私の本棚 39 木佐敬久 『かくも明快な魏志倭人伝』 2 水行論 訂正
冨山房インターナショナル 2016/2/26
私の見立て★★★★☆ 2016/03/05 2019/07/21補充
*不審な韓国内陸行回避
さて、今回本書を一回通読して不審なのは、帯方郡からの行程で韓国を迂回航行する話である。(倭人傳関係書籍で、なんでも一度は批判する気質の本ブログ著者が、本書ほど、躓かなかった書籍はまれであることを、あわてて書き足すのであるが)
著者は、古田氏の韓国内陸行説を丹念に吟味した上で却下し、従来評価の低かった沖合航行説を採用しているのである。
*不審な「水行」回避
ただし、別項で紹介した中島信文氏の著作に示された内陸水行説には言及していないので却下の論拠は不明である。(コメントに従い訂正)
提示されている論考は、朝鮮半島の西部南部沿岸を通過する際、難所である多島海部を大きく迂回した無寄港と読めるが、後ほど説き起こされているような当時最強の海船で可能であったとしても、このような行程が魏朝の公式航路となったとは思えないと言うのが、当方の正直な感想である。
当時の航海術でも、日中の航行で遠く沖合を行くことにより海難を避けられただろうが、夜間航行は不可能だったと思うのであるがいかがだろうか。帆船であれば、帆を下ろして海流に任せるのだろうか。
三国志にも、少し先行した時期の記事として、遼東の公孫氏領から江南の東呉領まで航行する際に、敵領である山東半島の沖合を迂回して黄海深く航行して乗り切ろうとした事例があるが、結局、見つかってしまったようである。
著者は、曹魏明帝曹叡が、公孫氏討伐に先だって、兵員輸送を目的として、多数の海船、即ち、帆船を造船するように青州などに指示したと言うのだが、それによって、直ちに朝鮮半島西部および南部沿岸の多島海のり航行術、すなわち、各地の岩礁等の位置と干満潮勢に通暁した各地の水先案内を要し、しかも、吃水の深い大型船舶に不可能な機敏な操船が不可欠であり、そして、失敗すれば命取りの難船必須の海域全体を通じた安全な帆船航路が開通したとは、到底思えないのである。常識に反した提言には、明確な論拠を提示する必要があるように思う。
山東半島から朝鮮半島、具体的には遼東半島ないしは帯方郡岸に向けた黄海渡海は、太古以来の既知の航路であっても、朝鮮半島西部および南部沿岸の航路は、それまで忌避されていた、いわば海図のない危険な海であり、帆船の進歩により沖合を航行可能となったというのと実際に沿岸航路を往来するのとでは、天地程の大きな差があると思うのである。木佐氏に珍しく、空論に踊らされているので無ければ幸いである。(2019/07/21)
もちろん、いずれにしろ、史料に明記はされていない、憶測の多い議論なので、簡単に「明快な」結論が出ないと思うのである。
以上は、実際的な難点であるが、それ以外に、文献資料としての難点がある。
*歴韓国談義
軽い前振りから言うと、倭人傳では「韓國を歴る」(歴韓國)と言っているが、「韓國」は陸上を指し、沿岸と言えども海域は韓國ではないと思うのである。
特に、韓伝を読む限り、半島南部は韓国でなく「倭」の領域である可能性がある。もし、沿岸航行が内陸国を歴るとの解釈に固執するのであれば、半島南部の帰属が明記されていないのが不審である。倭人伝専攻という当方の守備範囲の半ば域外であるのが、どうにも割り切れないのである。(2019/07/21)
次に、三国志と共に秦漢時代から魏晋南北朝時代までの書籍用例で、海洋航行を水行とした例は希少、と言うか、例外的な用例を除いて、ほぼ無いのであり、水行と言えば、ほぼ、河川航行を指しているのである。(この点、当方の見過ごしによる速断、浅慮であり、収拾に苦労しているのである。2019/07/21)
もちろん、海洋航行であっても、経路や所要日程が明確な沿岸航路の場合は、水行と呼んだかも知れない。いや、公式史書には、明確な規定無しに、そのような用語誤用は許されないはずである。
先ほど述べた難点と重複するのだが、本書で想定されているような長距離無寄港の沖合航行は、風次第で、経路や所要日程んがはっきりしないものになる。また、倭人傳が沖合航行を書いていると解するには、途中の目標、特に、南下から東進に転換する大事な目処が立っていないのは不審である。これでは、後に航路を再訪することができない。
と言うことで、日常にあっては、文書通信の所要日数を知り、緊急事態にあっては、派遣軍の現地到着までの日数と兵站への要求を知るために必要な行程が不明確では、正史の外夷傳の道里、行程部に記載することはできないのではないか。
古田氏の説である韓國内陸行であれば、経路と道里は帯方郡が已に把握していると思われるので、倭人傳に事細かく書くに及ばないのである。
また、中島氏の提唱する河川航行による韓国内行程も、当時常用されていた交通/輸送手段であろうから、これも、帯方郡が已に把握していると思われる。
*倭人伝の地域用語定義
ただし、倭人伝は、冒頭で「循海岸水行」、つまり、海岸沿いの船舶移動を「水行」と規定している(この点、当方の見過ごしによる速断、浅慮であり、収拾に苦労しているのである。 2019/07/21)ので、以下、「水行」には、河川航行は含まれていないと見られるのも、一度考えていただきたいものである。
それはさておき。「韓國飛ばし」海路行程は、ここに書いていないので何処にも記録されていないのである。
以上の思索を歴て、当ブログ著者は、一度は中島氏が提唱する、韓國内は河川航行による水行であるとする仮説に賛成した。今般、中島氏の所説を脇に置いたため、旧記事を見て変心と批判されることがあるが、素人の浅知恵、見過ごしを革めるのも、又、一つの進歩であり、旧説への固執が過ぎると、自縄自縛で閉塞するので、多少気にしつつ変心するのである。
因みに、もし、帯方郡から狗邪韓國に至る経路を、韓國沿岸(沖合)を歴て海上航行するのであれば、当時の用語では、「浮海」と言うと考えるのである。
東夷傳でも、司馬懿は、公孫氏討伐作戦の一環として、山東半島から浮海して、ひそかに(海路)楽浪、帯方に迫ったと書かれている。そこには、倭人傳に使用例のある「渡海」とは書いても、「海行」と書いていないし、()で補った「海路」は、現代人になじみがあると言っても、はるか後世に発生した新語であり、当時は、「ない」言葉であったようである。
もちろん、以上は、一読者の勝手な推測であって、断定口調で語っていても、別に、断定しているわけではない。有力な選択肢があると言うことを明らかにしたいだけである。
この項完
*カタカナ語全廃提案
さて、本書で提示された論考の大局でもなければ細目でもない、蛇足の極みであるが、苦言めいたものを呈したい。
著者は、深い教養をお持ちだから、世俗的な勘違いとは無縁であろうが、当ブログ筆者は、本書に「インフレ」なるカタカナ語が登場することに不満である。古代に、カタカナ語がなかったための違和感もあるし、現代でも、ある言葉がインフレ状態にあると言うことがどんな事態を指すのか、一般人の教養では、専門的な比喩を理解するのが困難と懸念するのである。
「インフレ」は、一般人の日常感覚で言えば、物の値段が上がることなのだが、ここで比喩されているのは、通貨価値が途方もなく下がった結果、高額紙幣が市中に多数出回る図式だろう。
極度なインフレ昂進の世相を示すときに良く映像化されるのが、大量の紙幣をちり紙か何かのように束にして買い物しているさまである。諸賢には自明なのだろうが、凡俗がそれと気づくには時間がかかると懸念されるのだが、それは、著者の本意ではないと思うのである。
安直な情報発信が常態化した結果、「究極」表現が大安売りされて、日常会話にまで血なまぐさい復讐が徘徊する世の中であることは、折に触れて痛感するので、ご指摘の「インフレ」事態は、むしろ陳腐化していると思うが、それにしても、本書内の「インフレ」は本書の品格にふさわしくないので、今後の著作においては、是非、他に言いようがないか、ご再考いただきたい。
素人考えでは、「大安売り」と言えば良いのではないかと思うのである。いや、古代史の著書は、「カタカナ語」厳禁とすれば最善では無いかと思うのである。
以上
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コメント
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了解。
ご指摘に感謝。
投稿: ToYourDay | 2016年3月 6日 (日) 22時11分
中島信史ではなくて、中島信文ですよね。
投稿: 名無し | 2016年3月 6日 (日) 14時59分