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2016年3月 4日 (金)

私の本棚 36 季刊邪馬台国127号に寄せて

 季刊 邪馬邪馬台國 127号  2015年11月

          私の見立て☆☆☆☆☆                  2016/03/04

 本号は、総力特集「奴国の時代」第一弾ということで、力の入った記事が見られる。
 しかし、「邪馬台國」を標榜する雑誌の読者には、奴國は、古典的な突っ込みの対象となるのである。各記事の中で、奴国関係者の論考は、視点が偏っていたとしても、それぞれの立場からくるものなので、言っても詮無いのだが、下記編集部記事は、批判に値すると思うのである。

 奴國の時代 1      編集部

 話の切り出しとして、紀元前五世紀に中國が戦國時代に突入したと威勢良く切り出しているが、安直な借り物表現であり、掘り下げが足りないと考える。いわゆる、第一印象として、記事全体の信憑性を損なうような先入観を読者に与えてしまう、著者の見識に疑念を投げかけさせる、いうなら、信用をなくす不出来な書き出しである。

 と言うのも、「戦國時代」という用語は、後世の歴史家が便宜的に名付けただけであって、その当時の同時代者として、別に、何か諸國の抗争する形勢に、感じ取れるような「画期的事象」があったわけではない筈である。

 関係の深い遼東/山東方面について画期的事件と言えば、呂尚(太公望)の子孫が統治していた山東の齊國が、他國からの亡命者田氏に取って代わられてから、打って変わって拡大主義になったのは四世紀前半であり、周辺が不穏な動きになったのはその後と見られる。

 ここで無造作にいう「周辺地域」が何を指すのか不明なのだが、呂氏時代の齊の関心は、春秋時代になってからは、中原西方の洛陽を向いていて、沿岸地域に大した関心を示していなかったようなのだが、拡大主義になってからは、海岸までその威力を及ぼそうとしたであろうし、いずれかの時点で、北方の燕に進攻したといわれている。

 おかげで、後年燕から報復攻撃を受けて、東の超大國の威容を誇った豊かな国土のほぼ全土を奪われ、滅亡寸前まで追い込まれたのだが、まあ、これが國内不穏の極限ともいえる。

 と言うことで、紀元前五世紀が画期的というのは、簡単に言い過ぎであり、紀元前四世紀の齊の拡大主義と國家壊滅の危機が、周辺事態変動の契機ではないかと思われる。

 山東半島が不安定化すれば、朝鮮半島も遼東半島も目の前であるので、難民が辿り着いたとしても不思議ではない。中国の古典書籍でも、そうした亡命、逃亡が説かれていることがある。ただし、当時の形勢として、財物の備蓄のない農民や市民には、こうした逃亡は不可能であり、財力のある富豪、貴族、官吏にできることであった。

 と言った感じで、以下、当ブログ筆者は、繰り返し自慢そうに批判、断定しているが、間違っていたらご指摘いただきたいものである。

 ときに、魏志倭人傳の表記で、奴國は女王國ではないから盟主ではなく、女王國を盟主と仰ぐ倭國連合の一員となっているのである。表記されている戸数でも、女王國が大國であり、奴國は比較して小國である。

 さて、現在、中四國九州を包含する「西日本」地域で最大の都市である福岡市が展開している福岡平野は、太古以来、九州北部随一、どころか、「西日本」随一の繁栄を 誇ってきた地域であり、当時の盛況は、現在も、福岡市内各地で繰り広げられている発掘作業で確実に裏付けられているものと思う。
 一部に、当時の博多湾は、河口の泥濘ないしは軟質の砂丘であったから海港として不適当であったという意見があるが、それにしては、順次発掘の進んでいる弥生時代遺跡が、結構商売繁盛を思わせるのである。
 博多湾全体は、おしなべて海港に不適でも、ほんの一 角に弥生船の寄港できる好適地があれば、それで良かったのではないか。国際港は無理としても、近辺の海港との沿岸輸送、そして、各河川での水行遡上輸送に便利な小舟が荷役できる港であれはよ いのである。

 陳腐な意見であるが、そうした奴國が、福岡平野全域で安定した地域大國の地位を占めているとしたら、超大國である女王國の行き場がないのである。この点は、定説派各大家の意見であるが、おっしゃる通りと思うのである。

 これは、後漢書と魏志倭人傳の史料考証や発掘遺物、遺跡の評価以前に、金印の印刻の解釈で「博多に奴國あり」の定説を打ち立ててしまい、倭人傳の文字でしか概容を伺うことのできない女王國を圧倒する絶大な人気を博してしまったので、引っ込みが付かなくなったための学術的窮境と見るものである。

 いうならば、ジグソーパズルの全ピースが出揃っていない段階で、まず、奴國のピースを福岡平野、後の博多の地に堂々と釘付けしてしまったために、それ以後、パズルの解明に不都合なピースが出ても、進め方の訂正が付かなくなっていると見るのである。

 ピースが合わないなら、力任せで合わせてしまうか、合うピースが地中からが露呈するまで、一打逆転を期して待つかということになっているように見受ける。

 いや、当記事に示された奴國論は、そこまで言い募っているのではない。九州北部を奴國中心視点で塗りつぶしているだけである。いうならば、奴國自大主義である。
 
 その故か、79ページでは、それまでの中國史書の読み替えと古事記の引用に続いて、「神話と歴史」として、奴國時代を描き出す。

 長々とした前奏の後に、突然、奴國が、邪馬台國所在地論議で日本の考古学界が二分されている事態の絶好の救済策であり、奴國が時の氏神だと言い募るのである。

 そこまでの、各資料に対する論評も、それに先立つ遺跡、遺物の検証も、巨大化された奴國を押し上げるための前提であったようである。

 邪馬台國誌も、なかなか迂遠な策を立てるものだと感心する。それは、雑誌編集上の方針であり、経済効果も期待しているのだろうが、「総力特集」の総力の注ぎ込み先が外れていないかと、強引な進め方には不審を禁じ得ないのである。

 つまり、史料に明記されていない仮説の積み重ねでここまで奴国像を肥大させる根拠が乏しいのである。

 例えば、『中國の「新唐書」日本傳は、「日本は古の奴なり」と記す』と書き出しているが、僅かこれだけで、いきなり大きく躓いている。当記事のすぐ右の78ページで自身が書いているように、新唐書日本傳の冒頭は「日本は古の倭の奴なり」と読み下すことにしたのではないだろうか。なぜ、勝手に自説を曲げて、端折るのだろうか。不思議である。

 まして、「倭奴」を「倭の奴」と読み下すことには、これまでに大いに異論が出ていて、一説の域を出ていないのである。更にいうならば、「奴」を「ナ」と当然のごとく呼ぶことについていうなら、倭人傳全体の発音と食い違っていることも、無視しがたいのである。

 博多が那の津と呼ばれていたことを起点として時間を遡行している論証経路が、当分野で常識と化しているとしても、学術的思考と遠いのである。つまり、無理にでもそう読まないと成り立たない議論は、所詮決定的な論とするには、根拠不十分なのである。

 自説を導き出すために、諸説入り交じる中を、頑固、強情、強引に突進するのであれば、結局、邪馬台國論争の各陣営の手口をコピー/ペーストしているだけである。

 更に言うならば、当記事で遺跡/遺物のデータから提唱されている「甕棺文化圏」は、それ自体一つの学説であって、学説として提示されている限りは、何も異議を言い立てるものではないが、同一文化圏にいるから、当然一國としてまとまっていたというのは、安直すぎて、無理な言い分である。

 かって、倭國は女王國の専権下にあるのではなく、各國が寄り添った諸國連合であるという言い方をされたが、これは、倭人傳記事を根拠とした言い分であり、もっともであるが、ここで言うように史料に書かれていない「奴國連合」を想起しているのは、筆者の勝手な作業仮説というべきではないだろうか。

 まして、そのような想起された事態を(現代語としても不安定な)「実体と求心力」と言い立て、これを感じ取ったから、後漢が「倭奴國」に金印を与えたというのも、論考として述べるのは、余りに情緒的であり、学術的意見としてどうかと思う。まさか、倭奴國が後漢に貢献した際に、筆者自身が、その場で滔々と甕棺の広く普及していることを述べ立てたというのだろうか。
 図3のような「めざましい」分布図は、各地の郷土史関係者が、長年の膨大な発掘努力の果てに得た貴重なデーをもとに、現代科学の力を借りて描き出したものであり、当時の生身の人間には、知覚どころか、想定すら不可能だったと思うので、ついついSF紛いの想像を巡らすのである。

 近来、まるで、古代人が、現代人がネット情報を駆使してようやく得られるような世界観を抱いていたと言っているような「とんでも科学」議論が出回っているが、「編集部」氏が、そうした悪弊に染まっていなければ幸いである。

 奴國主義提唱に限らず、古代史の定説は、たいてい現地の旗印になっていて、絶大な町おこし効果や國家からの助成など、経済的に多大な周辺効果を伴っていて、もはや、一歩も後に引けない事態になっているものと推察するが、だからといって、科学的な疑問を押し隠して、既得権の維持拡大を図るのは、後世に重大な禍根を残しかねないと危惧するものである。

以上

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