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2016年3月

2016年3月30日 (水)

今日の躓き石 危険なプレーの指摘に感嘆

                            2016/03/30
 選抜高校野球の準決勝を、脇のテレビで流しているのだが、セーフティバントした打者走者のヘッドスライディングに対して、解説者から、穏やかな口調で、言葉遣いも柔らかいが、危険なプレーの指摘があったのは、当然とは言え、感心した。指導者は、こうした指導を取り入れて、「悪しき」伝統をなくして欲しいものである。
 この大会も、無用と思われる一塁へのヘッドスライディングが多いのだが、さすがに「勇気ある」とか「闘志溢れる」とか賛美することは少なくなってきたが、それでも、ここまではっきりたしなめる発言は初めてである。
 まあ、選手当人は、審判を欺こうとしているわけではなくて、懸命にプレーしていると見て、できるだけ傷つけまいということなのだろう。

 しかし、ここで問題になったプレーは、さすがに無謀であった。
 バントがピッチャーの横を抜けてファースが飛び出して取りに行ったのだが、ピッチャーのベースカバーが、素人目にも間に合わない状況で、ダイビングしたのである。
 ピッチャーが、必至の全力疾走で駆け込んでいるから、ベースタッチだけで済まず、打者走者の手をひどく踏みつける可能性がある。これを避けようとして、ピッチャーが転倒する可能性もある。選手生命を危うくすると言ってもいいほどの危険なプレーであり、解説者は、「絶対」とは言わなかったが、野球界の先輩の気持ちとしては、指導者の責任で、こうしたプレーに対して厳重注意するべきだというものだと思う。

 放送でそこまで言わないにしても、良識の言葉として、高校球界全体にちゃんと伝えるべきものと思うのである。

 当ブログ筆者の持論としては、少なくとも、高校野球およびU18国際ルールで、一塁へのスライディングは、脚から入るのも含めて、危険なプレーとして排除すべきだと信ずるものである。

 少なくとも、野球は、メンタル面、フィジカル面を問わず、闘争要素を排除すべきである。

以上

今日の躓き石 歴史を変えないで!!!!

                                 2016/03/30
 今回は、どこの誰がどうしたと言うものではないが、最近スポーツ界で、NHKや毎日新聞のような良識ある報道機関まで巻き込まれた、感心しない言葉遣いの蔓延に抗議するものである。

 「歴史」は、多くの人々が、喜び、悲しみを重ねて積み重ねてきた、かけがえのない財産である。どうか、「歴史を変える」とか「歴史を書き換える」などと、これまで生きてきた人の想いを踏みにじるような言葉遣いは止めて欲しい。

 「記録を塗り替える」とか「歴史に新たなページを刻む」のように、歴史を継承しつつ、未来に続けるような、前向きな言葉を使って欲しいものである。
 スポーツ人も、まずは、人であれ、と思うからである。

 高校生が口走っているのを聞くと、先輩や指導者がそうした言葉で、闘志を煽り立てているのだろうが、聞いている方は、高校生がかわいそうになるだけである。
 言葉の意味がよくわからないうちに、こうした言葉遣いを植え付けられて、これからの人生に掲げ続けるのだろうが、いずれ、自分たちの言っている言葉の意味がわかったら、残念に思うだろう。

 どうか、無茶な言葉遣いで、スポーツマン精神に悪しき歴史を刻むのは、いい加減に終わりにして欲しいものである。

以上

2016年3月28日 (月)

今日の躓き石 週刊将棋休刊前の痛恨!!「リベンジ」

                              2016/03/28
 宅配講読している週刊将棋の最新号(休刊前の最終号)の連載の王座戦回顧記事での「編集部」氏の書きぶりは、まるで羽生善治氏が渡辺朗氏に個人的な恨みを持っていて「リベンジ」なる問題用語を盛大に言い立てているようで気の毒だし、主催紙である「日経新聞」に対しても非礼そのものであろう。

 この記事全体として、ちゃんと普通の言葉で書けているのに、殊更に将棋に場違いな、そして、時代錯誤、不穏当、反社会的なカタカナ語の「リベンジ」を言い立てるのは、どうしたことだろう。

 いや、残念ながら、ここでこう指摘しても「編集部」氏の耳には入るまいし、所詮、週将紙面にでてしまった言葉は消え去.ることは無いし、休刊してしまえば「編集部」氏の執筆姿勢の改善に繋がらないが、休刊後に別の道を辿られる「編集部」氏が、間違いに気づいて姿勢を正していただければ、何かのはなむけになるものと思うのである。

 いや、天下の毎日新聞、国の叡知の護り人でも、スポーツ面では、しょっちゅう取りこぼしているから、見方によれば、週将の紙面校閲部は、全国紙なみの高水準とも言えるのだが、人は人、自分は自分ではないかと思うのである。

 蛇足であるが、ここに書かれている「リベンジ」は、カタカナ語の例に漏れず不安定な言葉であり、ここでいう意味は、或る意味時代後れであり、今では、一度敗北した後の「再挑戦」が「リベンジ」なのである。ここで人名を出すのは個人攻撃と見られかねないが、当方の見聞した限りでは、この「新しい」用法を、テレビ放送で初めて言ったのは、松坂氏のようである。


 撲滅したい言葉の意味を解説をしてもしょうがないが、それはそれである。

以上

「古田史学」追想 遮りがたい水脈 6 「陳寿の不運」 ~国志異聞

                            2016/03/28
 古田武彦氏の所説で、比較的初期から共感していたものに、三國志編纂者である「陳壽」に対する「真っ直ぐな」評価がある。
 そのために、古田氏の提唱した「邪馬壹国」論に反対する人たちから、陳壽バッシングとも言いたいような難癖が押し寄せて、陳壽にしてみたら、不満な事態かも知れない。
 膨大な三國志全体の評価より、その一部である「魏志倭人伝」に対する不満が、少なくとも日本で喋々されているのは、史家として不本意だ思うのである。

 と言っても、古田氏の「陳寿理解」は、必ずしも万全で無いことは言うまでもない。
 たとえば、次の部分に、安易な定説追従が見られるのである。

 ミネルヴァ日本評伝 通巻第百巻

 「俾彌呼」 第一部 倭人伝に書かれた古代
   第七章 三国志序文の発見

 ここで、191ページに「魏朝の『正史』」と書き、二行おいて、「魏・西晋朝の正史、『三国志』」と、何気なく書いているが、これは、首尾一貫していないという以前に、大きなところで「筋が通らない」のである。
 魏朝の「正史」であれば、それは、「漢書」に続く「魏書」と呼ぶべきであって、「三国志」と呼ぶべきでないのが明らかである。
 三国志を見る限り、漢を継承したと認められているのは、「魏」であり、他の二国は、あくまで、「帝位」を僭称した偽物達である。
 つまり、魏・西晋朝には、三国鼎立史観は無かったはずである。

 と言うものの、現実に、「正史」として継承されてきたのは、「三国志」である。

 最近発見したのが、中国で発表された下記論文である。(論文と呼ぶにふさわしい堂々たる体裁を備えている)末尾に2013年第3期の「文史」(中華書局発行 史学誌)に掲載と表記されている。

 陈寿 《 三国志 》 本名 《 国志 》 说

 www.zggds.pku.edu.cn/004/001/223.pdf

 当ブログ筆者の中国語読解力は、中国で言えば小学生以下(以下は、小学生を含むと思いたい)であって、読みの正確さのほどは大変妖しいのだが、さすがに、タイトルについてはよく理解できるし、史書の影印版を多く引用した体裁から、次のような論旨は、読み取れるように思うのである。

魏朝「正史」は、本来「國志」と題されていた。陳寿は、妥当と思われる理由があって、そのように題した。

*「国志」は、先行「正史」の「史記」、「漢書」と同様に二文字である点が見られる。

*少なくとも、唐代までの各種資料に「国志」とだけ書かれている例が見られる。

*時代的に唐時代に先行していても、(後世)写本を見ると「三国志」と書かれていることがあるが、「国志」の前(上)に「三」を書き足した形跡が見てとれる(ようである)。

唐代以降、とくに、「笵曄後漢書」が、史記、漢書に続く正史として認知され揃って三史と列挙されるようになり、また、蜀漢正統論が出回ってからは、魏朝正史で無く三国時代正史として位置づけられることが当たり前になり、「三国志」と題されることか多くなって今日に至ったものと思われる。

 あやふやな紹介では間に合わないので、中国語からの翻訳がどこかに発表されることを期待して紹介する。

 当ブログ筆者としては、かねてから、古田氏を初めとする定説信奉者の説明に納得していなかったのだが、今回、かなり強引としても、ある程度説得力の感じられる「一説」を聞くことができ燻っていた不満が解消した感じである。

 もちろん、提唱されたのは、あくまで(根拠薄弱な)仮説であり、傾聴の価値はあるものの、これで何かが確認されたというわけではないと思うのである。

以上

2016年3月27日 (日)

私の本棚 48 「奴国の時代」 1 季刊邪馬台国127号 その2

 季刊 邪馬邪馬台国 127号           2015年7月
 奴国の時代 1      編集部 

          私の見立て☆☆☆☆        2016/03/27

 甕棺文化圏は、奴国を盟主とする奴国連合の存在を強く示唆している。奴国が後漢から倭を代表する国として認知されるだけの実態と求心力を備えているようにみえる。

日本人の誤解
 日本人は、使用する文字の多くが中国と共通していて、また、多くの単語がほぼ共通した意味を持っていることから、原文が読めてしまうのだが、ついつい、目前の中國語単語が、現代日本語と同じ意味を持っていると誤解してしまう失敗が、結構多いのである。

 手近な例でいうと、「年長大」を現代日本人の感覚で、「いい年をした」、つまり、「壮年ないしは初老」という意味を与える形容詞と見てしまうのだが、現代中国語では、成人になる、と言う意味ただと、気づいていない、まして、「時代語」で現代日本語と同じ解釈ができるかどうか、盛大に検証しなければならないはずである。

 余談のついでに、もっと日常感覚でいうと、「大丈夫」、普通は、漢字でなく「ダイジョウブ」と感じ取られているだろう言葉がある。

 一度、日本に住んでいる若い中国女性が、同世代・同性の友達と「私は大丈夫。」と日本語で喋っているのを脇で聞いて、不作法ながら、内心苦笑したことがある。もちろん、意味は、英語で言う”I'm all right”の意味であることは、間違いない。

 中国語で「大丈夫」は文字通り、「大きくて」・「強い」・「男性」という意味で、まず誰でも思いつくのは、「三国志(演義)」に登場する関雲長(関羽)である。この食い違いは、よく、日中入り交じった酒席の話題になるのだが、ここでは、中国人が日本語で喋っているのが、何とも皮肉だったのである。

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私の本棚 47 「奴国の時代」 1 季刊邪馬台国127号 その1

 

季刊 邪馬邪馬台国 127号   2015年7月

          私の見立て☆☆☆☆        2016/03/27

 本号は、「奴国」特集の開闢ということで、力の入った記事が見られる。
 しかし、「邪馬台国」を標榜する雑誌であるから、奴国記事は古典的な突っ込みの対象となるのである。

奴国の時代 1      編集部

 33ページから始まる長文の論説の労作である。
 何より大事な話の切り出しとして、無造作に、「紀元前五世紀に中国が戦国時代に突入した」というが、この用語は、後世の歴史家が便宜的に名付けただけであって、別に、その時に、全中国で一斉に画期的な事象があったわけではないのは、言うまでもないと思う。

 こと、「倭国」に関係する遼東/山東方面について視点を絞っても、北の燕国と南の斉国の抗争は、燻り続けていたものと思う。

 余り、後世から見た結果論や大局から見た概括論に陥るのは、肝心の事態を見失うものと思うのである。

 本論説全体が、ダメ出しされていない、上滑りなものになっているのではないかと、懸念させる書き出しである。

 と言うような感じで、以下、当ブログ筆者は、一人舞台で自慢そうに批判、断定しているが、間違っていたら、ご指摘いただきたいものである。

 さて、当記事の批判対象は、51ページ最終行からページ跨ぎで提示されている主張であるが、全体の結論として重大な主張と思われるので、今回は、ここに話題を絞るのである。見るように、引用符無しの主張である。

 甕棺文化圏は、奴国を盟主とする奴国連合の存在を強く示唆している。奴国が後漢から倭を代表する国として認知されるだけの実態と求心力を備えているようにみえる。

 まあ、全体として、主語不明で意味不明の単語を意味不明につなぎ合わせた悪文てあるが、そう言われて気づくようなら、こんな文章は書かないだろうから、ここでは詳しくは言わない。論理の読み取れない文は、ない方がましだと言っておく。

「文化」の誤解
 多分、専門紙の記事であるから、以下に挙げるような批判は承知の上なのだろうが、読者の中には、ご存じない方もあるかも知れないので、素人の不出来な文章運びは覚悟の上で、愚直に指摘することにした。

 以下、全体として、特に根拠を明示せずに、そのくせ断定口調で述べるが、何分、学問的に資料収集しているわけではないので、明確な根拠が見つからないというのが主因であって、当ブログ筆者が勝手に思いついて言い立てているだけではない(と信ずるに足るだけの範囲で、諸賢の教授を受けいれたものである)ことは申し上げておく。
 読者が、このような話しぶりに同感されるか、排除されるかは、一度吟味いただいてからとしてほしいものである。

「文化」の意味
 「文化」という言葉は、(おそらく)明治初葉の日本で、(和漢旧蹟に通じた有識者によって)、英語て言う"Culture"の訳語として採用されたものが、今日まで正当な日本語として継承されているたものように思う。

 もちろん、上にも書いたように、日本人の語彙だけで勝手に造語したものではなく、書經に代表される中国古典に現れる漢語の中から、大きく意味の異ならない、最適と思われる言葉を選んだのであるが、それでも、日本製漢語「文化」は、中國語の「文化」(元々の意味)と同じ意味というわけではないと思われる。

 古代中国でいう「文化」は、この2文字の言葉の本質的な意味「だけ」で捉えなければ、大きな勘違いをしてしまう危険がある。

 つまり、 (と思う)「文化」の「文」とは、文字で表現された概念であり、「化」とはその概念に従う、従わせると言うことである
 「文字で表現された概念」というのは、書経などの、言うならば聖典であり、そこで使用されている(現代でいう)中国語という言語、その中国語を書き記すのに使われている漢字が、「文」なのである。

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2016年3月25日 (金)

私の本棚 46 関裕二 新史論/4 癒やしがたい迷妄 その2

「新史論/書き替えられた古代史 4 天智と天武 日本書紀の真相」
 小学館新書 188

          私の見立て☆☆☆☆        2016/03/25
[承前]

古代の「測量技術」
 まず、古代には『測量技術』は存在しなかったことがはっきりしているから、この説明は、まるっきりデタラメである。

 「測量」するためには、背景となるメートル法(ないしは同等)の単位系(長さ、質量、時間の三要素が必須)が必要であり、基礎として、三角関数、対数の数表を利用した計算と十進多桁演算のできる近代的な数学概念が必要である。古代に、そんなものはなかったのである。光学機器とは、デジカメ、拡大鏡、ファイバースコープなどを言うのかなと思うのだが、こうした光学機器では測量はできない。

 主旨として、距離や方角を求めるのに、古代人の「やまかん」は、現代人が「やまかん」と大差ないというのであれば、それは、むしろ古代人の「やまかん」の方が正しいかも知れないが、それがどうしたというのだろう。素人には突っ込みようのない、茫漠たるボケである。

破天荒な高精度
 そこで、更に不可解なのは、測量誤差は、角度で0.2-0.3度以内、距離は0.5%以内だという。
 著者の手元には、古代人の測定データが残っているのだろうか。当時、すでに十進、小数点記法があり、360度全周角で0.1度単位の測定と記録ができたというのだろうか。

 特に、角度は、地点間移動したときに、どうやって、何を基準に補正したのだろうか。70㌔㍍、100キロ先の測定対象など、山地で遮られず見通せたとしても、目視確認できないではないか。

 ここにあげられた測定精度が、いかに途方もない話かは、今一度、高校レベルの理数系教育を受け直していただければ、自ずとわかるのである。つまり、本書の著者は、中学生とは言わないが、高校生なら、でたらめとわかる話を書き立てているのである。

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私の本棚 45 関裕二 新史論/4 癒やしがたい迷妄 その1


「新史論/書き替えられた古代史 4 天智と天武 日本書紀の真相」

 小学館新書 188

          私の見立て☆☆☆☆        2016/03/25

 本書には、ちゃんとタイトルがあるが、「史論」以前の致命的な迷妄があるので、「新史論」談義には入れない。

 天武/天智論を期待されている読者の方は、よく見て、先を読んでほしいのである。 

第五章 伊勢神宮と藤原不比等
 新書版の後半部であるが、239ページにはじまって、とんでもない放言が示されている。前途の悪路を想定させる、さい先悪い文字が目についたのである。
 「考古学が伊勢神宮について、興味深い指摘をしている」
 これは、無茶な台詞である。「考古学」は、人間でなく学問であるから、『指摘』しようにも、指し示す指もなければ、説きつける口もないとんでもない「ほら話」の口切りとしても、不当である。何処の誰がいつ発表したのか明示すべきである。

スプレー落書き?
 続いて書かれているのは、伊勢神宮に関する時代観が、考古学の学界の一部で、ずり上がった、と言うか、特定の学者が、受け狙いで、ずり上げて見せたと言うことでしかない。まるで、公共の場所にスプレー落書きしているようである。

 このような提唱は、言い出せばそれで済むというものではなく、信ずるに足りる仮説かどうか、複数の視点による膨大な検証が必要であろう。
 それが済んで初めて『考古学』の場で議論できるようになるのである。誰の「ほら」かわからない以上、読者は、白ける
だけではないか。

 もっとも、その後に続く、途方もなく時代感覚の外れた、地図ネタほどひどいものではない。

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2016年3月24日 (木)

今日の躓き石 報道が讃える高校野球の悪習

                          2016/03/24
 毎日新聞大阪13版スポーツ欄の選抜高校野球報道で、一段と見たくない言葉を見てしまった。

 勝利した出場校の投手が、13年前の対戦で負けた相手校に「正当な復讐」を果たしたと「抑えでリベンジ」との小見出しで、美談扱いして報道しているのである。

 13年前となれば、当時の選手は当然卒業しているのだが、先輩として当時の深い恨みを現役選手にたたき込んでいて、血なまぐさい言葉が連綿と語り継がれているからこそ、出場選手達は、復讐の牙を研いでいたらしい。
 高校野球のチーム伝統が、怨念の継承で維持されているとは、困ったものである。

 となると、今度は、負けたチームに更なる報復の伝統が引き継がれると言うことなのだろうか。

 しかも、天下の毎日新聞が、そうした忌まわしい伝統を「赤穂事件」同様の美談として報道しているのは、何とも嘆かわしい。

 全国紙としては、高校教育の一環であることを忘れず、選手談話で不法な言葉が語られたとしても、当人のためにも、チームのためにも、あえて報道せずに、穏当な言葉に言い換えて、スポーツにに対する勘違いを正す義務はあると思うのだが、どうだろう。

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毎日新聞 歴史の鍵穴 新展開 イネ・コメの比較言語学

          私の見立て★☆☆☆☆        2016/03/23

 ここまで、毎月当方を悩ませいていた、毎日新聞夕刊「文化」面(2016/03/23)の「歴史の鍵穴」(佐々木泰造 専門編集委員筆)が、当月新展開を見せて、ほっとしたところである。
 なにしろ、ここ数ヶ月の唐連載記事の迷走ぶりは、どう言って指摘すればいいのか(批判に耳を貸してもらえるのか)、大変悩まされたのだが、取り敢えず、緊迫した状態は去ったようである。

「イネ・コメの比較言語学」の開花
 とは言え、佐々木氏の執筆方針は余り変わらないようで、今回は、イネ・コメの比較言語学と題して、とある言語学者の所論を、提言者の提示に沿って紹介しているもののようであった。
 前回までは、歴史背景を無視したとんでもない古代「超科学」と日本書紀への無批判な傾倒で書かれていて、とても、自説として消化した紹介とは見えなかったのだが、今回は、多少客観的な紹介に装われているようである。

 そのため、今回は、淡々と指摘するに留めるに留めたかったのだが、やはり、現代視点の無造作な適用が提示されているので、早計と批判されるのは覚悟で、一言ご意見申し上げたい。

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2016年3月19日 (土)

今日の躓き石 「フォーシーム」に脱帽

                               2016/03/19
 今回の題材は、小学館発行のコミック誌 ビッグコミック No. 1364に掲載された連載「フォーシーム」(サダヤス 圭)第73話である。

 この話は、MLBで「快進撃」している日本人痛快クローザーの話であるが、今回、突如、所属球団がMLB屈指のクローザーをトレードで取得したので、またもや波乱が起こったのである。

 いや、毎回、何か波乱が生じないと、連載が続かないのであるが、ここでストーリーの展開についてとやかく言うものではない。話せば長いし、どうせ、簡単に要約できない、念入りに込み入ったお話である。

 (架空の)ライバル球団の面々が、このトレードで、「あれへん」30連続セーブを続けている主人公のクローザーとしての地位がどうなるか論議しているところで、「でも、ターミネーターを獲ったとなると」主人公は「セットアップ?」と、内輪の台詞が書かれているのである。
 ここは、アメリカ人の台詞の翻訳であるから、作者は、しっかり取材した上で、こういう時、業界人は「Setup」と言うのだと確かめて、カタカナ入り日本語にして書いているのである。

 野球用語のカタカナ語はかくあるべきである。スタンディングオーベーションで絶賛するところである。

 しかし、多分誰も、この作者のプロ魂に気づかないだろうな、と思ったので、殊更書き立てているのである。

 言うまでもないが、「Setup」は、セットアップする奴という意味の名詞である。会話でも、口調が動詞と違うので意味が通じるのである。 

以上

2016年3月15日 (火)

今日の躓き石 週刊将棋の落日記事か?

                            2016/03/15
 今回の批判の対象は、宅配で購読している「週刊将棋」紙2016/3/16号の「マイナビ女子オープン」挑戦者決定戦記事(観戦記)である。

 いや、当の記事は、冒頭から違和感がある書き出しであった。
 タブロイド判2面のぶち抜き記事で字数は多いのだが、20行余りにわたって、字数稼ぎというか、主催者に対する嫌味なのか、対局者の席次が乱れていたために、下座の先輩棋士の陣の歩を使って振りごまをしたことについて、だらだらと書き連ねている。
 その後、すぐさま指手解説に入るのかと思ったら、主として一方の棋士の身上調査をしているだけである。
 女流の対局は、指手の解説は要らないから、埋め草をたっぷり振りまくものなのだろうか。

 いや、そのあたりは、違和感だけなのだが、局後の敗者の感想として、以前、別棋戦でタイトル保持者に負けていて、「リベンジ」したいという気持ちをモチベーションにして頑張ってきたので(敗退して)残念です、ということにしてしまっている。

 ちなみに、勝者の談話はここには書かれていない。取材し忘れたのだろうか。

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2016年3月11日 (金)

私の本棚 44 季刊邪馬台國128号に寄せて 0 「巻頭言」批判

 季刊 邪馬台国 128号  2016年2月
 巻頭言 「魏志倭人伝」なかりせば 河村哲夫

          私の見立て☆☆☆☆             2016/03/11

 当ブログ筆者の基本的な方針として、ここで書評めいたことを言い連ねる際に、商業出版物以外では、大局的な意見、つまり、信条というか、持論のようなところは、素人の手に余るということもあって、反駁を控えるというものであったが、どうも、今回は、巻頭言の背景にも批判を加えないといけないようである。

 今号の巻頭言は、タイトルそのものに示されているように、「季刊 邪馬台国」編集長、いや、編集委員会委員長の意見であり、素人目には、その主題は、魏志倭人伝が日本人が誤って解釈するように書かれた資料であり、これを古代史に関する議論から一切排除すべきだ(そもそも70年前に排除すべきであった)という持論・定見のようである。

 氏は、編集委員会の長であるから、この巻頭言は、委員会の意見でもあるのだろうが、取り敢えずは、署名している方の意見として批判することになる。

 当巻頭言を見る限り、その根拠は、魏志倭人伝が、
 1. 「原稿用紙5枚程度」(400文字詰め原稿用紙で5枚として2000文字と言うことか)の資料であり、
 2. 「中国人が中国人のために作った」資料であり、
 それらの理由によって、多くの国内研究者を迷わせて、邪馬台国を確定できずにいるという氏の所説を述べているものと思う。

 素人目で言うならば、字数はともかくとして、 「中国人が中国人のために作った」資料、つまり、中国正史や太平御覧などの通史・類書めいた資料を、ひっくるめて全て排除し、国内史料や国内伝承の諸資料(だけ)を総合するとしたら、そこには「邪馬台国」なる存在は無いのであり、無いものは無いのだから、「邪馬台国の姿」は得られるはずがないのである。
 かなり深刻な失言であろう。

 巻頭言には、論断・推断どころか、比喩なのか、当てこすりなのか、趣旨不明で、事実確認しようのない感情吐露めいた文が続いている。読者として、何をどう受け止めたらいいのか困るのである。支持しようにも反対しようにも、論理の拘束を解かれた感情の奔流は遮りようがないのである。

 論理的な整合性を求められる場所に書くには、それにふさわしい推敲が必要と思うのである。

 もちろん、巻頭言に書かれた個人の意見は当人の自由であり、また、雑誌の編集方針を宣言しているのは、読者にとってありがたいのだが、一読者として、筋が通っていないという点を批判することも、これまた許されると思うのである。

 別に他意はないのだが、史料の記述に対して異論があるのなら、都度、論拠を示してその旨主張すればいいのであるし、氏もそうしてきたのであろうが、そうした資料批判をはみ出して、史料の編纂者が中国人であり、その読者が中国人であると言うことだけで、中国正史全体を排除する論法は、その成否を議論するまでもなく、素人目にも、学問上の論議として是認できないのではないかと思うのである。

 当方の意見は、それだけである。

 最後に、現総理の談話が引用されていて、その主旨は、戦前、戦中の歴史と戦後世代の関わりを説いているものと思うのだが、委員長は、この引用された談話が古代史の世界にも向けられると断定している。しかし、この引用のどこにそのように書かれているのだろうか。総理談話の真意は聞いた者次第であれば、談話の意味がないのではないか。

 最後になるが、この言に従うべきだという委員長の意見に従うなら、本号発行まで続いていた各種論争の関係者は、悉く古代史論争の場から身を引き、古代史論争に登場していなかった後進世代に譲るべきだと言うことになる。

 論争紛糾に重大な責任のある「季刊邪馬台国」のリーダーとしては、まず、我が身をいさぎよく処するものではないのだろうか。(当方は私人であり、当分野の新入りなので、責任を問われる覚えはないのだが)

 巻頭言で堂々と主張されたと言うことは、どんどん批判してくれと言うことだと思うので、色々意見させていただいた。 

 とは言え、巻頭言のタイトルは、在原業平の有名な和歌を偲ばせるのであり、編集委員長が、ここに示された屈折した愛情を模しているととすると、以上の批判は、全て空振りになるのだが。
 「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」 古今集 春上

以上

2016年3月 9日 (水)

私の本棚 43 木佐敬久 『かくも明快な魏志倭人伝』 3 東治論

  冨山房インターナショナル 2016/2/26
   私の見立て★★★★☆            2016/03/09  2019/07/21 補筆、整形のみ

 ここでは、木佐氏著作を肴に、東治論、つまり、340ページから展開されている会稽東治に関する議論を、我流で捏ねている。

 木佐氏は、かなり力を入れて、古田氏所説との差異を強調しようとしているが、こと本件では、別に、論旨がかぶっても、食い違っても、どうと言うことはないと思うのである。目的は「東治」が妥当との主張である。

 それにしても、この部分の木佐氏の書きぶりは、特に不出来だと思う。さりげなく、 「夏の本拠であった長安」と書いているが、夏の本拠は、黄河下流域の河南省洛陽市付近と見られているようである。何かの勘違いであろうか。

 その後、性急に「別に会稽で治績を行ったわけではない」と断じているが、所詮伝説の世界であり、詳細な記録が残っているわけではないので、断言しても仕方ないことである。
 また、古田氏が禹の東治を「創作」したとしているが、別にその創作が間違いとか言うことではない。繰り返して言うように、ことは伝説の世界である。真相は全くわからないので、言うならば、史書は全て創作されているのである。

 いや、ついつい、禹の伝説を掘り下げる動きに巻き込まれてしまったが、肝心なのは、「東治」という、例のない言葉が三國志の原文かどうかという議論ではないのだろうか。

*会稽東治乃山
 ここで、小論の趣旨は、「会稽東治」はあったというものである。
 禹が、異郷で夷蕃の諸侯を集めた一種の「会盟」で覇者として振る舞ったという伝説は、あくまで伝説としての意義を認めるしかないのである。

 この会盟は、覇者の威光は名目としても、実際は、江水(黄河)圏と長江(揚子江)圏の同盟が締結されたとみるが、こうした事績で大事なのは名目/面目であり、してみると、禹の治世の最後を飾る偉大な業績なのである。

 小論は、禹が諸侯を集めて会盟したことこそが東治てある、とみるものであるが、別に、排他的な議論でないので、こういう見方もあると思っていただければ幸いである。

 さて、禹の不朽の偉業を記念し永遠に記録するのが、会稽という地名なのだが、低湿地であったと思われる周辺地域に小高く盛り上がった、目立たない小山であるが、「会稽」は、本来この山のことだったと思うのである。

 そして、禹が東治した山なので、「東治乃山」と呼ばれたと思うのである。

 全くの思いつきの余談であるが、会稽山は、日本で言えば、「禹」神社のご神体となるものである。全くの憶測もいいところだが、禹は会稽山に葬られたのではないかと、ふと思うほどである。

*史料渉猟
 余談はさておき、「東治乃山」は正史に登場しないので、小論の創作と思われそうだが、これは、後漢時代に、(前漢)漢王朝の典礼などを書き留めた「漢官儀」の記事を引用した「水経注」および「太平御覧」の記事として残っている。漢官儀自体は散佚したようであるが、両書を初めとした引用から復元されたようである。
 太平御覧 州郡部三 6 敘郡:
 應劭《漢官儀》曰:
 秦用李斯議,分天下為三十六郡。凡郡:(中略)
 或以號令,禹合諸侯大計東冶之山會稽是也。(
以下略)

 これは「東冶之山」ではないかと突っ込みが入りそうだが、実際は、諸史料、諸写本を眺めると「東冶之山」、「東治乃山」の二種の表記が残っている。この二者択一は排他的であり、文脈で判断するしかない。

*文脈判断
 後漢建安年間に大成されたと思われる漢官儀の上記記事は、秦始皇帝時代の宰相李斯事績として語られているが、「東冶」縣は、遙か後世の漢武帝時代に滅亡した閩越国の跡地に、後漢初頭に設けられたのであるから、漢官儀の会稽郡由来に「東冶」が書き残されるはずはなく、「東治乃山」と考えてほぼ間違いないのである。
 以上のように、「東治山」と呼ばれるべき理由は見出せても、「東冶之山」と呼ばれるべき理由は、全く見出せないので、これは、「東治山」が元々の文字と判断するのである。

 ということで、「会稽東治」は、会稽東治山の呼び名であったと言える。

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私の本棚 42 井上悦文 「草書体で解く邪馬台国の謎」 季刊「邪馬台国」 第125号 続編

          私の見立て☆☆☆☆        2016/03/09

 個人的書評 20 井上悦文 「草書体で解く邪馬台国の謎」 季刊「邪馬台国」 第125号
の続編である。

 前回の記事では、当方の書評には珍しく、主部分の論考に批判を加えたのであるが、それ以降、論説の一部を当方の書評などに利用させて頂いたので、恩返しに、揚げ足取りさせて頂く。
 氏の今後の論説展開の際に、同じ陥穽に落ちないよう、ご注意頂ければ、憎まれ口の甲斐があるというもので、幸いである。

 前回の指摘にもいくつか書き込んでいるが、仮想「大方」に鉄槌を加える切り出しは、かび臭のする使い古しの常套手段であり、「観衆」の白けを誘って、大量退席を誘うものである。損ですよ、と申し上げておく。
 導入部では、さりげなく誘い込んで、時折、軽く観衆の注意を引き込むのが、賢い講演のこつである。

 以下、全体に言い切り調が続くのだが、聞く人が聞けば、あちこちに根拠薄弱な思い込みが混じっていて、そうした部分が論理の連鎖を断ち切っていて、全体が信用できない、従って、結論も信用できないという判断に至るのである。
 大事なのは、観衆が信用するかどうかであり、その観念に真っ向から逆らうのは、どんなものかと思うのである。

 古代史分野だけの現象かもわからないが、近来の耳より情報で、論説は結論が全てであり、結論がつまらないものであれば、論証の過程は全て無意味だとの発言があって絶句した経験がある。

 一般的な学問の世界では、論説の立証過程には一歩一歩の検証が求められるのであり、いくら結論が面白くても、論証の各過程が追試で確認できなければ、捏造、詐称の非難を浴びるのである。

 してみると、古代史分野でも、同程度の試練に耐えるような論証が求められるべきであり、いくら長々となっても、面倒くさくて、伊予訛りで言う「あつかましい」ものとなっても、克服することを求められるのである。

 本稿では、論証の部分が駆け足というか、結論への飛躍というか、書き飛ばされていて、それだけで、悪しき心証を持たせることになっている。(観衆の教養で見れば)自明であるとして省略した方がいいのである。

 と言うことで、いよいよ実例に入るのだが、(3)三国志の文字数と成立期間で、力一杯書かれているので、当方も、力一杯取り組ましていただく。

 「成立期間」と耳慣れない言葉が飛び出すのだが、どうも、言い換えた「撰述」に要した期間を言うのだろうが、論拠は、非正史史料に頼っているようである。
 「非正史史料」というのは、執筆に際して、適切な検証が図られているかどうかわからず、また、それぞれの書物の写本継承の際の誤記、誤写の可能性が、正史級の資料に比べて著しく低いと想定されるからである。

 司法裁判に例えるならば、被告人を断罪するための証拠・証人は、厳密に審査されなければならないのである。まして、陳壽の撰述開始時期は、別に、公的に宣言したものではないのであり、当時としても、推定しているものである。

 また、撰述期間中の仕事ぶりもわからないので、どう判断して良いのかわからないのである。まさか、不眠不休、公務放棄の専任体制とも思えないので、単なる目安でしかないのである。

 当論説で貴重なのは、続く撰述の過程で、実質的な読み書きと共に、内容確認の段階が書かれていることであり、てっきり、古代史学の分野では、文書校正の概念が破棄されているのではないかと危惧していたのに対して、光明を見る思いである。(素直に、絶賛しているのである)

 ただ、よくわからないのが、これらの工程を陳壽一人でこなしていたかのように見えることである。

 然るべき地位にある士人には、日常の雑事をまかなう家人がいるはずであり、文筆の業に必要な様々な雑事を担当する雇人もいるはずであり、文筆の業の補佐役もいたはずである。
 その住居も、日本の江戸時代を描く「時代劇」で言えば、長屋住まいでなく、広壮なお屋敷住まいだったはずである。
 陳壽が史書編纂活動に従事している間、生活費以外の十分な資金が供給されていたはずであり、時には、友人、知人のとの会話談笑もあったはずである。

 陳壽の撰述活動に対して有形無形の支援を与えているものがいれば、と言うか、いなければ陳壽の撰述は途絶していたろうから、支援者はあったのであり、陳寿は、時に応じて、撰述の進行状況を報告していたはずである。

 以上は、当然・自明の事項なので、資料に明記されていないかも知れないが、現代人には当然・自明ではないので、どこかに書き連ねるのが、賢者の義務ではないかと思う。

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2016年3月 8日 (火)

今日の躓き石 将棋で駒数の意義?

                      2016/03/08
 今回は、「週刊将棋」紙2016/3/9号の一面記事の話である。同紙は、至って無欲で、ネット上で販促用紙面を公開していないので。

 「週刊将棋」紙2016/3/9号紙面を確認できる購読者以外には、何のことかわからない記事である

 ことをあらかじめお断りしておく。

 素人とはいえ、この道60年の古手ファン、創刊号以来、多分三回程度取りこぼしただけの読者なので、多少は、聞き甲斐のある意見を出せるかも知れないと思うのである。

 タブロイド判紙面の一面記事の割には、やたらと字数が多いのは、「週刊将棋」の宿命だと思うのだが、文字数が多いと報道としての価値が高いのではなく、質を問われると思うのである。三月末での休刊が迫っているが、各担当者の(棋界)新聞記者としてのキャリアは、まだまだ続くと思われるので、苦言を呈するのである。

 さて、当記事冒頭の9行は、本局の背景だが、そもそも、当紙を買うほどの読者には、とうにわかりきっている事情なので、一々書き立てるのは、紙面の無駄というものである。リーグ勝敗表、タイトル戦の予定、などは、内部に引っ込めても良かったのではないか。本紙の顔は、明解、すっきりした方が良いように思うのである。

 次に、序盤戦形の解説だが、敬称略で書かせていただくと、念のため「行方先手」と押さえておくのが、急いでいるかも知れない読者に親切というものである。すると、横歩取り戦型になった意味がよくわかる。

 続いて、「横歩を取らせた局面の」勝率と書き立てているのは、興を削ぐばかりで、不可解である。
 序盤の序盤局面で、以下の展開は多様なのに、この段階で「局面勝率」を言い立てるのは、専門誌の主力記者とも思えない。まるで、先手が、わざわざ負けに決まっている無謀な作戦を選んだ、と批判しているように受け止められるのである。後手が、過去の経験から、横歩を取らせたら、それだけで勝ったも同然と思っていたはずも無いのである。

 一紙面に2局面しか掲示できない、参考図のその1の評で、後手の応手を「当然」、「絶好」と断定表現で描いている。当然、これは、両対局者の評言なのだろうが、当読者は、おそらく、「つらい」とするぼやきと共に行方の自己批判だと思うのである。それとも、記者は、遙か高みからも裁きの目で見ているのだろうか。

 さて、次の段落、第2図の形勢評価が、何ともけったいなのである。

 「駒の枚数に差があり先手優勢

 ドタンとずっこけてしまう。まじめな読者は、視線を参考図2に転じて、ほんまかいなとばかり、指さしして盤面、持ち駒を数えざるを得ない

 歩の数は数えていないが、先手に金銀6枚あるから後手は2枚とわかる。金銀だけ見ると、先手は、各一枚、計二枚の得で、4枚の差が付いていることになる。紙面にメモして次に進む。
 引き続き、大駒を数えると、先手は、飛車の持ち駒だけであるから、後手は、飛車1枚、角2枚だとわかる。大駒だけ見ると、後手は角一枚の得である。2枚の差が付いている。
 つまり、飛角金銀桂香の駒数で、対局開始局面からすると、先手の方が1枚増えていて、後手の方が1枚減っていて、先手が後手より二枚多いと読める

 そこまで読者に確認させておいて、それ以上なんの説明も無い

 形勢判断には、駒の損得が大事であることはわかる。
 しかし、この局面は、角と金銀二枚との交換、つまり、二枚替え状態では無いのだろうか。つまり、やや先手が得をしていると言う程度で、
駒の損得だけで、どちらかが優勢というのにはほど遠いと思うのである。根っからの素人であるが、古手なので、その程度の分別はあるのである。

 それはそれとして、駒の働きも大事なのではないだろうか。
 素人目には、先手陣の右端の方で金銀桂香が遊んでいるように見える
 特に、一手で一コマしか移動できない金銀が、数手移動しないと、守備に関われない状態にいては、駒数の価値も随分低くなっていると思う

 逆に目につくのが、盤面中央部で、後手の二枚の桂が、鋭く先手玉の側面に迫っていて、飛車の突き出した矛先をすぐ側面から強化していることである。

 いや、専門誌の主力記者に説法でも無いだろうが、駒数競争絶対の視点には、大きな疑問が渦巻くのである。

 形勢評価の次に、先手の指手案として、「駒を取りに行けば」と書いているのも、駒数論理の続きで同感できない。
 5七に歩を打つのは、玉の腹に効いている桂を取って自玉の安全を図る、堅実な守備の手であって、断じて桂一枚欲しいだけの駒数競争ではないと思う

 いや、対局者がそう言っていたのなら、そう見るのがプロなのだろう、としか言えない。

 しかし、当ブログ筆者の若い頃、つまり、南芳一九段の奨励会時代だから、年がわかるのだが、近くで観戦していた、誰か忘れた奨励会メンバーに、自分の方が大局観から有利、といったら、「いくら大局的に有利でも、それを形にする手順が指せなかったら、意味がない」と釘を刺されたものである。形勢判断には個人差があるが、具体的な手順には反論できない、それが勝負というものではないか。

 以上のように、専門紙として、舌足らずなのか、読者の視点がずれているのか、表現に困る。

 言うまでもないが、A級順位戦最終局は、本紙の日付の10日前に行われいて、各対局の勝敗、同点決勝無しの挑戦者決定という情報は、既報、衆知なのである。逆に言えば、速報で、ばたばたとまとめるのではなく、ちょっと、「推敲」の時間がとれたはずなのである。

 そうした背景で、世界に一つしか無い専門誌の報道に何が求められているか、この紙面を見る限り、編集者は気づいていないように思えるのである。

 少なくとも、以上の苦言で何か感じたいただければと思って、ゴトゴトキーボードを叩いたのである。関係者が消化試合の視点で発行しているとしたら、余計なお世話となるのだが。

以上

2016年3月 7日 (月)

今日の躓き石 依然燻っているNHKのフィジカル混沌

                             2016/03/07
 今回は、NHK BS1の女子サッカー「中-韓」戦のNHKアナウンサーの言葉である。

 見始めたのは、すでに、ゲーム後半の中盤であったが、折角、「身体がしっかりしている」といった風の手堅い語りを聞けたのだが、以下、日本チームの予選敗退が一段と現実味を帯びたため動揺したのか、それとも、日本チームをねぎらおうと言葉選びにドタバタしていたのか、曰く付きの「フィジカル」を連発したのは、なんとも不出来である。

 まして、中国チーム監督のことばとして、「フィジカル」という単語が出たのは、悪く言えば、噴飯物である。(いや、食事中だったというわけではない)
 中国チーム監督が、インタビューの回答で日本のカタカナ言葉を使ったというのだろうか。仰天である。
 これでは、中国チーム監督の思いが正確に視聴者に伝わらないし、最悪、中国チーム監督が、ちゃんとして日本語を忘れてカタカナ語を濫用している日本人を軽く見ているのかと思えるのである。

 そう言えば、しばらく前に書いたように、NHK BS1のスキー女子ジャンプの有力選手の談話取材で、ちゃんとした英語がお粗末なカタカナ言葉に翻訳されていて、その杜撰さに呆れたのであるから、今回も、翻訳の不手際かも知れないなとは思うのである。
 しかし、NHKアナウンサーは、日本語のプロであるから、通訳、翻訳の不手際は、自身の見識で訂正できるはずである。これが度重なるようなら、頭の中に変なカタカナ語が入っている翻訳担当を再研修に出して、人を変えた方がいいのではないかと思うのである。

 NHKのアナウンサーの仕事は、事実の報道がその核心ではないのだろうか。まさか、自分の仕事は、言いっ放し、送りっ放しと見ているのだろうか。別に録音していなくても、聞こえる言葉は聞こえるのである。

 一瞬まじめになると、NHKのスポーツ担当は、それぞれの競技において「フィジカル」の意味合い、そして意義というか重要性を理解し、かつ、それぞれは一般視聴者に自明だから、プロの信念として説明無しにこのカタカナ語を使っていいと思っているのだろうか。
 サッカーの「フィジカル」とスキージャンプの「フィジカル」は、同じなのだろうか。なら、ラグビーの「フィジカル」も同じなのだろうか
 そもそも、「フィジカル」って何? Physical WHAT?と問われたとき、何とこたえるのだろうか。
 一度、サイエンスゼロででも、素人にわかるように説き聞かせて欲しいものである。

 うるさく言えば、別に急き立てられているわけでもないのに、ショートコーナーキックを「ショート」と言い端折ったのも、いかにも横着で、耳障りであった。

 プロの仕事は、もっと丁寧でそつの無いものと思っているのである。

以上

追記
 19時半過ぎて、「日-越」戦の開始であるが、不吉な開始である。
 NHKの地デジ1,つまり NHKGであるが、別に、アナウンサーの格が違うわけはないと思う。
 不吉というのは、日本チームは、「フィジカル面で上回る」と言うことらしい。身体がデカいと言うことなのか、当たりが強いというのか。いや、まだ試合が始まったばかりだから、身体がデカいと言うことらしい。
 日本チームは、体格で劣る立場で戦って、勝ちを重ねていたのだが、同程度、ないしは、小さめの相手には勝てないのだろうか。今回は、欧州系の多い豪チーム以外は、同等か、上回っているというように思うのだが。勝てなかったのは、その辺に理由があるのだろうか。
 いずれにしろ、アナウンサーが何かいい、コメンテーターがうなづいているらしいのだが、当方には、具体的に何も伝わらない。

 以上、慌てて追加する。BSだからレベルが高いのだ、と理屈づけられると困るのである。 

2016年3月 6日 (日)

私の意見 「古本三國志について」「壹臺」誤記論の終焉? 

                               2016/03/06    

 当記事は、以前公開した、下記サイト記事批判記事のまとめである。といっても、別に、新たな必殺論理を持ち出すものではない。「季刊邪馬台国」128号(2016/2)の「三国志 写本検索」と題する笛木 亮三氏の記事を読んで、思い出しただけである。ただの読み物なので、気軽に読んでいただきたい。

 =邪馬台国の謎に挑む=  「古本三國志について」

 世にはびこる比喩の中で、親亀、子亀、孫亀と積み重なっていると、親亀転(こ)けたら、子亀、孫亀、......皆転ける、と言うものがある。

 しかし、ちょっと考えればわかるのだが、亀は滅多に転けるものではない。なにせ、転けたら最後、自力で元に戻れず、遅かれ早かれ、その場で死んでしまうのだから、転けない亀が生き残るのである。
 だから、この比喩の状態で転けるとしたら、それは、親亀の丸い甲羅に乗った、足元不安定な子亀である。転けなくても転げ落ちそうになる。
 下で子亀が転けたら、孫亀以下全員が転けるというのは、元々の比喩と同じ趣旨である。

 さて、比喩だけでとまっていると、ふざけるなと言われそうだが、この教訓を正史の写本談義に当てはめると、こういうことである。

 皇帝蔵書として厳重管理される正史写本は、この世に一冊きりの「黄金写本」(いや、黄金というのは比喩であって、金を使用しているわけではないのだが)であり、長年の重大な役目を終えた先代の写本から新世代の写本を作成するときは、最高の写本職人を投入し、文字通り「首を掛けた」命がけの校閲をして作成している(筈である)。
 親亀は、帝国滅亡事態はともかくとして、それ以外では、滅多に転けないのである。

 しかし、そのような黄金、プラチナ級の写本は皇帝以外は閲覧できないので、「黄金写本」にまさかのときに控えから登場できる格式の「白銀写本」とか、日頃の閲覧用にもう少し気楽に利用できる少し格落ちの「赤銅写本」とかを、先代写本から引き続き写本しているだろうし、そこから以降の子亀....的世代の写本を作成するときは、もっと気軽に写本しようと言うものである。
 この指摘を含め、全て、見ていたような、ほら話と見るのは、読み手の勝手である。

 「書の専門家」の見解では、実用的な写本では草書を採用するのが常態であったようである。(いや、もっと強烈で断定的主張をしているが、同感できないので援用していない)と言うことで、その意見を詳しく読むまでもなく、同時代写本でも、「黄金写本」 から下るにつれ、
孫亀なのかひい孫
亀なのかは知らないが、草書写本移行後は、誤写の可能性が格段に濃厚となるという由々しい事態になるのである。「書の専門家」の見解では、誤写は、ほぼ必然なっている。

 草書で書くと、格段に早く書けるというのは、それだけ、略字になっていると言うことであり、情報量が激減しているので、正確さが失われるというのは、常識というものである。

 と言うことで、当該サイト記事筆者のいう「編者の見た「写本魏志」」の信頼性は、かなり疑わしいと見るものである。まして、「編者」は、自分の見ている「写本魏志」(転けているひい孫亀?)を、陳壽の目から見た正確さを第一にするのでなく、当代人が飲み込みやすい解釈を適用して「その場校勘」したのではないかという疑いがあるのである。
 どこかで、誰かが転ければ、後に続くものは皆転けるのである。あくまで、可能性の濃淡、程度問題なのであるが。

 当ブログ筆者は、推断を断定言葉で言うことがあるかも知れないが、ここでは、慎重に自戒するのである。

 曰く、議は、鏡に向かって  言い立ててみるべきである。

 曰く、剣は、自分の方に切っ先を向けてみるべきである。

 おつりにたじろがない確信を備えているべきである。

以上

私の本棚 39 木佐敬久 『かくも明快な魏志倭人伝』 2 水行論 訂正

  冨山房インターナショナル 2016/2/26

 私の見立て★★★★☆         2016/03/05  2019/07/21補充

*不審な韓国内陸行回避
さて、今回本書を一回通読して不審なのは、帯方郡からの行程で韓国を迂回航行する話である。(倭人傳関係書籍で、なんでも一度は批判する気質の本ブログ著者が、本書ほど、躓かなかった書籍はまれであることを、あわてて書き足すのであるが)

 著者は、古田氏の韓国内陸行説を丹念に吟味した上で却下し、従来評価の低かった沖合航行説を採用しているのである。

*不審な「水行」回避
 ただし、別項で紹介した中島信文氏の著作に示された内陸水行説には言及していないので却下の論拠は不明である。(コメントに従い訂正)

 提示されている論考は、朝鮮半島の西部南部沿岸を通過する際、難所である多島海部を大きく迂回した無寄港と読めるが、後ほど説き起こされているような当時最強の海船で可能であったとしても、このような行程が魏朝の公式航路となったとは思えないと言うのが、当方の正直な感想である。

 当時の航海術でも、日中の航行で遠く沖合を行くことにより海難を避けられただろうが、夜間航行は不可能だったと思うのであるがいかがだろうか。帆船であれば、帆を下ろして海流に任せるのだろうか。

 三国志にも、少し先行した時期の記事として、遼東の公孫氏領から江南の東呉領まで航行する際に、敵領である山東半島の沖合を迂回して黄海深く航行して乗り切ろうとした事例があるが、結局、見つかってしまったようである。

 著者は、曹魏明帝曹叡が、公孫氏討伐に先だって、兵員輸送を目的として、多数の海船、即ち、帆船を造船するように青州などに指示したと言うのだが、それによって、直ちに朝鮮半島西部および南部沿岸の多島海のり航行術、すなわち、各地の岩礁等の位置と干満潮勢に通暁した各地の水先案内を要し、しかも、吃水の深い大型船舶に不可能な機敏な操船が不可欠であり、そして、失敗すれば命取りの難船必須の海域全体を通じた安全な帆船航路が開通したとは、到底思えないのである。常識に反した提言には、明確な論拠を提示する必要があるように思う。

 山東半島から朝鮮半島、具体的には遼東半島ないしは帯方郡岸に向けた黄海渡海は、太古以来の既知の航路であっても、朝鮮半島西部および南部沿岸の航路は、それまで忌避されていた、いわば海図のない危険な海であり、帆船の進歩により沖合を航行可能となったというのと実際に沿岸航路を往来するのとでは、天地程の大きな差があると思うのである。木佐氏に珍しく、空論に踊らされているので無ければ幸いである。(2019/07/21)

 もちろん、いずれにしろ、史料に明記はされていない、憶測の多い議論なので、簡単に「明快な」結論が出ないと思うのである。

 以上は、実際的な難点であるが、それ以外に、文献資料としての難点がある。

*歴韓国談義
 軽い前振りから言うと、倭人傳では「韓國を歴る」(韓國)と言っているが、「韓國」は陸上を指し、沿岸と言えども海域は韓國ではないと思うのである。
 特に、韓伝を読む限り、半島南部は韓国でなく「倭」の領域である可能性がある。もし、沿岸航行が内陸国を歴るとの解釈に固執するのであれば、半島南部の帰属が明記されていないのが不審である。倭人伝専攻という当方の守備範囲の半ば域外であるのが、どうにも割り切れないのである。(2019/07/21)  

 次に、三国志と共に秦漢時代から魏晋南北朝時代までの書籍用例で、海洋航行を水行とした例は希少、と言うか、例外的な用例を除いて、ほぼ無いのであり、水行と言えば、ほぼ、河川航行を指しているのである。(この点、当方の見過ごしによる速断、浅慮であり、収拾に苦労しているのである。2019/07/21)

 もちろん、海洋航行であっても、経路や所要日程が明確な沿岸航路の場合は、水行と呼んだかも知れない。いや、公式史書には、明確な規定無しに、そのような用語誤用は許されないはずである。

 先ほど述べた難点と重複するのだが、本書で想定されているような長距離無寄港の沖合航行は、風次第で、経路や所要日程んがはっきりしないものになる。また、倭人傳が沖合航行を書いていると解するには、途中の目標、特に、南下から東進に転換する大事な目処が立っていないのは不審である。これでは、後に航路を再訪することができない。

 と言うことで、日常にあっては、文書通信の所要日数を知り、緊急事態にあっては、派遣軍の現地到着までの日数と兵站への要求を知るために必要な行程が不明確では、正史の外夷傳の道里、行程部に記載することはできないのではないか。
 古田氏の説である韓國内陸行であれば、経路と道里は帯方郡が已に把握していると思われるので、倭人傳に事細かく書くに及ばないのである。
 また、中島氏の提唱する河川航行による韓国内行程も、当時常用されていた交通/輸送手段であろうから、これも、帯方郡が已に把握していると思われる。

*倭人伝の地域用語定義
 ただし、倭人伝は、冒頭で「循海岸水行」、つまり、海岸沿いの船舶移動を「水行」と規定している(この点、当方の見過ごしによる速断、浅慮であり、収拾に苦労しているのである。 2019/07/21)ので、以下、「水行」には、河川航行は含まれていないと見られるのも、一度考えていただきたいものである。

 それはさておき。「韓國飛ばし」海路行程は、ここに書いていないので何処にも記録されていないのである。

 以上の思索を歴て、当ブログ著者は、一度は中島氏が提唱する、韓國内は河川航行による水行であるとする仮説に賛成した。今般、中島氏の所説を脇に置いたため、旧記事を見て変心と批判されることがあるが、素人の浅知恵、見過ごしを革めるのも、又、一つの進歩であり、旧説への固執が過ぎると、自縄自縛で閉塞するので、多少気にしつつ変心するのである。

 因みに、もし、帯方郡から狗邪韓國に至る経路を、韓國沿岸(沖合)を歴て海上航行するのであれば、当時の用語では、「浮海」と言うと考えるのである。
 東夷傳でも、司馬懿は、公孫氏討伐作戦の一環として、山東半島から浮海して、ひそかに(海路)楽浪、帯方に迫ったと書かれている。そこには、倭人傳に使用例のある「渡海」とは書いても、「海行」と書いていないし、()で補った「海路」は、現代人になじみがあると言っても、はるか後世に発生した新語であり、当時は、「ない」言葉であったようである。

 もちろん、以上は、一読者の勝手な推測であって、断定口調で語っていても、別に、断定しているわけではない。有力な選択肢があると言うことを明らかにしたいだけである。

この項完

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私の本棚 38 木佐敬久 『かくも明快な魏志倭人伝』 1 長大論

    冨山房インターナショナル 2016/2/26
 私の見立て★★★★☆             2016/03/05   2019/07/21 補筆・整形のみ

 当ブログ筆者は、世界の片隅で、細々と、と言うか、ぼそぼそと持論を公開しているのだが、今回は、世上に倭人伝について、当方と同じ読み方をしている人を見つけて、ついつい、札入れ財布を空にして買い込んでしまったのである。
 こうしてみると、書籍の売り文句である惹句は、的を射たときには、強力な販促武器になるのである。

 近来、古代史関係新書に粗暴な惹き句を見て購入欲を殺がれたり、店頭で、つい、粗暴な惹き句に眼を瞑って購入して、内容がそれ相応だったために後悔したりしているが、今回は、惹句を信じて良かったと思うのである。

 ここに紹介するのは単行本なので、新書数冊に匹敵する出費であるが、古代史に健全な関心を持っている方は、必読というべき良書である。これまで得られなかった、得がたい知見を得られるはずである。賛同するかどうかは、読者の自由である。

*共感する「長大」論
 さて、ご託が長引いたが、今回採り上げるのは、巻末付近で書かれている長大論である。以前、著者の見解の端緒は、発表されていたと記憶している。

 著者は、まことに堅実に、三國志の「長大」を拾い出し、男性と女性の違いを踏まえた上で、卑弥呼は十代で女王に共立されたという推定に至っている
 また、倭人伝に描かれている姿は、二十代の若々しい姿であるとも推定している
 当方の辿った論理の道筋を、別の人がすでに極めていて、ほぼ同じ結論に至っていたというのは、はるか後塵を拝するものとして、大変名誉なことと感じる。

*あえてアラ探し
 あえていうと、次の点を指摘できると思う。
 余りにも自明なので、大抵省略されるが、三國志に限らず史書に書かれている年齢は、元日に揃って加齢する「数え」年齢である。つまり、現代の年齢に換算するには、一歳、ないしは、二歳を引かねばならないと言うことである。
 また、当時の考えでは、人は十五歳で子供時代を脱して、個人として社会に認知されるのであり、「女子」と呼ばれる人は、十五歳を過ぎていると言うことである。

 でありながら年齢を書かずに、「女子」と形容したのは、陳壽の手にした史料には、倭人の二倍年歴(春秋加齢というべきか)で「三十歳」と書かれていて、かつ、その後に「いまや成人となった」との記事がに続いていたからではないかとも思われる。陳壽は、倭人のいう卑弥呼の年齢に不審を覚えたが、事実確認ができなかったので、筆を加えず年齢表示を避けたのではないかと憶測する。

 因みに、壹与の継承の時は、すでに、対外的な年齢表記が中国風になっていたのであろう。数えで十三歳が倍年歴であれば、実年齢は、6.5歳、満年齢で5歳になってしまう。これは、幼帝である。

 「女子」と書いた理由を、別途推定し、すでにブログ記事に書いたのを復習すると、...

*女子は外孫 

一人称の視点を、直前に登場した「男王」とすると、「女子」は、その娘の子供とも読める。
 簡単に言うと孫であるが、大抵の場合のように、娘が嫁ぎ先で子を産んでいれば、自身にとって「外孫」(そとまご)である。ただし、字面でわかるように女の外孫に限る。かくして、漢字二文字で二重の意味をかねさせた謎かけが解ける。

 嫁ぎ先が有力な家であれば、生まれた子は、二大勢力を強い絆で結びつけていることになる。
 しばらく、誰が王位に就くか紛糾したため、水争いや漁場争いの調停者がいなくなって、それぞれの季節毎に紛糾したが、有力な二家が両家の当主にとって孫に当たる後継者を共に王に立てることに同意すれば、それこそ、時の氏神であり、そうした紛糾は起こらないのである。

 女王は、若くして神事に従事していたようであるが、祖霊に仕えて託宣を聞く手段として亀卜を行っていたとすると、発生した亀裂の形(文字)を適確に読み取らなければならないそのために、中国の殷(商)時代以来の伝統として、亀裂の形を甲骨文字として、つまり、漢字として読み取る訓練を受けていたのではないかと憶測するのである。

 してみると、この女子は、若くして甲骨文字の漢字が読めたのではないかと思われる。そうであれば、巫女が若年であっても、其の亀卜託宣に対する衆人の信頼は深かったものと思われる。いや、もちろん、これは勝手な憶測である。根拠も何も無い。

 因みに、女王が結婚するとして、すでに二大勢力の親族となっているので、それ以外の家から婿を探さねばならない。それでは、二家の権力の均衡が崩れてしまう。まして、女王が、第三の家に嫁ぐことは、女王の権威を損なう。
 かくして、女王は独身を保つ
のである。ただし、もともと神職に従事していたから、そのようなことは、覚悟していたとも思われる。

 さて、最後に再確認すると、
 漢帝国では、幼帝がしばしば擁立されているが、卑弥呼は、そうした幼帝ではなかった。女児、女孩、嬬子ではなかった。

*「長大」の語義確認
 ここで、「長大」は、共立後に成人に達したと言うことであり、文字通り「長大」とは「成人」、人となると、と言う意味である。(「成人である」という意味ではない。違いがわかれば幸いである)
 
これは、三国志時代の用例確認は当然であるが、現代中国語でも生きているようである。

 今回は、同感の意を込めた自慢話である。

以上 

2016年3月 5日 (土)

私の本棚 37 季刊邪馬台國128号に寄せて 1

 季刊 邪馬台国 128号  2016年2月

          私の見立て☆☆☆☆☆                  2016/03/05

 最新号は、総力特集 奴国の時代 第2弾である。話題豊富なので、目に付いたところから、順次批判させていただく。

 奴国の遺跡群   井上筑前

 著者は、日頃多くの資料を目にし、多くの人々と対話しているために、つい、普段押しかけてきている定説や世論に反応してしまうのだろうが、読み手からすると、何でこちらに向かって喧嘩腰に書き立てるのか、注意が逸れるのである。

 また、古代史に関する論考なのに、そのような背後の声に反応したのか、言い回しが揺らぐところが見られる。書き出しの部分は、読者が、自分の見方を一時脇にやって著者の見方にあわせ、書かれたメッセージを受け入れようとする部分なので、こうした導入部で、違和感や動揺を感じてしまうと、冷静に読めなくなるのである。

 77ページ末尾の字句が、その例である。

 何に対する憤慨か知らないが、『「後漢書」のオリジナルである』という主張には、躓きはしないが、しばし佇んで、著者の意図を詮索させられるのである」

 ここで目立つカタカナ言葉の「オリジナル」は、要は、現代日本語の筋の悪い言葉であり、中国正史を語る上で、場違いで違和感を禁じ得ない。

 更に具合の悪いことに、世上流布している「オリジナル」というカタカナ言葉には、二つの有力な意味が通用していて、大抵の場合、一瞬、どちらの意味か迷うのである。

 一つの意味は、そこで言い始められた新規、独自のものという意味であり、もう一つの意味は、元々の、本来のという意味である。

 ここでは、後漢書のオリジナルといわれているので、後漢書編纂者笵曄が創始したという意味に見えるのだが、笵曄は史家であって、小説家やコピーライターではないので、文章を創作するものではないし、後漢書は史書であるので、重ねて、創作とは遠いのである。

 と言うことで、著者がきっぱり言い切ったはずが、読者にしてみれば、意味が読み取れないのである。

 こうした、言葉の時代錯誤は、ありふれた事項なので、普通は、雑誌編集部が指摘して訂正され、読者の目に届くことは無いのだが、「邪馬台国誌」は、寄稿者の原稿に手を入れない方針でもあるのだろうか。

 案ずるに、世論が、後漢書の倭国記事は、三国志の魏志倭人伝の引き写しだという批判が聞こえていて、そうじゃない、この部分は、三国志に無い、と主張しているのかも知れないと思いつくのである。

 そんな念押しは不要ではないかと思う。

 指摘されている記事は、どちらも、完全に後漢時代の記事であって、「三国志」があえて取りこんでいる後漢末期の曹操時代にも入らないからである。従って、陳壽が当該後漢史料を知っていたとしても、単に参考にするだけで、倭人伝には採用しない
のである。

 思うに、この記事は、笵曄が創作したのではなく、後漢朝の公式記録に書かれていたものを適確に収録したと言うだけのように思うのである。笵曄の芸風では、原典が周知であれば、文の運びを改善して文筆家としての「腕」を示すが、ここでは、原典が知られていないので、改善しても、誰にもわからないので、褒めてもらえないのである。

 因みに、「漢倭奴国王」という地位は、蕃夷の王の中で格別の地位であり、周辺国に紛争が起こったときは、漢朝に代わって仲裁して平和を保つ権威を与えるものであり、従わなければ、征伐して正義を行え、と言う意味である。

 もちろん、漢朝がそのような権威を与えるのは、すでに十分な権威を持った盟主であることが前提で、あくまで、自薦に基づく追認であり、現地が諸国散在、どんぐりの背比べであれば、その中の一国に与えるものではない。単なる貢献記事では無いのである。

 また、国王と呼ぶ以上は、代々王位が継承されていることが前提である。国王が代替わりしたときは、新国王が漢の天子に国書を呈して代替わりを報告すべきものなのである。以上は、漢帝国との儀礼として当然のことなので、後漢書に都度書かれていないとしても、当然守られるべき事項である。

 正史三國志では、曹操の偉業を引き立てるように後漢末期の衰亡と混乱が描かれているため、ついつい帝國全体を弱体視してしまうが、後漢は、ほぼ150年にわたって全土を支配し続けたのであり、ここでいう「奴国」の時代は、漢朝の威勢は栄えていて、そう簡単に衰退しなかったと思うのである。

 以上は、当ブログ筆者が、著者と異なる文章観、歴史観を持って眺めていると言うだけであり、権威を持って、とやかく文句を付けているわけでは無い。
 
氏ほどの大家は、むしろ、堂々とご自身の見識を保つべきなのに、なぜ、異論を神経質に排斥するのか、傷ましいのである。

以上

2016年3月 4日 (金)

私の本棚 36 季刊邪馬台国127号に寄せて

 季刊 邪馬邪馬台國 127号  2015年11月

          私の見立て☆☆☆☆☆                  2016/03/04

 本号は、総力特集「奴国の時代」第一弾ということで、力の入った記事が見られる。
 しかし、「邪馬台國」を標榜する雑誌の読者には、奴國は、古典的な突っ込みの対象となるのである。各記事の中で、奴国関係者の論考は、視点が偏っていたとしても、それぞれの立場からくるものなので、言っても詮無いのだが、下記編集部記事は、批判に値すると思うのである。

 奴國の時代 1      編集部

 話の切り出しとして、紀元前五世紀に中國が戦國時代に突入したと威勢良く切り出しているが、安直な借り物表現であり、掘り下げが足りないと考える。いわゆる、第一印象として、記事全体の信憑性を損なうような先入観を読者に与えてしまう、著者の見識に疑念を投げかけさせる、いうなら、信用をなくす不出来な書き出しである。

 と言うのも、「戦國時代」という用語は、後世の歴史家が便宜的に名付けただけであって、その当時の同時代者として、別に、何か諸國の抗争する形勢に、感じ取れるような「画期的事象」があったわけではない筈である。

 関係の深い遼東/山東方面について画期的事件と言えば、呂尚(太公望)の子孫が統治していた山東の齊國が、他國からの亡命者田氏に取って代わられてから、打って変わって拡大主義になったのは四世紀前半であり、周辺が不穏な動きになったのはその後と見られる。

 ここで無造作にいう「周辺地域」が何を指すのか不明なのだが、呂氏時代の齊の関心は、春秋時代になってからは、中原西方の洛陽を向いていて、沿岸地域に大した関心を示していなかったようなのだが、拡大主義になってからは、海岸までその威力を及ぼそうとしたであろうし、いずれかの時点で、北方の燕に進攻したといわれている。

 おかげで、後年燕から報復攻撃を受けて、東の超大國の威容を誇った豊かな国土のほぼ全土を奪われ、滅亡寸前まで追い込まれたのだが、まあ、これが國内不穏の極限ともいえる。

 と言うことで、紀元前五世紀が画期的というのは、簡単に言い過ぎであり、紀元前四世紀の齊の拡大主義と國家壊滅の危機が、周辺事態変動の契機ではないかと思われる。

 山東半島が不安定化すれば、朝鮮半島も遼東半島も目の前であるので、難民が辿り着いたとしても不思議ではない。中国の古典書籍でも、そうした亡命、逃亡が説かれていることがある。ただし、当時の形勢として、財物の備蓄のない農民や市民には、こうした逃亡は不可能であり、財力のある富豪、貴族、官吏にできることであった。

 と言った感じで、以下、当ブログ筆者は、繰り返し自慢そうに批判、断定しているが、間違っていたらご指摘いただきたいものである。

 ときに、魏志倭人傳の表記で、奴國は女王國ではないから盟主ではなく、女王國を盟主と仰ぐ倭國連合の一員となっているのである。表記されている戸数でも、女王國が大國であり、奴國は比較して小國である。

 さて、現在、中四國九州を包含する「西日本」地域で最大の都市である福岡市が展開している福岡平野は、太古以来、九州北部随一、どころか、「西日本」随一の繁栄を 誇ってきた地域であり、当時の盛況は、現在も、福岡市内各地で繰り広げられている発掘作業で確実に裏付けられているものと思う。
 一部に、当時の博多湾は、河口の泥濘ないしは軟質の砂丘であったから海港として不適当であったという意見があるが、それにしては、順次発掘の進んでいる弥生時代遺跡が、結構商売繁盛を思わせるのである。
 博多湾全体は、おしなべて海港に不適でも、ほんの一 角に弥生船の寄港できる好適地があれば、それで良かったのではないか。国際港は無理としても、近辺の海港との沿岸輸送、そして、各河川での水行遡上輸送に便利な小舟が荷役できる港であれはよ いのである。

 陳腐な意見であるが、そうした奴國が、福岡平野全域で安定した地域大國の地位を占めているとしたら、超大國である女王國の行き場がないのである。この点は、定説派各大家の意見であるが、おっしゃる通りと思うのである。

 これは、後漢書と魏志倭人傳の史料考証や発掘遺物、遺跡の評価以前に、金印の印刻の解釈で「博多に奴國あり」の定説を打ち立ててしまい、倭人傳の文字でしか概容を伺うことのできない女王國を圧倒する絶大な人気を博してしまったので、引っ込みが付かなくなったための学術的窮境と見るものである。

 いうならば、ジグソーパズルの全ピースが出揃っていない段階で、まず、奴國のピースを福岡平野、後の博多の地に堂々と釘付けしてしまったために、それ以後、パズルの解明に不都合なピースが出ても、進め方の訂正が付かなくなっていると見るのである。

 ピースが合わないなら、力任せで合わせてしまうか、合うピースが地中からが露呈するまで、一打逆転を期して待つかということになっているように見受ける。

 いや、当記事に示された奴國論は、そこまで言い募っているのではない。九州北部を奴國中心視点で塗りつぶしているだけである。いうならば、奴國自大主義である。
 
 その故か、79ページでは、それまでの中國史書の読み替えと古事記の引用に続いて、「神話と歴史」として、奴國時代を描き出す。

 長々とした前奏の後に、突然、奴國が、邪馬台國所在地論議で日本の考古学界が二分されている事態の絶好の救済策であり、奴國が時の氏神だと言い募るのである。

 そこまでの、各資料に対する論評も、それに先立つ遺跡、遺物の検証も、巨大化された奴國を押し上げるための前提であったようである。

 邪馬台國誌も、なかなか迂遠な策を立てるものだと感心する。それは、雑誌編集上の方針であり、経済効果も期待しているのだろうが、「総力特集」の総力の注ぎ込み先が外れていないかと、強引な進め方には不審を禁じ得ないのである。

 つまり、史料に明記されていない仮説の積み重ねでここまで奴国像を肥大させる根拠が乏しいのである。

 例えば、『中國の「新唐書」日本傳は、「日本は古の奴なり」と記す』と書き出しているが、僅かこれだけで、いきなり大きく躓いている。当記事のすぐ右の78ページで自身が書いているように、新唐書日本傳の冒頭は「日本は古の倭の奴なり」と読み下すことにしたのではないだろうか。なぜ、勝手に自説を曲げて、端折るのだろうか。不思議である。

 まして、「倭奴」を「倭の奴」と読み下すことには、これまでに大いに異論が出ていて、一説の域を出ていないのである。更にいうならば、「奴」を「ナ」と当然のごとく呼ぶことについていうなら、倭人傳全体の発音と食い違っていることも、無視しがたいのである。

 博多が那の津と呼ばれていたことを起点として時間を遡行している論証経路が、当分野で常識と化しているとしても、学術的思考と遠いのである。つまり、無理にでもそう読まないと成り立たない議論は、所詮決定的な論とするには、根拠不十分なのである。

 自説を導き出すために、諸説入り交じる中を、頑固、強情、強引に突進するのであれば、結局、邪馬台國論争の各陣営の手口をコピー/ペーストしているだけである。

 更に言うならば、当記事で遺跡/遺物のデータから提唱されている「甕棺文化圏」は、それ自体一つの学説であって、学説として提示されている限りは、何も異議を言い立てるものではないが、同一文化圏にいるから、当然一國としてまとまっていたというのは、安直すぎて、無理な言い分である。

 かって、倭國は女王國の専権下にあるのではなく、各國が寄り添った諸國連合であるという言い方をされたが、これは、倭人傳記事を根拠とした言い分であり、もっともであるが、ここで言うように史料に書かれていない「奴國連合」を想起しているのは、筆者の勝手な作業仮説というべきではないだろうか。

 まして、そのような想起された事態を(現代語としても不安定な)「実体と求心力」と言い立て、これを感じ取ったから、後漢が「倭奴國」に金印を与えたというのも、論考として述べるのは、余りに情緒的であり、学術的意見としてどうかと思う。まさか、倭奴國が後漢に貢献した際に、筆者自身が、その場で滔々と甕棺の広く普及していることを述べ立てたというのだろうか。
 図3のような「めざましい」分布図は、各地の郷土史関係者が、長年の膨大な発掘努力の果てに得た貴重なデーをもとに、現代科学の力を借りて描き出したものであり、当時の生身の人間には、知覚どころか、想定すら不可能だったと思うので、ついついSF紛いの想像を巡らすのである。

 近来、まるで、古代人が、現代人がネット情報を駆使してようやく得られるような世界観を抱いていたと言っているような「とんでも科学」議論が出回っているが、「編集部」氏が、そうした悪弊に染まっていなければ幸いである。

 奴國主義提唱に限らず、古代史の定説は、たいてい現地の旗印になっていて、絶大な町おこし効果や國家からの助成など、経済的に多大な周辺効果を伴っていて、もはや、一歩も後に引けない事態になっているものと推察するが、だからといって、科学的な疑問を押し隠して、既得権の維持拡大を図るのは、後世に重大な禍根を残しかねないと危惧するものである。

以上

2016年3月 3日 (木)

今日の躓き石 三角縁神獣鏡 中国で「発見」?

          私の見立て☆☆☆☆☆              2016/03/02

 今回の題材は、毎日新聞大阪朝刊第13版の「オピニオン」面である。「オピニオン」は、本来、個人個人の意見であるから、ここで麗々しく批判するのは好ましくないのだが、「記者の目」欄は、毎日新聞記者の意見を堂々と公開しているので、報道のプロとしてふさわしい記事かどうか、一読者として批判できると思うのである。

 特に、今回の記事は、古代史にまつわるものであり、当ブログ筆者が、普段気にかけている「魏志倭人伝」に深く関係したものなので、一段と関心を引くのである。なお、以下、特に注記しない限り、「鏡」とは、その産地が話題になっている「三角縁神獣鏡」である。

 さて、記者の書きぶりは、両論を紹介し、概ね公平なもののように見える。別の全国紙の特定の記者の偏向ぶりが、安本氏主催の季刊雑誌「邪馬台国」で、繰り返し酷評されているから、慎重に書こうとしているのだろう。

 しかし、当記事の書きぶりに、不思議なよどみがにじんでいて、素人目にも、「中国での出土が」(一枚でも)「確認されれば」「製作地論争を」(一気に)「中国鏡説に導く」、と書いているように見える。業界でささやかれている「一打逆転」とか「キャスティングボート」とか、科学と無縁の概念が漂っているように見えてしまう。
 
()内の独り言は、書かれてはいないが、文脈から自然に想定されるものであり、こうした思いが記者の内心にあるとすれば、それは情緒的な「判官贔屓」であって、客観報道から逸脱しかけているのである。
 そうした内心の声をふるい落として読んでも、今は国産説が非勢であるが、今回の「発見」の評価次第で、一気に逆転すると見ているようにも見える。
 このような揚げ足取りをされないためには、もっと、筆を真っ直ぐにして書く必要があるのではないか。

 また、毎日新聞ほどの見識があるなら、以下の記事で滔々と述べている(聞くだけでうさんくさい)「骨董品」を容認したいという意見の傍ら、大変大事な議論が抜けているのを自覚しているはずである。

 「中国鏡」と言うからには、「鏡」が中国で「製作された」と立証しなければならない。

 一枚どころか、何十枚と中国国内で「発見」されたとしても、その由来は、日本から中国に渡った使節、僧侶、商人が、何個か「手土産」で持参した可能性が、かなり高いとみるのが自然ではないだろうか。
 国産鏡説の流れに従って当時千枚、二千枚といった大規模な数で「国内」生産されたとすれば、物の道理として、数の多いところから、少ないところに物が流れていくのは自然ではないか。「手土産」説とでも言うのだろうか。
 何しろ、製作当時から(百年代を四捨五入して)2000年近く経っているのだから、ひょっとして、何百枚と持ち込まれていても、不思議はない。
 念のためいうと、この考えは、当ブログ筆者の独創ではなく、故古田武彦氏が生前「予言」したものである。
 氏は、国産鏡説を支持していたが、一方で、いずれは、国内出土品と同一形状の鏡が中国で出土するだろうと予言していた。その理由は、以上に述べた趣旨である。「まだ発掘されていないが、きっと出現する」とはよく聞く言葉だが、この「予言」では意味が違っている。

 端的に言うと、鏡は、鋳物なので、数多く作るためには、結構な数の鋳型が必要である。
 中国鏡説を確立するためには、そうした鋳型の発掘が必須だろうし、それが望めないなら、同形状の鏡が複数「発掘」されることが必要ではないだろうか。

 そうでなければ、複数の「発見」であろうと、「出土」であろうと、「手土産」説が幅を利かすことだろう。

 国内鏡説の窮地を救う一枚を「徹底的」に追究するのは結構だが、ちゃんと筋の通った評価と議論をすべきだと思う。それが、科学的な態度である。

 当ブログ筆者は、国産鏡説が合理的であり、中国鏡説には無理が多いとみるが、中国鏡説に合理的な論拠が確立されたら、意見を変えるのにやぶさかではない。
 別に、持論に名声も生活もかかっていないので、意見を変えても、何も失うもはないから、そう言えるのである。

以上

2016年3月 1日 (火)

今日の躓き石 ゆるゆる「違法アップロード」談義について

                          2016/03/01

 一流ポータルであるAscii.jpに、以下の記事が登場していたのに、1週間気づかなかったのは、その間、そちらへ足を運ばなかったので、躓かなかったと言うことである。 

 YouTubeへ違法アップロードが気持ち的にダメと言い切れない理由

        http://ascii.jp/elem/000/001/124/1124368/

 いや、当記事著者の言い分は、「カルチャー」談義、「気持ち」談義なんだから、あやふやでいいというのだろうが、ことは、「違法」かどうか、と言う話にはじまり、読み方では、「気持ち」次第で、別にやってもいいやという話になりかねない
 こうした危険な話題について書くときは、きっちり下調べして欲しかったものである。ASCII.jpサイトには、顧問弁護士がいるはずだから、弁護士の職業的な見解をもとに書くべきである。素人のあやふやな認識で、無責任な意見を書いてはならないと思う。

 以下、当プログ筆者の知る限りの経験と知識を動員して書いてみる。(要は、素人考えであるが、適法意識はしっかり保っているはずである)

 現在の日本の著作権法では、著作権が有効な著作物を著作権者の許可を得ずに公開(アップロード)することは基本的に違法であると言える。
 しかし、違法と言っても色々ある。第三者著作物の個人的な利用について言えば、一般人が収入を得ることなく公開などすることは違法であるが、それによって逮捕されることはないとしている。もちろん、そのような「おめこぼし」も違法行為の程度問題であるし、著作権者が強硬に権利主張すれば、些細なことから厄介なことになる可能性はある。

 違法かどうかと言うことに戻ると、特定の著作物の一部を、引用元を明記した上で、著作物紹介の目的で限定的に引用利用することは、違法ではないと考える。

 最後になるが、団体としてのYouTubeは、本拠が日本国内にないので、日本国内法の適用外である。そして、YouTubeは、著作権者ではなく、また、著作権者から、著作権侵害の追究を委託されているものでもないと考える。(TPPにより、第三者による著作権侵害追究が可能になれば、この部分は変わってくるが)
 YouTubeには、第三者の著作権が侵害されているのを発見しても、著作権者に代わって権利行使(法的な警告、司法機関への告発など)ができないので、自身の社内規則に基づいて、アップロード動画の著作権侵害について自主的に判断し、著作権侵害があるらしいと見たとき、アップロードした者に警告し、並行して、公開動画に制約を加えているが、著作権に基づく適法な高位ではないと思われる。他国の法律は調べていないし、YouTubeからそのような表明はないように思う。
 その証拠に、そのような処置が、どこの国のどんな法律に基づいたものか、示されることはない。いわば捜査令状の示されない逮捕である。
 従って、YouTubeの政策は、アップロード動画の違法/適法の判断と、直接同期しているわけではない。

 そのような状況で、当ブログ記事筆者は、一度放送されたものの、長期間再放送されず、また、DVDなどで市販される可能性の乏しい放送番組について、部分的に紹介動画を作成して公開している。当然、番組の制作者、放送時期を明記している。
 従って、少なくとも、日本の国内法では、違法行為として訴追されることはないものと信じている。
 個人的には、何ら違法なものではないと思っているが、別に、弁護士の職業的な見解(鑑定書を作成してもらおうとしたら、最低数万円はするであろうと思う)を得ているわけではないので、私見である。
 
因みに、当方が商用サービスとして同様のことをするのであれば、事前に弁護士の鑑定書を入手して、最悪、自分の責任ではないことを主張できるように、保身するべきものと思う。

 と言うことで、当記事のタイトルというか著者の執筆姿勢に、次のように大いに不満があるのである。

 「YouTubeへ違法アップロード」と言うが、「違法」の判断は誰がしているのか、書かれていない。まして、どの国の法律で「違法」なのか明記されていない。 

 「気持ち的にダメ」という語句は、こうした厳しい問題では、禁じ手と言える。
 
現代的な奇天烈表現は、人によって、言葉の意味が適確に理解できないことも少なくないのである。自身の意図、意見を広く伝えたいのであれば、ちゃんとした言葉遣いで書くべきであろう。
 スーツにネクタイで、とは言わないが、少なくとも、よれよれの寝間着で語るべき話題ではない。
 ことは、違法、適法という重大な問題であり、例え読者の誤解としても、公開の場で、違法行為を推奨した記事と見られてはならない、と感じるのが道理である。

以上

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