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2016年3月25日 (金)

私の本棚 45 関裕二 新史論/4 癒やしがたい迷妄 その1


「新史論/書き替えられた古代史 4 天智と天武 日本書紀の真相」

 小学館新書 188

          私の見立て☆☆☆☆        2016/03/25

 本書には、ちゃんとタイトルがあるが、「史論」以前の致命的な迷妄があるので、「新史論」談義には入れない。

 天武/天智論を期待されている読者の方は、よく見て、先を読んでほしいのである。 

第五章 伊勢神宮と藤原不比等
 新書版の後半部であるが、239ページにはじまって、とんでもない放言が示されている。前途の悪路を想定させる、さい先悪い文字が目についたのである。
 「考古学が伊勢神宮について、興味深い指摘をしている」
 これは、無茶な台詞である。「考古学」は、人間でなく学問であるから、『指摘』しようにも、指し示す指もなければ、説きつける口もないとんでもない「ほら話」の口切りとしても、不当である。何処の誰がいつ発表したのか明示すべきである。

スプレー落書き?
 続いて書かれているのは、伊勢神宮に関する時代観が、考古学の学界の一部で、ずり上がった、と言うか、特定の学者が、受け狙いで、ずり上げて見せたと言うことでしかない。まるで、公共の場所にスプレー落書きしているようである。

 このような提唱は、言い出せばそれで済むというものではなく、信ずるに足りる仮説かどうか、複数の視点による膨大な検証が必要であろう。
 それが済んで初めて『考古学』の場で議論できるようになるのである。誰の「ほら」かわからない以上、読者は、白ける
だけではないか。

 もっとも、その後に続く、途方もなく時代感覚の外れた、地図ネタほどひどいものではない。

地図妄想再び
 当ブログの以前の記事で、毎日新聞の専門編集委員が、科学的な根拠のない、と言うか、根拠の出しようのない放言で、貴重な紙面を汚し続けていると非難したが、他人の放言を無批判で取りこむ姿勢の批判に重きを置いたので、「地図」ネタ自体の細かい詮索はしていない。

 ここでは、どうも、こうしたほら話の出所が、ちゃんと明記されているようなので、はっきり筋を通すことにしたのである。

 どうも、現代人が最新科学を駆使して描いた地図の上に線を引くと、古代の『聖点』なる、意味不明の地点間に、何やら物々しい連携が読み取れると「称している」のである。

幻想の古代
 そして、言い訳するように、
 「古代人の測量技術は、想像する以上に高度なもので、現代人が用いる光学機器を使用しない場合の水準とほとんど差はないという。

 と意図不明、意味不明の言葉が並んでいる。(小学館の新書編集では、文字、字句の校正はないのだろうか

 誰が「想像」するのか不明な点は、この際眼をつむるとして、「現代人が用いる光学機器を使用しない場合の水準」とは、何を指しているのだろうか。まことに不可解である。(小学館の新書編集では、文字、字句の校正はないのだろうか

[未完]

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