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2016年2月 3日 (水)

私の本棚番外 「邪馬台国論争」一局面 暗号「山上憶良」 1

                                    2016/02/03
 2.古田武彦氏の説のウソ

 2-1 景初3年が正しい理由

 個人管理のサイトでの論説に対して批判を加えるのは本意ではないが、ネット世界に於ける「邪馬台国論争」の(血なまぐさい)様相に付いて、当ブログ筆者の感慨を具体的に示すものとして、あえて、率直な批判を加えるものである。
 当サイト管理者の攻撃手法には、拙い誤解と非難すべき反則技が多く、却って、論考の信頼性を大きく損なっているので、ほっておけないと感じたのである。また、この場で、学界のお歴々と並んで批判されるだけの価値ありとの位置付けをしているのでもある。

 さて、当サイトを管理している論者、論客は、「古田武彦氏の説のウソ」と誹謗、中傷口調で書き出しているが、語調のきつさ、えげつなさの割には、根拠不明で、内容が的外れである。
 周知のごとく、古田武彦氏の提唱した説は、こと古代史に限定しても、広汎、多岐であり、全体をウソと断じたものか、特定の説にウソがあるのか、論旨が不明である。物事を明解に表現しないのは、論者が未熟なせいと苦笑するしかないのだろうか。今日のように、裸の王様を大勢見かけると、声をかけるのが難しいのである。

 また、書き出しに2-1と銘打って、後続続々と布石しているが、どうなったのだろうか。まさか、ネタ切れではないだろうに。

 さて、記事書き出しを見た限りでは、「古代は輝いていたⅢ」で堪忍袋の緒が切れたようであるが、ここまで当方には、一切お怒りの事情が伝わらないので、お説を伺うとする。
 ということで、冒頭の切り出しであるが、どうも、不用意な取り上げ方と言わざるを得ない。
 当記事の書き出しは、魏志という有名史料を根拠にしているが、原文を当たることなく、筑摩書房版の翻訳文を採用しているのが、困ったものである。
 せめて、読み下し文を見ていれば、原文の趣旨が察しられるのだが、翻訳の場合は、翻訳者が理解した文意に沿って粉飾加工されるので、翻訳者の理解に誤解があれば、ほぼ必然的に誤訳になってしまう危険を(取れたてのふぐのように、ほぼ確実に)含んでいる、というのが、定説中の不動の定説である。

1.両郡攻略
 この場合、翻訳者は、魏の遠征軍は、まず、遼東の公孫氏を滅ぼし、次いで、南下して、公孫氏の支配下にあった楽浪、帯方の両郡を攻略したとの根拠不明の先入観を持っていて、その先入観を書き込んでいるが、原文には、そのような粉飾表現は書かれていないと考える。

 さほど入手困難と思えない原文に当たると、「誅淵」(公孫淵を誅殺した)と書いた後に直ちに続けて「又潜軍浮海」(また、潜(ひそかに)に軍を海路送って)楽浪、帯方の両郡を収めたと書かれている。これを、「さらに」と、時間の流れを、心を込めて書き足したのは、翻訳者のやり過ぎである。単なる「又」には、時間的な前後は込められていないと見るものではないかと思う。

 もし、遼東攻略の後であれば、何も、ひそかに進軍する必要はないから、両郡攻略は遼東攻撃の前に行われたとみるべきではないだろうか。
 この辺り、長駆進軍している遠征軍主力による西方からの一方的な攻撃は、大軍であっても、遼東に広く勢力を張った公孫氏の待ち受けているものであり、迅速な攻略は困難である。東方、と言うか、東南方からの分遣隊による挟撃が必須と見た司馬懿の周到な軍略が見て取れると思うのである。

 三国志に書かれているように、この当時、曹魏に対しては、長江(揚子江)上流域域での蜀漢軍からの執拗な攻撃と共に、長江下流域では孫権率いるる東呉の大軍と対峙していて、孫権は、戦況が確実に有利とみたら、じんわりと、分厚い攻勢を取るから、遼東遠征軍は、速攻、かつ、確実に遼東を確保する必要があった。つまり、短期決着の確実な挟撃作戦を採ったと見るものである。
 法外と見えるほどの大軍を派遣したのも、その一環である。現地滞在が長期化すれば、食料の消耗が激しくなる上に、中国では、大規模な戦闘での敗戦責任は、将軍の一家族滅である。理由は何にしろ、「絶対負けられない」のである。 

 なら、ここに作戦内容を明確に書くべきではないかという抗議が聞こえそうだが、東夷伝の役目は、遠征軍が「誅淵」したことにより、東夷を直属させたと明記するのが主眼なのであり、それ以外の軍事行動は、付録に過ぎないから、この程度で良いのである。

 ちなみに、翻訳者は、両郡攻略語について、原文の「収」(収めた)という平穏な表現を粉飾して「攻め取った」と強い言葉で書いている。その意識としては、健在であった遼東政権から「攻め取った」と見ているのである。これが、遼東政権が崩壊した後であれば、攻め取るのではなく、魏朝傘下に収めたとでも言いそうなものである。漢文翻訳の怖さである。

未完

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コメント

村上通典様
 連絡が大変遅くなりましたが、諸事多忙で貴信を見落としていました。
 ということで、遅まきながら、御連絡に感謝します。
以上
 

5月17日(火)に「暗号山上」を検索し、このページに気付き、本日(水)、掲示板「暗号山上憶良」にコピペさせて頂きました。
どのような扱いをしているかは、下記URLから確認できます。
http://6904.teacup.com/mm3210/bbs

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