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2016年3月 8日 (火)

今日の躓き石 将棋で駒数の意義?

                      2016/03/08
 今回は、「週刊将棋」紙2016/3/9号の一面記事の話である。同紙は、至って無欲で、ネット上で販促用紙面を公開していないので。

 「週刊将棋」紙2016/3/9号紙面を確認できる購読者以外には、何のことかわからない記事である

 ことをあらかじめお断りしておく。

 素人とはいえ、この道60年の古手ファン、創刊号以来、多分三回程度取りこぼしただけの読者なので、多少は、聞き甲斐のある意見を出せるかも知れないと思うのである。

 タブロイド判紙面の一面記事の割には、やたらと字数が多いのは、「週刊将棋」の宿命だと思うのだが、文字数が多いと報道としての価値が高いのではなく、質を問われると思うのである。三月末での休刊が迫っているが、各担当者の(棋界)新聞記者としてのキャリアは、まだまだ続くと思われるので、苦言を呈するのである。

 さて、当記事冒頭の9行は、本局の背景だが、そもそも、当紙を買うほどの読者には、とうにわかりきっている事情なので、一々書き立てるのは、紙面の無駄というものである。リーグ勝敗表、タイトル戦の予定、などは、内部に引っ込めても良かったのではないか。本紙の顔は、明解、すっきりした方が良いように思うのである。

 次に、序盤戦形の解説だが、敬称略で書かせていただくと、念のため「行方先手」と押さえておくのが、急いでいるかも知れない読者に親切というものである。すると、横歩取り戦型になった意味がよくわかる。

 続いて、「横歩を取らせた局面の」勝率と書き立てているのは、興を削ぐばかりで、不可解である。
 序盤の序盤局面で、以下の展開は多様なのに、この段階で「局面勝率」を言い立てるのは、専門誌の主力記者とも思えない。まるで、先手が、わざわざ負けに決まっている無謀な作戦を選んだ、と批判しているように受け止められるのである。後手が、過去の経験から、横歩を取らせたら、それだけで勝ったも同然と思っていたはずも無いのである。

 一紙面に2局面しか掲示できない、参考図のその1の評で、後手の応手を「当然」、「絶好」と断定表現で描いている。当然、これは、両対局者の評言なのだろうが、当読者は、おそらく、「つらい」とするぼやきと共に行方の自己批判だと思うのである。それとも、記者は、遙か高みからも裁きの目で見ているのだろうか。

 さて、次の段落、第2図の形勢評価が、何ともけったいなのである。

 「駒の枚数に差があり先手優勢

 ドタンとずっこけてしまう。まじめな読者は、視線を参考図2に転じて、ほんまかいなとばかり、指さしして盤面、持ち駒を数えざるを得ない

 歩の数は数えていないが、先手に金銀6枚あるから後手は2枚とわかる。金銀だけ見ると、先手は、各一枚、計二枚の得で、4枚の差が付いていることになる。紙面にメモして次に進む。
 引き続き、大駒を数えると、先手は、飛車の持ち駒だけであるから、後手は、飛車1枚、角2枚だとわかる。大駒だけ見ると、後手は角一枚の得である。2枚の差が付いている。
 つまり、飛角金銀桂香の駒数で、対局開始局面からすると、先手の方が1枚増えていて、後手の方が1枚減っていて、先手が後手より二枚多いと読める

 そこまで読者に確認させておいて、それ以上なんの説明も無い

 形勢判断には、駒の損得が大事であることはわかる。
 しかし、この局面は、角と金銀二枚との交換、つまり、二枚替え状態では無いのだろうか。つまり、やや先手が得をしていると言う程度で、
駒の損得だけで、どちらかが優勢というのにはほど遠いと思うのである。根っからの素人であるが、古手なので、その程度の分別はあるのである。

 それはそれとして、駒の働きも大事なのではないだろうか。
 素人目には、先手陣の右端の方で金銀桂香が遊んでいるように見える
 特に、一手で一コマしか移動できない金銀が、数手移動しないと、守備に関われない状態にいては、駒数の価値も随分低くなっていると思う

 逆に目につくのが、盤面中央部で、後手の二枚の桂が、鋭く先手玉の側面に迫っていて、飛車の突き出した矛先をすぐ側面から強化していることである。

 いや、専門誌の主力記者に説法でも無いだろうが、駒数競争絶対の視点には、大きな疑問が渦巻くのである。

 形勢評価の次に、先手の指手案として、「駒を取りに行けば」と書いているのも、駒数論理の続きで同感できない。
 5七に歩を打つのは、玉の腹に効いている桂を取って自玉の安全を図る、堅実な守備の手であって、断じて桂一枚欲しいだけの駒数競争ではないと思う

 いや、対局者がそう言っていたのなら、そう見るのがプロなのだろう、としか言えない。

 しかし、当ブログ筆者の若い頃、つまり、南芳一九段の奨励会時代だから、年がわかるのだが、近くで観戦していた、誰か忘れた奨励会メンバーに、自分の方が大局観から有利、といったら、「いくら大局的に有利でも、それを形にする手順が指せなかったら、意味がない」と釘を刺されたものである。形勢判断には個人差があるが、具体的な手順には反論できない、それが勝負というものではないか。

 以上のように、専門紙として、舌足らずなのか、読者の視点がずれているのか、表現に困る。

 言うまでもないが、A級順位戦最終局は、本紙の日付の10日前に行われいて、各対局の勝敗、同点決勝無しの挑戦者決定という情報は、既報、衆知なのである。逆に言えば、速報で、ばたばたとまとめるのではなく、ちょっと、「推敲」の時間がとれたはずなのである。

 そうした背景で、世界に一つしか無い専門誌の報道に何が求められているか、この紙面を見る限り、編集者は気づいていないように思えるのである。

 少なくとも、以上の苦言で何か感じたいただければと思って、ゴトゴトキーボードを叩いたのである。関係者が消化試合の視点で発行しているとしたら、余計なお世話となるのだが。

以上

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