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2016年3月 5日 (土)

私の本棚 37 季刊邪馬台國128号に寄せて 1

 季刊 邪馬台国 128号  2016年2月

          私の見立て☆☆☆☆☆                  2016/03/05

 最新号は、総力特集 奴国の時代 第2弾である。話題豊富なので、目に付いたところから、順次批判させていただく。

 奴国の遺跡群   井上筑前

 著者は、日頃多くの資料を目にし、多くの人々と対話しているために、つい、普段押しかけてきている定説や世論に反応してしまうのだろうが、読み手からすると、何でこちらに向かって喧嘩腰に書き立てるのか、注意が逸れるのである。

 また、古代史に関する論考なのに、そのような背後の声に反応したのか、言い回しが揺らぐところが見られる。書き出しの部分は、読者が、自分の見方を一時脇にやって著者の見方にあわせ、書かれたメッセージを受け入れようとする部分なので、こうした導入部で、違和感や動揺を感じてしまうと、冷静に読めなくなるのである。

 77ページ末尾の字句が、その例である。

 何に対する憤慨か知らないが、『「後漢書」のオリジナルである』という主張には、躓きはしないが、しばし佇んで、著者の意図を詮索させられるのである」

 ここで目立つカタカナ言葉の「オリジナル」は、要は、現代日本語の筋の悪い言葉であり、中国正史を語る上で、場違いで違和感を禁じ得ない。

 更に具合の悪いことに、世上流布している「オリジナル」というカタカナ言葉には、二つの有力な意味が通用していて、大抵の場合、一瞬、どちらの意味か迷うのである。

 一つの意味は、そこで言い始められた新規、独自のものという意味であり、もう一つの意味は、元々の、本来のという意味である。

 ここでは、後漢書のオリジナルといわれているので、後漢書編纂者笵曄が創始したという意味に見えるのだが、笵曄は史家であって、小説家やコピーライターではないので、文章を創作するものではないし、後漢書は史書であるので、重ねて、創作とは遠いのである。

 と言うことで、著者がきっぱり言い切ったはずが、読者にしてみれば、意味が読み取れないのである。

 こうした、言葉の時代錯誤は、ありふれた事項なので、普通は、雑誌編集部が指摘して訂正され、読者の目に届くことは無いのだが、「邪馬台国誌」は、寄稿者の原稿に手を入れない方針でもあるのだろうか。

 案ずるに、世論が、後漢書の倭国記事は、三国志の魏志倭人伝の引き写しだという批判が聞こえていて、そうじゃない、この部分は、三国志に無い、と主張しているのかも知れないと思いつくのである。

 そんな念押しは不要ではないかと思う。

 指摘されている記事は、どちらも、完全に後漢時代の記事であって、「三国志」があえて取りこんでいる後漢末期の曹操時代にも入らないからである。従って、陳壽が当該後漢史料を知っていたとしても、単に参考にするだけで、倭人伝には採用しない
のである。

 思うに、この記事は、笵曄が創作したのではなく、後漢朝の公式記録に書かれていたものを適確に収録したと言うだけのように思うのである。笵曄の芸風では、原典が周知であれば、文の運びを改善して文筆家としての「腕」を示すが、ここでは、原典が知られていないので、改善しても、誰にもわからないので、褒めてもらえないのである。

 因みに、「漢倭奴国王」という地位は、蕃夷の王の中で格別の地位であり、周辺国に紛争が起こったときは、漢朝に代わって仲裁して平和を保つ権威を与えるものであり、従わなければ、征伐して正義を行え、と言う意味である。

 もちろん、漢朝がそのような権威を与えるのは、すでに十分な権威を持った盟主であることが前提で、あくまで、自薦に基づく追認であり、現地が諸国散在、どんぐりの背比べであれば、その中の一国に与えるものではない。単なる貢献記事では無いのである。

 また、国王と呼ぶ以上は、代々王位が継承されていることが前提である。国王が代替わりしたときは、新国王が漢の天子に国書を呈して代替わりを報告すべきものなのである。以上は、漢帝国との儀礼として当然のことなので、後漢書に都度書かれていないとしても、当然守られるべき事項である。

 正史三國志では、曹操の偉業を引き立てるように後漢末期の衰亡と混乱が描かれているため、ついつい帝國全体を弱体視してしまうが、後漢は、ほぼ150年にわたって全土を支配し続けたのであり、ここでいう「奴国」の時代は、漢朝の威勢は栄えていて、そう簡単に衰退しなかったと思うのである。

 以上は、当ブログ筆者が、著者と異なる文章観、歴史観を持って眺めていると言うだけであり、権威を持って、とやかく文句を付けているわけでは無い。
 
氏ほどの大家は、むしろ、堂々とご自身の見識を保つべきなのに、なぜ、異論を神経質に排斥するのか、傷ましいのである。

以上

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