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2016年3月 6日 (日)

私の本棚 38 木佐敬久 『かくも明快な魏志倭人伝』 1 長大論

    冨山房インターナショナル 2016/2/26
 私の見立て★★★★☆             2016/03/05   2019/07/21 補筆・整形のみ

 当ブログ筆者は、世界の片隅で、細々と、と言うか、ぼそぼそと持論を公開しているのだが、今回は、世上に倭人伝について、当方と同じ読み方をしている人を見つけて、ついつい、札入れ財布を空にして買い込んでしまったのである。
 こうしてみると、書籍の売り文句である惹句は、的を射たときには、強力な販促武器になるのである。

 近来、古代史関係新書に粗暴な惹き句を見て購入欲を殺がれたり、店頭で、つい、粗暴な惹き句に眼を瞑って購入して、内容がそれ相応だったために後悔したりしているが、今回は、惹句を信じて良かったと思うのである。

 ここに紹介するのは単行本なので、新書数冊に匹敵する出費であるが、古代史に健全な関心を持っている方は、必読というべき良書である。これまで得られなかった、得がたい知見を得られるはずである。賛同するかどうかは、読者の自由である。

*共感する「長大」論
 さて、ご託が長引いたが、今回採り上げるのは、巻末付近で書かれている長大論である。以前、著者の見解の端緒は、発表されていたと記憶している。

 著者は、まことに堅実に、三國志の「長大」を拾い出し、男性と女性の違いを踏まえた上で、卑弥呼は十代で女王に共立されたという推定に至っている
 また、倭人伝に描かれている姿は、二十代の若々しい姿であるとも推定している
 当方の辿った論理の道筋を、別の人がすでに極めていて、ほぼ同じ結論に至っていたというのは、はるか後塵を拝するものとして、大変名誉なことと感じる。

*あえてアラ探し
 あえていうと、次の点を指摘できると思う。
 余りにも自明なので、大抵省略されるが、三國志に限らず史書に書かれている年齢は、元日に揃って加齢する「数え」年齢である。つまり、現代の年齢に換算するには、一歳、ないしは、二歳を引かねばならないと言うことである。

 また、当時の考えでは、人は十五歳で子供時代を脱して、個人として社会に認知されるのであり、「女子」と呼ばれる人は、十五歳を過ぎていると言うことである。

 でありながら年齢を書かずに、「女子」と形容したのは、陳壽の手にした史料には、倭人の二倍年歴(春秋加齢というべきか)で「三十歳」と書かれていて、かつ、その後に「いまや成人となった」との記事がに続いていたからではないかとも思われる。陳壽は、倭人のいう卑弥呼の年齢に不審を覚えたが、事実確認ができなかったので、筆を加えず年齢表示を避けたのではないかと憶測する。

 因みに、壹与の継承の時は、すでに、対外的な年齢表記が中国風になっていたのであろう。数えで十三歳が倍年歴であれば、実年齢は、6.5歳、満年齢で5歳になってしまう。これは、幼帝である。

 「女子」と書いた理由を、別途推定し、すでにブログ記事に書いたのを復習すると、...
*女子は外孫 
一人称の視点を、直前に登場した「男王」とすると、「女子」は、その娘の子供とも読める。
 簡単に言うと孫であるが、大抵の場合のように、娘が嫁ぎ先で子を産んでいれば、自身にとって外孫である。ただし、字面でわかるように女の外孫に限る。かくして、漢字二文字で二重の意味をかねさせた謎かけが解ける。
 嫁ぎ先が有力な家であれば、生まれた子は、二大勢力を強い絆で結びつけていることになる。
 しばらく、誰が王位に就くか紛糾したため、水争いや漁場争いの調停者がいなくなって、それぞれの季節毎に紛糾したが、有力な二家が両家の当主にとって孫に当たる後継者を共に王に立てることに同意すれば、それこそ、時の氏神であり、そうした紛糾は起こらないのである。

 女王は、若くして神事に従事していたようであるが、祖霊に仕えて託宣を聞く手段として亀卜を行っていたとすると、発生した亀裂の形を適確に読み取らなければならない
 そのために、中国の殷(商)時代以来の伝統として、亀裂の形を甲骨文字として、つまり、漢字として読み取る訓練を受けていたのではないかと憶測するのである。
 してみると、この女子は、若くして甲骨文字の漢字が読めたのではないかと思われる。そうであれば、亀卜の託宣に対する信頼は深かったものと思われる。いや、もちろん、これは勝手な憶測である。根拠も何も無い。

 因みに、女王が結婚するとして、すでに二大勢力の親族となっているので、それ以外の家から婿を探さねばならない。それでは、二家の権力の均衡が崩れてしまう。まして、女王が、第三の家に嫁ぐことは、女王の権威を損なう。かくして、女王は独身を保つのである。ただし、もともと神職に従事していたから、そのようなことは、覚悟していたとも思われる。

 さて、最後に再確認すると、
 漢帝国では、幼帝がしばしば擁立されているが、卑弥呼は、そうした幼帝ではなかった。女児、女孩、嬬子ではなかった。

*「長大」の語義確認
 ここで、「長大」は、共立後に成人に達したと言うことであり、文字通り「長大」とは「成人」、人となると、と言う意味である。これは、三国志時代の用例確認は当然であるが、現代中国語でも生きているようである。

 今回は、同感の意を込めた自慢話である。

以上 

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コメント


誤変換については、申し訳ない。

 本当に最後になりますが、貴方の論で、こう述べています。

 「当時の考えでは、人は十五歳で子供時代を脱して、個人として社会に認知されるのであり、「女子」と呼ばれる人は、十五歳を過ぎていると言うことである。」

 このあなたの文は、女子とは成人であると述べているのと同義語と思いますが。
 ここまでは、私も同意をしているのですよ。当時では15歳以上は大人の扱いをしていたろう
 とも考えています。

 問題は、「魏志倭人伝」記述の時間的なものです。貴方は
 「倭人伝に描かれている姿は、二十代の若々しい姿であるとも推定している。
その根拠が「長大」という文句である」としている点で、貴方の自論もそうだと述べている。

 しかし、「長大」と言う文句が出てくる部分は、読めば分かると思うのだが、女王になってから、相当に時間が経った事象を述べている点である。(卑弥呼は男一人以外、誰とも会わず、男弟が政治を助けと)
 「魏志倭人伝」は卑弥呼の鬼道などをしていた若い頃と、
 この部分で、晩年の姿を描いているのです。


 「魏志倭人伝」記述における、この時間的経過を、貴方は見逃している、読み取れていない可能性が高いとだけ 述べておきましょう。
 この点から「長大」を「成人する」と解釈するのは妥当ではないという、貴方の論の問題点を指摘していることを述べて終わりとしたいです。

 多くのご返事、ありがとうございました。

  

 
  
 


 


 当方の辿った論理の道筋を、別の人がすでに極めていて、ほぼ同じ結論に至っていたというのは、はるか後塵を拝するものとして、大変名誉なことと感じる。

 あえていうと、次の点を指摘できると思う。
また、

 

 王経常様 再三丁寧なご指導をいただきましたので、精一杯丁寧に回答します。
 まずは、当方の正直な意見として聞いていただきたいのですが、毎回、誤変換が見過ごされているのには、辟易していると申し上げます。「年既長大」ではないのです。
 また、繰り返し、「素直に」とおっしゃいますが、それなら当方は、ひねくれた解釈をしていると言うことなのでしょうか。こうした価値判断を含んだ言葉遣いをすると、大抵、無用な反発を買うだけで、説得から遠ざかるものです。
 さて、今回も、いつも頼りにしている「中国哲学書電子化計劃」で「漢代以後」の「成人」を検索すると、つまり、日本語で言うと、魏晋南北朝以後で検索すると、491件ヒットします。
 もちろん、文脈が整合しない例は、かなりあるでしょうが、この程度の確認で、お説にある「かなり近代的言葉で日本語であり」と言うのは、当を得ていないものと思います。
 そして、誤解されていると思うのは、「日本語」と言う言い切りです。確かに、日本が明治初期の国際化の過程で、多数の「日本語」「漢語」を提唱したのは事実ですが、それらの「日本語」は、日本人が勝手に造語したのではなく、中国古典を深く学んだ人たち、つまり、それまでの日本では最高の知性を持つ人材が、中国古典の用語の中から、最適と思われるものを厳選して当てはめたのです。
 もちろん、日本人が最善と思って選んだ単語が、中国語として採用されなかった例に、「鉛筆」、「駅」のように、「中国語」として不都合のないと思われる「日本語」もあるのですが、それとは別に、「成人」は、古典時代以来継承されてきた立派な中国語と考えます。
 ついでに言うと、上の「哲学」も中国語として受け容れられた「日本語」です。
 前回も提案したように、共立された時点で成人であったというのは、当方の前提ではありません。「女王となった後に成人した」、と言う前提から、時間と段落を遡って、「女子というのは、成人を表す言葉として書かれていないではない」と仮定したのが、当方の論理の筋道ですから、その肝心な部分を別の仮定で否定しておいて、当方の論理の筋が通らないというのは、説得ではなく押しつけです。
 「陳寿などの時代の「長大」を「成人になる」という解釈は難点があります。当時は「長大」というのは多くの意味が含まれておりました。」と言うのも、複数ある選択肢を暗示しておいて、一つに絞って論理を進めるの妨げる論争手法であり、本来、「多数」などと逃げずに列記して教えていただきたいものですが、それにしても、そうした多数の選択肢を承知の上で、文脈に適合したと信じる選択肢を選んでいる論客を説得することはできません。
 じゃあ、とおっしゃるのでしたら、「中国哲学書電子化計劃」で「漢代以後」で「長大」を検索してみてください。知る限り、少なくとも数件、同様の文脈で「長大」は「成人となることをいう」、との用例が見つかるはずです。ということで、「長大」は3.49件ヒットしますが、別の意味で書かれているよう例も、かなり多いので文章を読む必要があります。これは、素人にはとても困難ですが、それにらしいものを提示し、ご高評を仰ぎます。
通典 刑法六 決斷
4 後漢鍾離意為會稽郡北部督郵。有烏程男子孫常,與弟並分居,各得田十頃。
 並死,歲饑,常稍稍以米粟給並妻子,輒追計直作券,沒取其田。
 並兒長大,訟常。
 掾史議,皆曰:「孫並兒遭餓,賴常升合,長大成人,而更爭訟,非順遜也。」
 *以下、この意見を覆す名裁きが登場します。
 用例数は多くありませんが、解釈の根拠は、用例の数ではなく、説得力と信じるので、これを提示します。(いや、この程度明瞭に書いていないと理解できないのです)
 いうまでもありませんが、「長」と言う漢字は、もともと「長い」と言う意味の漢字と「年長」という意味の漢字が別々にあったものが、これら二つの文字が一つに合併したものであり、従って、「長大」の「長」の意味を検討するには、どちらの漢字に属するか判断しなければなりません。
 これが、日本語では、もっぱら(重厚)「長大」の意味で使われていますが、もちろん、日本人が発明した用法ではありません。
 ところで、倭人伝で「長大」と書かれているると、日本では、ほぼみんな揃って年寄り解釈するように偏ってしまうのは、ご存じの通りです。
 一旦老婆説を採用してしまうと、事鬼道も、能惑衆も、老婆説にあうように偏って解釈するのが素直な解釈になり、一つの卑彌呼像が揺るぎがたい像として描かれてしまい、それが現代訳と称する定説になって、他の説を受け容れるどころか、倭人伝の原文すら、どこかに忘れ去られてしまうのです。(いや、原文を素直に読める論者は、これには関係ないのですが)
 当方の時として手厳しい口調はもともと、そのような「定説」に対する反感で書かれているものです。
 と言うことで、これらの相違、つまり、互いに意見の相違と納得すべき相違点を除くと、書いていただいているのは、魏志倭人伝には書かれていない独自の解釈なので、別の解釈を持っている相手に、いかに繰り返し言い立てても説得できないのは、おわかりと思います。
 以上、貴重な時間を割いていただいての再三のコメントに感謝します。
以上


 一つ、気になりますのは、
 陳寿の時代においては、史記、漢書、そして、儒教の書物と言うのが、漢文の手本となっております。特に、儒教関連は漢時代に整備されており、陳寿の時代でも漢文の柱でした。ですから、これらの
書物を古典として、陳寿の時代とは言葉使いが違うと理解されているのはいかがなものでしょうか。
 
 最後に、

 重要なのは「女子」とは陳寿の時代でも成人した女性を意味し、成人の卑弥呼のことをわざわざ、再度、「歳はすでに成人した」と陳寿が記述することはありえないのではないかと言うことです。
 そんな無駄な文章を陳寿が書くとしたら、陳寿の資質が疑われるのではないでしょうか。陳寿の文章は無駄な文が無いことで評価されている。

 「年既長大」という文章の前後文を読めば、この部分は卑弥呼の晩年を描写したもので、
 「(卑弥呼の)年齢はすでに長く大きい」と素直に解釈すべきできではないでしょうか。
 当時の老齢期が何歳かは論議の余地はありますが。

 それに、成人と言う文句や概念はかなり近代的言葉で日本語であり、当時の概念の言葉ではなかったと思います。ですから、陳寿などの時代の「長大」を「成人になる」という解釈は難点があります。当時は「長大」というのは多くの意味が含まれておりました。
  
 
 「魏志倭人伝」では卑弥呼は「女王になった時(過去)には鬼道で民衆を惑わしたが、その後(歳を取って)、一人の男以外は誰とも会わなくなった」と述べている。これが素直な理解です。

 ここの論評は、貴方様の持論の華でもあり、なかなか、他人の言は受け入れられないでしょうが、
 いつか、再考するときも来るかもしれません。
 

 他の木佐敬久の論評は客観的で素晴らしいと思いました。
 

 王経常様 再度のご指導有り難うございます。
 ただ、当方の反論の主旨が理解できていないようですので、「もう一度だけ」書きます。

 当方が、慌てて追加した書き込みで、現代中国語を引き合いに出したのは、単なる参考であって、当方は、現代中国語は、ほとんど理解できない (小学生以下)ので、そこを攻撃されると困ります。

 ここで大事なのは、基本的な方針(個人の意見)です。こういうことは個人差があって、どちらが正しいと議論してもしょうが無いのですが、意見の背景を知ってもらうために繰り返すと、文と言うか単語の意味の解釈では、まず参照すべきなのは、当の段落であり、次に、「魏志」であり、次は、魏晋朝時代の資料文献、それでもわからないときは、太古代の古典書の出番であると考えた上での意見です。
 前提として、三国志編者(陳寿)は、編纂にあたって、同時代(ないしは、直前の時代)の各種資料を参照して書いているいるわけですから、書く文章の大半は、同時代の用語になっているはずです。まさか、全てを古典の言葉遣いに書き換えているのではないと思うのですが、いかがでしょうか。
 もちろん、序文などの改まった箇所では、古典の来歴を踏まえた物々しい書き方をしたでしょうが、三國志全文を古典調で書いたとは思えないのです。

 繰り返しますが、女子は子供(女児)だと言っているのではありません。15歳から上の若い女性ではないかと言っているのです。

 ご提案の趣旨は、当方のいうような根拠薄弱な仮定には、ご提案の解釈を否定する力は無いと力説されているようですが、当方は、そのような不遜な、排他的な意思はなく、当方の言う読み方も、一応の筋道が通っているから、専門的に言うと根拠が弱いとしても、一説としてはあり得る、否定できないと思っていると言っているものです。
 言い足すと、「女子」は、自分の娘が嫁に行った先で産んだ「子供」という意味での「子供」ではないかと言ったことはあります。それを指摘されているのでしょうか。

 何しろ、漢語に限らず古くから大勢が使ってきた言葉は、使用されている文脈で意味が変わるので、辞書や古典で調べても、意味を特定できない場合が多いものと見ているのです。

 今回は、「「長大」と言う文句も「多くの年月を経た」という例も多い」と指摘されていますが、当方が魏晋朝の史書などを検索した限りでは、同時代、同様の文脈、つまり、若い女性、男性の形容でそのような用例は、ほとんど見なかったと思います。

 もちろん、「共立」された時点で、すでにいい年をしていたら、その人は若い女性ではないので、以上の推定から外れます。前回の回答でも説明したと思うのですが、推定の出発点が異なれば、別の論理の流れになるので、同じ論法が通じないと思うのですが、ご理解いただけたでしょうか。

 最後に、「現在中国語の判例と古代漢文の判例のどちらを選択するか」と設問されていますが、設問自体が見当外れだと言うことは、すでにおわかりと思いますので、回答を略します。

 因みに、今回は「年既長大」と書いて、その意味を説かれていますが、肝心の語句が誤記されている上に、魏志倭人伝に対して、独自の文脈解釈をされていて、改めて言うまでもありませんが、これは、当方の仮定の出発点を否定しているので、同意できません。
 何かを議論しているときに、相手が同意しないとわかっている私見を書いて説得できると思っているとしたら、それは失礼ながら、大きな見当違いというものです。
 と言うことで、当方の主張に対して、有効な反論がいただけないようでしたら、意見の違いが明らかになったということで、さらにコメントいただくには及びません。

以上


 確かに、現代中国語では「長大」を「成人する]
と使うことが多くなりましたが、

 古代中国漢文では、女子はあくまでも成人とみなされております。

論語では「女子行・・・」とは「成人の女性が嫁に行く・・・」
 「唯女子と小人とは養い難し」は、教養の無い成人の女性と男性は養い難し」など、皆、
 子供を意味しておりません。


 そして、貴方のおっしゃる「魏志倭人伝」の文脈からすれば、何故、卑弥呼は、人前に現れなくなったのかと言えば、「年既長大」(年老いた)からと理解するのだ妥当です。

  卑弥呼が鬼道をしたのは人前でやることで、それが、年老いてできなくなった。そして、
 弟に王位を譲ったと「魏志倭人伝」は理解すべきです。

 現代中国語と古代漢文の違いを、もう少し精査されたら良いのではないでしょうか。
 古代漢文では女子を子供としている例はほとんどありません。

 そして、「長大」と言う文句も「多くの年月を経た」という例も多いことを吟味されたら
良いと思います。
 現在中国語の判例と古代漢文の判例のどちらを選択するかは、自明と考えますが。
 

 貴重なコメントをいただき感謝しています。
 しかし、ご提言に納得できないので、反論させていただきます。
 文脈の辿り方が逆順ですが、当方が読解の端緒としたのは、(「歳長大」ではなく)「年已長大」です。
 後漢、魏、晋以降(単なる参考としては現代まで)は、「長大」が「成人になる」の意味で使われている例が、「無視できない程度に」あると思うのですが、この点について調べられたでしょうか。(ブログの別記事で用例紹介しています)
 この仮定から出発、逆算して、「女子」は、子供を脱した成人前の時代と考えたのです。数年後に「年已長大」となったのであれば、「已」で示唆されているように、それ以前は成人でなかった、ただし「女児」ではなかった(であろう)と言う推論をしたものです。
 出発点が異なり、思考の経時が逆なので、受け容れがたいでしょうが、それはお互い様であり、当方の思考を辿れば、それなりに一理あると見ていただけるのではないでしょうか。
 他の段落で成人女性を「婦人」と書いているのも、無視できないと考えたものです。
 以下は、漠然とした一般論であり、排他的な主張ではありません。
 魏晋時代の「古典」である論語、史記、漢書などの用例は貴重ですが、それが全てであり排他的であると解するのは、無条件に賛成できません。
 三国志に限らず、資料中の特定の文章の解釈は、まず、文脈を読み取り、次に、その資料全体の用例を見て、最後に、古資料を参照するのが、合理的(それなりの理屈がある)と思うのです。目的としているのは、記事筆者がその文字、単語、文に込めた意図を知ることなので、読者としては、筆者が、まずは、自身の記述対象時代に関する見識、その時代の用語をもとに書き進めていたであろうことから解釈を始めるので、そのように考えるものです。
 最後になりますが、改めて言うまでもなく、以上の見方は普遍的なものとは言えず、素人考えの一面的なものであることは承知していますが、それなりに筋の通ったものと信じていますので、「一説」として世の人に知られる価値のあるものと考え、公開して批判を仰いでいます。
以上

  古代中国漢文では「女子」は成人を意味します。論語や漢書で確認した方が良いでしょう。
 すなわち、卑弥呼が女王になった時には成人です。
 そして、成人の卑弥呼が、その後に「歳長大」となったとは「年老いた、老婆になった」という意味。

 いずれにしても、古代中国漢文で女子は日本のようにこどもを意味せず成人を意味し、
 「歳長大」を成人になったと解釈するの間違いです。

 古代中国漢文での「子」とは、子供の意味ではないことが多い。「孔子」や「老子」などの使用例からも言えるのです。調べた方が良い。

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