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2016年4月12日 (火)

私の本棚 49 季刊邪馬台國128号に寄せて 3-1 「奴国の遺跡群」

 季刊 邪馬台国 128号  2016年2月
 「奴国の遺跡群」     井上筑前

          私の見立て★★☆☆☆             2016/04/12

 当ブログの方針は、古代史、特に、魏志倭人伝周辺に関する論説、論考で、論理的でない話の運び、時には、筋違いの展開について、「重箱の隅」を突くものなので、論者の所説全体に批判を加えるのは、本来の意図ではないし、当ブログ筆者の任でもないのだが、時として、重大な議論を呈することは、ご容赦頂きたい。

 本論考は、「奴国の遺跡群」と言うタイトルに従い、まずは、「奴国」とは何者かという確認から入る。いわば、枕と言うべきものなのだが、周知の通り、枕がすべると、客は白けて、最悪、帰ってしまうので、そつなく書く必要がある。

 そこで、笵曄編纂の正史「後漢書」の記事を採り上げるのは、むしろ当然と思われる。何しろ、各史書で「奴国」と言う二文字が書かれている原典は、後漢書記事であり、言うならば後世史書は、全てここから引用しているからである。

*カタカナ言葉のとがめ
 冒頭に、後漢書の記事が、三国志記事(ないしは、陳寿が三国志編纂時に利用したと思われる原資料)を参照した後、『「後漢書」のオリジナル』と書き出しているのは、「オリジナル」というカタカナ言葉の不安定さを軽視した言い回しである。

 「オリジナル」が、独自に、新たに創作した、という意味で使われていると見られる可能性が高いのだが、笵曄は、後漢書の記事を創作したのではないので、ここで、まず首を傾げるのである。

 特に、ここで上げられている建武中元二年と安帝永初元年の記事は、後漢の公式記録の抜粋であり、創作性は、ほぼ皆無である。

*異論ある「勝手」読み
 さて、後漢書建武中元二年記事の「倭奴国」を「倭」の「奴国」と読み下すのは、一つの解釈であり、有力な異説がある以上、それに触れないのは、後漢書の読み下しの際に適切な姿勢とは思えない
 いや、ここで、「倭」の「奴国」と読み下すところから、本記事が出発しているのだから、異説を採り上げる必要はないというのかも知れないが、それでは、本論考が冒頭で揶揄している「勝手」な論にもう一人の論者として参加していると思うのである。

 所詮、古代史史料の解釈は、誰も知り得ない過去の「物語」を推定しているのだから、誰一人、「勝手」な推定から脱することはできないのである。

 勝手と言われたくなければ、異説、反論の存在に触れて欲しいものである。

 その上で、当論考は、「倭」の「奴国」と読み下すところから始めていると書くべきである、と勝手に思うのである。

*「現代的」言葉遣いのとがめ
 次にくるのが、古代史論考とも思えない「現代的」言葉遣いである。
 「後漢の時代と言うよりも、笵曄の頭の中」と、現代風に飛躍した「比喩」が書かれているが、ちょっと、そうした感性的で非論理的な評言には付いていけないのである。

  正論を言わせて頂くと、「季刊邪馬台国」誌の読者は、笵曄がどの時代のどのような人であったか、生き字引の如く思い出せると期待されているのであろうが、 この部分では、「後漢書」の記述対象時点と「笵曄」の後漢書編纂時の時点と、二つの隔絶した時代が対比されているのだから、それを明記しなければ、読者 が、論者の意見を正しく批判できないのである。

 歴史上の人物の「頭の中」は、かりに、遺体が保存されていたとしても、とうに、塵と化し て、頭蓋骨が残っているだけだから、現代人のように頭蓋の断層撮影もでき無いので、そこに何があるのか 到底知り得ないのである。
 いや、当然、論者は「比喩」として書いているのだろうが、本論考の中で、自説の主張の根拠として、こうした不気味で、できの悪い比喩を採り上げるのは、不適当と言いたい。

 いや、ただの「重箱の隅」である。

*笵曄の書斎

  思うに、南朝劉宋の政治家・文学者・歴史家である笵曄は、西暦432年(数えで35歳か)ないしそれ以後の時期に、後漢書編纂に勤しんだと思われるが、そ の際に、その広大な書斎に取りそろえ、補佐する者達と共に参照したのは、後漢朝の記録文書の写しや、後漢書に先行する後漢朝に関する史書群であったろうが、それと共に、 後漢書編纂時期に至る魏、晋、劉宋期に遣使、貢献した「倭」の諸政権への提出資料も参考にしたと思われる。

 笵曄の「頭の中」を知り得ないのと同様に、「笵曄の書斎」の様子も知り得ないのだが、こちらは、ある程度合理的に推定できると思うのである。

未完

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