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2016年4月12日 (火)

私の本棚 50 季刊邪馬台國128号に寄せて 3-2 「奴国の遺跡群」

 季刊 邪馬台国 128号  2016年2月
 「奴国の遺跡群」     井上筑前

          私の見立て★★☆☆☆             2016/04/12

[承前]

*束の間の「奴国の時代」
 論者は、引き続いて、曖昧に「この時代」の奴国と言っているが、建武中元二年記事に「倭奴国」と書かれていても安帝永初元年記事には「倭国」と書かれているのであるから、両者が同一の国かどうかは不明であり、「この時代」は、建武中元二年(西暦57年)に限定されるのではないか。この点、論者は、公正に疑問を投げかけている。

*奴国の後裔
 後漢書の両記事の範囲内でも不明であるから、遙か後世の曹魏景初二年(西暦238年)時点の視点と思われる魏志倭人伝記事との繋がりは、どうなるのか不明であると言わざるを得ない。この点、論者は、何も語っていないように思う。

 正直なところ、かって建武中元二年時点に、九州北部に威勢を誇っていたとされる「奴国」が二世紀近い後まで「王国」として歴代継承されていたとは、魏志倭人伝に書かれていないように思うのである。

 陳寿は、西晋朝「史官」であり、魏志編纂に際しては、遙か後年劉宋の笵曄に劣らない後漢史料を利用できたはずである。

 当然、ほんの二世紀前の建武中元二年に、東夷の「倭奴国」が貢献して、漢朝復活の偉業を成し遂げた光武帝から金印を賜ったという史実を知り得たはずと考える。であれば、魏志倭人でに列記された数多い倭国諸国の中の「奴国」が、かつての盟主国の後継者であれば、そのように特記したはずである。

 当ブログ筆者は、一介の素人であるので、いろいろな参考情報からそのように考えるのである。当然、当分野に造詣の深い諸賢は、そのような明白な事情を知り尽くしていると思うのだが、世間で余り見かけないので、一応指摘させて頂くものである。

 本論考の運びは、おそらく、「大人の事情」から来ているのだろうが、当方は、局外者なので、子供じみた指摘をせざるを得ないのである。

 それにしても、古代史談義に、カタカナ語や現代語は似合わない。

この項 完

*余談
 以下、井上氏の論考とは直接関係ない余談である。

 ・南宋奇譚
 一般読者のために追記すれば、笵曄の紹介でついてくる「南朝劉宋」は長たらしいので、短くしたいであろうが、そのときは、「南朝宋」、「劉宋」と言えば誤解を避けられる。

 ごく一部だが、大変著名な筆者の論考に「南宋」と誤記されているのが、世に出まわっていて、ずっこけることかある。一般読者が、何かの際にそうした誤記を丸引用しないように殊更書き立てているだけである。他意は無い。

 ・笵曄生誕紀
 この部分は、Wikipediaの笵曄(日本語版)を参照して書いているのだが、随分配慮が足りないものになっていると思うのである。

 例えば、「范曄の母が彼を「便所」の中で生んだ」と書いているのは、一見、原文に忠実なように見えるが、じつは、時代錯誤の誤記・誤訳にあたる。

  「妾」とは言え、「名門」(富豪)であれば、中国語で言 う「廁所」は、現代日本人が「便所」と聞いて想起するような、その場で四方の壁に手が届くような小部屋ではなく、例えば、6畳敷きの居室めいたものであっ たはずである。
 そこは「個室」ではなく、また、普段から、単独でなく召使いが付き添っていたはずである。特に、臨月の「女主人」(妾と言うことは、「妻妾同居」でなく、立派な別宅を構えていたと言うことである)が用を足すには、手前の別室で、一旦、介添えの手で、裾の長い、たっぶり した袖のある「普段着」を着替え、軽装で入るものである。何でかというと、さすがに、用を足す部屋には臭気があるので、普段着に匂いがうつるのを嫌うのである。(当然である)としてい見ると、手前の部屋には、香を炊き込めていたものと思う。
 以上、余り食事の前などにいい話題ではないので、表現をそらしたのだが、話題自体がご不快であればお詫びする。

 因みに、中国文で「妾」と書かれているものの、千七百年近い昔のことでもあり、そのまま日本語としては、時代錯誤の感がある。

 全体として、現代日本人が、Wikipediaの雑ぱくな翻訳文を読んで想起する事態とは、大きく異なる可能性が高いのである。

 一般的な日本人は、中国の古代に関する記事を、現代の漢字熟語として読んでしまうので、正しく書かれている記事でも、大きく誤解される可能性が高いのである。

 ・奇譚ふたたび
  例えば、ここで先に挙げた「奇譚」は、現代語感で言うと、変な話、理屈に合わない話と否定的な形容に取られるのだが、「奇」は、「奇跡」の「奇」の使い方 でわかるように、本来、大変肯定的な、宗教的とも見て取れる文字である。現代の文書ならともかく、史書、史料では、心して読むべき文字である。

 正史本文の漢文読下し文は、見るからに使われている言葉が現代語でないことが自明であり、読むものも警戒して読むものだから、軽率な誤解が生じる可能性は少ないが、そこから、自身の論考に引用して地の文に紛れ込ませると、現代語に紛れてしまい抵抗なく読めるので、誤解が発生しやすいと感じるのである。
 互いに自戒したいものである。

以上

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