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2016年3月27日 (日)

私の本棚 48 「奴国の時代」 1 季刊邪馬台国127号 その2

 季刊 邪馬邪馬台国 127号           2015年7月
 奴国の時代 1      編集部 

          私の見立て☆☆☆☆        2016/03/27

 甕棺文化圏は、奴国を盟主とする奴国連合の存在を強く示唆している。奴国が後漢から倭を代表する国として認知されるだけの実態と求心力を備えているようにみえる。

日本人の誤解
 日本人は、使用する文字の多くが中国と共通していて、また、多くの単語がほぼ共通した意味を持っていることから、原文が読めてしまうのだが、ついつい、目前の中國語単語が、現代日本語と同じ意味を持っていると誤解してしまう失敗が、結構多いのである。

 手近な例でいうと、「年長大」を現代日本人の感覚で、「いい年をした」、つまり、「壮年ないしは初老」という意味を与える形容詞と見てしまうのだが、現代中国語では、成人になる、と言う意味ただと、気づいていない、まして、「時代語」で現代日本語と同じ解釈ができるかどうか、盛大に検証しなければならないはずである。

 余談のついでに、もっと日常感覚でいうと、「大丈夫」、普通は、漢字でなく「ダイジョウブ」と感じ取られているだろう言葉がある。

 一度、日本に住んでいる若い中国女性が、同世代・同性の友達と「私は大丈夫。」と日本語で喋っているのを脇で聞いて、不作法ながら、内心苦笑したことがある。もちろん、意味は、英語で言う”I'm all right”の意味であることは、間違いない。

 中国語で「大丈夫」は文字通り、「大きくて」・「強い」・「男性」という意味で、まず誰でも思いつくのは、「三国志(演義)」に登場する関雲長(関羽)である。この食い違いは、よく、日中入り交じった酒席の話題になるのだが、ここでは、中国人が日本語で喋っているのが、何とも皮肉だったのである。

現代語の弊害
 さて、長々とした口説を置いて、記事に戻っていうと、遺跡/遺物から提唱されている「甕棺文化圏」は、現代日本語の感覚でいうかぎり、異議を言い立てるものではないが、それでも、同一「文化圏」にいるから、一国としてまとまっていたというのは、無理な言い分である。
  かって、倭国は、女王國の専権下にあるのではなく、各国が寄り添った諸国連合であるという言い方をされているが、これは、倭人傳記事を根拠とした言い分で あり、史料に書かれていない「奴国連合」を想起しているのは、筆者の勝手な推定というべきではないだろうか。勝手な推定は、「当人の勝手」であるが、その 上に、大層な推定を積み上げて、大々的に論じ立てるのは、どんなものか。

曖昧語の弊害
 まして、そのような想起された事態を、意味不明の現代語売り句として「実態と求心力」言い立て、だから、後漢から「倭奴国」に金印を得られたと推定するのもどうかと思う。
 「実態と求心力」は、現代日本語でも、決して、明確な定義が確立されたものでなく、比喩としてみても、原義から遊離し、論者各人が勝手に使い立てている『曖昧語』と思う。
 「曖昧語」は、各人各様に解釈されるものであるから、決定的に反論されることはないが、筆者の論旨を的確に読者に伝えるには、大変不都合である。
 少なくとも、専門誌としての権威を期待されている「邪馬台国」誌の「論考」では、この手の曖昧語は「禁句」にしたいものである。(まして、「イデオロギー」など、近現代の政治思想を想起させるカタカナ語は、古代とは無縁であり、論外である。)

 因みに、当ブログ筆者の見る限り、「邪馬台国誌」の他の論考では、講演記録を除けば、軽薄な現代語が混入することは、まず見ない。例えば、こうした非論考記事は「雑感」とでも付記した上で、目次で別項にすれば、大分救われるのだが。

  本記事を肴に、揚げ足取りと長談義を展開したが、ここで、もう一度記事全体を読みなおしてみると、広汎な視点から取得した基本的なデータを押さえ、至って 堅実な論考を進めているように思えるのだが、(冒頭の不用意な切り出しと)結論部のこの一文で全てが台無しになっている感じである。
 そう、当ブログ筆者は、「重箱の隅つつき」が、目下の「本業」なのである。

以上

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