余裕は生まれないのである。

以上

2016年2月26日 (金)

私の本棚番外 「邪馬台国徹底検証」 サイト批判 1/2

                          2016/02/26
 邪馬台国徹底検証 (http://kodai21-s.sakura.ne.jp/index-3.html)
 謎を解くカギは中国の史書にあった
 <三国志魏書(魏志倭人伝)Ⅱ>
 三国志魏書 (2)

 個人サイトの記事を批判するのに言い訳がまた必要になりましたが、当サイトには、当ブログ筆者の解釈と真っ向から衝突する議論が書かれていて、当方の解釈と似通った解釈が、改竄として罵倒されているので、反論させていただくのです。

 まず、例によって、基本的に当サイト筆者の、大局的な主張には批判を加えないこととします。なにせ、一介の素人には、大々的な反論に必要な知見も、自信もないので、無理はしないことにします。
 と言うことで、ここでは、もっぱら、極力、サイトの同一ページに書かれている内容とそこから直接導き出される議論に的を絞ります。

詔書の用語確認
 「卑弥呼が景初2年(238年)に使者を送ったその2年後、正始元年に、魏は、倭王に使者を派遣し詔書や印綬等を届けています。この部分は、わが国の古代史にあってはあまり話題になっていないようですが、極めて貴重なことが述べられています。あるいは、ここの部分をどう認識するかが、わが国の古代史を理解する上で、その試金石になるとも言えます。
 つまり、倭王と倭女王という2つの勢力が存在していたことが、認識できるかどうかということです。
 ここでは、魏の使者が、わざわざ倭王の所まで出向いています。そして、倭王の所に出向くことを『詣』、詔書や印綬を渡すことを『奉』と表現しているのです。『詣』とは、『臺』、つまり皇帝の居する都を訪れる時に使う表現でもあります。さらに、詔書や印綬を『奉』じるとしています。
 卑弥呼に対しては、『汝』、『哀』など、見下ろす表現をしています。あくまで、魏が下賜するという視点となっています。」

不審な解釈
 余りの騰勢に、えっと、首をかしげます。調子が良すぎるときは、しっかり読みなおしないと、年寄りの本能が告げるのです。
 つい先ほど、当サイト筆者の引用する倭人伝記事に、
 王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國皆臨津搜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯
 と書かれていたばかりです。

 つまり、東夷であっても、親魏倭王と敬称をたてまつられている「女王」に面会しようと参ずるときには、魏の使者は「詣」と言うのでしよう。あるいは、魏使編纂者である陳壽の語法でもあるかも知れないのですが、陳壽は、尊大に資料に手を入れる人ではないのです。魏朝として、使節は、倭王の上席に立つとまでは言わないようです。

 一方、魏朝皇帝の詔に現れる、やや見下したとされる『汝』、『哀』ですが、皇帝の言葉としては、見下すのが当然でしょう。
 『汝』は、皇帝の使う標準的な第二人称ではないか、とか、『哀』に付いても、それほど見下したと言うほどではないのではないか、等々深い問題なので、素人としては、正確には、わからないと言うしかないのですが。

礼節なき遣使
 ここで、当サイト筆者の意見に従うと、正始元年の魏使は、「わけもなく」、「倭王」(女王でなく)の所まで出向いていることになり、「わけもなく」皇帝の詔書を持参したことになっています。そして、直前に朝貢を受けたわけでもないのに、「わけもなく」結構な下賜物が出ていることになります。そのわけは、書かれていないのです。
 当サイト筆者の読解では、景初二年の使節に詔書と下賜物を持たせて送り返して、大々的に答礼しているので、儀礼の交換は済んでいるのではないかと思われます。

 それにしても、寡聞にしてよく知りませんが、中国歴代王朝で、臣下と言うべき異国に、答礼でもないのに、高価、大量の下賜物を持たせ、詔書を持した使節を派遣した例があるのでしょうか。これでは、魏朝皇帝が倭王の臣下となってしまうように思われます。天子と夷狄の間の礼節原理に反しているものと思います。

 ついでながら、使節の上表書で、倭国が一種の連合国家であると謳われていたにしても、中国の正統王朝たる魏朝は、最初に遣使してきた王が全体を代表する正統な権利を持った最高権力者であると認め、だからこそ、「親魏倭王」、つまり、魏朝の権威によって、倭国の域内諸國に税務を課し、軍務を課し、労役を課し、反するものは魏朝の名の下に征伐せよ、との権限と義務を与えたと見るものであり、遣使してこなかった、正体不明の第三者に、それと同等の権威を認めることは、まず考えられないのです。

 こうして慎重に吟味すると、当サイト筆者の意見は、一級資料である倭人傳に順当な根拠がない解釈であり、改竄と言うより、創作に近いと言わざるを得ないように思います。

*景初二年異聞
 さて、当サイト筆者の意見の勝手な読み方の一つとして、景初二年「6月に訪問し、半年待たされたあげくに、また後で届けるから、とりあえず帰ってくれとなったのだそうです。」と、手厳しく非難していますが、倭人傳に書かれていない、時間経過を勝手に書き込んではいないでしょうか。

 倭人傳を淡々と読むと、景初二年6月に、使節が帯方郡に到着して、使節の希望として、(すぐにも)「京都洛陽に赴き魏朝皇帝に拝謁したい」と言ったように思うのですが、当サイト筆者は、大きく飛躍して6月に洛陽に到着したとでも思っているのでしょうか。実に、不思議な解釈です。
 帯方郡から洛陽まで、黄海を渡って東莱あたりの港に上陸し、戦乱の収まっていない遼東を迂回するとしても、使節一行には、2、3カ月を要したとしても不思議ではないと思えるのです。それだけでも、半年待たされたという推定と史料の読み替えは、合理的な根拠のないものになります。

 いや、戦乱の収まっていない、どころか、公孫氏の完全敗北は8月です帯方郡の然るべき人員が同行し、各地の通関で身分保障しなければ、不審のものとして、途中で止められる筈です。すぐにも、と言うのは、旅費の不安も含めてのことでしょうが、まさか、魏都洛陽が、帯方郡のほんの隣にあると思ってのことではないでしょう。

 それにしても、京都洛陽訪問にしても、帯方郡の高官が同行するからこそ、宿泊の心配も食事の心配もないのですが。ともあれ、洛陽まで、黄河(河水)を水行したとしても、通関の手間と食料の心配は、異国人だけでは解決できないのです。

 さて、時代環境を復習すると、このような東夷人使節を洛陽に届けるについては、公孫氏討伐軍の総指揮官司馬懿の承認のもと、司馬懿から洛陽への文書上申が必要であり、諸事多忙の皇帝への拝謁も、「アポ無し」の飛び込みとは行かないので、相当期間の事前予約など、丁寧な手配が必要なのです。

未完

私の本棚番外 「邪馬台国徹底検証」 サイト批判 2/2

                         2016/02/26

 邪馬台国徹底検証 (http://kodai21-s.sakura.ne.jp/index-3.html)
 謎を解くカギは中国の史書にあった
 <三国志魏書(魏志倭人伝)Ⅱ>
 三国志魏書 (2)

承前

*采物異同論
 ここで、当サイト筆者は、ずばり、「景初2年の詔書にある、目録の品々と正始元年の品々は、全く異な」ると断定します。

 しかし、倭人伝の記事を逐一読んでいくと、両者で、「金印紫綬」は「印綬」と略されているものの「詔書」はずばり整合しているし、下賜物も、、「金、帛、錦、罽(毛織物?)、刀、鏡」がピッタリ整合しています。それ以外の下賜物は、長々と重複列記するのを避けただけで、諸々の「采物」と総称されているとみるべきではないでしょうか。
 このように、倭人傳という一級資料に丁寧に書かれているのに、「全く異なる」と思い込んで力説するのは、「全く正しくない」と見えます。

 むしろ、両記事は、ほぼ完璧に整合しているとみるのが普通ではないかと思います。そりゃそうでしょう。これほど近接した文章間で整合していないと、歴史の専門家でなくても一目瞭然のデタラメという奴であり、何を見て書いた、誰が編纂したと非難を浴びることになります。

 それにしても、当サイト筆者は、詔書の読みときの部分で、罽をケイと書き換えていながら、後段では、毛織物と翻訳して、それでもって、互いに違う、違うと称するのは、どんなものでしょうか。これが、自説に沿わせるための改竄読み替えでないとしたら、どう言えばいいのでしょうか。

 因みに、当ブログ筆者は、歴史の専門家でなく、一介の素人ですが、下賜物後送論者であり、当サイト筆者の声高な罵倒の火の粉が飛んでくるのである。いくら控え目にしていたくても、身に降る火の粉は、払うしかないように思うのです。

*魏朝皇帝拝謁
 ついでながら、当ブログ筆者も大いに反対している、世にはびこる景初三年説への攻撃として、使節が皇帝に拝謁したような読みを披瀝しているのは、どんなものでしょうか。
 倭人傳を一字ずつ追いかけて押さえればわかるように、そこには、皇帝の詔書が出されたと書いているだけで、皇帝に拝謁したとは書いていないのではないでしょうか。

 魏朝皇帝、つまり、明帝ないしは後継の皇帝曹芳に拝謁したというのは、定説派によくある、資料から遊離した勝手読みであり、これでは、どっちもどっちです。定説派が、自説の通りに読めるように、言葉を付け足している(改竄している)読み下し文に頼ると、改竄解釈を支持しつつ、小手先の反論を唱えているようで、当サイト筆者の論調から外れているように思うのです。
 論戦がダブルノックダウンでは、勝者無しであり、読者の信用は得られないと思います。

*余談
 それにしても、皇帝が重病でも、皇帝代理の指示で、皇帝のハンコを預かっている高官が代理決裁して、詔書に皇帝印を押すことは可能である。そうでないと、皇帝が執務不能になると国家の活動が全て停止する不合理になってしまうのですが、皇帝制度が長年続いている中国古代国家では、非常事態には、非常事態なりの対処法がルール化されているもののように思います。
 因みに、捨て台詞のように、皇帝の詔書をいつ、誰が書いたという疑問が提示されていますが、それは、おそらく司馬懿からの上申書が京都洛陽に届いた時点で、皇帝、ないしは、代理決裁者が、対応の大筋を決めていて、それにふさわしい詔書起草を指示しているはずです。当然、皇帝周辺には、司馬懿の代弁者がいて、当人不在でも、司馬懿の望む政局運営がされているはずなのです。

 推定としても、皇帝名の詔書は文書管轄高官のもと、おそらく多数保存されている先例を参照しながら、専門家の手慣れた筆で、早々と草稿ができたはずで、これに対する皇帝の承認は、既定路線に沿った上申なので、特に停滞せずに裁可が降りたでしょう。
 極端な話、使節が、洛陽参上の途上でうろうろしていたとしても、その辺りの事務的な手順は、早々と進んでいたはずです。
 事務的と言えば、使節に対する下賜物も、おそらく、司馬氏陣営で稟議書を書いて、直ちに皇帝の承認を得て、倉庫の棚卸しに入っていたはずです。下賜品の絶大な品揃えを見て、これは、とても、使節の少ない人員で持ち帰れないことも推定できたはずです。遙か後世の素人でも、小ぶりの後漢鏡であっても、銅鏡100枚を少人数の倭国使節が持ち帰れるはずがないのです。

 中国は、少なくとも、秦王朝時代以来、詳細な規則とそれを熟知して実行する無数の官僚が支えている国家ですから、皇帝が元気だろうが、病気だろうが、日常の雑事は、機械仕掛けの大時計のように、着々と進むものです。
 また、伝えられる曹操の行政改革で、魏朝領地の隅々から洛陽の曹操のもとに多量の報告書類が、規定の日数で必達される制度が確立されていたので、明帝の麾下においても、司馬懿からの上申は文書伝送(メッセンジャー)特別便で届いていたはずです。曹操門下の優等生、司馬懿に、抜かりはないはずです。
 曹魏という中国古代国家の事務処理能力は、決して侮ってはならないと思うのです。

 最後に、資料確認を離れて、個人的な推定を述べてしまったことをお詫びします。

以上

2016年2月24日 (水)

今日の躓き石 毎日新聞「柳に風」の不調 司馬遼太郎礼賛の是非

                                      2016/02/24
 本日も、例によって、唯一宅配購読している毎日新聞夕刊大阪3版の記事であるが、別に糾弾するつもりはない。先だってのように、経験豊富な編集委員が、自身の権威のもとに、これほど公的な場所でコンプライアンス違反の見解を押し立ているわけではないからである。単なる勘違いである。

 とは言え、夕刊編集長というご高名の割に、余りに「幼い」見解なので、ご意見申し上げるのである。
 「柳に風」の美名のもとに提示されているのは、頑迷な意見であるので、批判せざるを得ないのである。

 さて、今回の記事で、編集長殿は、司馬さん(敬称付きである)の大作「飛ぶが如く」と「坂の上の雲」を読んで、一も二もなく著者のご託宣に迎合してしまったようである。いや、正直そのまま表明しているのだから、別に何も批判すべきではないのかも知れない。しかし、夕刊編集長の名の下に、でかでかと書かれている「勘違い」、「早合点」、「浅慮」は、公器にふさわしくないものなので、正直に批判せざるを得ない。

 まず大きな勘違いは、上げられた二作は、「フィクション」であると言うことである。言うならば、作者の視点でこね上げられた小説(個人的見解)であって、別に、厳然たる「史実」として提示されているわけではない

 定説は定説、新説は新説、どちらも、濃い薄いはあっても、フィクションなのである。

 以下、「例えば」として得々と言い立てているのは、筆者の意見を傾聴する限り、司馬氏の自作のフィクションで古いフィクションにぶつかっているわけで、どっちもどっちである。新説を聞いて、定説を一気に捨ててしまうのは、知的な態度ではない。

 次に出て来るのは、記事筆者の要約であるが、どうにも短絡的な傾倒で、司馬氏ご当人が聞いたら辟易しそうである。

 西郷隆盛が、西南戦争で陣頭指揮をしていなかったので幻滅したようであるが、どんな幻想を抱いていたかは本人の自由として、西郷は、終始自軍と行動をともにし、最後は、(責任をとって)前線に乗り出して自決しているから、何も卑怯者、卑劣漢として非難すべきところはないように思う。なぜ、そこまで幻滅し、大声で非難するのかわからない。

 また、日露戦争の旅順要塞攻撃の頑固な強攻策は、前線指揮官乃木の裁量を超えた上部からの「強攻」、早期攻略至上の指示が原因であって乃木の責任に期すべきものではないと思う。
 司馬氏の世界観の影響力の余りの強烈さに辟易した小説家が、酸の大海にコップで中和剤を投入する意図で、他ならぬ毎日新聞に、乃木擁護の小説を連載したように思う。筆者は、愚将糾弾の情報しか読まないのであろうか。

 遙か後世になるが、太平洋戦争後半の山場、硫黄島の攻防で、米軍が、頑強な日本陣の攻略に、目を疑うような単調な攻撃で甚大な被害を出したことを見れば、こうした状況で、早期攻略を至上命令として受けたとき、軍人は、多数の人命の無駄としか見えない消費をもたらす強攻策にしか解決を見出せないことは、軍事戦略家の基本常識のように思える。少なくとも、米国司令官を拙劣、愚将とした非難は聞かない。

 当記事筆者は、司馬氏の深々とした洞察溢れる著作を、自身の理解力の赴くままに何とも単純な歴史観に読み替えたと言うことを、数百万読者に押しつける形で公開したことになる。

 それにしても、ご当人がここに連ねたブログ記事を読んで、反射的、感情的に全面拒否したら寂しいが、かといって、反射的、感情的に、ここに公開した見解が反転するとしたら、それも、恐ろしいものがある。

 

夕刊編集長殿の、強烈で、幅広い影響力を思うと、他人の意見は、話半分に聞いて、自身の考えを広く、深く形成して欲しいものである。

以上

2016年2月23日 (火)

今日の躓き石 焦点距離を「相当」にしたニコン「DL」に拍手

                                  2016/02/23
 今回は、躓いたと言うより、うれしくて立ち止まったのだった。

 カメラ業界のリーダー、ニコンが、新製品の装着レンズの品名に「相当」焦点距離を採用したのである。

 近年、デジタルカメラの画像センサーのサイズが多様であるため、採用されているレンズの焦点距離を見てもどんな視野角のレンズなのかわからない、とてつもなく困った事態が続いていた。

 当方は、一介の民間人なので、「L50」のようにLを前に付け、「ミリ」ヲ省略して、混同を避ける形で、ライカ版で相当の焦点距離を商品名に付けて欲しいと思っていた。撮影の際に視野角がどの程度であるか判断するのに、「銀塩世代」は、ライカ版で何ミリという数字で体感しているので、「相当」焦点距離が、一番頼りになるのである。

 ここで、「ライカ版相当」という言い方を前に出すと、猛烈な論戦が起きるようだが、すでに、誕生以来、一世紀を経た「事実上の標準」(de facto standard)なので、メーカー間でメンツ争いするものでもないと思うのである。

 また、技術的に潔癖な言い分としては、現実に、装着されているレンズの「焦点距離」は、工業界/工業規格で定まった焦点距離であり、ミリ表示すると、実焦点距離との誤解を招くと言うことで、使用品に表示するならこれしかない、ということだろうが、その結果、長く悪習が続いていたことを考慮すべきである。

 今回、カメラメーカーとして最古参であり、また、あらゆる面で業界リーダーと目されているニコンが、大英断をしてくれたので、惜しみなく賞賛の拍手を送るのである。一般消費者にとっては、長らく暗雲垂れ込めた世界に、春陽の日差しが当たった感じである。各社が、早急に追随することを希望する次第である。

 できれば、引き続き、悪習の撲滅、さしあたっては、ISO感度の野放図な多桁表示を何とかして欲しいものである。消費者の直観的な評価・判断を、ほぼ不可能とする悪習であり、かねがね疑問視しているものである。

 別に、業界リーダーでなくても、悪習を去り、革新を進めるよう提唱、推進はできるはずである。

以上

今日の躓き石 毎日新聞 負の継承 リベンジ汚染

                                                     2016/02/23

 

 いや、「無知に付ける薬はない」 (Ignorance is fatal.)。あるいは、「悪癖は骨身に染みつく」 (Bad pratctices die hard.Worst practices die hardest.) 手前味噌の造句なので、正しいという保証はない。自営筆者の細やかな特権である。

 天下の公器、毎日新聞朝刊で、でかでかと「リベンジ」の大見出しを見るとは思わなかった。朝刊大阪第13版のスポーツ欄である。世も末である。

 

 この記事だけで、スポーツ欄の担当記者が無知だとか、特別に言葉遣いに無頓着だと言うことはできないが、過去の事例を積み重ねていくと、ほとんど、それと言いたくなるような不手際が点々と露呈している。

 

 記事の題材は、広島カープの丸選手であるが、当人に責任がないのは言うまでもない。これまで避けていたのに、今回は、あえて、名前を出したのは、不適当な記事を書かれたと、ご本人に知らせたいからである。
 野球は血なまぐさい殺戮の場ではないし、反社会的団体のように「やられた」、「仕返しだ」の殺伐たる感情が支配しているはずはないし、まして、ISなみのテロ攻撃が横行しているわけではない。まして、「新聞紙」をタント売るために、けばけばしく言い立てるのは、全国紙のとるべき姿勢ではないのは、言うまでもない。

 

 全紙面で、スポーツ欄は、特に戦闘的な言葉が多いのだが、別に、ここだけ別の世界というわけではない。毎日新聞の一部である。ダブルスタンダードがあるはずがない。どの面に出ていようが、悪い言葉は悪い言葉である。「編集長」の責任である。

 

 担当記者の名前を出さないのは、度を過ごした個人攻撃にならないようにしたいからである。いくら署名入り記事でも、不適当な言葉が出ているのは、(分別をわきまえているはずの)上司と校閲部門の「大」失態である。担当者の勘違いが世に出ないようにするのは、こうした「言葉の護り人」の責任と考えているからである。新聞記事は、個人が書くものではない。組織の成果である。

 

 後世の人々に、この悪しき言葉遣いは、毎日新聞の支持のもとに広く蔓延した「エピデミック」と言われてもいいのだろうか。

 

 是非、ご一考いただきたい。

 

 宅配購読者としては、毎日届けられている新聞の中で、意に反して送りつけられた不適当な言葉を返品するすべがないので、こうして、人として言うべきことを言い連ねているのである。

 

以上

2016年2月11日 (木)

今日の躓き石 球界カタカナ語汚染

                                2016/02/11
 今日の題材は、毎日新聞朝刊大阪13版のスポーツ面である。
 しみじみ思うのだが、毎日新聞はスポーツ面のカタカナ語汚染について、「雑草の生い茂るのに任せ」ているのだろうか。新聞社として、一般読者が理解に苦しむカタカナ語の使用を抑制するよう「言い換え」を勧めていると思うのだが、スポーツ面だけは、執拗に雑草が伸びているのである。治外法権なのだろうか。

 今回は、メジャーリーグで力強く戦い続けている「赤靴下」闘士の紹介記事である。ただし、「カタカナ語」は、当人のせいではないと思うので実名は出していないが、誰の記事かはすぐわかるはずである。

 今シーズンは、(曰く付きカタカナ語)「セットアッパー」に配置転換されるという。ご丁寧に解説が付いているが、この言葉は、そういう丁寧な扱いをすべき言葉ではない。無用なカタカナ語を認知していては、署名記者の見識を疑われるのである。

 カタカナ語の問題は、英語としてまともな言葉をカタカナにしているような錯覚を広げるところに問題がある。大変耳障りだから、新語を使っているような痛快な感覚を与えるところも問題である。偏見と取られそうだが、個人的には、言葉に無頓着なスポーツ紙が使い始めたのではないかと思う。

 セットアッパーとは、セットアップをする人という趣旨であろうが、それは、英語として間違った言い方である。いや、セット アップ(set up)は、動詞+前置詞という、ごくごくありふれた構成の成句であり、多種多様な場所で、多様な意味に使われるので、正しいだの、間違っているだのと、傍から言えるような言葉ではない。
 問題は、「パー」である。(ここで言うのは蔑称のパーではない

 米語の俗語で、動詞でもない言葉にやたらにerを付けるのが悪弊になっているが、それは、まともな英語ではないので、何も考えずにまねて一般人の一般の会話で使うと、顰蹙を買うし、ビジネスの世界のビジネス会話で使用すれば、無教養、粗野という蔑視を受けかねないのである。まじめな英会話学生が、学習の書記で、手ひどくつんのめる「躓き石」の定番である。

 じゃあ、どう言うのかという事になる。NHKのように、「セットアップマン」と言い換えるのは、お行儀は良いとしてもぎこちない話である。これでは、女子野球では「セットアップウーマン」と言わざるを得ない。いかにも、日本人英語である。
 正統派のアメリカ人は、「セットアップ」(名詞)と言うはずであるが、実例を知らないので、こう推測する。He is a BoSox setup.

 当ブログ筆者が、専ら毎日新聞をやり玉に挙げて手厳しいのは、一つには、忠実な宅配読者であって、他の日刊紙を見ていないからである。多分、他紙も、用語面の厳しさ、緩さはは同様だと、勝手に想像している。

 そして、また、毎日新聞に天下一の言葉の護り人の役目を期待しているからでもある。たとえ一人の記者の軽率な記事であっても、数百万の読者が読む紙面で使われた言葉は、数百万の読者の多くがお手本にするからである。数百万の読者に広がった言葉の汚染は取り返しが付かない。
 そして、その向こうに理解できないカタカナ語で悩まされる善良な読者の嘆きが聞こえるのである。

以上 

私の本棚番外 安本美典 「卑弥呼の謎」 1972年版 

          私の見立て★★★☆☆        2016/02/10

 いや、 安本美典氏の 「卑弥呼の謎」 1972年版(講談社現代新書 294)は、45年前の出版物なので、今更書評もないと思うのだが、最近、安本氏の持論に対して手厳しい攻撃を加えた論説を目にしたので、断罪の場に不可欠な「弁護」を買って出たと言うことの影響である。(安本氏の「数理歴史学」の誤り)

 前回までの記事は、当該ブログ記事に対して、そこに取り上げられている題材と論説に絞って批判を加えたものであるが、ここでは、安本氏の旧著の書評の形で、氏の持論について公正な紹介を試みるものである。

2.年代論の基礎 古代の王の平均在位年数はほぼ10年
 1.「年代」-古代へのかけ橋
 さて、ここで展開されているいくつかの議論は、これ以降の安本氏の各著書に継承されているのだが、行きがかり上、「奈良七代七十年」に始まる年代論について述べる。
 まず、当該ブログ記事で論者が噛みついている「奈良七代七十年」という成句であるが、「」入りで取り上げられているところを見ると、安本氏が提唱したわけでもないと思うのである。

 また、この成句は、710年の平城京遷都から784年の長岡京遷都まで、ぼぼ70年間奈良に国都があったのに対して、その間に七代の天皇が君臨していた史実を取り上げているものと思う。古代史分野では、定説が、往々にして一仮説に過ぎなかったりするし、この時代の先史史料として参照される「日本書紀」の記述に対して、「造作」、「捏造」、「偏向」との(もっともな)非難が多いのだが、さすがに、この成句に噛みつく論客は少ないように思う。

 この成句が、本書に於ける安本氏の仮説の出発点であり、以下の仮説が順次記述されているのだが、その進め方は、堅実、公正であり、粗忽、疎漏ではないと思う。

 まず、「奈良七代七十年」は、奈良時代の天皇在位は平均10年程度であったとの口切りである。ほぼ70/7の計算であるから、ご名算と言うしかない。

 2.世界の王の時代別平均在位年数
 ここに提示されている計算値は、東京創元社刊の「東洋史事典」「西洋史事典」「日本史事典」に依拠したものであり、容易に追試可能である。

 時代別平均在位年数を図示しているが、1-4世紀の中国の王96人の平均在位年数として、10.04年を得ている。
 多分、「王」でなく「皇帝」ないしは「天子」と呼ぶべきなのだろうが、安本氏は、「王」に統一しているようである。
 続いて、西洋の王の時代別平均在位年数を図示しているが、1-4世紀の西洋の王(皇帝)68人の平均在位年数として、9.04年を得ている。
 これに対して、日本の古代史史料で、1-4世紀の王の在位年数を正確に記しているものとして信頼できる史料はないようである。
 最後に、ここまでにあげられていない地域の王の平均在位年数を図示していて、1-4世紀の各国の王202人の平均在位年数として10.56年を得ている

 1-4世紀に限って言えば、サンプル数は366人であり、豊富とは言えないが、ある程度信頼の置ける推定ができそうである。

 これに続いて、資料の調っていない日本の1-4世紀の王の在位年数を、日本の5世紀以降の王の在位年数と同時期の中国の王の平均在位年数の推移とを対比させ、おそらく、10年程度であったであろうと推定している。この推定の根拠は明示されているので、追試可能である。

 以下、念押しするように、日本の政治権力者の在位年数を求め、時代別に計算して図示している。

 このように、幅広く時代および地域を捜索しているのは、以下の論説で、王の時代別平均在位年数は、時代を遡るにつれて短くなる傾向が見られること、また、天皇が権力者でない時代の平均在位年数は、同時期の「征夷大将軍」の平均在位年数より長いという定見を裏付けるデータをあらかじめ示しているものである。
 その際、そのような違いが生まれた理由を、論理的な考察を加えている。表面的な数値データだけで云々しているのではないのである。

 以上のように、安本氏の論説は、検証可能なデータに、検証可能な計算や分析を加えて、自説の基礎とするものであり、その際、推定に伴う不確かさについて、検証可能な形で明記しているものである。

 ちなみに、本新書の刊行された時期は、8ビットCPUを組み込んだパーソナルコンピューターが普及し始めた頃であり、企業の「機械計算」(事務・会計のデータ処理)や科学技術計算などには、大型コンピューターないしはミニコンピューター(ミニコン)が使用されていた時代である。
 「コンピューターが使用可能であった」というと、一般読者に、広範囲にPCが普及している現時点と同等であったという「大きな誤解」を招くのではなかろうか。
 ちなみに、ここで取り上げられている程度の集計計算は、大半が四則計算であって、算盤ないしは当時広く普及していた電卓の活躍する世界である。

 本書を、古書として購入することは、まことに容易なのであるが、同様の論述は、安本氏の近刊著書に至るまで、確実に保持されているので、いずれかの著書に目を通していれば、雑誌記事の座談会テープ起こしの断片的な「吹聴」に憤激して、先に挙げたような早合点の批判記事を公開するような見苦しい対応はしないですんだろうと思うのである。

 最後になるが、当ブログ筆者は、本新書に展開された安本氏の主張に全面的に賛成しているものではない
 以上に述べたような着実な論説の進め方に対して、絶大な賛辞を呈しているものであるる。また、末尾の5.「3.邪馬台国問題の基礎」に提示された、科学的論争の提唱については、それこそ、「失われた正論」の偉大さに、天を仰いで嘆息するのである。

以上

2016年2月 2日 (火)

今日の躓き石 衝突回避のプロ野球ルール

                                 2016/02/02
 今日の題材は、毎日新聞夕刊大阪第3版「夕刊ワイド」面の「寝ても覚めても」と題されたコラムである。
 専門編集委員の執筆と言うことで、校閲されていない可能性もあるのだが、毎日新聞の紙面と言うことで、新聞社の見識を反映しているものとして、批判させていただく。

 なお、当記事は、執筆者の年の功が活かされているのか、ストレートな一人称表現を避けていて、周囲の人々の意見を聞き取ってまとめたものであり、執筆者の意見をそのまま反映しているのではない、とでも言うように、主語がぼかされているが、専門編集委員が、噂話の類いを麗々しく書いているとは思えないので、実質的に私見が書かれているものとして批判していることを了解いただきたい。

 さて、題材となっている「衝突回避」とは、大リーグで昨シーズンから採用済みのルールを、野球ルールのグローバル化と言うことで、一年遅れて日本でも採用することに対するご意見である。というより、大筋は疑問、不審の陳列である。

 これが、一般人の茶飲み話なら、「個人的見解の表現」として聞き流すなり、賛同するなり、反対するなどの反応が可能だが、毎日新聞は、朝刊320万部強、夕刊90万部強を流通している全国紙である。
 そして、それに見合った人数の読者から絶大な信用を得ているのである。
 一般読者は、新聞に載ってしまった記事に、茶飲み話で聞かされた「個人的見解の表現」に対するのと同様の反応を示すことはできない。要は、「個人的見解」を押しつけられているのである。当ブログ筆者が、ほとんどゼロに等しい読者を意識しつつ、率直な批判記事を書いても許されると思うのである。

 まずは、全体論である。
 ここでやり玉に挙げられているのは、プロ野球界で適用される「ルール」である。それに対して、いきなり、批判論を展開するのは、毎日新聞社として「コンプライアンス」に欠ける態度とみる。

 長年適用されなかったルールが、今になって施行されたことの背景を説明せずに、批判論を言い募るのは、「ルール遵守」(コンプライアンス)に背を向けていると言わざるを得ない。ちらりと、「危険性」に付いて言及しているが、そのような仮定の問題ではなく、ある確率で確実に障害に繋がるプレーを差し止める、極めて重大なルール変更と思うのだが、執筆者は、そのような背景を軽視しているようである。

 おそらく、自身で捕手ないしは走者の立場でプレーした経験から、この程度の危険性は、とやかく言う必要が無いものだと感じているのかも知れないが、防具を身につけた捕手が、ボールを捕球、確保していないのに、走者を全身で阻止しようとするのは、無防備な走者にとって大変な危険で、一種の暴力行為である。だから、一部の選手は、暴力行為に対する報復として、肩からタックル風に突入する暴力行為の練習をしたりするのである。
 こうした報復合戦は、フェアプレーの精神に反すると思うのだが、プレー経験のない素人の思い違いなのだろうか。

 そうでなくても、捕手は、体格、体重でホームベースを死守するもの、そして、ブロックに選手生命を賭けるもの、という通念があるようだが、それは、選手、そして指導する監督、コーチの指導の成果であるだろうが、そのような無理な守備を賛美してきたマスコミ関係者にも、絶大な責任があったのではないか。
 何しろ、社会の良心と叡知を反映していると信用されている全国紙が、大量部数の紙面で賛美したら、一介のアマ審判が電話で抗議しても、新聞の(悪)影響は、どうにも回復できないのである。

 今回は、プロ野球の公式ルールとして明記され、適用されるのだから、コンプライアンスで言えば、まず、新聞社としては、ルール遵守を訴えるべきではないのだろうか。

 この記事は、さすがに、明確な反対論ではないが、複数の疑問の形で、ルールは守られない(ではないか)、と不適切な予言が書かれているように見える。有力メディアの見解としてとんでもないものである。

 ということで、噂話めいた言い方を借りて、「ほんとにできるのかな」などと放言しているが、決められたルールを守るのがプロの義務である。勝つためにはルールは無視する、という姿勢であれば、早晩、重大なルール違反として表面化して、懲罰の対象になるのではないか。即退場、数試合の出場停止、そして、罰金徴収。ルール遵守とは、そうした重みを持つものである

 中には、実戦の場になれば、長年の訓練が反映して、反射的にルール違反の行動をするのではないか、と、プロ野球捕手の知性とコンプライアンス精神に疑問を投げかけている下りもある。
 まことに、捕手達に対して失礼極まりない指摘だが、この部分は、執筆者の個人的見解として書かれているので、まともに批判させていただく。

 さて、またもや、書かれていない点に疑問があるのだが、これまで、ホームベースを格闘の場にしていた米国メジャーリーグで、革命的な新ルールを実施した昨シーズンの実績はどうだったのだろうか。多数の試合で、新ルールは遵守されたのか、無視されたのか、教えていただきたいものである。
 知る限り、メジャーリーグの審判は、ルールコンプライアンスに絶大な力を持っているので、参考にできるのではないか。

 以上は、天下の毎日新聞の専門編集委員に対する、一介の素人の勝手な意見表明であるが、素人は素人なりに筋を通して批判しているのである。

 執筆者は、素人の批判を遮るように、「野球と深く、長くつきあっている人」の見解としてぼかすのではなく、自身の信念を堂々と書き綴るべきである。その辺の野次馬が飲み屋でぼやいているのではないから、プロ野球選手や審判のルール遵守能力に対する当てこすりなど、控えて欲しいものである。

 言うまでもないが、結末で「頑張ってください」というのは常套手段であり、執筆者が、日本の審判陣はルール遵守を実現できないとみていることを、明々と「暗示」している。

以上

2016年2月 1日 (月)

今日の躓き石 顔面ハンドオフ??

                      2016/02/01 2018/12/13 2019/11/02追記

 今回は、大分迷ったのですが、毎日新聞朝刊大阪第13版スポーツ面の連載「アントラージュ 第4部女子格闘家の母たち」7に異を唱えます。

 どうも、担当記者は、強引に女子セブンズラグビーを「格闘技」に取りこみたいようですが、当ブログの筆者の見る限り、セブンズ(7人制ラグビー)は、格闘技と言うより、格闘しない突破のゲームのように思います。

 更に気がかりなのは、ハンドオフが顔面に入ったことを当然のように書いていることです。当ブログ筆者はラグビー素人なので、ルールに詳しくないのですが、顔面、首から上に手を出すのは、大抵の球技で反則、それも、かなり重大な反則のように思うのです。
 
 ラグビーで、寄りついてきた相手を押しのけるハンドオフはあっても、「グー」で突くのは反則の筈であり、まして、首から上に向けてハンドオフするのが認められるなら、目つぶしも、平手打ちもありとなってしまうのです。
 
 首から上に手を掛けるハイ・タックルが厳格に禁止されていて、一発退場に近い以上、ハイ・ハンドオフも、絶対禁止のはずです。ラグビーは、「フェアプレー」の競技です。

 少なくとも、顔面攻撃は、ラフプレーの反則と信じます。いや、初級者時代は、そのつもりはなくても、蹴ったり、引っ掻いたりするかも知れません。そんなことがあったら、すかさず注意するのが、指導者の役目ですが、そうした話は書かれていません。

 当記事筆者は、新聞記者である以上、スポーツ担当の意見を自由に聞けたはずであり、当然、ハンドオフに関するルールを確認したはずですから、記事にする際に何かコメントがあってしかるべきです。

 ラグビーは格闘技ではないし、スポーツに闘志は大事としても、柿生にビンタを食らって痛くても泣かないのは美徳でもなんでもない。ラフプレーで痛い思いをさせられて泣くような奴は選手にしない、という態度であれば、それには反対です。

 言うまでもないのですが、取材で、選手の母親の言葉を聞き取って、どのように紙面に書くかは担当記者の裁量です。一読者がとやかく言う問題ではないのです。報道の自由は、神聖不可侵の権利です。 
 しかし、「ラグビーは格闘技である」、「格闘技にはラフプレーがつきものである」、「痛い思いをしても、文句を言わず、泣かない選手が大成する」という論理の連鎖には、一人の人間として到底同意できないのです。

 すでに、当記事のコピーが出回っていて、これを、美談、教材として監督、コーチが選手に訓示している様が見えるような気がするのです。

 是非、メディアの各メンバーに、報道姿勢を再考いただきたいのです。

                             以上

今日の躓き石 負けた悔しさ-白鳳の子への思い

                             2016/02/01
 今回は、毎日新聞朝刊大阪13版のスポーツ面なであるが、褒めるときには褒めるのである。
 少年相撲の国際大会で負けた子供に対して、父親である横綱が「悔しさを糧に」することを期待しているとして、記事を締めている。ここでは引用符にくるんだが、記事では引用符の外の地の部分なので、この言葉遣いは、横綱の意を汲んだ担当記者のものと理解して話を進める。

 何を褒めたいかというと、比喩の使い方である。
 当世は、悔しさをバネにするという言い方が出回っているが、悔しさを踏みつけにして、その場の気分は良いだろうが、そうした受け止め方では、負けた教訓が取り込めない。負けに学ばないものは、挑む度に同じ負けを繰り返す

 今回目にした表現は、悔しさを食って消化して、良いところだけ身につけて、要らないところは捨ててしまう、というしたたかな強さを表している。負けたら負けただけ強くなっている強者を目指す者は、かくありたいものである。大変豊かな思いを秘めた言葉である。

 若者には、強い言葉遣いではなく、良い言葉遣いとその心を身につけてもらいたいものである。

 今回の記事に込められた思いは、書かれた当人以外の若者にも、いや、若くない者にも、広く届いて貴重な贈り物となって欲しいものである。

以上

 

今日の躓き石 スキージャンプのフィジカルとは?

 NHK BS-1の女子スキージャンプ実況で、唐突に、イリュージョン単語「フィジカル」(元々は、物理的という形容詞)が出てきたが、特に補足説明がないので、不可解(英和辞典を引いても、何を言っているのかわからない)であった

 この競技には、長距離走の走力や当たりや取っ組み合いの強さは関係ない。体のデカいのも、プラスではないと思う。ということで、理解の流れが途絶えて、戸惑う。

 おそらく、この競技で「物理的」要素というと、跳躍力を支える脚の筋力が大半で、後は、それを支える他の部分の筋力と思うのだが、つまり、ジャンプ競技は、筋力勝負という見方なのだろう。

 確かに、筋力は、勝つための必須要素だろうし、当の競技について造詣の深いNHKアナウンサーの言葉だから、ジャンプは、所詮、力任せの競技だと理解すべきなのだろうか。

 そう理解してみると、競技者コメントにも出て来るように、時間をかけて筋力「強化」に専念するという見方もあるだろうが、それならそれで、なぜ、報道陣は、視聴者読者に誤解の無いように具体的に説明しないのだろう。

 このように、競技によって大きく違う物理的特性を、一気に漠然とした形容詞「フィジカル」で言いくるめてしまうのは、不適切な報道と思うのである。

 それぞれの競技の関係者にしてみると、自分がどの競技のどんな特性の話をしているか自明なので、いわば、当事者得意の業界用語で言葉を端折っても意味が通じるだろうが、いろいろの競技を報道する報道関係者が、それに従うというのは、視聴者の理解しやすい言葉を選ぶという「説明責任」を果たしてないと思うのである。

 言う方はどんな競技の話をしていても、フィジカルの強化が必要、で済むが、聞く方は、当の競技の特有の「物理的」特性は何なのか、深い理解を要求されるのである。結局、自分たちが楽をして、視聴者にあて推量を強いるものだと思うのである。

 それが、当世のスポーツ報道の流れであって、当方が、何も知らない、不勉強な視聴者と言うことなのだろうか。

 いや、スポーツの実況競技はコミュニケーションの技術について、いろいろ考えさせてくれるものである。

以上

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