私の本棚 番外 長野正孝 古代史の謎は「海路」で解ける その2 再掲
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私の見立て☆☆☆☆☆ 単なる虚妄の書 2016/02/28 2023/04/19
*前置き
前回記事に続いて番外としたのは、講読しての書評でなく、書名に対する突っ込みだからである。営業妨害目的でないのは、見て頂ければわかる。苦言は最良の助言であると信じるからである。
ただし、依然として、乏しい資金で買い整えて、乏しい老生の余生の一部を裂いて読もうという気にはなれないのである。
*海路という妄言
今回は、無造作にタイトルで言い立てている「海路」の話である。
こと、古代に限るとして、言葉としての「海路」は「なかった」のである。
いつもお世話になっている「中国哲学書電子化計劃」サイトにデータ保存されている万巻の漢籍の全文検索で、「漢代以後」、「魏晋南北朝」と言う時代期間を通じて、「海路」は、一度しか登場しない。
しかも、どうも、「海」上行「路」という意味ではないようである。
《管子》 [戰國 - 漢 (公元前475年 - 220年)] 《度地》 (公元は、日本語の西暦)
4 度地:
桓公曰:「當何時作之。」管子曰:「春三月,天地乾燥,(中略)
當秋三月,山川百泉踊,雨下降,山水出,海路距,雨露屬,天地湊汐,利以疾作,收斂毋留,一日把,百日餔,
以下略
素人の乏しい知識で読み解こうとしたが、中国春秋時代の覇者齊の桓公(紀元前7世紀の人)が、宰相であった管仲に、農作業、おそらく種まきに好適な時期を問いかけ、管仲が応えたようである。
大筋としては、春三ヵ月、夏三ヵ月をそれぞれ吟味して却下した上の意見で、(齊国では)秋(陰暦)の三ヵ月は、雨が多く、山中から数百の泉が山地から湧きだし、川となって海に向かって流れ下るので、農作業に最適、と言うことのようである。余談ながら、「山水出」の三文字は、なかなか縁起の良い文字遣いであると感じる。
ということで、管仲の言葉として「海路」と書いているのは間違いないが、別に、大海に船出する話ではないようである。
春秋時代の齊国は、山東半島を含む長い海岸線を持った大国なので、当然、沿岸航路を航行する交通は、結構活発であったはずだが、お殿様達の「海路」談義は、この程度である。
それはそれとして、なぜ、「海路」なる言葉が存在しなかったかというと、当時の海上交通は、潮任せ、風任せで、まるであてにならず、また、航行の際の進路を定めることもままならなかったので、公道という意味の「路」と呼べなかったからではないかと思われる。
これが陸上の「道」、ないしは「路」であれば、出発点と到着点が明確であり、その間の道里と日数も、徒歩の場合と車両の場合、それぞれが明確なのである。また、行程が1,2日程度を越えた長丁場であれば、途中に宿駅があり、毎日、睡眠と食事をとっては、また旅を続けるのである。
当時の海上航路には、そのようなものはなかったから、「海路」と呼ばなかったのではないか。
と言うことで、本書に対する批判をもう一つ積み上げると、「海路」はなかった、と言うことである。中国になかったからこちらにもなかったというのが、早計というなら、反証を示していただきたいものである。
言い過ぎたら、反駁されるのが当然と覚悟している。ただし、当方は、無報酬で書いているので、その点は、斟酌いただきたい。
どうも、基本的なところで、これほど大きな見解の相違があっては、著者のご意見に耳を貸す余裕は生まれないのである。
以上
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