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2016年3月11日 (金)

私の本棚 44 季刊邪馬台國128号に寄せて 0 「巻頭言」批判

 季刊 邪馬台国 128号  2016年2月
 巻頭言 「魏志倭人伝」なかりせば 河村哲夫

          私の見立て☆☆☆☆             2016/03/11

 当ブログ筆者の基本的な方針として、ここで書評めいたことを言い連ねる際に、商業出版物以外では、大局的な意見、つまり、信条というか、持論のようなところは、素人の手に余るということもあって、反駁を控えるというものであったが、どうも、今回は、巻頭言の背景にも批判を加えないといけないようである。

 今号の巻頭言は、タイトルそのものに示されているように、「季刊 邪馬台国」編集長、いや、編集委員会委員長の意見であり、素人目には、その主題は、魏志倭人伝が日本人が誤って解釈するように書かれた資料であり、これを古代史に関する議論から一切排除すべきだ(そもそも70年前に排除すべきであった)という持論・定見のようである。

 氏は、編集委員会の長であるから、この巻頭言は、委員会の意見でもあるのだろうが、取り敢えずは、署名している方の意見として批判することになる。

 当巻頭言を見る限り、その根拠は、魏志倭人伝が、
 1. 「原稿用紙5枚程度」(400文字詰め原稿用紙で5枚として2000文字と言うことか)の資料であり、
 2. 「中国人が中国人のために作った」資料であり、
 それらの理由によって、多くの国内研究者を迷わせて、邪馬台国を確定できずにいるという氏の所説を述べているものと思う。

 素人目で言うならば、字数はともかくとして、 「中国人が中国人のために作った」資料、つまり、中国正史や太平御覧などの通史・類書めいた資料を、ひっくるめて全て排除し、国内史料や国内伝承の諸資料(だけ)を総合するとしたら、そこには「邪馬台国」なる存在は無いのであり、無いものは無いのだから、「邪馬台国の姿」は得られるはずがないのである。
 かなり深刻な失言であろう。

 巻頭言には、論断・推断どころか、比喩なのか、当てこすりなのか、趣旨不明で、事実確認しようのない感情吐露めいた文が続いている。読者として、何をどう受け止めたらいいのか困るのである。支持しようにも反対しようにも、論理の拘束を解かれた感情の奔流は遮りようがないのである。

 論理的な整合性を求められる場所に書くには、それにふさわしい推敲が必要と思うのである。

 もちろん、巻頭言に書かれた個人の意見は当人の自由であり、また、雑誌の編集方針を宣言しているのは、読者にとってありがたいのだが、一読者として、筋が通っていないという点を批判することも、これまた許されると思うのである。

 別に他意はないのだが、史料の記述に対して異論があるのなら、都度、論拠を示してその旨主張すればいいのであるし、氏もそうしてきたのであろうが、そうした資料批判をはみ出して、史料の編纂者が中国人であり、その読者が中国人であると言うことだけで、中国正史全体を排除する論法は、その成否を議論するまでもなく、素人目にも、学問上の論議として是認できないのではないかと思うのである。

 当方の意見は、それだけである。

 最後に、現総理の談話が引用されていて、その主旨は、戦前、戦中の歴史と戦後世代の関わりを説いているものと思うのだが、委員長は、この引用された談話が古代史の世界にも向けられると断定している。しかし、この引用のどこにそのように書かれているのだろうか。総理談話の真意は聞いた者次第であれば、談話の意味がないのではないか。

 最後になるが、この言に従うべきだという委員長の意見に従うなら、本号発行まで続いていた各種論争の関係者は、悉く古代史論争の場から身を引き、古代史論争に登場していなかった後進世代に譲るべきだと言うことになる。

 論争紛糾に重大な責任のある「季刊邪馬台国」のリーダーとしては、まず、我が身をいさぎよく処するものではないのだろうか。(当方は私人であり、当分野の新入りなので、責任を問われる覚えはないのだが)

 巻頭言で堂々と主張されたと言うことは、どんどん批判してくれと言うことだと思うので、色々意見させていただいた。 

 とは言え、巻頭言のタイトルは、在原業平の有名な和歌を偲ばせるのであり、編集委員長が、ここに示された屈折した愛情を模しているととすると、以上の批判は、全て空振りになるのだが。
 「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」 古今集 春上

以上

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